はじまりの話 -2-
少年は無我夢中で駆け回った。
そのうちに息が上がって流石にもう走れないと、膝に手をついて屈みこんだ。
落ち着いたところで、辺りを見渡すと先ほど居た場所より、さらに暗い。
此処は、ほとんど暗闇に近かった。
少年は路地を走り抜ける気で全力を出したのだが、一向にその終端に辿り着くことはない。
少年はこの道が永遠に奥まで続いているような気さえしていた。
(怖い……誰か、助けて。父さん、母さん……!)
何故、あの時家を飛び出してしまったんだろう。
何故、ちゃんと行く当てを決めて歩くことをしなかったのだろう。
少年は自分の不甲斐なさに無性に腹が立った。
そしてこれは、すべて自分の行いが悪い,と少年は胸を締め付ける自己嫌悪に身を委ねてしまう。
そうする内に、少年はひどい無気力感に襲われ始めた。
(もうきっとここから出る事は出来ないんだろうな……ごめんなさい、ごめんなさい)
少年は気づいていないが、少年の周囲にだけ白い靄のようなものが立ち込めていた。
この靄は、とても弱い呪力を帯びていた。
人間の負の感情が蓄積し魔力と結び付くことで、このような靄を発生させることがある。
汚染された地脈が完全には浄化されていないために、そういった現象が此処では発生してしまうのだ。
このような靄は、正常な人間には何の影響力も持たないが、心が揺れているものや負の感情に呑まれているものの、その隙間に入り込もうとする。
そうして、じわじわとその人間の魂を蝕み、食いものにしてしまう。
今の少年が、そうだった。
少年は、その場に立っていられずに、しゃがみ込むと、意識が段々と薄れていく感覚に襲われた。
(い、いけない……こ、こんなところで、意識なんか失ったら……)
そうは思うものの体の言うことがまるで効かなくなっていた。
それもそのはずで、町中の至る所から少年を魂を喰らわんとすべく白い靄が集まりだしていた。
この町にとって、少年は恰好の”餌”だったのだ。
(ああ、だめだ。お父さん、お母さん……会いたいよぉ……)
少年の意識が正に途絶えようとした、その時―――左側の民家の玄関に明かりが灯った。
玄関の上に括りつけられた、三角帽子のランタンがあり、その中心に赤々とした火が灯った。
靄は光を嫌ってか、少年の周りから一瞬にして町のそこらかしこに立ち消えていった。
暫くすると、少年は軽くなった上体を起こし、そのランタンがある玄関を見つめた。
暗闇の中から、いきなり光を見たものだから、少年は目眩んでしまい顔を右手で覆った。
光に慣れてくると、その家の玄関の上に古びた黒い看板があるのを見つける。
そこに書いてある掠れた文字を少年は読み取るべく、少年は目を凝らした。
「K……N、D……T...M?」
”KNDTM”と、少年は読み取ったが、それが何を意味するのか、さっぱり分からなかった。
そうしている内に玄関の扉の取っ手が、ゆっくりと下にスライドするのが見えた。
――――誰かが、出てくるようだ。
ズズズ――――ズズズ――――と、建付けが悪いのか、何度も止まりながら、
ゆっくりと扉が押し開いていく。
そして、人が顔を出せる程の隙間が出来ると、そこから眼鏡をかけた中年の男性が、のそりと顔を出した。
ぼさぼさの茶色いくるくるパーマの短髪で、こけた面長の輪郭の顔立ちをしている。
無精髭が伸びに伸びており、髪の毛と同じくらいの毛量があるように見える。
そして、白く曇った眼鏡のせいで、男性の表情が全然読み取ることができない。
少年はとりあえずその場に立ち上がると、ペコリと頭を下げた。
危機的な状況を助けてもらったお礼を言おうと思ったが、少年は多少の人間不信に陥っており、
警戒心からそれは実行できなかった。
暫く、男性と少年はにらみ合っていたが、少しすると男性がゴホンゴホンと大きく咳き込んだ後、口元だけで出したような小さな声で、少年に声を掛けた。
「……入りなさい。この町は君のような少年には、少し危険だ」
男性がそう言うと、家の中にのそりと顔を引っ込めたので、少年はその場に少しの間立ち竦んでいた。
(入ってしまって、良いものだろうか)
母親が少年によく言って聞かせていた言葉を思い出す。”知らない人に付いて行ってはいけない”と。
しかし、今の少年に打てる術は他に無いように思えた。
このまま、この路地にいては、またあの白い靄に襲われてしまうかもしれない。
少年は意を決して、男の店の中に進むことにした。
はじまりの話 -2- -終-