4話
「相変わらず、ここは灰色の世界だな」
宇宙船から降りたアマトは辺りを見てひとりぼやいた。それに続いて、ラルフたち他の乗組員たちも宇宙船から降りてくる。
宇宙船は大きな問題なく航海を越え、地球へとたどり着いた。宇宙船が着陸した正確な場所はよくわかっていない。環境汚染による海水増加で地形が変わってしまっているのだから。
ラルフたちは全員防護服に身に包んでいる。防護服は以前から使われていた宇宙服を元に作成されている。使われている繊維はコルトツと呼ばれる特殊繊維で、これ一つで宇宙服全部の効果を担う優れものだ。ヘルメット部分には頬部分にフィルターが取り付けてある。このフィルターによって、空気中にあるスモッグなどの有害なものを除外して吸うことが出来るようになっている。また、万が一のために小型の酸素タンクも背負っているが、1時間程度しかもたないので、本当に非常事態にしか使えない。
ラルフは何かを探すようにゆっくりと身体を回す。空は灰色の雲が外敵の侵入を拒むように取り囲んでいる。視線を下ろすと、まとわりつくような灰色の霧越しに左数キロ先に砂塵舞うビル群が視認できることが分かった。どうやらそれなりに都市部に近いようだ。しかし、右手を見ると、宇宙船から歩いてすぐのところに紅いさざ波がたっている。地面は砂に覆われているが、少し掘ってみるとコンクリートが顔を出した。
「海水増加による海面上昇と、砂は風に運ばれてきたってところか」
アマトは砂を足で払いながら言う。他の乗組員たちは各々海水を採取するために採取キットの吸引機で吸っている。
「だろうな。掃除する人も、ましてやこうやって払う人もいない」
「そりゃそうだ。いままで色んなところに降りてきたが、本当に人影どころか骨すら見たことないからな」
ラルフは無言で頷いた。この調査に降りる際には、必ず人影を探すようにしている。もしかしたら、コロニーを作って暮らしている人がいるかもしれない。そんな淡い期待が、全員の心のどこかに残っているからだ。
「まぁ、いずれは会えるだろう。さぁ、俺たちも採取作業に戻ろう」
「あぁ、そうだな」
ラルフとアマトは他の乗組員たちから少し離れたところを歩いて、海岸線に転がっている魚や貝の死骸を探し始める。地球の地上がこうなった後も、海中にはまだ多くの海生生物が暮らしていた。流れてくる海水が赤いのがその証拠だ。これはプランクトンの異常増殖が原因で、プランクトンの色素によって赤く染まっている。つまりプランクトンなどの微生物がまだ生存していることを意味しているのだ。
これを初めて見た時、俺はいよいよ海に住んでいる水生生物たちが大量死して、血で赤く染まっていると思い込んだものだ。いよいよ海すら住めない場所になってしまったと勝手に絶望したな、とラルフはヘルメット越しに口に手を当てて懐かしんだ。それをみてアマトは首を傾げるが、大したことはないだろうと、特に気をとめずに作業に戻った。
しばらく一人歩いていたラルフは、水質汚染に侵されたのか、えらが長方形に歪んだ魚の死骸を発見した。ラルフはそれを拾うと、収集用袋を取り出して、それにしまう。水質汚染もまだまだかかりそうだな、とラルフは透明な袋越しに死んだ魚の目を見つめる。この魚も、探せば宇宙ステーションの水族館で元気に泳いでいる姿を眺めることが出来るだろうか。そんなことが頭をよぎったのかは、本人にもいまいちピンとこなかった。
一日目の調査を終えると、ラルフたちは宇宙船に戻った。かといって、その日の調査が終わるわけではない。ラルフたちは防護服から研究服に着替えて、研究室に入る。アマトは取ってきた海水を特殊な試験管に移してから、スポイトで数滴分回収する。それを検査皿に垂らすと、検査機に持っていく。設置皿を検査機に設置すると、検査機のボタンを押す。検査機の上の方から静かにストロー状の吸引棒が降りてきて、吸引していく。
この検査機は吸引した成分を分析する機械である。吸引棒から検査機内に取り込み、機械内で成分分析を行い、データベースに登録されている過去に採取した、海水などの成分と照合し、比較結果を画面に出力している、らしい。詳しいことは使っているラルフたちも分かっていない。製作したのはラルフたちではなく、技術部の面々なので当たり前といえば当たり前である。
「どうだ、アマト?」
「だめだ、大した変化は見られない。それこそ小数点以下の単位でマシにはなってるが」
ラルフが横から検査機のディスプレイを覗き込む。薄緑に塗りつぶされた背景に一本の緩やかに下っていく線が映し出されている。過去9回分と今回分の汚染物質の推移を示している。
「やっぱりか……」
ラルフとアマトは顔を見合わせるとため息を吐いた。
「宇宙船に大規模な浄化装置とか詰め込めたらいいんだろうけどな」
アマトは座っていた椅子の背もたれに身体を預ける。背もたれが大きくのけ反った。
「それは何度か試しただろう。現状の宇宙ステーションで作れたとしても宇宙船には詰めない。別枠で射出しようにも、あの雲のせいで正確な位置を指定することが出来ない。運よく着陸地点の近くに落とせたとしても、それを設置するための機材がそもそもない」
「分かってはいるけどよ。だからってこのまま緩やかぁに下ってくの待ってたら、俺達までキンジョ―さんみたいになっちまうぞ」
ラルフが頭をはたく。アマトは叩かれた部分を優しく撫でながら、空いてる手でボタンを押して、変わり映えしない検査結果をデータの倉庫に閉まっていった。
事件が起こったのは、6日目の出来事だった。
ラルフたちはその時、海岸線とビル群を繋ぐ舗装された道路を歩いていた。歩くたびにじゃりじゃりと鳴る輪唱がどこかラルフたちの気を散らす。アマトはまだまだ先がある道のりに飽きて、暇つぶしを探し始めた。整列していたわけではないが、ちぐはぐに並んでいた列を離れ、端に転がる手ごろな石ころを探した。
「あっ」
アマトが声をあげる。それは普段話す声のボリュームで、聞こえたのは一番後ろを歩いていた隊員だけ。首を傾げ、近づくとアマトの指さす方向に顔を向ける。
「ああっ!」
隊員が大声をあげた。その声は全員に聞こえた。先頭を歩いていたラルフが振り返って、二人に声をかける。
「二人とも、どうした。何か見つけたのか?」
「あ!ああ!」
アマトたちは忙しなく招き手で呼び寄せる。ラルフたちは、お互いに顔を見合わせて、お互いに首を傾げながら呼ばれたところに向かった。
「あ」
全員がぽつりとつぶやくような、あ、という声を漏らした。
そこには、地球を訪れて、初めて見るものだった。
そよ風が吹く。そよ風に撫でられて、その小さく弱弱しい茎を揺らす双葉が、そこにあった。