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1話

 今からするのは遠い遠い未来。私たちの孫よりもっと先の子孫たちが進む物語。


 宇宙ステーション植物管理部門管理部長補佐、ラルフ・アーラカライドは、宇宙ステーションの最上階にある一室に向かうため、丸く伸びる廊下を一人で歩いていた。短く切りそろえられたショートボブの金髪が靡くその顔は落ち着いているが、少し緊張も混じっているのが窺い知れる。その証拠に、下地の白に腕の外側に青い一本線が入った詰襟の制服の普段は開けている第一ボタンを閉めている。

 廊下の窓の向こうはどこから見ても変わらない、腐った豆腐のような雲に覆われた灰色の惑星が進行方向とは反対に回っている。丸みを帯びた廊下なので、嫌でも窓の外が目に入る。ラルフは、外のそれを見るたびに胸がキュッと締め付けられる思いだった。向こう側を出来るだけ見ないように歩いて、長く続く廊下の先にある目的の部屋の前までつくと一呼吸おいてからノックする。中から返事はない。


「植物管理部門部長補佐、ラルフ・アーラカイド、入ります」


 ラルフは一声かけてから横にある指紋認証のリーダーに手をかざす。すると、ピーという機械音とともに、細い緑の光線がラルフの手のひらを読み取っていく。読み取った毛細血管をリストと照合し、入室申請されていることを確認される。リーダーの端にある小粒程度のランプが点灯し、ドアが右にスライドする。開いた部屋にその場で軽く一礼すると、ラルフは足音に気を付けながら中へ入った。

 まるで白紙に陰影をつけただけのような部屋だ。ラルフはこの部屋に来るたびにそういう感想を抱いた。まるで、ペン入れをしただけのキャンパスを思わせる真っ白な壁。壁一面に窓が施されたところは、純白のカーテンで閉め切られている。白く染められた天然スレートの一脚机と、机の高さに合わせた白い革張りのソファー。そして、大の男が二人で寝ても余裕がある白のベッド。全ての家具が白で統一されたその部屋は、主の趣味で作られたものだ。


「キンジョ―様。何か御入用ですか」


 キンジョ―と呼ばれた白髪が僅かに残っているだけの老人はヘッドボードに背中を預け、ベッドを横断するテーブルの上の本を読んでいた。白い病衣から見える胸元はやせ細り、骨と皮だけのミイラのようだった。ラルフに声をかけられると、少し驚いた顔で正面に目を向ける。牛乳の瓶底のような眼鏡は少し鼻からずれる。


「すまない。来てたのかね」


 キンジョ―は栞を挟んで本を閉じると、眼鏡を本に置く。それを見たラルフは何も言わずにキンジョ―の横まで歩いた。キンジョ―が横に置いてある椅子を勧めると、ラルフは定位置に座り、キンジョ―と同じ目線で向き合った。


「それで何か御用ですか」


 ラルフは入ったときよりも大きな声でキンジョ―に話しかける。うんうんと頷いたキンジョ―は返事をする。


「なに、近況を聞きたくてね」


 キンジョ―はしわくちゃに微笑みながら絵本を読んでもらう子供のようにラルフを見つめるが、ラルフは少し困ったように鼻から息を吐いた。

 昔の面影なんてどこにも残っていない、とラルフは内心ため息を吐いた。教科書に載っていた彼は写真越しでも真面目一辺倒を人間にしたような堅物だと分かった。実際、授業で習った内容は、彼がどれだけ真面目に自然と向き合ってきたか、そしてどれだけの成果を上げてきたか。しかし今は寄る波に勝てず、顔も腕も皺が寄り、心にも皺が寄って柔らかくなっている。

 このキンジョ―はこの宇宙ステーションの創生者メンバーの一人である。元々は植物学の学者で、その中でも砂漠への植林による自然再生研究の第一人者だった。積極的に砂漠での植林活性化を務めていて、メンバーになってからもその活動は続けていた。その活動には他のメンバーも参加し、キンジョ―も他のメンバーの活動を手伝うことでお互いを支えあっていた。

 しかし、かつての仲間は既にキンジョーのみ。他は全員亡くなっていて、キンジョ―だけが取り残されていた。今年で齢130になる、いつなくなってもおかしくない、むしろ死んでいないほうが不思議な歳だとキンジョ―もラルフも分かっている。しかし、キンジョ―はそんなことをこれっぽっちも気にしていないといった態度をしていて、ラルフにはそれがカラ元気を振りまいているように見えて不安なのだ。


「またそれですか。研究は毎日報告書があがっているでしょう」


 ラルフは自分の不安を忘れるようにわざとらしく呆れたような声を出した。


「いいじゃないか。こんな部屋だとね、少しは誰かと話をしたいものなんだ」


 こんな部屋にしたのは、自分じゃないか。口から出そうになった本音をとっさに飲み込んだ。彼に対して本音をこぼしても笑ってくれるだろうと分かっていても、流石に口にするのは気が引けた。それに、寝たきりの相手にとっては人と話すことが唯一の刺激なのだろう。

 ラルフは少し呆れる態度を取りつつも、代わり映えしない研究の報告をする。キンジョ―はそれに時折相槌を打って聞き入っている。


「報告は以上です。何か質問はありますか?」

「報告ありがとう。そうか、まだまだ再生できそうにないか」

「キンジョ―様の言う通り、少なくともあと100年は改善の兆しは見られません」

「そうか、そうか……」


 キンジョ―は見るからに悲しみに暮れている。すでに80年という年月を費やしている彼にとって、100年は遠すぎる。コールドスリープを施すことで目的が達成できるまで待つことが出来るが、本人はそれを望まなかった。命は限りがあるから尊い。それがキンジョ―と他の創生者メンバーきっての願いであった。


「ですが、日々研究は進めています」


 ラルフは思わず上ずった声を出した。キンジョ―は少し驚いた顔をする。ラルフが上ずった声を出すのが、それだけ珍しかったからだ。


「日々、これからの研究を進めていけば、きっともっと早く改善する可能性があります」

「ふふっ」


 キンジョ―は一瞬呆けた顔をしたのち、口元を軽く押さえて笑った。


「研究者があまり、きっととか可能性がなんて、確証がないことを言うものじゃないよ。でも私を励まそうとしてくれたことはありがとう」

「……いえ」


 一息ついたラルフはそのあと少し世間話をした後、部屋を後にする。来た時と同じように廊下の窓に目をやる。見える灰色の惑星――かつて地球と呼ばれた惑星――は相変わらず雲に覆われている。青い地球と呼ばれたのは今は昔。あらゆる汚染でかつての姿を失った地球はそこにあった。


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