第九話 ネーミングセンス
前回までのお話
ココは良い子でした。
「今はここら辺で、こっからずーっと東、トーカシンの町に向かってるの」
揺れる馬車の中で地図を広げたココは、その上を指でつつーっとなぞる。
その横に座って地図を覗き込むエドガーはふんふんと頷いている。
「途中、この辺とこの辺にも村があるから、そこで何日か過ごすの」
ラトリーシャが教えとけ、と言ったわけでもなく。
ましてやエドガーが聞いたわけでもなく、自ら率先して説明し、得意げに胸を張るココの姿はまさに姉のようであった。
数分前までラトリーシャは堪えていた。
新人に行程を教えるのは隊長として当然の事だったし、今までも勿論そうしてきた。
しかし今回だけは違った。
ココに「教えておけ」と一言告げれば済む話だったが、昨日の様子を見る限りはココに勝手にやらせた方が良いだろうと判断して成り行きを見守っていたのである。
八歳の癖にそうと感じさせない新人のエドガーに無能な隊長だと思われるのも癪なので「アタシはココの為に敢えて何も言わないんだからな。分かったか」と視線だけで伝えた。
ユーゴが「そういえば姉御……」と何かを言いかければ目で殺し、ジュールが「テウルの町ではまだ少ないですが、内陸部では乳牛が飼われるケースが増えてきたみたいですね」と絶妙なアシストを放つと「ああそうだな、チーズが食いたい。チーズ美味いよなチーズ」と不自然に大きい声を出した。
ラトリーシャは決して器用ではなかったが、それが隊商の面々に空気を読むということを覚えさせた。
そんな甲斐もあってか、ココがはたと気付いて地図を広げたのを確認してほっと息を吐くと、もうアタシの仕事は終わったとばかりに馬車の隅で眠りについた。
エドガーは今も堪えていた。
昨日とは打って変わって機嫌の悪そうなラトリーシャに睨まれたかと思えば、何か口を開こうとすればその度に睨まれた。
昨晩の事を考えれば睨みたいのはこっちだというのに、これだから若い女性は……なんて考えていたのだが、ココが地図を広げると同時に眠りについたラトリーシャを見て、その意図を察した。
意図を察したまでは良かったのだが、一通りの説明を終えて胸を張るココの頭を撫でてやりたい衝動に駆られて仕方が無かった。
何故そこまでしておいて寝るのか、それならば褒めるまでが一工程なはずだろう、と、横になっているラトリーシャの背中を蹴っ飛ばしてやろうかとすら考えた。
助けを求めて視線を彷徨わせてもユーゴは馬の手綱を握ったまま振り返らないし、ジュールはただ微笑むだけだ。
悩みに悩んだ末に「ココは物知りだなあ! ありがとう!」と腹の底から搾り出した。
ココにとってエドガーはあくまでも弟でなければならないのだ。
それぞれの配慮と思いやりによって、ココの笑顔は守られた。
馬車の中はとても平和だった。
ところで、ユーゴの顔はちょっとだけ怖い。
ちょっとだけ、というのはあくまで本人がそう言うからであり、大の大人でも目を合わせるのが憚られる程の顔をちょっとだけと表現して良いものかは疑問が残る所ではある。
「エド、今日の見張りは二番目だ。ユーゴとな」
日が沈みかけた頃に夕食を終えるとラトリーシャはそう告げた。
新人には一人一人と対話する時間を設けるべきだというラトリーシャの流儀であり、ババアの教えだった。
「はい、分かりました」
ラトリーシャの言葉に素直に頷き、馬車に戻ってゆっくりしていたエドガーだったが、ココが最初の見張りに向かう前に近寄ってきて「今日は一緒に寝れないね」なんて耳元で囁いてくるものだから、てっきり交代の時にココが起こしてくれるものだと思っていたのに、身体を揺さぶられて目を開けると至近距離にユーゴの顔があった時の衝撃はとんでもないものだった。
怖いなんてものじゃなかった。
目を開けたことに満足したユーゴがその場を離れるまで呼吸すら出来ない時間が続いた。
一際大きく息を吐いて身体を起こすと、自分の横で眠るココが目に入った。
――ごめんね、お姉ちゃん睡魔には勝てなかったよ。
何処からか、そんな声が聞こえた気がした。
やるせない思いを封じ込めてエドガーは馬車から降りた。
焚き火に照らされて浮かぶユーゴの顔は昼間よりも一層迫力があった。
「……どうも」
「おう」
会話をしようにも何を話せばいいやら、とエドガーは思案する。
お互いに距離感を掴めずにいる、そんな空気だった。
「ユーゴさん、木刀の振り方を教えて貰えませんか? 魔法が使えない分、他で頑張ろうと思うんです」
エドガーは立ち上がると、持っている木刀を上段に構えて素振りをした。
「とりあえず、振ってれば良い」
なんとか間を持たせようと行動したエドガーの期待に反して、返ってきた言葉は素っ気無いものだった。
――おおう、マジか。
心の中で呟いた後で、エドガーは型も構えもなく黙々と木刀を振り続ける。
自分で口に出した以上は止めるわけにもいかなかった。
「エドガー」
――一体どれだけ振り続ければ良いのだろう。ひょっとして自分はユーゴに試されているのだろうか。だとすれば負ける訳には行かない。そうさ俺はエドガーだ! と体力の限界を越えて新たな扉が見え始めた頃にようやくユーゴから声が掛かった。
「木刀を置いて、ちょっとこっちへ来い」
からん、と音を立ててエドガーの手から木刀が地面に落ちる。エドガーは腕をだらんと垂らし、へろへろになった身体を引きずるように歩いた。
「ちょっとじっとしてろよ」
そう言うとユーゴはエドガーの身体を両手で抱きかかえた。
俗に言う、お姫様抱っこだった。
ユーゴが意図した訳ではなかったが、木刀を振り続けて疲れ果てたエドガーには抵抗する力は無く、乾いた笑いを漏らすのが精一杯だった。
「よし……行くぞ」
ユーゴはエドガーを抱えたまま沈み込むと、その反動を生かしてエドガーを
空に向かって投げた。
エドガーはもはや言葉すらない。何か悪いことしたのかな、なんて考えている。
地面に落ちる衝撃に備えて目を閉じ、身体を丸めていたエドガーは何故か訪れないその瞬間に恐る恐る目を開けた。
宙に浮いていた。
満天の星空が少しだけ近付いた。
考えてみればゆっくりと星空を眺めたこともなかった。
届くはずもないのにその手を伸ばした。
「おっと、あんまり動くなよ」
エドガーは自分の真下からそんな声を聞いた。
首だけ動かすと、下ではユーゴが両手を上げて万歳の姿勢を保っていた。
少しだけ冷静になったエドガーは、その両手から風が吹き出ている事にようやく気付いた。
「ユーゴさん……が?」
それ以外ありえない、そうは思いながらもエドガーは問いかけずにはいられなかった。
「俺は、昔っからこれを練習してきてな。自分が風魔法だと分かった日から、空を飛ぶ方法だけを考えてきた」
「出来るんですか……?」
「分からん。聞いたこともない。だが、こうして研鑽を積み重ねていけばいつか飛べると俺は信じている」
「空飛ぶ馬車、とか格好良いですよね」
「おお、分かるかエドガー! いや現実的には難しいだろう。そうだな……軽くした荷台に今よりもっと大きな幌をつければ……」
「ああ……なるほど」
――気球ですね。
危うく出掛けた言葉をエドガーは呑み込んだ。
「包み込むように、支えるように風を繰る。大人だとまだ支えるのが難しくてな。練習には子供が丁度良いんだが……どうだ? 気持ち良いだろう?」
「ええ、とても」
まるで空気の塊が自分を支えているような浮遊感は気分を高揚させる。
それにいつもより遥かに高い視点。
気持ち良いに決まっていた。
「名付けて、超高い高い、だ」
ぷっ、とエドガーは安直なネーミングに吹き出す。
もう少し他にもあっただろうに。
「村の子供には人気があったんだがな。ある日、一人の子供の母親が血相を変えて飛んできて、そのまま自警団に取り押さえられた。ウチの子に魔法を使うだなんて! ってな……多分、俺の顔がちょっとだけ怖いのもあったんだろう」
「そう、でしたか」
エドガーの身体はゆっくりと下降を始め、再びユーゴの腕の中に納まった、
至近距離でエドガーはユーゴの顔を見る。
ちょっとだけ怖い。そう、確かにちょっとだけだ。
このユーゴという人物はただ純粋に空に憧れているだけなのだ。
こうしている今も、きっと空に思いを馳せているのだろう。
いつか、気球というものを教えよう。火魔法のココと二人で大空を飛んで、きっと二人して大喜びするに違いない。
疲労が限界まで達していたエドガーはそこまで考えたところでその意識を手放した。
「これ以外はからっきしでな、木刀の振り方はラトリーシャの姉御に聞いてくれ……うん?」
ユーゴの言葉はエドガーに届かず、星空に消えていった。
「ねえねえ? エドもユーゴさんのアレ、やってもらった?」
ココが言うアレ、とは超高い高いの事だろう。
エドガーは、うん、と頷いた。
「凄いよね! 私アレ大好き!」
朝食を終えて進む馬車の中でココはきゃっきゃとはしゃいでいる。
どうやらよっぽど気に入っているらしい。
当のユーゴはというと、その反対側に座りながら照れ笑いを浮かべていた。
はにかんだその顔は、やっぱりちょっとだけ怖かった。
一向を乗せた馬車は昼過ぎには村に着いた。
地図には載らない、小さな村だった。
「こんくらいの村は、村長の名前が村の名前になるケースが多いな。エドが村長ならエドの村、ってな感じでな。ちなみにアタシはここの村長の名前を知らんからこの村の名前も分からん」
ぶっきらぼうに言い放つラトリーシャだったが、村長の好意で空家を貸して貰えることとなった。
滞在期間中は屋根のある生活が出来るのだから、せめて名前くらい覚えてやって欲しい。
「わ! この家、お風呂があるよ!」
掃除をしながら間取りを確認していたココが歓声をあげた。
聞けば、風呂桶がついている家はあまり多くないという。
恐らくは村長が気を利かせて空家の中でも良い家を貸してくれたのだろう。
ラトリーシャに言わせれば「ふん、どうせアタシらにビビッてるだけさ」とのことだが。
ある程度まで片付けたところで一行は商売を始める。
小さな村では行商人の往来も多くはない。
その為に十分に歓迎される立場ではあったのだが、余所者に対する警戒が強い村人も少なくはなかった。
そこは慣れたものなのか、ラトリーシャのやり口は実に巧妙だった。
まず、村の中心という目立つ場所でユーゴがココを超高い高いしてみせる。
すわ、なんだ面白そうなことをやっているぞ、と集まってきた子供に「これは魔法を使っているから、もしやって欲しかったらお父さんかお母さんを連れてきてね」と優しく告げるのだ。
子供にせがまれて渋々やってきた親に対して「私達はこんな見た目ですから定住する場所がなく、行商人をやっているのです」と、ココが悲しげな顔を浮かべて同情を誘う。
その横ではユーゴに超高い高いされて大喜びの子供。
そうやって少しずつ、私達は無害ですよ、とアピールをする。
警戒心を解いて馬車まで案内すれば、相場に詳しい二人の出番。
女性にはジュールが物腰柔らかに対応し、男性にはラトリーシャがここぞとばかりに艶っぽくその身体をくねらせる。
内陸部では手に入りにくい塩が一番の売れ筋で、みるみるうちに物々交換で仕入れた織物や小麦、そして銅貨が積み上がっていった。
見事な連携だった。
見事すぎてエドガーは呆然とその様子を見る他にやることがなかった。
最初こそ感心していたエドガーだったが、徐々に焦りが出てきた。
――このままではまずい。ラトリーシャに嫌味を言われる。
付き合いこそ短いが、あの女は言ってくるだろうとエドガーには確信があった。
ならばせめて隊の食事に貢献しよう、と村長の元へ向かった。
快く迎えてくれた村長は、食糧事情について簡単に教えてくれた。
村の奥には小麦や野菜の畑が広がって、そこでほとんどを賄っているらしい。
しかし、街道を挟んだ反対側へとしばらく歩けばそこはツガの大森林が広がり、祭りや祝い事などの時には大人が数人で狩りに向かうこともある、ということだった。
立ち入り許可でも必要なのかと尋ねてみた所、森は森だから好きにして良いと言われた。
――森か。
ギーギが居なくても大丈夫だろうか。
自信は無いが、もはややるしかない。
食卓に彩りを加えて驚かせてやるのだ。
エドガーは一人、決意を胸に森へと歩みを進めた。
「あっ」
村長の名前を聞き忘れた事に気が付いたのは街道を越えた付近だった。
「ま、いいか」
その村の名前を、ラトリーシャ一行はまだ誰も知らない。
その日、五人でテーブルを囲んだ夕食には物々交換で手にした鶏肉とパン、そして僅かばかりの山菜が並べられた。
にやにやと薄笑いを浮かべながら生暖かい目で見るラトリーシャはまだ良かった。
それよりも、エド凄いよ頑張ったよ、と慰めるココの言葉の方がエドガーの心を削った。
「……明日は朝から森に行くから」
「森で暮らしてたっていうから心配はしてないが、くれぐれも無理はするなよ」
こんな時だけ隊長らしい言葉をかけるラトリーシャが妙に恨めしかった。