第七話 ラトリーシャ隊商
まず、ぐるりと町を囲む土壁を抜けてテウルの町へ入ったリアンとエドガーの二人は町長の下へと向かった。
朝早かったにも関わらず、すんなりと面会することが出来たのは昨日の段階である程度の話が通っていたからだった。脳まで筋肉で出来ているような印象のチェイスとウィルだったが、仕事は仕事として確実にこなす。
町の中心に位置する大きな館の中へと二人は入る。
エドガーは内心、メイドが居るんじゃないかと期待していたが、残念ながら叶えられることはなかった。
「今回の件で誰よりも胃を痛めていた」と道中でリアンに聞かされたエドガーは、顔を合わせるとすぐに頭を下げた。
「この度は御迷惑をお掛けしまして、申し訳ありませんでした」
と、素直に謝った所、町長であるイーサンは大層驚いた様子で
「いやいや、無事なら結構。むしろ住んでいた所を追い出すような真似をしてしまってこちらこそ申し訳ない」
お互いが謝罪を口にする、そんなやり取りを微笑みを浮かべながら見ているリアン。
腹を探られたくない者と探りたくもない者の会話は傍から見ていると非常に滑稽だ。
何もリアンは事なかれ主義のイーサンを批判しているわけではない。むしろ好んですらいる。
「何かあってからでは遅い!」と目を光らせている人は多いが、それで何もしていない人間を隔絶するのは如何なものかと考えているし、そういった連中こそ何か後ろ暗い事をしている気さえする。それに比べれば、面倒にならなければ何でも良い、とスタイルを確立しているイーサンは安全、安心とリアンには思えるのだ。
聞いているリアンはおろか話している当人達でも記憶に残らない、中身もへったくれもない、ただの通過儀式のような会話を終えると二人は町長の館を後にした。
町長の館から数分歩いた所にある、プールのような溜池の前でリアンは振り返った。
「まずは行商人の隊長を呼んでくるからここで待っててくれるかな?」
ええ、とエドガーが頷くとリアンはそのまま出店が並ぶ通りを歩いて行った。
エドガーは一人になるときょろきょろと町を見渡す。
今、リアンが歩いて行ったのがどうも商店街のようだ。
その他の通りは住宅街に見える。所狭しと立ち並ぶ家からは多くの人が住んでいることが予想された。
エドガーがぼけっと突っ立っていると、歩いてきた三人の少女達から声が掛けられた。
「ねえねえ、あなたが山の人?」
「ちょっとミラ、山の人って言い方もないよ……」
――山の人か。エドガーは苦笑する。人の口に戸は立てられないのはこちらの世界も変わらないようだ。
「確かに、お嬢さん方が口にするような言葉ではありませんね」
最初に話しかけてきた、ミラと呼ばれた子は緩くウエーブが掛かった髪を肩まで伸ばし、着ている服と合わせてまるで人形のようだ。きっと何処かのお嬢様なのだろうと懇切丁寧に対応したつもりのエドガーだったが、
「やだ、その話し方気持ち悪い。子供のくせに」
と一刀両断されるのであった。
――自分だって子供だろう! と心の中で叫ぶ。口に出すのは寸での所で堪えた。
「あー、うん。俺が多分、その山の人だと思う」
頭を掻きながら諦めて自嘲気味に話す。
「ほらやっぱり! ねね、山って楽しい? 獣とかいるんでしょ?」
興味があるのか、ミラという少女は目をキラキラ輝かせて質問を始める。
「ミラやめようよ……怒られるよ……」
「大丈夫よ、そうなったらスーのお兄さんの出番だから!」
不安そうなスーと呼ばれた少女を余所にミラは自信満々だ。他人の兄を頼っていながら何故そうも強気で居られるのか、とエドガーは呆れを通り越して感心さえしている。
「いや、山は楽しいかって言われると……俺は生きるのに必死だったから」
エドガーは言われて考える。そう、必死だった。
ギーギが居なかったら食料も危ぶまれたし、食べ物にあたって腹を下したり熱を出す事が無かったのは運が良かったとしか思えない。
「なんだ、つまんないの。面白い話が聞けると思ったのに!」
ぷりぷりと肩をいからせながらミラは去っていく。「ああもう、ごめんなさい」と謝るスーをエドガーは片手で制して、三人の少女達は嵐のように去って行った。最後尾を歩く黒髪の少女は、ついぞ一言も喋ることはなかった。
それでも、とエドガーは思う。必死だったけれど、ギーギとの日々は楽しかった、と。
他人に話せない事が多すぎて、誰にも共感して貰えないのが寂しいけれど。
三人の少女達が過ぎ去って程なくしてから、リアンが女性を連れて戻ってきた。
「お待たせ。こちらが隊商を率いているラトリーシャさんだ。で、こっちがエドガー君」
「エドガーです、よろしくお願いします」
紹介され、頭を一度下げるとエドガーは目の前のラトリーシャと呼ばれた女性を見る。
ラトリーシャは肌が褐色だった。その上、髪は銀色のように光っているのだから嫌でも目を惹くし、出る所は出た癖に引き締まった身体は女性から見ても憧れるだろう。リーダーとは思えぬ程若く、シワひとつ無く整った顔立ちはお世辞でもなく、綺麗だった。
「ちっ、おいガキ。ガキの良いところは何だ。言ってみろ」
言われたエドガーは、信じられないといった表情で何度も瞬きを繰り返す。
――え? 大丈夫なのこの人?
ちらりと横目にリアンを見ると、リアンはただ苦笑していた。助け舟を出すつもりもなさそうだ。圧迫面接はもう始まっているらしい。
「えっと、体力はそれなりにあると思います」
「そうじゃねえ! お前の事じゃなくて……あぁもう良い! とりあえずその喋り方をどうにかしろ」
どうやら彼女、口はかなり悪いようだった。
子供は子供らしくしろとでも言いたいのだろうか。
はぁ、と一つため息を吐く。
「すいません……目上の方には、どうしても」
「ちっ……ったく、気持ち悪いガキだな」
何も面と向かって気持ち悪いは無いだろう、と怒気を込めた視線をラトリーシャに向けるが、彼女は平然とそれを受けて口角を吊り上げている。
「それでいんだよ、もちっと自分の感情に素直になれ。ったく、大の大人でも初対面でアタシを見たら多少はビビるってんだ。ガキならガキらしくもっと驚け」
「え、ああ。すいませんでした。ラトリーシャさん美人ですもんね」
「え?」
「え?」
何か間違えたかと慌てていると、リアンが腹を抱えて笑っていた。顔を赤くしたラトリーシャがそんなリアンをげしげしと蹴っている。
地味に痛そうなローキックだった。
「……ったく。ココのやつが心配になるぜ」
「ええと、すいません?」
子供らしい言葉遣いとはどういうものだったか、と思考を巡らせていたエドガーだったが、なかなか答えが出ないままでいる。
「……色々と言いたいことはあるが、まあいい。とりあえずこれを受け取れ」
渡された袋の中身を確認すると、着替えが何着か、それに数枚の銅貨が入っていた。
「良い値段で売れたからな」
リアンに、これでなんとか支度を、と頼んでおいた鹿と猪の毛皮はどうやら彼女が捌いてくれたようだった。
「大丈夫だよ、彼女も商売人だからね。ちょろまかすような真似はしないさ」
別に心配していたわけでもないのにリアンはそんな事を言う。それではまるで自分が最初から疑っているみたいな言い草ではないか。ちらり、と伺うようにラトリーシャへ視線を向けると案の定、整った眉を吊り上げて、その目は「ほう、良い度胸してるじゃねえか」と言外に語っている。
「……行くぞ」
言いたいことを堪えたような、腹の底から搾り出したような低い声でラトリーシャは一言告げると先をスタスタと歩いていく。
「僕はここまでかな。エドガー君なら大丈夫だと思うけど、しっかりね」
「あ、はい。リアンさんには本当にお世話になりました。ありがとうございました」
その場で見送るリアンに一礼して、エドガーはラトリーシャの後を追いかける。
根掘り葉掘り聞かれるものだと構えていたが、まるで最初から入れるのが決まっていたかのような一連の話に肩透かしを食らったような。同時にその人間性に驚きはしたが、どうやら寝床に困ることは無さそうだな、と考えれば自然と笑みが零れるのであった。
商業区域の外れ、町の東口に近い場所に馬車倉庫はある。
閑散とした倉庫の一角で、一際大きな幌をつけた馬車の周辺は慌しくしていた。
ユーゴが荷物を運び、ジュールが馬車の中で綺麗に積み込む。
ココは二頭の馬をブラッシングしている。
ラトリーシャの隊商である。
今日、この町を出発するとは誰も言っていない。
それでも三人は理解していた。
ラトリーシャが新人を連れて戻れば、出発するぞと言い出すであろうと。
新人が入った時はまず外の世界を見せる。
そして美味いモノを食べさせてぐっすりと眠らせる。
それがラトリーシャの流儀であり、曰く、ババアの教え、である。
「ユーゴさん! ちょっとお買い物行ってきてもへいきー?」
「ああ、なるべく時間かけずに戻ってこいよ!」
お互い顔が見えない場所にいるので自然と声も大きくなる。
「分かったー!」
そんな声と同時にぱたぱたと走っていく音が倉庫内に響いた。
「八歳、だったか。ココも嬉しいんだろうな」
「そりゃあそうでしょうよ、お姉さんぶりたいお年頃でしょうし」
「はは、違いない。よっと、これで最後だ」
「はい、お疲れ様です」
「……どんな子なんだろうな」
作業を終え、手持ち無沙汰になった二人はこれから来るであろう新人の事を考えた。
「一つだけ、分かってることがありますよ」
「ほう? ジュール、それはなんだ?」
馬車に寄りかかった姿勢のユーゴが、馬車の中で座っているジュールに向き直る。
「……変な子だってことです」
「ははは! それはその通りだ!」
手を打ち鳴らしてユーゴが笑う。
それにつられてジュールも笑う。
倉庫内には二人の男の笑い声だけが木霊していた。
「エドガー、です。八歳です。よろしくお願いします」
馬車の前に三人が並ぶ前でラトリーシャの隣に立つエドガーはぺこりと一礼した。
それを見たラトリーシャを除く三人は目を見開いて驚いた。
それはとても行き場を失くした八歳の子供の言動には見えなかったからである。
まず、目が腐っていない。雰囲気は暗いが、はっきりとした意志が見える。
――これはまた、変なのが来たな。
なんて三人が自分の事を盛大に棚に上げて考えていたものだから、場はそれっきり静かになってしまった。
「え、えっと! 私はココ! 十一歳だからね!」
口火を切ったのは少女だった。
黒、というよりは緑がかった、まるで深緑のような色をした髪を二つに小さく結わえたココは、年上なんだからちゃんと敬うのよ! と言わんばかりに胸を張っていた。
「それでエドガーは、何の魔法を使うの?」
ココにしてみれば挨拶みたいなものだった。
少しでも会話を繋げて緊張の糸を解そう。最初は何を話せばいいかな、なんて考えられた、いわばココの粋な計らい、というやつだった。
エドガーはちらりとラトリーシャに視線を向けた後で
「俺はその、魔法が使えません」
静かに爆弾を投下した。
え、あ、とココはきょろきょろと周りを見渡した後で俯いてしまった。
あちゃー、と額に手を当てて苦笑いをする大人が三人。
「おい、ガキ」
「え、はい」
「お前のせいでココが悲しんでいる。どうにかしろ」
「えええ、それって俺のせいですか?」
そうだ、と頷くとラトリーシャはそれっきり黙ってしまった。
「えっと、ココさん。ココさんは何の魔法を使うんですか?」
きっと自己紹介の一環としてはよくある話なんだろう、と考えたエドガーはされた質問をそのままココへと返した。
「……そんなのそのうち分かるもん」
どうやらココは完全にへそを曲げてしまったようだった。
「おい、ガキ」
「ええと、はい」
「ウチはお互い余計な詮索をしないのがルールだ。分かったか」
「えええ……いえ、いや、はい。分かりました」
言いたい事がありすぎると言葉が出てこないという体験をエドガーがしたのはこの時が初めてだった。
「分かったんならいい。こいつがユーゴでこっちがジュールだ。それじゃ行くぞ」
え、と未だに勝手が分からずに佇むエドガーを置いてラトリーシャはココを連れて馬車へ乗り込む。
そんなエドガーの肩にぽん、と手が置かれた。
「ユーゴだ。今年で二十一歳になった。ま、よろしくな」
そう一言残してユーゴも馬車へ乗り込む。
「ジュールです。歳は十八ですね。さ、エドガー君も馬車に入っちゃって下さい」
最後に残ったジュールは挨拶をすると、幌の外にある台に腰を下ろした。
エドガーがおっかなびっくり中に乗り込むと、馬車はゆっくりと動き出した。
そうしてラトリーシャ一行はテウルの町を後にした。
「……滞在期間、半日足らず、か」
エドガーのそんな呟きは、誰も拾わなかった。