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8歳のおっさん伝説  作者: 壬生たえお
第一章 少年期
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第五話 ギーギとリアン

前回までのお話


小鬼のギーギと燻製作ったり、釣りをしたりしました。

 ギーギが釣り上げた鯰は三日かけて泥抜きした後に、皮ごと焼いて美味しく頂いた。

 この世界に醤油は存在するのだろうかとエドガーは思案する。原料は分かっても作り方までは分からない。そんな悩みを抱える程に醤油が恋しくなる味だった。


 ギーギが獲物を探してエドガーが呪殺魔法で獲物を狩り、燻製を作っている間には二人で釣りをして、余裕が出来たらギーギの案内で山菜や果物を採取する。そんな栄養バランスが少しだけ考えられたサイクルで二人は過ごした。



 ある日、ギーギは住処にエドガーを招待した。

 エドガーがギーギの持つ金属片に興味を示した結果であった。

 湖を迂回するように西に進んだ先の岩肌にそれは存在した。かつて人間が鉱石を掘る為に作った、大きな洞穴だった。つるはしやそれを修理するための工具が乱雑に置かれている様子から、廃棄されて久しいと予想された。


「なるほどな……」

 とエドガーが納得したような、感心したような声を漏らすとギーギは

「ギッギー!」

 と、誇らしげに胸を張るのであった。


「このまま続きを掘っていけば何か出てきたり、なんてな」

「ギ?」

「綺麗な石でも出てくれば人間が欲しがるって話だよ」

「ギギィ?」

「そうだな、俺達には関係ない」

 エドガーはそう応えるが、決してギーギの言葉を理解しているわけではない。表情と雰囲気で何となく察している。付き合いが長くなってくるとそれとなく分かるもんなんだな、と考えている。「ギー……」と項垂れるギーギの様子からして、今回は見当違いの返答をしていた可能性もあるけれど。



 エドガーがギーギと出会ってから既に二月が過ぎていた。気温は徐々に高くなり、夏を迎えようとしている。

 エドガーは髪を切った。

 単純に伸びすぎて鬱陶しかった髪を後ろにまとめてナイフで一気に切った。

 見栄えなんて気にする必要も無い、と。純粋に風通しが良くなった事を喜んだ。

 後になって、やっぱりギーギに切って貰えば良かったかな、と少しだけ悔やみもした。


 二月という時間は二人を成長させた。ギーギは簡単に火の魔法を操るし、エドガーも今では住処の洞穴と湖の往復程度なら息も切らさない。


 エドガーが山をすいすい登れるようになるまでに時間は然程掛からなかった。ギーギという最高の手本が居たからだ。歩幅は小さく、背筋を伸ばして歩く。ギーギの姿勢を真似するだけで身体の負担は驚く程に減った。


 勿論、二月の間で変わらないこともあった。

 少しは成長したとはいえエドガーはまだまだ小さかったし、ギーギはエドガーを「ギギギァー」としか呼べなかったし。




 さて、今日は四日に一度の休養日だ。

 エドガーは鍛錬に励んでいた。

 最初は鈍りきって碌に動けなかった身体だったが、森と山での生活を続けていくうちに最低限、必要な筋肉は自然と身に付けることは出来た。それでもまだ足りない、呪殺魔法が使えない相手が立ちはだかった時にどうする、と休養日には普段やらない事を重点的に行って鍛えた。実際、エドガーは今、大きな木に登ってその太い枝に腰掛けて――次は山道ダッシュかな、なんて考えている。



 ギーギは掘っていた。自らの住処のその奥を。

 エドガーが綺麗な石でも出てくれば、と冗談半分で発した言葉がきっかけだった。

 掘れば必ず出てくると考えてはいない。それでも、出てくるかも知れない、という思いがギーギを突き動かした。

 一心不乱につるはしを叩きつける。

 それは休養日に限らなかった。狩りの日も、釣りの日も、採取の日も。

 食事の前に、寝る前にと暇さえあれば掘った。

 ほしい? と尋ねたら答えは返って来なかったけれど。

 左耳に飾られたピアスの御礼にはきっと十分だろう、と。



 リアンは旅支度をしていた。

 テウルの町の自警団に所属して三年、今年で十八歳になったリアンは、今も昔も町をうろうろと歩き回っているので顔が広い。自警団に入った所で、日々の行動はあまり変わっていなかった。

 今日も食料の買出しに行った所、顔見知りの行商人に馬車の中へ連れ込まれて「人手が足りないんだよなー。お前さんも男なら、ちっと一緒に働いてみないか?」なんて誘われる始末だ。

「この町が好きなんですいません」と、丁重にお断りさせて頂いた上で、改めて塩と干し肉を購入した。


 鞄に購入した食料と水を詰め、残ったスペースに毛布を無理矢理詰め込もうとしている。

 ――大丈夫、大丈夫、と言い聞かせるように心の中で繰り返す。


 今回の旅に同行する他の二人は自警団の中でも特に腕が立つ。

 腕が立つと同時に粗暴な言動も目立つが故に、むしろ心配なのは行き先であるツガの大森林よりも、二人の機嫌を損ねないで居られるかどうかだ。

 何故自分があの二人と、と思わないわけではなかったが、町長のガルシア直々に頼まれてしまっては否とも言えない。

 念の為に数日分の用意はしたが、運が良ければ一日、たった一日で帰って来れる。

 ――小鬼ゴブリンにしろ人間にしろ、どうか、最初の一日で見つかりますように。



 ミランダは外を走り回っていた。

 すっかり元気になったミランダは同い年の少女達を連れ回していた。

 ちょっと赤みがかかった茶髪を肩まで伸ばすスーザン、綺麗に首元で切り揃えられた黒髪が肌の白さをより際立たせているシェルビーの二人だ。

 二人共ミランダと同じように次女として産まれた為か自由奔放に育てられ、一人が町長の娘というのも相まって、三人が揃えばやりたい放題である。


 去年ミランダはプチ自警団なるものを設立した。勿論メンバーは三人だけだ。町を徘徊しては悪者は居ないかと目を光らせる。しかし治安の良いこの町で悪者を見つけることは容易ではなく、十日もせずに飽きて辞めてしまった。

 今年は小麦を守る妖精団を結成しようとしている。悪い虫から小麦を守るのだ。きっと妖精団は町中のヒーローになって拍手喝采を浴びるに違いないと考えている。


 テウルの町は今日も平和だった。




 チェイスとウィルはずんずんと進む。

 鍛えるしかやる事がなかったのか、と言いたくなる程に屈強な肉体を持った二人は多少荷物を持った程度で歩く速度は落ちない。

 その三歩後ろをリアンが汗を流し、息を切らしている。「もうちょっとゆっくり行きましょうよ」とでも声を掛けようものなら途端に文句を言われるに違いないと確信しているので黙って着いていく。触らぬ神に祟りなし、だ。


「ここで間違いないな?」

 先頭を歩くチェイスが低い声で問いかけた。

 自警団に入ってかれこれ十五年にもなる大ベテランは、革の胸当てと腰当てをしている。肩には大きな斧を担ぎ、まさにる気満々だ。


「ああ、ここから森に入れば一直線のはずだ」

 そう応えるのはこちらも勤続十五年になるウィル。

 歳はチェイスよりも三歳下なのだが、同期入団ということもあり、よくつるんでいる。革の胸当てと腰当てはチェイスと同じようにつけているが、その手に持たれているのは長い槍であった。

 後ろを一瞥することもなく森へと入っていく二人。


 その後をリアンはひいひい言いながら着いていくのであった。

 リアンは小さなナイフを腰に差していた。




 エドガーは木の上から三人を観察していた。

 大雑把な足音からすぐに何かが近付いていると察したエドガーは手近な木に登り、その身を隠していた。


 観察して気付いたのだが、三人は周囲を警戒しながらも明らかに何かを探していた。

 恐らくはその何かが見つかるまで森の中に居続けるだろうし、このまま行けば自分の住処としている洞穴に辿り着くのも時間の問題だろうと考え、意を決して声を掛ける。


「こんにちは」

 その声に驚き、慌てて周囲を見回す三人にエドガーは苦笑してしまった。

「すいません、上です」

 そう告げると三人揃って上を見る。ようやく目が合った。


 考えてみればこの世界で人間と話すのはこれが初めてなんだなあと感慨深く考えていたら返ってきたのは舌打ちだった。

「ちっ……人間の方かよ」

 そう漏らすのは斧を持つチェイスだ。顔には不満の色がありありと浮かんでいる。


「えっと、この森に何か御用でしょうか?」


 ふん、と鼻を鳴らすとウィルは顎をしゃくってリアンを促した。


「あ、はい。はじめまして。僕はリアン。テウルの町の自警団に所属しています。この森、というか山、かな。度々煙が上がっているって町で報告があってね。町民が不安がっているから調査に来たんだ」

 あくまで丁寧にリアンがそう説明する。



「なるほど……案外近くに町があったんですね……それは失礼しました。以後気をつけます」


 燻製か、とエドガーは納得もする。

 保存は効くし美味いしで文句なしだったのだが、どうやら封印することになるかな、と考えていたのだが、話はそれで終わらなかった。


「以後、という訳にもいかなくてね。我々は町長から命じられてここにいるんだけれど、もし人間が起こした煙ならば、これだけの長期間だ。小鬼ゴブリンはいないはずだから森を開拓するって話になっている。実際どうだい? 小鬼とは遭遇したかい?」


「いえ、小鬼はいません」

 エドガーは即答する。


「ただ、ここの山を登って行った先に湖があるんですが、その湖を挟んだ反対側に邪鬼オーガを見たことがあります。それ以来、湖には近付いてません」


 エドガーは更に続けた。勿論出鱈目だ。


 なるほど、とぶつぶつ呟いて考えるリアン。



「とりあえず、君には森から出て欲しいんだ。開拓が始まるし、町長も安心するだろうからね。簡素だけれど空家の用意もないわけじゃない。悪くない話だと思うんだ」


 確かに悪くない話だった。普通の人間であれば、だが。


「でも、俺は、魔法を使えません」


 エドガーがそう告げた瞬間に明らかに空気が変わった。


 はっ、と鼻で笑い侮蔑の視線を向けるのはチェイス。

「ほらよ、こんな森で生活してるガキがまともな訳がねえんだ」

 まるで鬼の首でも取ったかのような言い回しをするのはウィル。

 リアンは顎に手を当てて何かを考えているようだった。



「このまま、森で生活するわけにはいきませんか?」


 三種三様の反応だったが、概ね否定的だったと感じたエドガーはそう懇願する。やはり、魔法が使えない人間として人里で暮らすのは難しいのだろうと感じていた。


「開拓中に獲物を見つけて仕留めてみたら人間でした。ってな話がご所望か? はっ、酒の肴にもなりゃしねえ!」

 殺気を込めた目でチェイスがエドガーを睨む。

 その目は人を殺す事も厭わないような鋭さを持っている。

 要するに「下りないと殺すぞ」と言っているのだ。


「いいから下りろよ。人間だった場合の保護も命令のうちなんだ。俺達が能無しに思われんだろ」

 さもつまらなそうに、それでいて苛々しているようにウィルが告げる。


 どうやら、交渉の余地はなさそうだった。


「……一日だけ、貰えますか。あちこちに拠点を構えているので下りるのにも準備が欲しいんです」

 エドガーは観念してそう告げた。

「それならば自分が責任を持って保護して明日、町へ向かいますので、先輩方はお帰り頂いて結構です。お疲れ様でした!」

 エドガーの言葉を聞くや否やの行動だった。

 リアンはずい、と一歩前に出て、強引に会話に割り込む事で事態の収拾を図った。



「ちっ、小鬼の方が良かったぜ」

 と、また舌打ちをして森を出ていくチェイス。それに続くようにウィルも森を後にした。


 その後ろ姿が見えなくなるまで見送ると「ふぅ」とリアンは息を吐いた。


「驚かせてごめんね。あの二人はちょっと血の気が多くてね」

 いやはや、と首を振りながらリアンはそう告げる。

 ほっとしたのはエドガーも同じだったが、かと言って警戒を怠って良い相手でもない、と気を引き締めなおすと木を降りた。


「おや、思っていたよりも小さいんだね。何歳かな?」

 リアンに聞かれ、まだ名乗っていないことに気付いたエドガーは慌てて

「エドガー、です。八歳」

 そう応えて頭を下げた。

「エドガー君か。急な話になっちゃってごめんね。この森で生活してどのくらいになるのかな? 開拓する時の為に森の話を聞かせてくれると有り難いんだけどな」


 一対一になってもリアンの丁寧な対応は変わらない。どうやらこれが素なんだろう、と判断したエドガーは「ここじゃなんですから」と、住処に案内することを決めた。



 洞穴に着いたエドガーは早速後悔した。

 布団代わりに使っていた鹿と猪の毛皮がここぞとばかりに広がっていたからである。

 下手に言い訳しても怪しかろうと、まるで当然のように端へと避けた。


「さっきも言ったように、湖には近付かない方が良いと思います。それとここから五分歩いた所に湧き水が出てます。二月程生活していますが、特に身体の不調を覚えたことはありません。傾斜がきつくなるまでの圏内でしか生活していませんが、小鬼を見たことはありませんので安全だと思いますが、山まで差し掛かるとそれ以上は保証出来ません」

 洞穴の中で腰を下ろすと、エドガーは口早にそう告げた。


 そしてそれきり口を噤んだ。もう話すことはない、と言いたげに俯いてリアンを一瞥もしない。

 それでもリアンは話しかけた。山菜は取れるのか、木の実や果物はどうか、等々。エドガーは応えられる範囲で返答をしていった。


 リアン曰く、開拓と言っても何も森を切り拓いていくわけではないようだ。ある程度の道を整備して森の恵みを得たい、という話だった。

 それならば、とエドガーは一つ、安心したように息を吐いた。ここまでずっと緊張の連続だったので無理もない。


「そういえば話もしたんですが、他の拠点から物資を回収したいので少し外していいですか。必ずここに帰ってきますので」


 そう告げると返事も待たずにリアンを置いたまま洞穴を出てエドガーは山道を走った。

 最初はまともに登り切る事も出来なかった、何度も通ったその道を全力で駆け上がった。万が一にでも後をつけられるわけにはいかない。

 息も絶え絶えに湖に着くとその西、ギーギの住処へと急いだ。




「ギーギ!」


 突然の来訪者にギーギはびくっと驚きながらもエドガーを迎え入れた。


「ギーギ、今から大事な話をするからよく聞け、いいな」


 エドガーはこれまで見せた事の無い真剣な表情で、ギーギの両肩を掴んだ。

 こくこく。

 頷くギーギ。


「これから先、人間がこの森に入ってくるようになるらしい。俺は明日には森から出て人間の所で暮らさなければならないだろう。いいか、もう山は絶対に降りるな。湖も危ないかも知れない。出来れば湖の反対側に住処を移して暮らして欲しい」

 流れる汗もそのままに、エドガーは口早にまくし立てた。


「いいか、もし人間を見たら絶対にすぐ逃げろ。分かったか?」


 こくり、と頷くギーギは今にも泣き出しそうな、悲しげな表情を浮かべていた。


「すまない、な。またいつか戻ってくるから。それまで元気でやっててくれよ?」

 こくり。

 じっと黙って頷くギーギの頭をエドガーはぽんぽんと撫でるように叩いた。


「この二月、お前が居てくれて本当に助かった。俺一人じゃ生きるのも難しかったと思う。ありがとう」

「ギーギギ!」

「ギーギも大変だと思うけど、絶対に生きるのを諦めるなよ?」

「ギッ!」

 そこまで話すと、ギーギはエドガーにぎゅっと抱きついた。

 エドガーは微笑みを浮かべながらその背中を優しく叩いてやった。



 それじゃまたな、と最後に声を掛けてエドガーは住処を出る。

 かつて共に釣りをした湖を、燻製を作った洞穴を視界に焼き付けるように確認しながらゆっくりと山を下りた。


 エドガーが住処の洞穴へ戻ると、リアンはそこにいた。心配は杞憂だったのかも知れない、とエドガーはまた一つ、息を吐いた。


「すいません、猪に荒らされちゃったみたいで何も残ってませんでした」

 とエドガーは適当にでっちあげた嘘で誤魔化す。ならしょうがないね、と返事がきても、ええ、と軽く頷くだけに留めておいた。


 エドガーはその後、リアンに湧き水を案内して木の実や果物の生る木を紹介しながら簡単に森を歩いた。


「とりあえず今日はここで寝かせて貰っていいかな? それで明日の朝に出発しよう」

「はい、分かりました」


 軽く食事を済ませ、暗くなって切り上げた洞穴で二人は横になる。使いますか? とエドガーは毛皮を勧めたが、リアンは大丈夫、と告げて鞄から毛布を取り出してそれにくるまった。



 翌朝、エドガーが目覚めるとリアンはまだ眠っているようだった。

 リアンを起さないようにそっと起き上がると、顔を洗いに湧き水へと向かう。

 やはり冷たい水は頭を覚醒させるのに丁度良い。

 そんな事を考えていると、後ろから物音がしたので振り返った。

 ギーギが立っていた。ちょうど出会った時のような距離で。


「ギギガー!」

「ばっか来るなって言ったろ……それより、『ガ』って発音出来るようになったんだな!」

「ギギガー!」


 ギーギは駆け寄ると、心底嬉しそうな笑顔で手に持った物を掲げた。

 それは親指程の大きさを持った、紅く綺麗な石を飾り付けたペンダントだった。


「どうしたんだそれ……凄いな」

「ギッギ!」

 エドガーが感心しているとギーギはペンダントをエドガーに差し出した。

「くれるって言うのか?」

「ギッ!」

 こくこくと頷くギーギ。そして左耳に輝くピアスを指差した。

「ピアスの礼にしては立派すぎだろ……でも、ありがとな」

「ギギ!」


 受け取ったペンダントを首から提げる。朝陽を反射してキラキラと輝くその石は、どこかギーギの紅い瞳を連想させた。



 そんな時だった。

 二人の後ろから、がさっと草を踏む音が聞こえたのは。


「やぁ……おはよう」

 それは驚いたような、それでいて納得したような表情を浮かべるリアンだった。

 エドガーは咄嗟にギーギを後ろに隠す。


 左手でギーギを庇いながら、ゆっくりと右手を上げて、掌をリアンへと向けた。


「おはようございます……」

「おや、エドガー君は魔法を使えないんじゃなかったかな?」

 あくまで冷静に話すリアンの目は細められている。

 まるで値踏みをされているかのようだ、と不快に感じたエドガーは、

「ええ、俺は、魔法を使えません。そういうことに、なっています」

 一度大きく息を吐いてから、一言一言を噛み締めるように言葉を発した。




「……僕は昨日、この森に来てから一度も魔法を使っていない。仮に何処かから呪殺魔法が来たとしても確実に相討ちにしかならないだろうね。もしも今ここで僕が魔法を使ってしまえば、そういう訳にもいかないんだろうけれど」

「そうなんでしょうね」

 エドガーはそう言いながらも右手は下ろさない。

 早鐘を打つ心臓の鼓動を悟られないように表情も変えない。


「エドガー君は何が望みかな?」

「俺は別に、何も。ただ、リアンさんは何も見ていないし、俺は魔法を使えない」

「なるほど、ね」

「ええ、俺はあくまで、魔法を使えませんから」



 睨み合いは三分も続かなかった。均衡を破ったのはリアンだった。

「僕には歳の離れた妹がいてね。可愛いんだ、これがさ」

「は、はあ?」

 リアンは視線を外すと語り始めた。予想外の言動にエドガーは理解が追い付かない。


「何となく、さ。分かる気もするんだよ。守らなきゃっていうのかな」


 何処か遠くを見ているリアン。その意識はテウルの町にあるのかも知れなかった。


「はあ……」

「ああ、妹の話をしていたらすぐにでも顔が見たくなった。帰る準備をしてくるよ」



 え、と未だに動揺しているエドガーを見向きもせずにリオンはその場から離れていった。

 エドガーは、そんなリアンの姿が見えなくなってからも右手を下ろしていないことに気付くと苦笑し、初めてそこで緊張が解けたことを知った。



「……ギーギ!」

 我に返ったエドガーはギーギに向き直る。

「もう、絶対にここまで降りてくるなよ。本当に危ないからな」

 こくこくこくこく。

 ギーギも怖かったのか、顔だけを連続で縦に振った。

「じゃ、お別れ、な」

「ギッ……」


 しっかりと握手する。

 強く握られた二つの手にはこれまでの沢山の思いが詰まっていた。

「またいつか、必ず」

「ギッ!」

 最後に言葉を交わして、ギーギは山へ帰っていった。

 その姿が見えなくのを確認したエドガーは洞穴へと歩みを進める。


「ギギガー!」


 と、何処か遠く、森の奥からそんな叫び声が聞こえた。




 エドガーが洞穴に戻ると、リアンはすっかり帰り支度を済ませていた。


「すいません、お待たせしました」

 憑き物が落ちたような、安心した表情をエドガーは浮かべていた。

「構わないよ、それじゃ行こうか」


 エドガーは洞穴から毛皮を持ち出すと、それを肩に掛けてリアンの後を歩いた。

 ざくざくと、土を踏みしめる音だけが森の中に響く。


「……リアンさんが、その、話せる人で良かったです」


 話しかけながらエドガーは本当にそう思い、感謝する。これで残っていたのがリアンではなくて他の二人のどちらかだったとしたら、決してこうはいかなかっただろう。


「エドガー君の方こそ、だけどね。一体どんな……いや止めておこうか。それに、これでも驚いているんだけどな。小鬼が人間を個別に認識出来るなんて話は聞いたこともない」

 歩きながら首だけ振り返ったリアンは、興味深そうにエドガーを見ていた。


「姉に、色々と教えて貰いました……あと、俺もアイツも、はぐれ者ですから」

「まあ、本音を言うとね、その毛皮を見た時は不審に感じたかな。こんな子供が鹿はまだしも猪を一人で狩れるのかとなると、一体どんな方法で、とね」

 はは、と苦笑しながら先を歩くリアン。エドガーに返す言葉は無かった。


「まあ納得がいったというのもある、かな」

「そんなもんですか。ところで、俺はどうなりますか? 処分とか、そういうのは」

 エドガーは恐る恐るそう聞いた。必死だったとはいえ仮にも自警団に掌を向けた事実もある。しかし、そんな不安とは裏腹に返って来た言葉は呆気なかった。


「ああ、エドガー君も町では暮らし難いだろうからね……考えていたんだけど、知り合いの行商人が人手を募集していたから、彼女に相談してみようと思っているんだ」

「行商人、ですか」

「うん、馬車で旅をしながら町を転々と回って品物を運ぶんだ。野宿する事もあるだろうけど、森の暮らしに慣れているエドガー君なら問題無いだろうしね」

「はあ、それは別になんとも」

 それに、とリアンは付け足す。

「彼女達も言わば、あまり多くの人に歓迎されないという意味では、はぐれ者だからね。魔法が使えない、というだけでは嫌われることもないと思うよ」

 それでも魔法が使えない方がよっぽどだろうけどね、と苦笑する。

 あんな事があった後でもエドガーとこうして会話が出来るのは、彼女達と交流があったからに他ならない。



「リアンさんの住む町にも来るんですよね?」

「ああ、今ちょうど来ている所だからね」

 こういう言い方をするのは本当は嫌なんですけど――と前置きをしてエドガーは話す。

「俺がそこで世話になって、行商中にリアンさんの町にまた来た時に、山の方まで開拓されていて、その」

「大丈夫だよ」

 リアンは振り返ってエドガーの言葉を遮る。


「僕は本当に妹が大好きだからね」


 そう言って白い歯を見せてにかっと笑った。

 男前の、良い笑顔だった。








 後日、ツガの大森林は少しずつ開拓された。

 その恵みは、肉を手にする機会の少なかったテウルの町を潤した。

 湖には邪鬼オーガが出るので近付かぬように、と深く注意を喚起されたせいか、山を登っていく者も少なかった。

 稀に怖いもの見たさで山を登る者も、何処からか「ギギガー!」と怪しい叫び声が聞こえると、転がるように山を下りて「あそこの山はヤバい、絶対に何か居る」と口々に騒ぎ立て、それが噂となって町中に広まるのだった。

 仕事中にそんな噂を耳にしたリアンは、まだエドガー君に殺されなくて済みそうだな、なんて考えて微笑むのであった。


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