第四話 森での日々
前回までのお話
森で生活を始めたエドガーは小鬼のギーギと出会い、共に狩りをしました。
仄暗い住処の中、ギーギはナイフで木を削っていた。
ギーギは小鬼という種族の中で特別手先が器用だったが、特別知恵が回るわけではない。
それでも考えて、考え抜いた先で、今はこうして木を削っている。
ギーギは一人だった。どうしようもなく一人だった。
いつから一人だったかは記憶に残っていない。
或いは産まれてすぐだったのかも知れない。
ただこの山で、森で、本能に従って生きていた。
木の実と果物は発達した嗅覚ですぐに見つけることが出来た。
しかし、狩りだけはどうしても上手くいかなかった。
本来、小鬼は集団で狩りをする。
まず足を止める者、矢を放つ者、ナイフを刺す者。
ギーギだけでは圧倒的に手数が足りなかった。
自分より大きな獲物には簡単に返り討ちにあったし、自分より小さな獲物は捕まえられなかった。弓矢を作って遠距離より野兎を狙っても、慣れないその武器は何時までたっても命中を得られなかった。
それでもギーギは狩りに拘った。
肉が、食べたかった。
今度こそ、と決意を秘めて気付かれないように野兎を探した。
探して探して、ようやく見つけた野兎に近付いて行く。
弓を引き絞る。
狙いを定めて、いざ放たんとした瞬間、野兎は倒れた。
何事かと驚いていると、人間が現れたのだ。
ギーギは絶望して、後悔していた。
獲物を追い求めるあまり、人里に近付きすぎていたのだ。
人間にしては小さいその身体でも小鬼単体で敵うような相手では無さそうだったし、目に見えない力で野兎を仕留めたのは驚きでしかなかった。
きっと自分もあの野兎と同じように不思議な力で殺されてしまうのだろう。
そう覚悟していたのだが、あろうことか人間は仕留めた野兎を投げてよこしたと思えばそのまま去ってゆく。
ギーギは訳も分からぬまま、巣に持ち帰った野兎を食べる。
初めて食べた肉の味に感動して涙が出た。
そして考える。
あの不思議な人間がいればまた肉が食べられるのではないだろうか、と。
ギーギを動かすのにはそれで十分だった。
人間は狩りを手伝ってくれた。
そして「ギーギ」と呼んでくれた。
その響きは暖かくて優しく、それが自分の名前だと思うと心が満たされた気がした。
同時にしっかりと腹も満たされた。
鹿の内臓は天にも昇る美味さだったし、肉もまだ沢山残っている。
なんと素晴らしい日々か。
ギーギは木を削る手を止めた。
綺麗に仕上がった、自分の背丈程ある木の棒を持ち上げて考える。
あの人間はこれを喜んでくれるだろうか、と。
鹿の毛皮にくるまって目覚めたエドガーは起き上がろうとして苦悶の表情を浮かべる。
全身の筋肉が悲鳴を上げていた。
昨日の行動を考えれば当然のように訪れた筋肉痛だった。
這うように洞穴から出て、まるで産まれたばかりの小鹿のようにぷるぷると震える足をなんとか運び、湧き水で顔を洗う。
「ギギッ」
程なくして、木の棒を持ったギーギが姿を見せた。
「杖か……ギーギ、お前、天才」
「ギギギッ!」
何故か渡された自分よりも渡したギーギの方が嬉しそうだな、とエドガーは思う。
「ま、いいか」
微笑んだまま杖を手にしてエドガーは歩き出す。
ギーギは慌てて先導する形を取るようにエドガーを追い抜いていった。
ギーギの作った杖は優秀だった。
綺麗に形を整えられているのは勿論、傾斜に合わせて持つ所を変えられるように、いくつか手を置く場所が作られていた。使う人間を考えた上で作られたのは明白であった。
「ギーギは良い職人になれそうだな」
杖に体重を預けて、えっちらおっちら山を登りながらエドガーは呟いた。
「ギギィ?」
「狩りとかしてるのが勿体無い気がして、な。よっと」
「ギィ……?」
何を言っているのか、とギーギは首を傾げっぱなしだった。
「お、あったあった。ギーギ、その木の枝をちょっと拾ってくれ」
「ギッ!」
白い花を咲かせるその木の前でエドガーはギーギに頼む。
「ちょっと匂いを嗅いで覚えられるか? 同じ枝を何本か集めて欲しいんだけど」
スンスンと鼻を鳴らすギーギ。
「ギギッ!」
どうやら大丈夫なようだ。
ギーギは先を歩きながらひょいひょいと枝を拾ってゆく。
杖を片手にゆっくりと歩くのが精一杯なエドガーにはとても頼もしかった。
エドガーとギーギは洞穴を塞ぐ木の板に背中を預けて座り、大きく息を吐いていた。
木の板の隙間から漏れ出した煙はもうもうと空へ上がっている。高く、高く。
「思ったよりも……大変だったな」
「ギギィ……」
りんごの枝で鹿肉を燻製にしようと考えていたのだが、その作業はエドガーが漏らしたように決して簡単ではなかった。
洞穴に着いて、中が荒らされていないのを確認したエドガーはまず鹿肉をある程度の大きさに切り分けた。
その間にギーギに鹿肉を刺す串を何本か作って貰い、その後は長い時間煙が出続けるように木の枝を組んで貰った。
準備万端いざ火を点けて、となったのだが、軽く燻る程度で全体に火が回らず、「もう少しなんとかならんか」と四苦八苦している間に酸欠のせいかフラフラしてきた上に煙が充満してきて涙が溢れてきた。これはまずい、とほうほうの体で逃げてきたのが先程の事。
「後は上手くいくのを祈って、次は釣りだ釣り!」
シャキーンという効果音でも出そうな勢いでエドガーはギーギに作って貰った釣竿を掲げる。木の棒で作られたとは思えない程にしっかりと磨き上げられたその釣竿は、エドガーが指示したわけでもないのにグリップ部分が綺麗に作り上げられていた。ギーギ、匠の業である。
エドガーは昨日持ち帰った鹿の腸で作っておいたウキを糸代わりの蔓に括り付け、適当に見つけた虫を針につけたら湖にぽいっと針を投入して釣竿を下げる。ギーギも真似をして同じように蔓を垂らした。
「さ、後は待つだけだ。ウキが沈んだら竿を上げればいいから」
「ギー」
岩に腰を下ろして気長に待つ。
魚は掛からない。
「やっぱり錘は必要だったかな……」
鹿の腸で作ったウキの性能が不安だった為につけなかったけれど、それが失敗だったかも知れないとエドガーが思い始めた頃、確かな感触と共にウキが沈んだ。
「おっ! 来た来た!」
立ち上がると一気に釣竿を振り上げた。リールもへったくれも無い原始的な釣りに必要なのは勢いだけだとエドガーは考えている。
それが良かったのか、直後に音を立てながら水飛沫を上げて魚が飛び出してくる。
無事に釣り上げたエドガーは慎重に魚を持って針を外すと水を張った桶の中へと入れた。
「これは……多分マスかな?」
「ギギーギッ!」
およそ幼いエドガーの両手を広げたくらいの大きさのマスをギーギは初めて見たようで、多少弱りながらも桶の中を泳ぐ魚を興味深々に眺めていた。
「ギギギ?」
「あぁ、後でちゃんと食べるからな。よし、どんどん釣ろう!」
ちゃぽん、と音が二つ続く。
「そういえば、ギーギは魔法使えないのか?」
「ギ?」
「手をかざして、こう、気合を入れてみたら何か出ないか?」
「ギー?」
ギーギは掌を前に向けて、小さく「ギギギ」と唸っている。
「なんだろう、頭の天辺から流れるエネルギーを意識するのかな?」
「ギギ……ギッ!」
ぼうっと音を立てて、掌から小さな火の玉が出たかと思えば湖に消えていった。それと同時にぽちゃんと音がする。
「ギー!」
「おお! 凄い! 出たじゃん!」
「ギーギギーギー!」
「これで簡単に火を使えるのは楽になるな! しかし……」
「ギーギー! ギ?」
「釣竿……落としたろ」
「ギィ……」
音を立てたのは驚いた拍子に手を離したギーギの釣竿であった。
しょぼんと項垂れながら新しく釣竿を作っているギーギを横目に見ながら、エドガーはマスを三尾釣り上げた。その度にギーギは顔を上げて羨ましそうな表情を浮かべるのだった。
「そんな顔するなって。ちゃんと半分にするから」
「ギー……」
「それよりさ、新しく作るなら蔓を途中で二つに分けて石をつけられないかな? こう、こんな感じで」
エドガーは地面にガリガリと絵を描いて蔓を途中で二つに分けるように説明する。
「ギッ!」
ほどなくして石を結わえた、錘付きの釣竿は完成した。「ギ!」と一声気合を入れてギーギは針を投入する。
「ま、焦らずにのんびりが良いんだよ」
エドガーがそう諭すも、ギーギはフンフンと鼻息荒く湖面のウキを睨み続ける。その形相はまるで親の仇を前にしてるが如くだ。
――釣れてくれないかな。
エドガーは願う。ギーギにも楽しいと思って欲しかった。
そんな願いが通じたのか。ギーギの竿が大きくしなり、慌てて立ち上がったギーギは前傾姿勢を保つのが精一杯といった必死の形相だ。それを見たエドガーもすぐに自分の釣竿を置いてギーギの身体を支えに回った。
「ギギ……ギ」
「でかいぞ! ほら頑張れ!」
ギーギの身体を後ろから抱きしめて声を掛ける。ぷるぷると震えながら懸命に釣竿を離すまいと奮闘しているギーギの姿からもかなりの大物が予想された。
尤も、未だ筋肉痛に苦しんでいるエドガーもぷるぷると震えていたのだが。
「せーの、で一気に上げるぞ、いいか」
「ギッ!」
「せーの!」
「ギ!」
掛け声と同時に勢い良く振り上げられた釣竿。勢い余って尻餅をつく二人が見たのは、天辺に昇った太陽と重なって影しか映さない大きな魚だった。岸に打ち上げられてビチビチと暴れ続けるその魚は、立派な髭を蓄え、のっぺりと横に太い鯰であった。
「やったなギーギ!」
ギッギギッギと小躍りしているギーギを褒めながらエドガーは冷静に観察する。
「これナマズ、だよな」
「ギギッギー!」
エドガーの太もも程の大きさの鯰はヌメリが凄く、素手で捕まえようとしてはぬるりと逃げを何度も繰り返し、苦労の末ようやく桶の中に納まった。
「多分、泥抜きしなきゃいけないんだよな……ギーギ、もっと深くて大きい桶って作れるか?」
「ギィ?」
食べないの? と目で訴えながらギーギは首を傾げる。
「このままだと臭くて食べられないと思うんだよ。美味しく食べる為に、な?」
「ギギッ!」
「丁度良いから洞穴に行こうか。燻製も確認したいし」
「ギッ!」
洞穴の入り口に立てかかっている木の板を外すと、中に篭っていた煙が徐々に外へと抜けていった。エドガーはまだ少し残る煙を警戒するように、中腰で洞穴の中へ入っていく。
色合いを見る限り、仕上がりは良さそうだった。エドガーはナイフで薄く鹿肉を削ると
「味見してみて」とギーギに差し出した。躊躇いもなくぱくりと口にするギーギ。
「ギギーギギッ!」
「お、良さそうだな」
明らかにテンションが上がっているギーギを見ながらエドガーも味見をする。
「ほう……」
エドガーは思わずため息を漏らす。
見た目はまるでローストビーフ。じっくりと時間をかけて燻製された鹿肉は柔らかく、それでいてギュッと濃縮された野性味溢れる香りと味わい。りんごの木から生じた煙は確かなコクを加えている。少々塩気が足りない等、瑣末な問題にしか思えない。
「これである程度保存も効くってなると……燻製最高だな!」
「ギギィギッ!」
小躍りするギーギに乗っかってエドガーも踊り出そうとしたのだが、筋肉痛がそれを許してはくれなかったので断念する。
「そうだギーギ、ところで釣り針ってどうやって作った?」
ギーギは腰布のポケットをごそごそと弄ると「ギギッ!」と金属片や針金を何本か取り出した。何処かで拾ったのか、長さも太さもまちまちだった。
「なるほどな……これ一つ貰ってもいいか?」
「ギッ!」
「ありがとう。それじゃでかい桶をお願いするな」
そう言うとエドガーも貰った針金を一つ、ナイフで少しずつ削ってみたり曲げてみたりと色々と試している。作ろうしているのはギーギにつけるピアスだった。恐らく、というよりは十中八九だろうが、他の小鬼と遭遇した時にギーギと見分けがつかないだろうと考えたのである。
勿論、今までギーギに作って貰った数々の物を見る限りは本人が作った方がより綺麗なモノが出来上がるだろうと感じてはいた。それでもこれは自分で作ってギーギにプレゼントしたい、という思いがエドガーを黙々と作業に没頭させる。
針金を綺麗な円に仕上げるのは困難を極めた。ただでさえ非力な身体では、ナイフの柄を使って曲げるのが精一杯だった。
それでも、と試行錯誤を繰り返してどうにか形になった頃には、とっくにギーギは桶を作り上げて手持ち無沙汰にエドガーの作業を見つめていたのだった。
「お待たせ、それじゃその桶にナマズを入れて水を足していこうか」
「ギッ!」
湖と洞穴を何度か往復して深い桶に水を張り、鯰を一尾泳がせて木の板で蓋をする。
「これで何日か置いておくとして、マスを食べようか!」
マスは腹を開いて内臓を取り出してから、ギーギに採ってきて貰ったオレンジを絞って、その果汁を塩代わりに皮に擦り付けて串焼きにした。ギーギが魔法で簡単に火を点けられるようになったので時間も掛けずに食事にありつけた。
「心配したけど酸味は気にならないな……身が締まってて美味い!」
「ギギーギッ!」
肉ばっかりじゃなくて魚もね、とエドガーは呟く。育ち盛りの身体は蛋白質を欲している。
「そうだ、ギーギ、これ」
そう言って先程作り上げた歪な円形のピアスを取り出す。
「ギーギがさ、ギーギって分かるように付けて欲しいんだ……耳に小さな穴を開けても良いか?」
「ギー」
ギーギは渋々、といった表情で頷いた。「ちょっとごめんな」とエドガーは声を掛けるとギーギの左耳をぷにぷにと触っていく。
「やっぱり耳たぶかな。先端も良さそうだと思ったけど、痛そうだし」
柔らかな耳たぶに焦点を合わせると、先を火で炙った針で穴を開けていく。針が刺さった瞬間に「ギィッ」と悲鳴に似た声が漏れたけれど気にせずに進める。穴が十分な大きさになったのを確認すると針を抜いてピアスを入れる。
かろうじてリングの形状になっているそのピアスが入ったのを確認すると、外れないようにと少しだけ力を込めた。
「よし、これでもうギーギを見間違えることはないな」
「ギー!」
「今日はここまでにしようか。明日は休みで良いかな。食べるものはあるし、なにしろ身体がしんどい」
エドガーはぷらぷらと手足を振りながら疲労をアピールする。
「ギッ!」
ギーギも異存は無いようだった。ギーギの方が精力的にあれこれ働いているのだから当然と言えば当然なのだが。
鹿肉の燻製をそれぞれ桶に入れて山を降りる。杖を片手によろよろ歩くエドガーの分の桶もギーギが代わりに持っているのだが。
「よっ、と。ふぅ。ありがとな、ギーギ」
「ギー!」
洞穴まで戻ると、ギーギから桶を受け取る。
「ギーギ!」
「うん?」
さて戻ろうかという所でギーギが声を上げたのでエドガーは振り返ると、ギーギが自分を指差していた。
「ギーギ!」
「あ、うん。ギーギだな」
「ギ?」
そう言ってギーギは今度はエドガーを指差す。
「あぁ、そうか」
エドガーはすっかり失念していた。ギーギと名付けたは良いが自分は名乗ってすら居なかったのだと。
「エドガー、だ」
微笑みを浮かべながらそう応えた。
「ギギギァー!」
「はは、ガくらい頑張れよ。エドガー、だ」
ギーギは嬉しそうだ。
「ギギギァー!」
「もう一声だな!」
「ギギギァー!」
森にはしばらくそんな叫び声のような、それでいて喜びの色が灯った声が響いていた。
ツガの大森林より南西に位置するテウルの町。東西に広がる街道から多くの交易品が集まって栄えるその町の町長、イーサン・テウル・ガルシアの次女にあたるミランダ・テウル・ガルシアは流行り病の為にベッドに臥せっていた。
緩くウエーブが掛かった綺麗な金髪をシーツに広げて、ぼんやりと窓の外を眺めるよりする事は無かった。まだ六歳になったばかりの少女は、その綺麗な金髪は勿論、服も靴も泥だらけにして外を駆け回る毎日だったと考えれば、一日中部屋に篭ってならねばならない苦痛は推して知るべきだろう。
しかし、窓の景色は時間と共に色々な顔をミランダに見せた。
他にすることがないので、ずっと眺めていた。
コンコン、と扉をノックする音が届く。その音に続いて扉が開かれた。
「ミランダ、具合はどうだ?」
「パパ! うん、あのね!」
「昨日よりは元気そうだな。良かった良かった」
「お山が火事なの! ずっと煙が上がってたんだよ!」
「山で? そうなのか? いやしかし……」
「夕方には消えたの。でもきっと火事だよ!」
「分かった。調べておくよ。だからもうお休み」
「うん!」
イーサンは手の甲でそっとミランダの頬を撫でると部屋を後にした。
廊下へ出ると扉に背を預けてため息を一つ吐く。
ミランダの部屋から見える山と言えば、ロッシ山脈の麓、ツガ大森林の奥で間違いないだろう。
そこで煙が上がっていたという。火事ならばそれでいい。
では火事では無かったとしたら?
小鬼が火を熾していたのであればその規模は計り知れない。この屋敷から見える程の量の煙であればちょっとした集落、というわけにもいくまい。
人間、という可能性もある。しかしそんな山の方まで行く人間が居るだろうか?
仮に居た、とする。それならば確実にその人間は訳有り、だろう。
いずれにしても簡単な話ではない。
頻繁に煙が上がれば、山に近いこの町の民も不安に駆られるだろう。
ただの火事であってくれ、と切に願いながら廊下を歩く。その足取りは重かった。