第一話 エラ
火か風だと嬉しい。使い勝手は勿論、何より格好良い。
残念な目で見られるだろうけど、土でも良いとしよう。
だが水はいけない。
水だけはまずいとエラは思う。
エラの七歳の誕生日。
それは初めて魔法を使うことが許される日。
少なからず危険が伴うので、一般的に七歳になるまでは魔法の使用を禁止されている為、エラからどんな魔法が出てくるのかは誰にも分からない。
魔法、とはいっても何でもかんでも使えるわけではない。
生命エネルギーを身体で変換し、掌で具現化する事象だとエラは聞いている。
故に使えるのは例外はなく一人一種類である、と。
長年の研鑽によって切れ味を増した風の刃を扱える父は自警団に所属している。
母は料理や暖炉にくべる火を繰る。
上の兄は少しの風を使って家の内外問わず掃除を担当している。
下の兄は土属性なのだが、なかなか実用するには至らないようであまり使っている姿を見ていない。
土属性の魔法は家を建てる時に大活躍するんだぞ、と下の兄は言うけれど、そうそう家を建てる機会もないんじゃないか、と内心思っている。
日常生活に一番役立つと言われている水を扱える人間がこの家には居ない。
その為に井戸へ水を汲みにいくのも洗濯をするのも、家族で持ち回りとなっていた。
家族全員が見守る中、エラは始めに手本を見せてくれた父に手をかざし、自らの頭の天辺から流れるエネルギーを意識して、掌から放出した。
ぴゅっ、と可愛い音を立てて水鉄砲程度の水が父の顔面にかかった。
ははは、と苦笑いをしながら手ぬぐいで顔を拭く父。
まあ! と井戸汲みの手間が省ける事を大喜びする母。
こみ上げる笑いを隠そうしているようだがもはや漏れている二人の兄。
凄い! と目をキラキラ輝かせて水の魔法に感動している弟。
そんな可愛らしい反応をしてくれた弟だけがエラには救いだった。
その日、一家の洗濯係が決まった。
それから三年と少しが経った。
少し前に十歳になったエラの一日は当然のように洗濯から始まる。
日が高く昇る前に、桶に入れた家族の洗濯物を持って外へ出る。
春を迎えたばかりで少し冷たい朝の風は、まだ残る眠気を連れ去っていった。
「さむっ……」
エラは地面に置いた桶に右の掌をかざして軽く意識を集中させる。
放物線を描いて掌から放出された水は桶の半分まで溜められた所で止まった。
桶に灰汁を入れて手もみでゴシゴシと洗う。
程よく洗ったらまた掌から新しい水を出してすすぐ。
かつてエラは嘆いていた。
何故水属性に産まれてしまったのかと。
自分が出した水とはいえ、寒い日は手が真っ赤になる冷たさだ。
いつもより二人分少ない洗濯を手早く終えたエラは、てきぱきと庭にかかる紐を使って干していく。
頭上を見上げれば雲一つ無く澄んだ青空が広がっていた。
――良い一日になりそうだな。
そう思いながら朝食の支度を手伝うべく家の中へ入っていった。
いつものように朝食はパンと野菜のスープだった。
いつもと違って母とエラだけの朝食だった。
六人掛けのテーブルに対して二人だけだと嫌でも空間が目立つ。
「イワンとウエッジはちゃんとやってるのかね」
既に朝食を摂り終えた母親が間を持たせるように呟いた。
「お昼には帰ってくるって言ってたよ」
エラはそう言って食器を片付けながら立ち上がった。
イワンとウエッジ、兄二人の名前だ。
先日、行商人が村に来る途中の街道で休憩をしている際、森の中に小鬼を見たと話していた。
小鬼単体ではあまり恐ろしくもないが、稀に集団となって村を襲ってくることがあると伝えられている。勿論この村に来たことはないので、エラはまだ見たこともない。
万が一、集落を形成していた場合には危険度も増える為、念の為に自警団に加えて村の希望者が小鬼討伐へ向ったのが昨日の朝のこと。
小鬼を討伐した後で周辺の確認、近くで野営して翌朝に再度確認した後に帰宅、という手筈だと聞いていた。
鍬と鎌を担いでいった兄達はちゃんと役に立てたのだろうか。
母の言葉を聞いてエラは考える。
確かにいささか不安だな、と思う。
他の皆の足を引っ張らないかという一点に於いて。
今後の経験の為にとはいえ、イワン兄さんはまだ掃除でしか風の魔法を使ったことはない。
ウエッジ兄さんは大きな土の壁を作ったことはあるけれど、その一度だけだ。
エラは昔、自分の腰回りよりも太い木を風の魔法で簡単に伐る父を見たことがあった。それに比べて……と思ってしまうのは仕方のないことだろう。
そんな父と比べてられてしまう二人も可哀想なのだが。
勿論、畑仕事で鍛えた身体があればまず間違いは無いと母が言うからこそ感じる不安であった。
さて、エラの家の物置には一年前から妖精が棲んでいる。
食器を片付け終えたエラは戸棚から鍵を取り出してポケットにしまった。
そしてパンと少し冷えたスープ、それに蝋燭をお盆に載せて外へと向かう。
これは妖精へのお供え物だ。
ポケットには鍵の他に、昨夜したためた手紙も入っている。
これも日課になっているので母は何も言わない。
横目に見るだけでさっさと針仕事に取り掛かる。
スープをこぼさないようにそろりそろりと庭を横切り、物置へと歩いた。
お盆を左手で持ち、空いた右手を使ってポケットから鍵を取り出し、慣れた手つきで錠前を開ける。
扉を横に開くと小麦の袋や使い込まれて古くなった農耕具が姿を見せた。
今は用が無いと言わんばかりにエラは物置の隅へと進む。
お盆を置いて床の取っ手を引っ張ればそこは地下室だ。
地下へと続く梯子へと身体を滑らせる。
ここから先は決して楽ではない。
事実エラは何度も苦渋を飲まされていた。
初めてスープを持っていった時は半分以上が零れた。
根拠も無く自分なら大丈夫だろうと思っていたエラはさめざめと泣いた。
様子がおかしいと思ったのか、妖精に心配された。
大丈夫、大丈夫と呟くように漏らす事しか出来なかったエラは、その悔しさからお盆を片手で持つ練習を始めた。
最初はお盆だけで。
慣れてきたら木のお皿を載せて。
最終的には水を入れたコップを載せて歩き回った。
負けず嫌いだった。
その甲斐もあってエラは片手でお盆を支えたまま器用に梯子を降りてゆく。
まるで曲芸士のように軽やかに、そのまま地下室へと降り立つ。
お盆が少し濡れているのは多分湿度のせいだ。
零してなんかない。決してない。
やはり負けず嫌いだった。
地下室は狭い。いや、狭くなった。
次男のウエッジが土の壁を作ったからだ。
十分な広さがあったこの空間は壁によって元々の二割程度になっていた。
この向こうに妖精は居る。
土の壁の下にはレンガ二つ程度の大きさになる穴が開いている。
そこには空の食器とお盆が置いてあった。
――良かった、ちゃんと食べたらしい。
エラは安堵する。
昨晩の献立は人参とアスパラガスだった。
妖精の嫌いな食べ物ツートップにあたるそれをちゃんと残さずに食べたのかが、小鬼討伐へ行った兄二人よりもエラの心を占めていた。
エラは空いた食器とお盆を下げ、持ってきた朝食に手紙を添えて穴から入れる。
ゆっくり立ち上がると土の壁に手を当てた。
目を瞑り、滲みこませるイメージで壁の中へと水を出していく。
水を出す。
細く、糸よりも細く。
水を出す。
拡がるように、巡るように。
水を出……すのを止めた。
エラは頭痛を覚えたところで、ふぅ、と息を吐いて手を下ろした。
少しふらつく身体を支えながら壁をノックするように軽く叩いてみる。
硬かった壁も長い日数をかけて随分と柔らかくなった。
その気になれば簡単に壊せるだろう。
エラが水属性だったのを嘆いていたのは昔のこと。
今は他の何よりも良かったと心底思っている。
こうして準備が出来るのだから。
満足そうに頷いたエラは空の食器とお盆を持って足早に家へ戻る。
物置の地下に妖精が居るのは家族以外の誰にも知られてはならない。
その為に長居は出来ないし、声も出せない。何処で誰が見ているかも聞いているかも分からない。もし露見してしまえばエラは計画を実行に移すしかなくなってしまう。
エラの計画に必要なのは覚悟と知識。
覚悟は一年前から磨き続けてきた。
妖精を連れ出して何処かで二人だけで生きていく。
きっとあの可愛い妖精は自分の後ろをひょこひょこ着いてくるんだろう。
守らなきゃならない、今以上に。
それが全てで、それで十分だった。
知識不足を補う為にエラは母親の手伝いもそこそこに自室に籠もる。
魔法に対する理解を深めたいと無理を言って母親に買って貰った本を開く。
何度も目を通したその本を改めて最初から読み進める。
『魔法とは、生命エネルギーを変換して掌より発動するものであり、そのエネルギー量は全ての人間において均一であり、時間と共に回復さえするものの総量は増えることは無い』
エラはただ量を多く出すことだけを意識すれば風呂釜が満ちる程の水を出せる。
そしてそれは二軒隣に住む六歳年上のミアも同じだけの水を出せるということだ。
ただこの量は頭痛がするまで、という条件での話だ。
目安として総量の三割を使うと頭痛を覚える。
元々が生命エネルギーを消費しているので身体が警報を出してしまうのだ。
五割も使えばまず気絶する。気絶するのでそれ以上は分からない。
では魔法の研鑽とは何なのか。
それはどんなイメージをどれだけの精度で具現化出来るかに尽きる。
土の壁を穿つような水はエラにはまだ出せない。
滲みこませる水ですら、最初はコップ二杯程度の量で頭痛がしてしまった。
それが今ではコップ十杯は出せている。
形状や強度のイメージで集中する分だけ多くエネルギーを使うのだろうとエラは解釈している。慣れれば同じイメージで出せる分、量が増えるのだろう。
『魔法は一人一種類しか使えない』
この前提を覆す方法、若しくは何らかの手掛かりが無いかと期待しているエラだったが、残念ながらこの本ではそれを見つけることは出来なかった。それでも未練がましく見落としは無いかと頁をめくるのがエラという人間だった。
火が使えればいちいち火を熾す手間が省けるし、土魔法が使えれば簡単な住居は構えられるはずだとエラは思う。水が一番大切だと今でも思っているけれど、それだけでも心許ない。何よりこれを覆すことが出来れば妖精は妖精じゃなくなる。そりゃあエラだって目を皿にする。
『魔法は基本的に火、水、風、土の四属性のいずれかに分類される』
『しかし、一万人に一人程度の確率で治癒魔法を使う人間が産まれる』
掌を他人に向けるのは御法度とされている。
掌から魔法が出る以上、それは包丁を突きつける行為と大差がないからだ。
エラも自身の誕生日に父親に向けたのが最初で最後だが、その理由がこの治癒魔法だった。空間に現象が起こらないから魔法を行使出来ているのか判断がつかない。
治癒魔法が使えれば生涯、生活に困ることはない。
切り落とされた腕をくっつけたり、命に関わる病を治すのは難しいだろうとされているが、消毒しなければ危ないような傷なんか簡単に治してしまう治癒士は誰からも重宝される。
小さな集落に過ぎないこの村には居ないけれど、領主に召し抱えられるケースも多い。
頁をめくるエラは、確認のように手を止めて全身を硬直させる。
そこには書いてあった。まるでおまけのように。ついでだから一応書いとく? といった具合が透けて見えているエラはきっと考えすぎなだけだ。
『治癒魔法を使える人間の一万人に一人程度の確率で呪殺魔法を使う人間が産まれる』
――呪殺魔法。
治癒魔法と同様に対象に向けて放たれるその魔法は、相手の生命エネルギーそのものに干渉する。自分が無くなるか対象が無くなるまで終わらないその魔法は、しかし発動時間は一瞬でしかない。
一瞬で結果が出てしまうのだ。
先述のように人間のエネルギー総量は一定である。
十の人間が十の人間に向けて呪殺魔法を使うと二つの遺体が完成する。
人を呪わば穴二つ掘れ、なんて言葉まである。
実際には一万人の中の一万人よりももっと多く産まれている可能性は高い。
ただほとんどは死んでしまうのだ。そうと知らず使った瞬間に。
なんらかの偶然で生き延びた呪殺魔法の使い手も『死を運ぶ者』と忌み嫌われ、まるで魔女狩りの如く追われることとなる。屈強な身体も頑強な鎧も意に介さない呪殺魔法は誰から見ても恐怖でしかない。排斥されるのも当然と言えよう。
唯一の消極的防御手段としては自らが魔法を使わず、生命エネルギーを十全に保つことくらいだろうか。これも相打ち覚悟に行使されてしまえば意味は為さない。
エラは一年前の、弟の、オスカーの誕生日を思い出していた。
「水属性じゃなくてもいいよ」
そう言った。本心だった。
この二年間、毎日の洗濯にオスカーは着いてきて、手伝ってくれた。
反対にオスカーの薪拾いを手伝った。
何をするにも一緒だった。
「風か土だといいかもね」
たまに見かける野兎を仕留められる魔法が使えたら素敵だな、なんて。
夕飯が豪華になるから。
自分の時と同じように手本を見せる父。
つむじ風が舞う。
期待に胸を膨らませて掌をかざすオスカー。
ゆっくりと、まるで糸が切れた人形のように二人が倒れた。
どん、とも、ごん、とも聞こえる大きな音と僅かな振動が家の中に響く。
「え?」と三人の声が重なった。
何が起こったのか理解出来たのは母だけだった。
虚ろな目を開いたまま、天井を見上げる父の呼吸は止まっていた。
蹲るように倒れたオスカーは胸をほんの少しだけ上下させていた。
それからの母は迅速な動きだったと今でも思う。
意識を失っているオスカーを抱えて地下室へと運ぶ。
申し訳程度に布団と着替えを数枚イワン兄さんに運ばせ、ウエッジ兄さんには土の壁を作らせた。
「アランとオスカーは河で遊んでいたら流されて行方不明、いいね」
「もしこの地下室の事を誰かに不審に思われたら妖精を飼ってると答えなさい。いいね、ここには妖精しか居ない」
有無を言わさぬ母の形相に黙って頷いた。
以来、物置の地下には妖精が棲んでいる、事になった。
母も、兄二人も物置には近付こうとすらしない。
エラにはそれが腹立たしかったけれど、とは言え自分も食事と簡単な手紙を入れることしか出来ない事実について、忸怩たる思いに駆られていた。
計画を実行に移す時には大声で家族に向けて叫んでやろうと思う。
妖精なんて、居ない。
あそこに居るのは、可愛い、弟の、オスカーだ。
魔法を使ってみせることは名刺のような役割を果たす。
こんなことが出来ますよ、と公言するのが一つ。
呪殺魔法の使い手ではないですよ、と証明するのが一つ。
稀に魔法が全く使えない人間も居るが、呪殺魔法の使い手と疑われてしまい、良くて村八分、大抵は奴隷落ちとなる。
オスカーを連れ出していくと決めた以上、エラは二人だけで生活していくことが強いられた。仮に他の村へ行き、魔法が使えないと言い張った所でまともな生活は望むべくもない。
ぼふん、と音を立ててエラはベッドに身体を投げ出した。
二種類の魔法を使う方法は手掛かりさえない。
――もう、決行しちゃおうか。
エラは出来の悪い地図を眺めながら考えていた。
川沿い等、水のある所には人が集まりやすい。幸いにも水を出せるエラはそこを避けることが出来る。これは大きな利点になる。
この村から東へ向かうと巨大な森が蔓延る。森の恵みも多く、雨露を凌げる所さえ確保出来ればきっと良い生活になるだろう。
しかし、森の奥には鬼族が棲息していると噂されている。
小鬼ならまだしも、万が一、邪鬼にでも遭遇してしまえば命はない。
北に向かえば大きな山が連峰のようにそびえる。
山を越えた先は未開の地となっていた。
――ひょっとしたら魔法が使えなくても平穏に暮らせるかもしれない。
エラはそんな淡い期待を寄せた。
ごろん、とベッドの上で転がったエラの傍らには野草図鑑や生き物図鑑が並んでいる。
何が食べられて何が食べられないのかはエラは大体覚えたし、図鑑と手紙を通じてオスカーにも覚えさせてある。食事面は問題ないだろう。準備は着々と進んでいる。
ベッドでうとうとしていたエラは身体を起こす。
外がいつもより騒がしい。
討伐隊が帰ってきたのかもしれないな、とエラは部屋から出た。
居間では母が変わらず針仕事をしている。
「帰ってきたみたいだから迎えに行ってくるね」
エラはそう告げると外へ出る。
いつの間にか日は高く昇っていた。
硬く均された土の道を歩きながらエラは不審に感じていた。
何かが、おかしい。
先程の騒がしさが一転して静かになっている。
誰にも会わない。
小さな村だけれどそこまで人口は少なくない。
背中に嫌な汗をかきながらエラは足早に広場へと向かった。
立ち並ぶ家の角を曲がり、広場へ続く大きな通りに出たエラはその光景に目を疑った。
遠目に見える広場は小鬼で溢れていた。
薄緑色をした身体に汚れた紅い瞳。
長く鋭い爪を持つその手には槍やナイフ、さらには鎌が握られている。
そしてエラを絶望させたのはそれだけではなかった。
二階にも届くかといった身長とそれに見合うだけの恰幅。
黒ずんだ全身は至るところに返り血を浴びて不気味さを増長させている。
それは邪鬼だった。
一体ですら大人が十数人で足止めするのが精一杯と言われる邪鬼。それが三体。見た目からは想像も出来ない俊敏な動きで村を、村に住む人を蹂躙していた。
静かなのは当然だった。
聴覚が発達している鬼族は音に反応して獲物を見つけると言われている。
悲鳴を上げたり騒いでた人達は既に餌食になってしまったのだろう。
叫ぼうものなら一瞬にしてこちらに向かってくると判断したエラは静かに後ずさり、角を曲がると無言で家へと走り出した。
走りながらエラは理解する。
討伐は失敗したのだ。
当然だ、邪鬼がいるなんて聞いてない。
それも報復というおまけをつけて。
最低だ。
最悪だ。
恐ろしくて振り返ることも出来ない。
家に駆け込むや否やエラは叫んだ。
「お母さん逃げて!」
母は目を見開いて驚いているが、エラはそんな時間はないとばかりに戸棚へ走り、鍵を取り出す。
「逃げて、すぐ逃げて!」
それだけ告げると返事も待たずに物置へと急ぐ。
一人で逃げたって意味なんかない。
震える手で錠前に鍵を挿そうとしても入らない。
時間がない、と焦る気持ちが余計に手元を狂わせる。
カツ、カツと金属音を立てるだけで一向に鍵は開かない。
――早く、早く!
カチャリと錠前が地面に落ちる。
急いで扉を開こうと手をかけたエラは気付いた。気付いてしまった。
暗いのだ。
日は高く昇っているはずなのに、影が扉を、エラを覆っていた。
エラはゆっくりと、全身で振り返った。
邪鬼が立っていた。
その大きな身体はエラの三倍程もある。
間近に迫るその姿をエラはまじまじと見ることしか出来なかった。
人間の身体など簡単に切り裂けるだろう、尖った爪。
鋭い牙は肋骨をものともせずに心臓まで貫くだろう。
頭の二本の角は何の為にあるのかな、なんて考えてしまった。
深紅の瞳は綺麗だな、なんて見ていたら目が合った、と思う。
圧倒的だった。
その存在にただただ圧倒された。
人間が敵うような相手ではないと本能が警鐘を鳴らしている。
身体はもうピクリとも動かせない。
終わるのだ、今ここで。
ふと、返り血に染まった身体の脇腹に目が留まった。
鎌が一本、刺さっていた。
見覚えがある――気がする。
何処にでもある鎌だ。
それでもなんとなく、我が家の鎌じゃないかな、とエラは思う。
イワン兄さんかウエッジ兄さんがきっと勇敢に立ち向かったんだ、と。
そう思えれば誇らしい。
――ごめんね、オスカー。
エラは心の中でそう呟く。
沢山苦しい思いをさせてしまった。
自分がずっと守ってやりたかったのに。
邪鬼がその太い右手を高く、振りかぶった。
最期まで誇らしくあろう、とエラは、
「ばーか」
そう言い放った。