さよなら灰色の青春
「あぁ、こりゃ、なんか出そうだわ」
たどり着いたゴミ屋敷は想像を超えていた。
普通の二階建ての民家だが、長い間手入れがなされていないらしく全体的に薄汚れており、孤立するように周囲を空き地が囲んでいる。
家の玄関にはゴミ袋が山の様に積まれ、人の侵入を拒んでいる。
窓は汚れで天然スモークガラス状態で、中の様子が全く見えず、人の気配すらない。
家から漂うジメジメと陰鬱な雰囲気は、どちらかと言えば幽霊屋敷と言った方が正しい気がする。
ここに連れてきた当の本人はいたく気に入ったらしく、秘密基地を見つけた小学生のように「すげぇ」を連呼している。
「なあ、写真撮ったら心霊写真とか撮れるかな」
「やめとけ」
「なんでだよぉ。いいじゃんかよ」
「一応、ゴミ屋敷でも持ち主はいるんだから、やめとけよ。怒られても知らないぞ」
「その時は一緒に怒られようぜ」
貴様もまき沿いだと言わんばかりに肩を組んできた。
腕を引きはがそうとすると、遙が「あっ」と声を出して組んでいた肩を唐突に突き離した。咄嗟で思わず尻餅をつく。
「いきなりなっ」
無理やり口を手で抑えられ、尻餅をついた状態で襟首を掴まれ近くの小道に引きずり込まれる。
「どうしたんだよ、一体」
押さえられた手をどかし尋ねる。
「静かに、誰か来た」
塀からゆっくりと顔を出して、通りを見渡す遙。さながら、探偵のようなしぐさで。それっぽい事をしていると自覚があるのか真剣に引き締まった顔とは逆に、目がキラキラしている。
住宅地に人がいても当然だろとボソリと呟きながら、遙に倣って塀から少し身を乗り出し通りを見る。
通りには、顔が真っ赤な中年がいた。相当に酔っているらしく、ふらふらと千鳥足で時折電柱にぶつかって歩いている。
「なんだよ、ただの酔っ払いじゃないか」
とボヤキながら酔っ払いを見ていると酔っ払いはそのままゴミ屋敷の前に千鳥足で入っていった。
「ほら、住んでいる人いただろ?住んでる人の迷惑なるから写真撮らずに帰ろうぜ。」
帰るように遙を促すと、遙はきょとんとした顔でこちらを見てきた。
「あれ、あの家お前のクラスメイトの家だって言ってなかったっけ」
「はぁ??」
そんな話は初めて聞く。穏やかな昼休みをぶち壊されてから、ここまでそんな話は聞いてない。
そもそもどこに行くかなんてさっき聞いたばかりだ。
それなのにその何言ってんの?こいつ、もう忘れたの?と言わんばかりのきょとんとした顔はなんだ。
「昼休みからここまで全く聞いてない。説明しろ」
いちいち説明するのが心底面倒くさいと言わんばかりのげんなりした顔を見せる。
殴ってやろうかと思ったが、殴り合いになった場合確実に自分が不利なので必死に抑え、こちらから質問する事にする。
「あの家はなんだ?」
「えっ、ゴミ屋敷?」
「そうじゃなくて、もっと詳しく」
「詳しくって言われてもなぁ。何をだよ」
「んじゃ、まずその話誰から盗み聞きした」
「あっと、クラスの女子?」
「その女子はなんて言っていた。一言一句再現しろ」
「えぇー、そんなの忘れたよ。」
「忘れたよ、じゃないよ。そこ思い出せよ」
「はぁ?俺ぼんやりとしか聞いてないから覚えてないよ。それにおまえだって今日の現国の授業で先生が何言っていたか再現しろ、って言われてできるのかよ。」
はい、論破と言わんばかりの、したり顔の遙。
何をどう言い返したらいいものかと考えたが、アホな遙と言い合いになった時点で自分の負けだと悟り、大きなため息をつく。
「分かった、もう分かった。もう深くは追求しない。あの家が結局、俺のクラスメイトの誰の家かを教えてくれればいいよ」
遙がそれなら思い出せそうと手を叩き、無い頭を絞り出して思い出そうと試みる。
「えっと、確か・・・」
「確か・・・、なんだ?」
「確か奥沢だか奥野だか言う女子の家だったはずだなぁ」
おくさわの苗字を聞いた瞬間、背筋に嫌な汗が流れた。
だが、この嫌な気は杞憂かもしれない。何せ、自分のクラスには奥野さんも奥沢さんもいるからだ。
まあ、とにかくだ。
「ちなみにその女子の名前、京子とかじゃないよな」
あやふやな苗字だけでは誰の家か分からんので、嫌な予感は自分から絶ちに行ってみると
「あー、そうそう確かその名前。奥沢京子だよ?」
と遙が満足気味に頷いた。
「——————————。」
思わず頭を抱えてしゃがみ込む。嫌な予感が的中した。
「なんだ。お前知らないのか?」
遙がのんきに尋ねてくる。
「逆にお前は奥沢京子を知らないのか?」
「知らん」
「お前だって知っているはずだ。ほら学校に髪が凄く長くてホラー映画に出てきそうな女子、僕たちの学年にいるだろ」
「そんな奴いたかな・・・・あぁ、いた、いた!えっ、あいつが奥沢京子なの?」
「そうだよ。お前がゴミ屋敷だって騒いで連れてきたこの家はそいつの家なの」
非常にまずい。
あの家が奥沢京子の家だからといって関わらなければ問題はないのだが、奥沢京子自身あらゆる問題を抱えているトラブルメーカー、もはや触れてはならない学校の闇と言ってもいいかもしれない。
奥沢京子には様々な噂が立っている。
実は奥沢京子は死んでいて学校にさまよう幽霊というオカルト的な噂から、クラスの男子をストーカーしているといった噂、体には無数の痣があり家庭内暴力を受けているといった、嘘くさいものから現実味のある噂まで流されている。それのせいか、それをネタに一部の女子からいじめを受けており、クラスメイトは見て見ぬ振り状態。高校の教師達も奥沢京子を疎んじて、あまり関わろうとしない。
とにかくだ。悪い噂の宝庫みたいな奥沢京子と関わって良い事はない。
「おい、遙。もういいだろ。さっさとかえ———。」
未だに探偵気分の遙を無理やりにでも引きはがし、即座に帰ろなければならない。。
しかし、その行動を起こすのに自分は数分遅かった。
「イヤややややややややややややややややややぁぁぁぁぁあぁあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ。」
ちょうど遙の肩に手をかけようとしたその時、突如家の方から聞こえた女の悲鳴。
続いて男の怒鳴り声と家具が倒れるような音。家の外、しかも少し離れた位置からでも聞こえるほどの大きな悲鳴と怒鳴り声。
誰にでも分かる非常事態。一瞬で思考が凍りつく。
手を動かすか、足を動かすか、そこまで馬鹿みたいに停止した思考。ただ、自分はおどおどするばかり。
今はどんな状況?何をするべき?警察に連絡する?学校に連絡する?それとも何かの教育機関に連絡するべき?近所の人に助けを呼ぶ?の場から走って逃げさる?何事もないように振る舞う?どうする?どうする?どうする?分らない、分らない、分らない—————。
そんな狼狽えるばかりの自分の手を遙が掴む。
不安に押しつぶされそうな自分は思わず、頼り縋るように遙の顔を見る。
遙はいつにもなく真剣な、今まで見たこともない表情をしていた。
そして遙は僕の腕を掴むと隠れていた小道から出て全速力で奥沢京子の家へと向かっていく。
「ちょっと、遙」
なんとか我に返り遙に声をかけるが聞こえていないようで奥沢京子の家へと速度を緩めず進んでいく。
そして、玄関の前へとついた。
玄関の前にはゴミ袋が山の様に積まれているが、遙は気にせず飛び越えていく。自分もそれに倣いゴミ袋飛び越え玄関に着くと、遙はすでに玄関の扉を開けていた。
玄関を開けてすぐに目に入ったのが制服の胸元が無残に破れ、腫れた目元に涙を浮かべている奥沢京子と奥沢京子に馬乗りになって拳を振り上げている先程の中年男性。そして視線をずらせば奥の方には濁った眼で状況を傍観している眼帯をした中年女性がいた。
一瞬、理解できなかった、いや理解を拒んだが、なんとか理解する。
家庭内暴力
家庭内暴力というニュースやドラマでしか聞いたことのなかった非現実が現実に目の前にある。
思考停止になりかけた頭をなんとか動かし、またもや縋るように遙を見る。
遙の目は、血走り真っ赤になっていた。
「おい、遙」
僕が声をかけるのと同時に遙は動いた。
まだ事態を飲み込めていない奥沢京子の父親との距離を詰め、腰の入った拳を父親の顔面に叩き込む。殴られた父親はそのまま後ろに殴り飛ばさられる。
奥沢京子の父親は殴られた事で我に返ったらしい、若干震えた声で遙に怒鳴りつける。
遙は奥沢京子の手を掴み、起き上がらせる。
「悠里、逃げるぞ」
遙は奥沢京子の腕を掴んだまま、僕の横を通り抜け外に逃げる。
あまりの急展開に頭がついていけないが、それでも懸命に手足を動かし奥沢京子の家を逃げ出す。
前には奥沢京子の手を掴んで走る遙。なんでこんな状況になったのか全く持ってわからない。
とりあえず、僕たちは、いや、僕はまたトラブルに巻き込まれたという事なのだろう。
奥沢京子の家から怒鳴り声が聞こえる。
僕は走る足に力を込めた。