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トロピカルフラッシュ これが私の素敵な1日 Dead End編

穏やかな時間はいつまでも続かないものだ。

今日の授業もとうとう終わってしまった。

帰りたくもない家に帰宅すると、玄関も開けてもいないのに夕方から騒ぐ父親の声がする………事はなかった。

どうやら父親は帰っていないか、もしくは寝ているのかどちらかなのだろう。どちらにしても帰ってそうそう殴られこる事はないようだ。

改めて自宅を見ると家庭内暴力とは関係のなさそうな静かな住宅だ。玄関前にまでゴミが溢れて、近所では有名なゴミ屋敷となっているが。

そんな訳で玄関までゴミをかき分けながら進み、玄関の扉を開け、静かに家に入り込む。

 父親がいつもふんぞり返っている居間には母親が座っていた。母親は部屋の隅で放心したようにカレンダーを眺めていて、実の娘でも少し引いてしまった

よく見ると母親の額にはガーゼが当てられている。昨夜、怪我をしたようだ。


「お母さんオデコ大丈夫?」


「うん」


心配し尋ねるが、返ってきたのは無感情な返事。

いつも元気のない母親だが今日は一段と疲れているようだ。昨日の騒ぎの疲れがまだ残っているのだろうか。

そういえば、普段ならまだパートのはずだが、どうしたのだろうか。


「お母さんパートはどうしたの?」


私の父親は飲んだくれの無職なので生活は母親頼りだ。母親は二つのパートを掛け持ちしており、朝の6時からお昼までスーパーで働き、昼の2時から夜の9時くらいまで清掃業をしている。


「うん」


母親の感情のない返事。


「お母さん、晩御飯はいつくらいにできるの」


 普段は尋ねないどうでもいい事を母の様子見がてらに聞いてみる。


「うん」


返ってくるのは上の空の返事。

 

「お母さん具合が悪いの」


「うん」


「お母さん、ちょっと変じゃない」


「うん」


上の空な返事のみで一切見向きもしない。


何かあったのかと考えあぐねていると母親がぼんやりと口を開いた。


「お母さんね、仕事辞めさせられた」


「えっ?」


言葉を失う。母親は気に留めず話を続ける。


「今日の朝ね、パートに行ったら店長さんに言われてしまった」

「何故ですかって聞いたらね。店長さん、店のお金取られたら困るからだって。」

「私はそんな事しませんって言ったのに、店長さん聞いてくれなかった」


母親はとつとつと間を置きながら話していく。言葉に一切の感情はない。


「家がこんな状況だっていう事、同じパートの人経由で店長さんに伝わったみたい」

「なんでもね。こういう家に問題がある人はお金を盗む可能性があるから置いておけないんだって。盗まれたら店の信用に関わるって」

「だから、辞めさせられた。私、そんな事しないのに。今までだって真面目に働いていたのに」


母親の声が震えだす。顔は相変わらず無表情だが、頬に涙が伝っている。なんて声をかけたらいいか分からず、とりあえず、母の背中を撫でる。

「同じパートの人、隅っこで私を指さして笑ってた。ニヤニヤ笑ってた。」

「同じ事、清掃業者にも伝わっていて近々清掃業者も辞めさせられると思う」


母親の背中を撫でながら、必至に慰めの言葉をひねり出す。


「大丈夫だよ。また仕事見つけるよ。なんなら、私もアルバイトするし」


「無理よ。きっと、またばれて辞めさせられるだけよ」


母親の声に震えはなかった。また無感情な声になり、涙も止まっていた。

私は背中を撫でながら、何か母親を元気づけるような言葉はないかと考えていると玄関のドアが乱暴に開かれる音がした。


「おい、帰ったぞ」


父親が帰ってきたようだ。


「なんだ、誰もいないのか。出迎えぐらいしたらどうだ」


ドンドンと廊下を乱暴に歩く音が居間に近づいてくる。居間の扉が乱暴に開かれ父親が入ってきた。


「おい、いるじゃねぇか。おかえりくらい言ったらどうなんだ。あぁ?」


強烈なお酒の臭い。顔は真っ赤で、舌も回っていない。

恐怖に凍り付き、身動きができない。


「お前、俺が帰ってきたら挨拶しろって教えたよな。お前、そんな事もできないのか」


父親の大きな手が私の頬を打つ。居間に大きな音が響く。


「そもそもよ。俺が帰ってきたら夕飯くらい作っておくもんなじゃねぇのか。お前ももう高校生だろ。いい加減そういう事に気がつけよ」


今度はお腹を蹴られた。父親の足がみぞおちに入り、咽こむ。


「ご、ごめん。ごめん、なさい。ごめんなさい」


恐怖で麻痺した口を必死に動かして謝る。


「大体なんだ、家に酒がないって。俺が何で毎回買ってこないといけないんだ」


襟首を乱暴に掴んで私の鼻の先まで顔を近づけて怒鳴りつける。


「お前たちはなんでそう気が利かないんだ。もう少し気を配る事を覚えろよ」


襟首を掴まれたまま頬を叩かれる、その反動でワイシャツが破ける。


「どいつもこいつも俺の事を馬鹿にした目で見やがって。ふざけんじゃねぇよ」


鬱憤晴らしに私のお腹を蹴りあげる。


父親に殴られるたび、蹴られるたび謝る。謝り続ける。自分は何に対して謝っているのか分らなくなる。

痛い。体の節々が痛くて、悲鳴がもれそうになって、誰かに助けてほしくて。体を丸めて父親の暴力に必死に耐える。


父親に部屋の隅に投げ飛ばされた。投げ飛ばされた先には母親がいた。

母親に助けを求めて、母親に手を伸ばす。


しかし、母親は私に手を差し伸べる事も庇う事もなかった。


母親は正座をしたまま濁った眼でただこちらを見つめるだけ。

確かに、母親も耐えるのが精一杯の時はあった。

でも、私をこんな目で見る事だけはなかった。

母親の濁った眼、感情がない冷たい目。


母親のその眼差しをみた瞬間、私の視界がぐにゃりと歪んだ。


何故だ。何故だ。何故だと頭の中で反芻する。

繰り返し、繰り返し頭の中で呟く。

でも、すぐに気がついた。いや気がついてしまった。

ようするに母親は疲れてしまったのだ。朝早くからパートに出かける事に。毎日振るわれる暴力に。そんな暴力から私を助ける事に。

そう全てに対して疲れてしまったのだ。

思わず笑いがこぼれる。何で笑っているんだと父親にまた殴られる。

笑いが止まらない。何がおかしいのか分らないけど笑いが止まらない。

そりゃそうだ、母親だってこんな生活していれば疲れるさ。それは仕方がない事。

でも、それでも母親に濁った目で見られた瞬間は何かが折れた。ぽっきり折れた。

やはり母親が私の唯一の支えだったからか。私の帰る場所だったからか。

でも、仕方ない。母親が疲れたのならしょうがない。

きっと母親がこの生活に耐えられなくなるのも時間の問題だった。


唯一の母親という支えを失くした私は、支えを求めて自分の中へと逃げ込む。

父親でも壊せない自分の殻に閉じこもる。

表の自分が泣こうが、この中ならなら安全だ。

さぁ、何をしようか。父親への悪態でもつこうか。

あぁ、痛いな。凄く痛いな。心の中に閉じこもろうとも表の私と切り離すことはできない。だから痛みはダイレクトに来る。

全くレディに暴力を振るうなんて紳士にあるまじき行為だ。ぷんすか。

それにお酒の臭いが強すぎる。私の父親はエチケットというものをもっていないのか。

もし、それでも紳士と言うのならば私を早くお城の舞踏会に連れて行くのよ

後半、自分は何を言っているのだろうか。殴られすぎて思考まで麻痺しているのだろうか。

私は痛みに耐えて、自分の中にこもる。貝のように自分の殻に閉じてこもる。

閉じこもっても痛みは感じる。心の中で父親を毒づいても恐怖は体を侵食する。

侵食してくる恐怖と共に今日一日の出来事が頭の中で蘇る。

なんでもない日常。いつも通りの日々。

朝、家を出れば近所のババアに後ろ指を指される。校門で生徒に挨拶する先公には汚物でも見るような目で見られる。教室に入れば男子全員に舌打ちされる。自分の机の中を覗いてみればゴミばかり。感じの悪い女子には暇つぶしに嫌がらせを受け、近くを歩けば鼻を摘ままれる。登下校はいつも一人、学校生活でもいつも一人。誰にも話しかけられずに、私に向けられるのは冷たい視線。家に帰れば酔っぱらった父親がいて、殴られ、蹴られ、投げ飛ばされ。風呂に入るのは危険だから週に一度。安心して寝られるのは押し入れの中で、毎夜聞えるのは父親の怒鳴り声。

そうさ、全てそうさ。何も変わらないじゃないか。この酔っ払いの父親にぶん殴られるだけ。それに疲れて母親が私を助けてくれなくなっただけ。

そう、もう誰も助けてはくれない。もうどこにも逃げ場はない。

毎日のように振るわれる暴力。居場所のない日常。

あぁ、最高だ。最高すぎて私には目が痛い。だから、もう、だからもう、目を瞑ろう。感覚を閉じよう。意識を眠らせよう。自分の殻に閉じこもろう。いくら殻に閉じこもろうとも痛いものは痛いけど、それでも閉じこもらないよりはマシだ。

もうすべて諦めて、もうすべてなにも感じずにいればいいのだ。

だけど、だけど・・・・・・


「もう、いやだ」


「あぁ??」


「もう、イヤややややややややややややややややややぁぁぁぁぁあぁあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ。」


父親の拳が向かってくる。


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