日陰者の限界
次の登校日、奥沢京子は何事もなく一日を過ごした。
何を持って何事もなくというのかは考え物だが、奥沢京子がいつも通り、普段通りに一日過ごしていたのだから何事もなくという事にしておこう。
奥沢京子を家庭内暴力渦巻く家庭から無理やり連れ出した事によって、心配した両親が警察や学校に連絡をするという事はなかったようだ。朝のホームルームが終わった段階で奥沢京子が教師に呼ばれた、もしくは学校に警察が来るということはなかった。
考えてみれば、家庭内暴力が起こっている家庭が、おいそれと学校や警察に連絡する事などできないのだろう。そのせいか、もしくはおかげか、今日も奥沢京子はいつも通りに女子生徒に嫌がらせを受け、教師からは見て見ぬふりをされていた。
一応ではあるが、自分もそれなりに彼女とは知り合いというか縁があり、また道徳的な視点からも奥沢京子を助けるなり庇うなりするべきだろう。しかし、如何せんどう行動したらいいのか分らない。
彼女を庇った事によって自分が逆に虐めの標的になるという事はまずないであろうが、周りに白い目で見られるのは確実である。白い目で見られる程度、耐えられないことはなくない。できれば、そんな事になりたくないが。
しかし、そんな善意から彼女を庇った所で彼女へのイジメ行為はなくなる事はないであろうし、そもそも奥沢京子自身が嫌がりそうである。
現に若干嫌そうではあるものの女子生徒達の嫌がらせはあまり気に留めた様子はなく、淡々と下を俯いている。
まぁ、なんだかんだと申し開きはするが結局の所、自分はビビっているのである。奥沢京子を助けることも自分のクラスの立ち位置に亀裂を生むのも。
自分のことながら情けないなと思いつつも、目を逸らすべく壁に貼ってある掲示物を見る。壁には「手洗いうがいしっかりしよう」という小学校から馴染みの見出しからなる保健委員の広報が貼ってあった。
保健委員の広報をななめ読みで読み終え、結局することがないので横目で奥沢京子を見る。
「3点シュー」
窓際にたむろっている女子の中で、茶髪で派手な女子が奥沢京子にバスケットのシュートのように、飲み終わった紙パックを投げつける。
紙パックはゆっくりと放物線を描き、奥沢京子の頭に落ちる。
紙パックの中身がまだ残っていたらしく、奥沢京子の頭に落ちると同時にピンク色の液体が奥沢京子の髪にかかった。
「ナイシュッー」
紙パックを投げた女子はガッツポーズで喜び、周りの女子はシンバルを持った猿の玩具のように手を叩きながら甲高い笑い声をあげる。
奥沢京子に紙パックを投げた女子は大場。
このクラスの中心人物の一人と言ってもいいだろう。
髪は校則に引っ掛からないギリギリの黒に近い茶髪、クラスでの素行ははっきり言って悪いが教師に目をつけられない程度に加減をしている辺りタチが悪い。
「いやぁ、今日は調子いいわ。これがゴミ箱じゃなくてリングだった3点入れまくりなんだけどな」
大場が奥沢京子の方を見ながらニヤニヤといやらしい笑みを浮かべ言うと、背が小さく化粧の濃い女子が同じようにニヤニヤと笑みを受かべながら、大場を小突く。
「何言ってんの、あれゴミ箱じゃなくて奥沢さんだよ」
「いやいや、何ってんの。あの小汚いのが奥沢の訳が・・・ホンマや」
芸人の様に大仰に驚く素振りを見せると、また周りの女子が甲高い笑い声をあげた。
「いや、ゴメン、ゴメン。あまりに小汚いもんでゴミ箱だと思っちゃったよ。あっ、ついでだから、それゴミ箱に捨てておいて」
何が楽しいのか大場達は毎日の様に奥沢をからかって遊んでいる。
「「陰湿だなぁ」」
と思わず本音が漏れると誰かと発言が被った。
驚いて声の方に振り返ってみると、いつの間にか遙が自分の席の斜め後ろでしゃがみこんでいた。
「お前何をしている」
と小声で尋ねると、間の抜けた声を出した後に奥沢京子を指さす。
どうやら奥沢京子の様子を見に来ていたらしい。
「あいつら陰湿すぎねぇか」
「そうだなぁ」
としみじみと同意する。というか、同意する事しかできない。
「お前、なんとかして来いよ」
「それは無理だなぁ」
といきなり無理難題を言ってくるのでしみじみと否定する。
それをやった後の教室の空気が予想できないのかと心の中で呟くと何故か脛を蹴られた。
「なんで蹴るんだよ」
「お前の意気地がないからだよ。」
ともう一度脛を蹴られる。あまりの痛みに思わず涙目。
「そんな事言うんだったら、お前がやればいいだろ」
すると、遙は頭を掻きながら気まずそうに口を窄める。
「いやぁ、それは、なんというか。」
「なんといか、なんだよ。」
遙は少し涙目になって答える。
「だって、あいつ俺の事を無視するんだよ」
「今朝、姉ちゃんに奥沢京子に店から学校までの道を教えるように呼ばれて、店に奥沢京子を迎えに行ったら、全く目を合わせないでやんの。完全無視だね。おはよう言っても無視、何か洒落た冗談言っても無視、無視するな言っても無視。あまりにも無視するもんで、なんか反応するまでやってやろうと思ったけど、途中でそもそも奥沢京子と何について話せばいいのか分からなくなって、後はずっと黙ったままだった」
どんよりと遙の背中に雨雲が見えた気がした。
自分達と奥沢京子の間には今まで接点がなかった。それに加え、奥沢京子の複雑な家庭事情もある。
それでも奥沢京子をあの家から連れ出した自分達は全くの無関係にいられない。
だが、奥沢京子にどう接すればいいのか分らない。奥沢京子とどんな話をすればいいのか分らない。優しく声を変えればいいのか、励ませばいいのか、それともそっと陰で支えるようにすればいいのか。などと考えつつも、自分には手に負えない奥沢京子に関わりたくない自分もいる。
教室の端で奥沢京子を眺めながら考え込む。
奥沢京子は大場に投げつけられた紙パックを無言で拾い、ゴミ箱に捨てに行く。そして、紙パックをゴミ箱に捨て席に戻ると大場が「これも捨てておいて」と言って笑いながら奥沢京子にお菓子の空箱を投げつける。空箱は奥沢京子の顔に当たり、また甲高い笑い声が起こる。
もし奥沢京子と本当に関わるというのであれば、少なからず自分は奥沢京子の受けているいじめにも首を突っ込むことになるだろう。だが、そんな覚悟自分には多分ないだろう。
奥沢京子が再び投げつけられたゴミを捨てに行くと、調子に乗ったまつ毛の長い女子がまだ中身が半分以上残っているペットボトルをおおきく振りかぶり投げつけた。投げられたペットボトルは奥沢京子の顔面めがけて勢いよく飛んでいく。
奥沢京子の顔面にペットボトルがぶつかると思った瞬間、遙が素早い反射神経で顔面に当たる直前にペットボトルを掴んだ。
「ナイスパス、アンド、ダイレクト返球」
遙はペットボトルを女子に投げ返す。一切、手加減のない本気の送球。ペットボトルは風切音を響かせながら女子に飛んでいき、顔面に直撃した。
よほどの勢いだったらしく直撃した瞬間、バク天をするかのように女子が後ろにすっ転んだ。
教室の空気が一瞬にして凍る。
遙は何を考えているのかヘラヘラと笑いながら、すっ転んだ女子に親指を立てながら言う。
「ナイス、顔面キャッチ」
遙の発言と共に教室の凍った空気が溶け出す。
「ちょっと美空大丈夫。鼻血、鼻血出てるわよ!」
どうやら顔面に直撃した女子の名前は美空というらしい。ついでに鼻血がでているらしく、周りの女子が
「ティッシュ、誰かティッシュないの」と阿鼻叫喚である。
「ちょっと、あんた何してんのよ」
「マジ最悪、マジ最悪」
「アンタ何突っ立ってる訳?美空に早く謝りなさいよ」
「美空、可哀想。あんたも可哀想だと思わないの」
いざと言う時の女子の団結力と言うのは凄まじいもので、いつの間にか遙は女子の集団に取り囲まれ罵詈雑言の嵐である。
しかし、遙は気にした素振りは「えっ、なんかしたの?」というとぼけ顔である。
女子が美空ちゃんの鼻血に右往左往している中、遙はくるりと奥沢京子の方を向き、そして、満面の笑みで「やってやったぜ」と言わんばかりに親指を立てる。
奥沢京子は茫然と驚いた顔をしていたが、すぐに無表情に戻りぷいっと遙から顔を背けた。
「お前無視すんな」
遙は奥沢京子の机を掴んでガタガタ揺するが奥沢京子は完全に無視を決め込む。
遙が奥沢京子に気をとられているうちに大場が遙の腕を掴み、美空とかいう女子の前まで連れて行く。
「あんた何してんの、早く謝りなさいよ」
再び女子の集団が遙を取り囲み、罵詈雑言を浴びせかける。遙は女子に囲まれ逃げ場を失い、それでも隙間から自分に助けを求める視線を送る。
しかし、クラスの中核たる女子のグループに囲まれた時点で自分には何もできる事はない。
僕はただ遙が安らかに成仏できるように祈るばかりだった。
その後、昼休みが終わるまで遙は女子の集団に取り囲まれ、逃げる事もかなわず永遠と罵詈雑言を浴びせかけられたのだった。
サブタイトルは直観と悪乗りなので後でちゃんと考えて変えます。




