9)黄金壁の礎亭
「え、エル……ぶっ」
エルドール、と叫びかけて、ライリーに片手で思いっきり口を塞がれた。
なんで?
何でエルドールがここにいるんだ?
ジャックベリー家で俺達を見送ってくれたよな?!
目線でライリーを見ると、ライリーもかなり焦っているのがわかる。
「随分と到着が遅いものですから、道中で何かあったのかと心配になりましたが」
エルドールは、入り口で固まっている俺達にうっすらと笑いかける。
目がまったく笑っていないけどな!
つーか、普段の無表情どこいったよ!!
「おい、俺達は変装してるんだ、落ち着けっ」
動揺しまくる俺の耳元でライリーが囁く。
そうだった。
変化の術で姿を変えているんだった。
「聞こえていますよ。ライリー様。いつもながら見事な変化の術ですが、ラングリース様のお姿はほぼ変わっていないのですし、トリアンにいたってはなにも変えていないではありませんか」
俺とライリーは、同時にトリアンを見る。
そうだった。
俺達二人は変装したけれど、トリアンはそのままだった!!
三人に見つめられたトリアンは、もう、固まって声も出ない。
「なんで変装しなかったんだよ?!」
「いやいやいやいや、無茶を言ってはいけない。トリアンは普段通りでまったく問題ないじゃないか、本来ならっ」
トリアンはライリーと背格好こそ似ているものの、もともとの容姿は至って普通の少年なのだ。
よく手入れをされた榛色の髪は艶やかだけれど、人目を惹く程ではないし、顔立ちも整ってはいるけれど大人しい印象だ。
特徴がないと言い換えてもいい。
だから、ライリーも俺も特にトリアンについては変装をイメージしていなかったのだ。
「さて。いつまでも入り口を塞いでいては他のお客様の邪魔になってしまいます。二階の部屋に移動しましょうか」
うっすらと口元に笑みを張り付かせ、俺達を二階へ促すエルドール。
周囲の客からちらほらと好奇の視線が飛んでくる。
あぁ、おかしいな。
嫌な汗が止まらない。
いや、夏なんだから汗ぐらい出るさ。
それが異常にだくだくと流れまくっててもきっと普通だ、普通。
デブなんだし!
俺とライリー、そしてトリアンはエルドールに促されるまま二階の客室へ移動する。
「部屋はこっちじゃね?」
「ライリー様が手配した部屋はキャンセルさせて頂きました。四人で泊まるには少々手狭だったので」
「あ、はい……」
……なんでライリーが手配している事を知ってるんだよエルドール!
俺だってさっき知ったばかりなのに。
怖い。
怖すぎる!
「さぁ、こちらです。お入りください」
ギィイイイイイイ……。
扉は音もなく開いたはずなのに、幻覚的に危険な音が聞こえた。
地獄の竈が開く音っていうか。
そんなもの聞いたことないけどな。
あぁ、中に入りたくない。
とっても、入りたくない!
けれど有無を言わさぬエルドールの迫力に気圧されて、俺は逃げる事もできずに恐る恐る部屋の中に入った。
三人が部屋に入ったのを見届けると、エルドールは速やかに扉を閉めた。
「さて。お話を聞かせていただきましょうか」
にこり。
扉の前に立ち、冷ややかにエルドールが微笑む。
おかしいな。
夏なのに寒いぞ。
冷房効きすぎじゃないか?!
「話って何だ? と、特にこっちからは何もないぜ」
エルドールの冷気に最初に立ち直ったライリーが、毅然と言い放つ。
ちょこっとだけ噛んでるけど。
「ほぅ……」
エルドールの片眉がピクリと上がる。
だから怖いって!
「私の記憶が確かなら、先ほど、お二人はヴァイマール家に向かわれたはずですが」
「お、おう。そうだぞっ」
「この場所はヴァイマール家ではなく、マーケンに思えますが?」
「それがなんだ。俺の家に向かう前にちょっと立ち寄っただけだ。何も問題ないだろう?」
「ヴァイマール家はジャックベリー家から南方。この町は北方。正反対ですが」
「ぐっ……」
言葉に詰まるライリーから目線を逸らし、エルドールはじっと俺を見つめる。
うぅっ……
「ラングリース様」
「ハイ……」
「なぜ、ここにいらっしゃるのですか」
「そ、それは……」
「分かっております。アリアンヌの為ですよね。ネックレスを直すための魔鉱石を手に入れる為に。
ですがあまりにも危険です。
貴族の子息が護衛もつけずに出歩くなど、ありえません」
「ま、まってくれよ。俺達だってなにも考えてなかったわけじゃない。ちゃんとほら、変装してるだろ?! 馬車には護衛もついていたしっ」
「ライリー……」
「えぇ、ライリー様、そうですね。すぐに見破れる変装でしたが」
「くっ……」
「私がなぜここにいるかお分かりですか。お二人が出立された直後、アンディ様がジャックベリー家にいらしたからです。兄がお世話になるのに、手土産を何一つ持たずに出てしまったからと」
「あっちゃぁ……」
ライリーとトリアンが顔を見合わせて天を仰いだ。
つまりヴァイマール家にもお忍びがばれてしまったということか。
「アンディ様がいらしたことで事情を理解した私は、即座に高速魔導馬車にてこの街に駆け込みました。
ライリー様が手配しそうな宿屋はこの街には三つほど。
最初に立ち寄ったこの黄金壁の礎亭でライリー様のお名前を見つけ、私はこうしてお待ちしていた次第です」
ライリー、予約に本名使ったのか。
まぁ、当然といえば当然か。
それなりのレベルの宿屋を手配するなら、偽名じゃまず通らない。
「ラングリース様」
ふいに。
俺を見つめるエルドールの瞳が歪んだ。
「どれほどっ、心配したとっ、お思いですかっ……!」
がしっ!
エルドールが俺の肩を掴んでそのまま抱き寄せる。
その肩が、小刻みに震えている。
「……泣いているのか?」
「……っ! 泣いていません」
俺に顔を見られないようにか、ぐっと俺を抱きしめて離さない。
ライリーとトリアンも困ったようにこっちを見ている。
俺は、エルドールを抱きしめた。
「エルドール、本当にすまない。そんなに心配させるつもりはなかったんだ。魔鉱石を手に入れたら、すぐにライリーの家に向かうつもりだったんだ」
ライリーの家に行ったはずなのに、アンディからジャックベリー家に泊まるはずだと聞かされた時のエルドールの心中を思うとやりきれない。
紅茶を零した位でも心配してくれるエルドールなんだから、行き先不明状態じゃ、生きた心地もしなかったに違いない。
「ほんとに、ごめん……」
泣いているエルドールの背中をさする。
こんな思いをさせるぐらいなら、精一杯説得すればよかった。
「……分かっていただければ、いいんです。では、行きましょうか」
すっと俺から離れて、エルドールはいつもの無表情に戻ってしまった。
でも目元が、ちょっと赤い。
扉を開けて待つエルドールの後を、ライリーとトリアンが荷物を持ったまま出る。
「なぜ荷物を持っていくのですか」
「ん? 帰るんだろ? そのまま置いていけないじゃん」
「いえ、本日はこちらに泊まります。四人で泊まれるように手配したのですから」
「エルドール、私達を連れて帰るのではないのか?」
「……魔鉱石を手に入れられなければ、また来ることになるんです。それでしたら、今日手に入れてしまったほうが良いでしょう」
「ほ、本当にいいのか?」
「今回だけですよ?」
ふっと、目元を緩めるエルドール。
俺は目一杯頷いた。