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53)ベネディット先生の魔法授業

 入学式から早数日。

 俺は、二学年になっても変わらない教室の中で、魔法の教科書を開く。


『やっぱり、ベルモットが水をぶっかけてたぜ』


 入学式のあと。

 ダーミリアを送ってジャックベリー家を訪れたライリーは、不機嫌を隠そうともしないでそう言い切った。

 ベルモットが俺達を攻撃してきた時の洪水に巻き込まれたのかと思っていたけれど、よもやまさか、背中から魔法で水をかけられていたとは思わなかった。


 しかも。

 空き部屋って聞いて怯えた理由も、ベルモットに無理やり服を取られかけたからって言う……なんていうか、とても公爵令嬢のすることとは思えない。

 フォルトゥーナの爪の垢でも飲んで、彼女の優しさを見習って欲しい。

 爪の先まで整って美しい彼女に、垢なんてないけれどね。

 ベルモットが卑怯だのなんだの罵ったフォルトゥーナは、下級貴族に無理強いなんて、絶対にしない。

 学園内で平等が謳われていたって、男爵令嬢のダーミリアじゃ、公爵令嬢のベルモットに逆らうなんて、まず無理だろう。

 学園の一歩外に出れば、公然と身分差はあるし、ダーミリアは性格も大人しいからね。


 ちらっと。

 俺は教室の隅に座っているダーミリアを見る。

 彼女はいつも通り、静かに教科書に目を落としている。

 三つ編みや編み込みだったかな?

 男の俺にはよくわからないけれど、複雑に編まれた金髪は今日も手入れが行き届いていて、たまに教科書にかかるようにさらりと流れ落ちる。

 文字を追う表情は穏やかで、入学式の時のような怯えは見えない。

 ベルモットとは学年も違うからね。

 公式行事以外では、校舎も広い学園内でそれほど会う機会も無いだろう。

 

 ライリーが得た情報によると、前々からベルモットはダーミリアに目をつけていたとか。

 その原因はやっぱりアンディだって言うから、つくづくアンディは罪作りだと思う。

 はっきりとアンディがベルモットに断ればいいんだけど、優しすぎる性格だから、言えそうにもないよね。

 これがライリーだったら、身分関係なくスパッと断るんだけど。


 彼女が教科書から顔を上げて、俺を見たので、慌てて目を逸らす。

 あぶないあぶない。

 へんな誤解をされたら、大変だからね。

 ベルモットに目をつけられて、俺にまで目をつけられたと思われたら、大人しいダーミリアは心労で倒れるよね。


 ベルモットにどうにかしてアンディを諦めてもらうか、アンディに諦めてベルモットの恋人になってもらうか。

 前者が理想だけれど、後者はライリーがキレそうだよね。

 正直、俺もあまりかかわりたくない。

 アンディの恋人になれれば少しは落ち着くかもしれないけれど、よりいっそう激しくアンディにかかわる女の子を攻撃し始めたら詰む。

 それにアンディを想っているのはベルモットだけじゃない。

 シュレディもだ。

 アンディの恋人がシュレディだったらライリーだって大賛成だろうし、俺もそう。

 まかり間違ってベルモットとアンディが恋人関係になったら、シュレディが辛い思いをするよね。

 うーん、上手いアイディアが浮かばない。


 ツンツン、ツンツン。


 俺の袖を、隣に座っていたシュレディが肘でこそっと俺を突いた。

 

 ん?


「……随分と我輩の質問を無視しているようだが。我輩の授業はそれほどに退屈かね?」

「……っ、ベネディット先生!」


 しまった。

 いまは魔法の授業中だった。

 去年よりも伸びた紺色の髪を、ベネディット先生は無造作にかきあげる。

 青ざめた俺の姿を写すその銀の瞳は、この上なく冷たい光を帯びている。


「立ちたまえ」


 俺は、恐る恐る立ち上がる。

 クラス中の目が俺を一心に見つめている。

 あれか。

 ダーミリアが俺を振り向いたのは、俺の目線に気づいたんじゃない。

 ベネディット先生に俺が名指しされていたからか。


「さて、我輩の授業を聞いていない理由を聞かせてもらおうか」

「き、聞いていました、はい、ちゃんと」

「ほう……? ならば、我輩がした質問に答えてもらおうか」

「質問?」


 やばいやばいやばい。

 嫌だぞ、恐怖の黒いGを選別作業とか。

 腕ほどもある青いイモムシを抱きかかえて移動させるとか!

 質問って何だ?

 答えられなきゃ、俺の未来は真っ暗だ!


 ぐるぐる思考が回りだした時、パタンと音がした。


「失礼しました」


 シュレディだ。

 彼女がチラッと俺を見て、落とした教科書を拾い上げる。

 その指先が、拾い上げた教科書のページをぐっと開き、『魔法、魔術、魔導について』という部分をなぞる。


 ……もしかして?


「魔法、魔術、魔導はすべて魔力を元に行使します。

 使う術によって魔法と魔術、魔導に分かれているのは段階を分けてそう表現しています。

 初歩的な呪文は主に魔法と呼ばれ、それよりも高度な魔法は魔術、さらに上位に魔導があります」

「各種呪文については、具体的に何があるかね?」

「初歩的な魔法には、ライトの呪文があります。

 明かりを灯す呪文です。

 魔術では、変化の魔術があります。

 人や物の姿を変えることが出来ます。

 魔導では、高速魔導馬車の動力である魔導の馬を作り出す事ができます」

「……ふむ。高速魔導馬車は魔導馬だけでなく、良質の魔鉱石や様々な技術が必要だが、まぁ良いだろう。座りなさい」

「はい」


 ベネディット先生が鷹揚に頷いて、俺の側を離れる。

 うわー、寿命が縮んだ。

 どうせなら脂肪が燃焼すれば良いのに。

 冷や汗をたらしながら座ると、シュレディと目が合った。

 朱色に近いアンダリュサイト色の瞳が、俺を見つめながら小声で囁く。


「これは、貸しですわよ?」

「助かったよ。ありがとう」

「随分とぼんやりしていらしたようだけれど、何かございましたの?」

「あー……、ちょっと……」

 

 流石に、いえないよね。

 ベルモットがダーミリアに嫌がらせをしているとかさ。

 俺が心配するのもおかしいって言うか。

 でも、フォルトゥーナと同じくベルモットの被害者だと思うと、なんか、気になってしまうよね。


「ライリー様がいないと、落ち着かないようですわね」

「えっ?」

「違いますの? いつも二人一緒でしょう。お二人は禁断の仲だ、という噂もございましてよ?」

「……っ!」


 叫びかけた瞬間、シュレディの扇子で、口元を押さえられた。

 

「授業中でしてよ」

「い、いや、その、待ってくれ。私とライリーが、えっと……」

「そういった噂もある、というだけですわ」

「その噂を間違っても信じないで欲しい……」

「当たり前ですわね。でも、彼が居ないと落ち着かないようでは、あらぬ疑いを肯定してしまうようなものですわ」


 もっと注意深くなさいませと、シュレディは視線を前に戻す。

 駄目だな、俺は。

 エルドールやライリー、それにシュレディ。

 誰かしらに毎回助けてもらってるよね。

 ダーミリアの心配をするよりも、まずは自分がちゃんとしないとだ。

 俺は背筋をぐっと伸ばす。


 ベネディット先生が黒板に指先を振ると、すらすらと白い文字が浮かび上がってくる。

 いくつかの文字はほんのりと光を帯びて、強調されている。


「さて、魔法には段階だけでなく、種類も多岐にわたる。

 その多くの魔法を解りやすく認識する為に、神々の名前を用いて魔法を発動させる。

 ここまでで、質問はあるかね?」


 ベネディット先生の言葉に、ダンドルがおずおずと手を上げる。


「ふむ。ダンドル、言ってみたまえ」

「はい、先生。魔法も、魔術も、魔導も。詠唱せずとも使えます。

 なのになぜ、神々の名前を覚え、詠唱に組み込まなければならないのですか」


 シュレディに絡んでいたときとはうって変わって、真面目な顔で質問するダンドル。

 そうだよね。

 魔法は、魔力を発動させれば使えるものだ。

 その証拠に、ライリーなんかは常に一瞬で氷を出現させられるし。

 神々の名前を覚えるのは本当に大変だったから、もっと簡単にならないだろうかとは思う。

 アリアンヌなんかは多分、入学式終わったあとにはもう半分以上忘れているんじゃないだろうか。


「実に良い質問だ。

 いいだろう、まず治癒魔法を『A』としよう。 

 そして、攻撃魔法は『A』だ。 

 さらに、防御魔法を『A』としよう」


 ベネディット先生の指先に合わせて、三つの『A』が黒板に浮かびだす。

 そしてくるり、くるりと三つのAはゆっくりと輪になるように回転し始めた。

 

「さて、ダンドル。この三つの『A』のうち、治癒魔法の『A』はどれだね?」

「わかりません、どのAも同じに見えます」

「では、攻撃魔法は? 防御魔法ではどうだね?」


 くるくる、くるくる。

 黒板の上で、三つのAはゆっくりと回り続ける。

 どのAもこれと言って特徴はなく、どう見ても同じものだ。

 ダンドルから見てもそうなのだろう。

 焦げ茶色の眉毛をぐぐっと寄せて、目を細めている。


「わかりません……」

「ふむ。ではこうしてみたらどうかね。各Aに色を与えてみよう。

 治癒魔法のAには黄色を、攻撃魔法のAには赤を、防御魔法のAには青を」


 パチンとベネディットが指を鳴らすと、三つのAにそれぞれ色がついた。

 淡く光るそれは、先ほどまで同じAでありながら、いまでは全く別のものとして認識できる。


「魔法に神々の詠唱をつけるのは、この色をつけることと同じなのだ。

 魔力という、目には見えない力を、神々の姿と照らし合わせて可視化し、己の中の魔力を具現化するのだ」


 ベネディット先生が黒板に浮かぶ三つのAを手にとり、混ぜ合わせる。

 三つのAは、その色を失い、白い珠に変わる。


「もちろん、生まれながらに色のついていない『A』を見分けて使い分ける事の出来るものもいる。

 この白い珠の中から、自分が扱いたい魔力を自在に取り出せる者だ。

 慣れてくれば、どの魔力がどのAなのか、詠唱なくとも自分の中で具現化することが出来るのだ。

 わかったかね?」


 ベネディット先生がふわりと手首を揺らすと、白い珠は糸のように解けて、黒板の文字へと還ってゆく。


「わ、わかりました。

 でも、どうして、神々の名前なのですか?

 もっと、簡単な、例えば先生が例として出してくれた『A』では駄目なんですか」

「ふむ。確かに神々の名前を覚えるのは大変だろう。

 だが、短すぎる詠唱では、普段の生活の中で使う頻度も高く、誤発動を誘発する恐れがあるだろう。

 我輩が例として出した『A』を詠唱以外に使わないとは限らない。

 むしろ、神々の名前と共に使う詠唱呪文と比べたら、その頻度は格段に違うだろう。

 Aという度に指先から炎が舞ったら、学園は一瞬にして火の海になるであろうな」

「……わかりました」


 しょんぼりといった形容がぴったりな風で、ダンドルは頷いた。

 まぁ、気持ちはわかるよ。

 神々の名前と詠唱呪文。

 長かったり似ている呪文もあるからね。

 別の短い呪文が使えるなら、そちらを使いたい気持ちは理解できるよ。


 授業の終了を次げる鐘の音が、教室に鳴り響く。

 

「さて、今日の授業はここまでだ。

 次回の授業までに、課題をこなして置くように。

 それから、ラングリース。

 授業がすべて終わったら、魔導準備室にくるように」

「えっ」


 俺名指しで呼ばれた?

 巨大な虫と戯れる罰は回避できたんじゃなかったのか。



 今日の座学の授業を終え、胃の辺りを痛くしながら魔導準備室を訪れる俺は、知らなかった。

 そんな心配がぶっ飛ぶレベルの事を、ベネディット先生から聞かされる事を。


2017年9/12

 活動報告でご報告させていただきましたが、この度、『悪役令嬢の兄になりまして』がアイリス恋愛F大賞7にて、銀賞を受賞しました。

 読んで、応援してくださって、ありがとうございました。

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『悪役令嬢の兄になりまして』一迅社アイリスNeo様書籍情報
2018/5/2発売。

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