49)涙目のアリアンヌ
クレディル先生とジョシュア先生は、すぐに図書室へきてくれた。
午前中に授業があったから、まだ公爵家の私室に居てくれたらしい。
「ふむ、基礎魔法を急ぎで扱えるようにとなぁ……」
「無謀でしょう」
クレディル先生は白髪交じりの頭をかき、ジョシュア先生はきっぱりと言い捨てる。
解っている、かなり無謀だということは。
でも、公爵家の子供たちが扱うほどの魔法じゃなく、庶民的な魔法なら可能性はあるだろう?
「これは、授業ではありません。命令でもありません。ですからこれはお願いです。
どうかアリアンヌの為に、魔宝石へ魔法を込めては頂けませんか?」
「フォルトゥーナ様、わたくし達にとって魔宝石への魔法付与は簡単なことですから、断る理由はありません。
ですが、アリアンヌが使用するのは困難ではありませんか」
「ジョシュア先生、魔宝石を使用した魔法なら、初心者でも扱いやすいはずでしょう。
学園のゴーレムバトルでも使用されているほどです。
いまから急ぎで初級の攻撃魔法や防御魔法を扱えるようにするよりは、ずっと可能性が高まるのではないですか」
「ラングリース様、一つ、いいですかな?」
「はい、クレディル先生」
「確かに、魔宝石に込めた魔法を発動させるだけなら、何度か練習すればすぐに扱えるようになりますのぅ。
ですが、アリアンヌは、魔法を込める為の魔宝石を用意できるのですかな?」
「マーケンの街からすぐに取り寄せれるし、我が家の魔法庫にも魔鉱石の在庫はいくつもあるはずです」
「魔宝石に込めた魔法は魔宝石の種類と質、それに魔法の種類によっては一回で消費してしまいますな。
ラングリース様はともかく、彼女に魔宝石を消費し続けることは難しいのではないですかな?」
……あぁ、そうか。
魔鉱石も魔宝石も、すぐに俺は手に入れられる。
公爵家の子息だから。
でも、アリアンヌは使用人だ。
彼女にだけ、魔宝石を贈れば他の使用人達から不満も出る。
アリアンヌに魔宝石を買い続けるお金なんてない。
どうにか、何かいい案は無いか?
クレディル先生に答えることの出来なくなった俺の代わりに、ライリーが手を上げる。
「ジョシュア先生。アリアンヌが持っている魔宝石に魔法を込める事は可能ですか?」
「そうですね。どんな魔宝石でも、魔宝石であれば魔法を込める事は出来ますよ」
「アリアンヌ、ネックレスを出してくれ」
「ほぇっ?!」
ライリーがアリアンヌの首元に光る金の鎖をするりと引く。
使用人服の中に仕舞われていたペンダントトップが顕わになった。
小さなペンダントトップは、淡い光を灯しながら、アリアンヌの胸元で揺れる。
「アクセサリー用の魔宝石ですか」
「はい。このペンダントに魔法を込めて、使い終わっても壊れないように出来ますか?」
「込められた魔法を使用しただけで物理的に壊れるとことはありません。他者の魔法で衝撃を受ければ別ですが。
ただし、この魔宝石の輝きが失われることはあるでしょう」
「それは修復すれば問題ないレベル?」
「えぇ」
「それなら、話は早いですね。アリアンヌのこのネックレスに、魔法を込めてください。
光系で回数多めに使えるタイプを」
さくさくとライリーが話を進めていくので、アリアンヌも俺も置いてきぼりだ。
ええっと、つまり。
アリアンヌのネックレスはお母様の形見だから、物理的に壊れるなら絶対に使えない。
けれど輝きが消えるだけなら俺が修復できる。
沢山練習したからね。
アリアンヌのネックレスと相性の良い魔鉱石はマーケンの街にあるし、ジャスに頼めばすぐ手に入る。
魔宝石になると高価だけれど、修理用の魔鉱石ならアリアンヌでも手が届く。
回数を多く使えるタイプの魔法を込めてもらえれば入学試験は乗り切れるだろう。
入学できた後も、修復しながら使用できれば、魔宝石を何個も購入する必要はなくなる。
……これ、いけるか?
ライリーが先生達に見えないようにこそっと親指を立てた。
俺も目線でこくこくと頷く。
よくいまの一瞬で思いついたな。
俺は、焦るばかりだったよ。
「ふむ。ならばいま使えるというランプを灯す魔法の応用からお教えしてゆきましょう」
クレディル先生が手にした魔導書を開き、エルドールがアリアンヌに図書室の魔導書を手渡す。
「い、い、いまからなのですっ?!」
「一分一秒が惜しいですからな。全力でお教えしましょうぞ」
ひぅっとアリアンヌが息を飲む。
でも誰も止めない。
むしろこの状況で逃げれるはずがないからね。
「アリアンヌ。落ち着いて、確実に覚えてゆきましょう。大丈夫です、貴方ならば出来ますよ」
「フォルトゥーナさまぁ……」
アリアンヌは涙目でフォルトゥーナに助けを求めるけれど、フォルトゥーナは微笑んで先生達に先を促す。
そうだよね。
フォルトゥーナは優しいけれど、ここで止めたらアリアンヌは確実に入学試験に落ちるからね。
「クレディルが教えるのならば、わたくしは魔宝石に魔法を込めておきましょう」
ジョシュア先生がアリアンヌのネックレスを受け取って、魔法を込める。
クレディル先生が何の魔法を教えるのかは、もうわかっているみたいだ。
ジョシュア先生よりもクレディル先生のほうが優しい教え方だから、アリアンヌはラッキーだと思う。
ジョシュア先生は情け容赦なくスパルタだからな!
「さて。せっかくですから、余った時間は皆様も復習をしておきましょうか」
にこり。
ジョシュア先生が笑顔を浮かべる。
「あの……?」
「どうしましたか。ラングリース様」
「い、いえ。わたし達は、十分、学んだというか、今日の授業はちゃんと受けたといいますか……」
「学ぶことは何度でも良い事です。さぁ、全員お座りなさい!」
びしりっ!
鞭でも飛んできそうなきっぱりとした口調に、全員すちゃっと席に着いた。
あのライリーまでも軽く青ざめている。
そうだよね。
マーケンの街でたっぷりしごかれたもんな?
ジョシュア先生を前にした俺達は、かなり青ざめている。
それに引き換え、涙目だったアリアンヌはクレディル先生が優しいから、いつの間にか笑顔で魔導書を見つめていた。
ほんと、クレディル先生は好々爺って感じだ。
まだおじいちゃんと呼ぶにはぜんぜん若いんだけれどね。
でも。
何で記憶を取り戻す前の俺は、クレディル先生の授業から逃げてたんだろう。
そもそもフォルトゥーナの先生がジョシュア先生で、クレディル先生は俺の先生だった。
なのに何故か、記憶を取り戻す前の俺がクレディル先生を嫌がって、それでジョシュア先生と変更になったんだけど。
まぁ、ジョシュア先生からも逃げてたんだから、ただ単に勉強が本当に嫌だったんだろう。
今だったら絶対にクレディル先生選ぶけどな!
「ぼ、ボクは部外者なんだよ。一緒に授業を受けるのは不味いんじゃないのかなっ」
「そうそう、俺も部外者なので……」
レイチェルとジャスが、席に着きながらも恐る恐る口にする。
けれどそんな言い分を聞いてくれるジョシュア先生じゃない。
「お二人とも部外者だなどと。ラングリース様の大切な友人でしょう。全員まとめて面倒を見させていただきます」
にこり。
一切の反論を許さない笑みでジョシュア先生は二人を黙らせる。
その後はもう、ジョシュア先生の無双。
入学試験の範囲は当然の事、俺とライリーは期末試験の範囲もきっちり指導。
夜にはもうくったくたになりながら、夢でも魔法の授業を見ながらぐっすり眠った。
◇◇
「アリアンヌ、きちんと準備は出来ていますか?」
「はいっ、フォルトゥーナさま、かんぺきですっ」
入学試験当日。
アリアンヌは元気いっぱいに答える。
でも正直不安だ。
今日この日の為に俺達は全力でアリアンヌをサポートしたと思うし、アリアンヌも精一杯頑張った。
でもアリアンヌだと思うと、最後の最後まで油断できない。
「筆記用具は持ったか? 魔宝石は問題ないか?」
「はいですっ。ラングリース様、わたくしは何度も見直したのですよ」
ぎゅうっと鞄を抱きしめて頷くアリアンヌ。
あーもう。
代われるものなら俺が代わりたい。
フォルトゥーナも同じ気持ちだろう。
とても不安そうにアリアンヌを見つめている。
「フォルトゥーナ、試験会場まではわたしがついていくから、心配しないで」
「お兄様、アリアンヌをよろしくお願いします」
「うん、大丈夫だよ。昼休みもちゃんと見張っておくから」
「ら、ラングリースさまっ、見張らないでくださいです、どこにも逃げませんっ」
「逃げないだろうけれど、アリアンヌはどこに彷徨い出てしまうかわからないからね」
「あーぅ〜……」
本当にね。
学園は広いし。
入学試験に使われる教室は一階だし、昼食はお弁当を持たせているから食堂を探して迷うこともないはず。
「そろそろ出立したほうが良いでしょう」
「そうだな」
エルドールに促されて、アリアンヌは俺とエルドールと共に高速魔導馬車に乗り込む。
音もなく滑るように動き出す馬車の中で、アリアンヌは呪文のように神様の名前を呟きだした。
うん、ちゃんと月と神様の名前と属性があってるね。
ちなみに、クレディル先生がアリアンヌに教えてくれたのは、光系の浄化呪文。
ちょっとした泥水なんかを清らかな水に変えれるらしい。
浄化する泥水の量がコップ一杯程度なら、数十回使えるようにジョシュア先生も魔宝石に魔法を込めてくれたらしい。
そういえば俺も習ったことがあるけれど、使う機会がなくてサクッと忘れてたよね。
服のシミなんかも落とせるし、アリアンヌには丁度良い魔法だと思う。
エルドールは俺に紅茶を淹れて、アリアンヌにはホットミルクを淹れる。
紅茶を飲み終わる頃には、通いなれたウィンディリア王立学園に到着した。
◇◇
受付をして、教室に送り届ければ俺達の任務は完了。
一瞬で終わる。
そう思っていた俺が甘かったよね。
アリアンヌの不幸属性を舐めてたよ。
「はうっ、はううっ?!」
「アリアンヌ、落ちついて。代えのガラスペンはこちらにありますから」
魔法のガラスペンのインクが出なくて、アリアンヌが錯乱しだす。
あぁ、うん。
昨日から準備してあったガラスペン。
ずっと使い続けていたからね。
魔宝石の魔力が切れていても不思議じゃないな。
涙目になってエルドールから貰った新しいガラスペンで、何とか受付に名前を記入するアリアンヌ。
今のショックで、神様の名前やら領地の名称やらが頭からぶっ飛んでないといいんだけど。
こちらの慌てっぷりに、周囲の女の子たちが好奇の目でアリアンヌを見ている。
どの子も平民としては裕福な家庭の子なのが一目でわかる服装だ。
こちらが貴族なのがわかっているのか、これみよがしに笑ったりはしていないけれどね。
入学前から目をつけられてしまうのは、不味いよね。
「アリアンヌ。君は【ジャックベリー公爵】の愛娘であるフォルトゥーナの大切な侍女なんだ。
君が泣くとフォルトゥーナはとても悲しむだろう。わかるね?」
ジャックベリー公爵。
この部分を強めに言う。
アリアンヌに言っているように見せかけて、周囲への牽制だ。
俺の言葉がわかった富豪の娘達は、そそくさとその場を去って行く。
ふぅ、危ない危ない。
「わ、わたくしっ、フォルトゥーナさまを悲しませないよう、せいいっぱい頑張りますっ」
「うんうん、頑張ってくるんだよ?」
わかっていないアリアンヌの頭をなでて、教室へ向かう。
教室の前には、レイチェルとジャスがいた。
「アリアンヌちゃん、待ってたんだよ」
「わー、レイチェルちゃんっ」
抱きゅっ☆
人目もはばからずに抱き合う二人。
この間もあったばかりなのに仲いいな、ほんとに。
「アリアンヌ、お弁当を忘れていますよ」
レイチェルと二人で教室に入っていこうとするアリアンヌに、エルドールがバスケットを手渡す。
いつもの美味しいパンと、魔法の水筒が入っている。
この水筒、魔宝石が付いているから、淹れ立ての紅茶が楽しめるんだよね。
レイチェルが側についているなら、教室から出ても迷う事もないだろうし、色々安心かな。
試験が終わるまで側に付いていたいけれど、流石にね。
学生である俺達がいられるのはここまで。
あとは、アリアンヌが頑張るだけだ。