44)閑話:忘れたい思い出(リュディア=シャロン視点)
せっかくの市場でしたのに。
イライラとしたまま、わたくしは魔導馬車でシャロン領に戻りました。
なんで、ライリー=ヴァイマールなんかに出会うのか。
わたくしは、ハドル王子が好きだというビーズアクセサリーを買いにいっただけですのに。
この夏休みの間に、ビーズアクセサリーを沢山購入して、ハドル王子とお揃いにするつもりでしたのよ?
それなのに、ぜんぜん良いアクセサリーが見つからなくて、ちょっといいなと思ったら、よりにもよって、売っているのがラングリースとライリー。
使用人達もいたけれど、あんな人が作ったアクセサリーなんて、身につけれるものではないでしょう?
……デザインは、とても綺麗でしたけれど。
アクセサリーの露店は数点ありましたけれど、一番、綺麗だったのは間違いなくラングリースとライリーの店でしたわ。
あの二人が絡んでいなければ購入しましたのに。
それに、あの使用人。
金色の髪と……。
思い出しかけて、わたくしは慌てて頭を振る。
自室へと足早に戻ると、使用人が慌てて追ってきた。
「リュディアお嬢様、一体どうなさったのですか」
背後から使用人がわたくしを呼び止めたけれど、返事をする気になれない。
わたくしは、部屋に逃げ込むように入り、ドアを閉める。
しばらく一人にしてほしい。
……どうして、あの女性がいましたの?
わたくしは、市場で見た忌まわしい顔をゆっくりと思い浮かべる。
澄んだ黄緑色の瞳は宝石のように印象的で、忘れられない。
記憶の中に焼きついている顔と、よく似た面差しの少女。
……わたくしと、同い年ぐらいでしたわ。
ライリーに邪魔をされて、名前を聞く事すらできなかったけれど。
あぁ、いえ。
違うわね。
聞こうと思えば聞けたわ。
わたくしが聞きたくもなかっただけよ。
ヴァイマール家のメイドの名前なんて、聞く必要もないもの。
えぇ、そう。
わたくしには関係がないわ。
関係がない、けれど……。
わたくしは、深く溜息をついてベッドに倒れこむ。
枕を抱きしめて、心を落ち着かせようとするけれど落ち着けない。
他人の空似なのは分かっているのよ。
だって、わたくしが見たのは、あの少女よりもずっと年上の、大人の女性だもの。
それに、髪の色だって違っていましたわ。
わたくしがあの日見た写真の女性は、茶色の髪だった。
どこにでもいる平凡な髪色の、なんていうことのない女性でしょう。
取るに足らないことよ。
でも……。
わたくしは、より一層枕を強く抱きしめる。
あの日の事を、思い出しながら。
◇◇
幼かったわたくしの日課。
それは、お父様の書斎へ向かうことだったわ。
「おとうさま、リュディアとあそんでくださいませ」
そう言ってわたくしが書斎のドアを使用人に開けてもらうと、お父様は仕事の手を止めて、笑ってわたくしを抱き上げてくれるの。
「私の小さなお姫様、今日は何をして遊ぶんだい?」
「わたくしは、お父さまといられればいいのです」
お父様はとてもお忙しいの。
でも大好きなお父様と一緒にいたかったから、わたくしはいつもお父様の膝の上に座らせてもらっていたわ。
お父様は、わたくしの頭を撫でながら、書類に目を落とします。
いま思えば、とても仕事の邪魔だったでしょう。
けれどお父様は、一度たりともわたくしを書斎から追い出したことはございません。
わたくしも、伯爵家の令嬢として数々の家庭教師から授業を受けていましたから、一緒にいられたのはせいぜい、一時間程度でしょうか。
あとは、会えるのは食事の時ぐらいです。
ですから、わたくしは精一杯勉強を頑張って、授業が出来るだけ早く終わるように願っていました。
早く終わればその分、お父様と一緒にいられますから。
わたくしは、お母様が苦手でしたわ。
お父様とお母様はいわゆる政略結婚です。
同じ伯爵家同士の婚姻でしたが、お母様はプライドが高く、穏やかな性格のお父様とはお世辞にもお似合いとはいいがたい状態でした。
物心付いた頃には二人の関係は冷め切っていて、顔を合わせても形式的な挨拶をするだけの関係です。
わたくしの顔立ちは、美しい母に良く似ているといわれていましたが、髪の色はお父様譲りの金髪です。
お父様に良く似た金色のわたくしの髪も、お母様は見ていると苛立つようで、些細な失敗でも怒られていました。
そんな状況だったから、わたくしはきつい性格のお母様よりも、お父様とばかりいたのよ。
そして、運命のあの日。
「おとうさま、今日もあそんでくださいませ」
わたくしはそう言って、いつものように書斎の前で待っていました。
けれど、いつまで待ってもドアが開きません。
不思議に思い、わたくしは自分でドアを開けてみました。
思えば、ここで思いとどまっていればよかったのです。
けれどわたくしは、お父様に会いたくて、そのまま、書斎の中へ入ってゆきました。
「おとうさま?」
書斎はしんと静まり返っていて、物音一つしません。
誰もいないのは一目でわかりました。
きっと、お父様は王都へ行っているのでしょう。
普段はシャロン領の屋敷で仕事をしているお父様ですが、月に数回は王宮で仕事をしているのです。
そういった日は、使用人が必ず教えてくれていたのですが、その日は、特に何も言われませんでした。
きっと、言伝を忘れたのでしょうね。
わたくしは、寂しい気持ちになりながら、いつもお父様が座っている椅子に腰掛けました。
大きくふっくらとした茶色い椅子は、ソファーのように柔らかくて、まるでお父様の膝の上にいるときのように安らげました。
しばらく、座っているだけでしたが、わたくしは退屈になって、お父様の机の引き出しに興味を持ちました。
木の温かみを感じる上質な書斎机は、まるでわたくしにそうされるのが当たり前のように、鍵が開いていたのです。
普段は、引き出しには鍵がかかっているの。
お父様がかけているのをみたこともありますから、間違いありませんわ。
でもその時は、何故か開いてしまっていたのです。
それは、お父様が鍵を閉める間もなく、急いで書斎を出た証拠だったのだけれど、幼いわたくしには分からなかったわ。
開いている事に特に疑問を抱かず、引き出しを引っ張ってしまいました。
きちんと整頓された引き出しの中には、お父様が普段使っている羽ペンとインク壺、それに、ガラスペンが収められていました。
ガラスペンには、小さな黄緑色の魔宝石と、紺色の魔宝石が埋め込まれていて、とても綺麗です。
でもわたくしは、お父様がこのペンを使っているのを見たことがありません。
いつも、お母様が贈った羽ペンを使っています。
綺麗だから、このガラスペンも使っている所を見てみたいなと思いながら、わたくしは引き出しをもっと大きく引っ張ってみました。
でも、わたくしは引っ張りすぎてしまったのです。
奥を見ようとして引き出した引き出しは、机からガタリと外れ床に落ち、中身が飛散しました。
床に敷かれた絨毯が音を吸収し、大きな音がしなかったのは、幸いです。
慌てて椅子から降り、わたくしは必死で床に散らばった小物を拾い集めました。
幸い、割れてしまったものはないようでした。
でも……。
落ちた引き出しの底。
それが、ずれていたのです。
二重底になっていて、そこから一枚の紙が出て来ました。
紙は、写真でした。
写っていたのは、一人の女性です。
シャロン家の使用人服を着て、優しげな笑みを浮かべています。
とても綺麗な人で、黄緑色の瞳が印象的でした。
ちょうど、ガラスペンに埋め込まれた魔宝石のような色合いです。
でもなぜ、机の引き出しの、さらにその下に隠されるように入っていたのか。
やっぱり、わたくしには分かりませんでした。
「そう。そんな所に隠していたのね……」
ふいに声がして、わたくしは振り返りました。
「おかあさま?」
お母様です。
いつのまに、書斎に入ってきたのでしょう?
お母様が、無表情にわたくしの手を見つめています。
わたくしと同じヘーゼルの瞳が、意地悪く細められました。
「寄越しなさい」
お母様の手が、わたくしが持つ写真に伸ばされました。
「あっ、おかあさま、ダメです、それは、おとうさまの……」
「お黙りなさい!」
バシッと頬に痛みが走りました。
お母様に扇子で叩かれたのです。
怖くて、痛くて、わたくしはお母様を見上げました。
けれどお母様は涙を零すわたくしよりも、手にした写真を見つめ、魔法を唱えました。
写真は、お母様の指先から灯る炎に舐られるようにじりじりと燃え、灰となって消えてしまいました。
お母様が立ち去っても、わたくしはそこから動くことが出来なくて。
「おとうさま、ごめんなさい、ごめんなさい……」
なぜお母様がこんな事をしたのか。
わたくしにはわかりませんでした。
ただ、お父様が大事にしていたものが壊されたということだけはわかって。
わたくしは、灰にされてしまった写真をかき集めながら、部屋にいないお父様にずっと謝り続けていました……。
◇◇
「……嫌な記憶ですわ」
思い出したくもないのに、忘れる事もできない。
あの日以来。
お母様は、より一層、わたくしに厳しくなったわ。
家庭教師の数も増やされて、お父様と会える時間はほぼなくなってしまって。
あの日、お父様は夜遅くに帰宅して、事情を知ってもわたくしを叱りませんでしたわ。
わたくしが勝手に書斎に入って、そのせいで、写真を失ってしまったのに。
あの写真の女性が誰だったのか、わたくしは未だに知りません。
使用人服を着ていたのだから、シャロン家に勤めていたのでしょうけれど。
……そう、そうだわ。
使用人服。
市場の金髪の少女も、使用人服を着ていたわ。
使用人服なんて、ヴァイマール家とシャロン家で早々変わりはしないはず。
だから、似ているように思えただけ。
きっと、そう。
でも、ヴァイマール家のお茶会は、出来るだけ避けたいわ。
特に、お母様と一緒には行きたくありません。
よくみればきっと違うのでしょうけれど、あの写真の女性とよく似た少女をお母様が見たら、何が起こるのか。
想像もしたくありません。
もともと、同じ伯爵家でも交流はさほどないのですもの。
お茶会に行きさえしなければ、もう二度と、あの少女に会うことはないわよね?
えぇ、大丈夫よ、大丈夫。
わたくしは、抱きしめていた枕を置いて、ベッドから起き上がる。
不安は消えないけれど、考えていても仕方のないことですもの。
えぇ、そう。
無駄な事ですわ。
わたくしは頭を振って、気持ちを切り替える。
夏休みはまだあるわ。
ハドル王子とお揃いのビーズアクセサリーは手に入らなかったけれど、作らせることは出来るんじゃない?
最高の職人に、高級なビーズで作らせれば、ラングリース達よりも立派で素敵な仕上がりになるでしょう。
何も市場で探すことなんてなかったのよ。
ハドル王子が市場で売られていたリースを大事にしているなんて聞いたから、市場に行ってしまったけれど。
結局、水色のリースも見つからなかったし。
わたくしは部屋のドアを開けて、外で待機していた使用人に声をかける。
あら、やけにほっとした顔をするのね。
そんなに酷い顔色だったのかしら。
わたくしはちょっとだけ、恥ずかしくなりながら思い付きを口にする。
「職人を手配して欲しいのだけれど。そう、細工職人でいいわ。それから……」
夏休みが終わるまでには、きっと素敵なアクセサリーが手に入ることでしょう。
ふふん、見てらっしゃいライリー!
貴方達なんかよりも、素敵で完璧なビーズアクセサリーで着飾って登校して差し上げますわよ。
ハドル王子も、美しいわたくしに惚れ直すに違いありませんわ。
何種類作らせようかしら。
ネックレス?
ブレスレット?
いっそ、両方もいいかもしれないわ。
わたくしは精一杯、アクセサリーに意識を向ける。
そうして、金髪の少女の事は心の奥底に封じ込めた。
前話第43話を大幅に加筆修正させて頂きました。





