40)期末テストはお手柔らかに
もうすぐ夏休みに入ろうかという夏の朝。
俺は、ウィンディリア王立学園に着いた早々、溜息をついた。
「なぁ、そんなに溜息ついてても、現実は変わらないぜ?」
「そう言ってくれるな。私に出来るのは溜息をつくだけなのだから」
ライリーが言うように、現実は変わらない。
けれどどうしても、こう、目を逸らしたくなる。
今日は、誰も待ち望んでいない期末試験だ。
ふと周囲を見渡せば、どの学生もあまり顔色が良くないように見える。
凛と澄ましているのは、シュレディぐらいだろうか。
それと、何に対しても動じないライリーぐらいか。
俺にはとても二人のように堂々と構える事などできないと思う。
さっきすれ違ったジャスも、いつもよりは元気がなかったしね。
胃が痛くなるほうが普通なんじゃないだろうか。
「ラングリース様。今までの勉強を思い出してください。それで全て解決いたします」
「……思い出せるなら、全てそうしたいね」
エルドールが励ましてくれるけれど、思い出せるということは覚えているという事。
俺が全て覚えているかと問われれば、答えは迷う事無くNOだ。
「アリアンヌに丁寧に教えてやれてたじゃん? よゆーだって」
「そうだろうか」
俺にはとてもそうは思えない。
アリアンヌに教えていたのは基礎の基礎だ。
入学試験で問われるレベルの。
ウィンディリア王国の各領地の名前など、誰だって覚えられる。
領地と領主の名前は同じだから、そこもまず間違えないだろう。
その他も筆記試験だけなら、そこそこいけると思う。
問題は、実技。
武術に魔術。
俺が選んだのは武術の中でも剣術と、魔術の中では結界系だ。
「あいつも、流石にテストで差別はしねーだろ?」
「そうだろうか」
俺は、ローデヴェイクの蔑む目を思い出す。
剣術のテストでは、よりにもよってローデヴェイクと当たるのだ。
同い年のもの同士で戦うと、手加減やその他もろもろがし辛い。
だから、年長者や先生達が相手をする。
期末試験ともなると先生一人では到底裁ききれないわけで。
結果、宮廷騎士団の中から適切な人物が数名、選ばれるわけですよ。
「ルパート兄上だったらよかったのだが」
「そりゃ無理だろ。ルパート様ならそりゃ完璧だけど、受かったら受かったで贔屓って言われて終わるだろ」
それだ。
ルパート兄上は、ウィンディリア王立学園の寮に住んでいる。
それは、学園に通う傍らで、既に王女の護衛を兼ねているからだ。
卒業したら、王都の騎士団寮に移動する事になるけれど、いまは学園にいるのだから、兄上が担当ならよかったのに。
贔屓といわれようとなんだろうと、差別されるよりはましじゃないか?
「あー、なんかもう、試験受ける前から倒れそうな顔してるな。いっそ思いっきり負ければすっきりするんじゃね?」
「投げやりだな。私は本当に逃げ出したいというのに」
「そりゃ適当にもなるだろ? 逃げようがないんだからもう堂々と立ち向かえよ」
「くっ……」
あぁ、本格的に胃が痛くなってきた。
エルドールが差し出してくれた胃薬をこくりと飲み込む。
精神的な胃痛だから、癒しの魔法じゃ治らないんだよね。
「ラングリース様、もし、どうしてもお辛かったら、日を改めるよう手配しますが」
「いや、大丈夫だ。私の我侭でそんなことはさせられないからね。精一杯、あがいて見せるさ」
日を改めるように出来るのは、俺が公爵家だからなんだよね。
ローデヴェイクと向かい合いたくないからって、逃げる為に権力使いたくないし、エルドールにも迷惑かけたくないし。
予鈴が鳴り、エルドールが表情を硬くする。
「あぁ、薬が効いてきたみたいだよ。大丈夫だ。きちんとテストを受けてくるよ」
「……どうかご無理はなさらないで下さいね」
心配げなエルドールに笑顔を作り、俺は彼をノーマルクラスに向かわせる。
今飲んだばかりの薬が効くはずなくて、胃はずっきんずっきんしていたけれどね。
あんまり俺がへたれてると、そのまま教室までエルドールは付き添ってしまうから。
「順番的に俺が先に当たるからさ。腕の一本でも怪我させておくぜ」
「本当にやりそうで恐ろしいよ」
くくくっとライリーが悪戯っぽく笑う。
魔法が得意なライリーは、剣術は特に突出していなかったはずだけれど。
ライリーならやりかねない妙な確信がある。
俺は「絶対にやらないでくれよ?」と念を押しておいた。
どうせ俺はボコボコにやられるのだろうけれど、ズルはしたくないからね。
◇◇
筆記試験を無難に終えて、昼休みを経て。
俺は、剣術の試験に向き合った。
正確に言えば、俺を毛嫌いしているローデヴェイクと今まさに剣を交えようとしている。
……どこも怪我していないよな?
ローデヴェイクをざっと見る限り、掠り傷一つ負っていなさそうだ。
まぁ。
ライリーとの戦いも見ていたけれど、ローデヴェイクは上手いよね。
さすが王子の護衛騎士。
一切の隙も無駄もない動きで、素早い動きのライリーの剣を受け流してた。
ライリーも決して下手ではないんだけどね。
魔法よりは少し苦手で、全ての剣を受け止めるローデヴェイクに軽く舌打ちしてた。
普段かぶっている猫が外れかける程度には、ローデヴェイクの剣はライリーを翻弄したのだろう。
「試験とはいえ、剣を交えるのだ。公爵家であろうとも、容赦はせぬ」
「……よろしくお願いします」
喧嘩を売っているとしか思えないローデヴェイクの台詞に、俺は一礼して受け流す。
いつ俺が公爵家の力で物事を捻じ曲げたのか。
出来る力は持っているけれど、使う気はサラサラない。
父上の力であって、俺の力ではないしね。
試験開始の合図が、高らかに鳴り響く。
瞬間、ローデヴェイクが即座に懐に飛び込んでくる。
キンッ………ッ!
咄嗟に剣でローデヴェイクの剣を受け止める。
くっそ、流石に重いな。
ぐぐっと剣を支える手首に重みが加わり、痛みが走る。
グ、ググ……。
ローデヴェイクは俺を睨みつけながら、剣に力を込める。
俺は力いっぱい剣を払い、後に飛びのいて間合いを取った。
そして今度は俺のほうからローデヴェイクの間合いに飛び込み、剣を払う。
当然の事ながら、難なくローデヴェイクの剣に阻まれ、剣と剣がぶつかり合い金属音を奏でる。
何度も何度も繰り返していると、周囲からだんだんと歓声が聞こえてくる。
ほぼほぼ、ローデヴェイクへの応援だけどな!
くっそ、見世物じゃないぞ。
ローデヴェイクに押され気味になりながら、俺は体重移動を繰り返す。
毎日マラソンを続けていたせいか、これだけ剣を交えても息が切れない。
けれどやはり剣術の腕前はローデヴェイクのほうが上手だ。
父上にも手解きしてもらい、よい家庭教師にも恵まれている俺だけれど、毎日剣術を鍛錬できているわけじゃない。
それでも、ローデヴェイクにとっては俺が彼の剣を受け止めれることがそもそも予想外だったようだ。
この体型だしね。
以前よりずっと痩せて背も伸びたとはいえ、まだまだ細マッチョには程遠いのだから。
ローデヴェイクの剣を受け止めるたび、チッと舌打ちが聞こえる。
カキンッと高い音を響かせて、剣が横に払われる。
俺は咄嗟に身を屈め、身体を捻る。
今まさに俺がいた場所にローデヴェイクの剣が空を斬る。
観衆からため息が零れる。
どうせ、負けるのだし。
みなローデヴェイクを応援してるし。
……あっさり、負けてしまおうか。
「ラングリース、やっちまえーーーーー!」
「貴方の実力は、その程度ではないはずですわ!」
ローデヴェイクを応援する声を掻き消すように、ライリーとシュレディの声が聞こえた。
振り返ると、ライリーはニッと笑い、シュレディは真剣な顔で見つめている。
「どこを見ている?」
「くっ!」
キンッ!
ローデヴェイクの剣を、ぎりぎりの所で受け止める。
段々、ローデヴェイクの速さに慣れてきた気がする。
ローデヴェイクの剣を交わしながら、俺は、ローデヴェイクを押していく。
二度、三度。
鈍い音を響かせるぐらいに重い剣を振るい、ローデヴェイクのペースを乱す。
「この程度で、私に、勝てると思うなっ!」
瞳に怒りを灯し、ローデヴェイクの本気の剣が俺に振り下ろされる。
剣が弾き飛ばされ、俺の腕が切り裂かれた。
周囲に悲鳴が上がり、俺はその場に跪く。
はっとしたローデヴェイクに、ハドル王子が叫んだ。
「ローデヴェイク、貴方という人はなんてことをっ!」
激しい痛みが腕を襲い、俺は即座に癒しの魔法をかけて治療する。
ライリーとシュレディが駆け寄ってきた。
「無事か?!」
「大丈夫ですの?!」
「……少し、焦ったけれどね。もう治療したから問題ない」
ローデヴェイクをみると、俺をみて唖然としている。
試験には負けたけれど、勝負には勝った。
そんな所かな。
ローデヴェイクの余裕をなくさせて、本気で俺に斬りかからせれたんだ。
一方的にやられるよりも、十分健闘しただろう?
「……すまなかった」
聞こえるか聞こえないかぐらいの声で、ローデヴェイクが目を伏せ詫びを口にする。
ハドル王子が、ローデヴェイクの胸倉を掴む勢いで、
「なんですかその言い方はっ! ラングリースに怪我をさせたのですよ?! 何やってるんですか!!!」
って激怒してる。
あー、ローデヴェイク、飼い主に叱られた犬みたいにしょんぼりしてるな。
わざとじゃなかった事は、戦ってた俺が一番良く分かっているんだけど。
日ごろの行い的に、ハドル王子からしてみれば、ローデヴェイクが試験にかこつけて俺を害したとしか見えないよね。
「フォローしてやる必要はないと思うぜ?」
「ライリー?」
「だってそうだろ? 宮廷騎士団なのに手加減できなかったのはあいつの落ち度だ。ここで余計な事を言うと、また睨まれるぜ?」
そうだろうか。
ローデヴェイクはプライド高そうだしね。
「次の魔法試験は受けれますの?」
「あぁ、それは問題ないね。治癒魔法は大して魔力を使わないから」
「……さすが公爵家ですわね」
シュレディがアンダルサイト色の瞳を揺らす。
公爵家というか、俺は治癒魔法と結界系が得意だからね。
これが攻撃魔法を連発したりすると、すぐにへたる自信があるよ。
騒ぎを聞きつけた先生の指示で、俺達はとりあえず一度保健室へ向かい、その後、無事に魔法試験も受けた。
試験結果はどちらも『優』で合格だった。





