39)大量の本の本当
初夏の陽射しを心地よく感じながら、俺は日課のマラソンを終える。
軽くシャワーを浴びて、髪を乱雑にタオルで拭いていると、エルドールに止められた。
「ラングリース様、髪を乱暴に扱ってはなりません。それに、そのような事は私共が致します」
「まぁ、夜ならお願いするんだけどね。そんなに長いわけでもないし、適当でも痛まないだろう?」
この世界では、髪を伸ばしている男性も多いんだけどね。
俺はごく普通にショートだから、ざっくりとタオルドライして、後はドライヤーで乾かせばいいだけだと思う。
これが女性だったり髪が長い男性だと、タオルの使い方も気をつけないとすぐ痛むみたいだけどね。
前世も今も、俺には無縁だと思う。
グッドルッキングガイには程遠いしね。
「髪自体は短くとも痛むものです。ましてや、適当に拭いただけでは地肌に悪影響が残ります」
言いながら、エルドールは俺からタオルを受け取り、丁寧に丁寧に俺の髪を拭く。
エルドールに髪を触られていると気持ちいいから、さっき起きたばかりなのにまた眠くなってきてしまうよ。
「そういえば、さっきはどこへ行っていたんだ?」
走り終わって、俺がシャワーを浴びていると、エルドールが一旦退席したんだよね。
いつもは俺が出てくるまで待っているのに。
だからさっさと着替えて髪を拭いちゃってたんだけど。
「フォルトゥーナ様のところへ行っておりました」
「また、アリアンヌが何かやらかしたのか?」
「いえ、本の回収ですね。アリアンヌのいない内に、先日の本を図書室へ戻したかったようです」
あー、あの大量の本か。
アリアンヌがメリーチェに押し付けられた本は、本棚に入りきらない量だったものな。
フォルトゥーナがこっそり戻しに行こうにも、アリアンヌはフォルトゥーナ付きの使用人。
アリアンヌに知られないように戻すのは、かなり困難だよね。
「ん? 図書室に戻さなかったのか?」
ドライヤーで完全に髪を乾かしてもらい、部屋に戻ると、テーブルの上に本が積まれていた。
「一度戻しに行ったのですが、これはどうやら図書室の本ではないようです」
「ふむ……」
俺は、数冊手に取ってみる。
あ、これ、ウィンディリア王立学園の教科書だ。
全部そうか?
いや、数冊は参考書的なものだな。
それとこっちは、語学の授業でよく例題に出される書物だ。
なぜこれをフォルトゥーナに?
そもそも、メリーチェは何で教科書を持っていたのか。
彼女は確かエルドールと同い年ぐらいだったよね。
もう一、二年生の教科書は必要ないだろうけれど。
ページをめくってみると、かなり細かく書き込みがなされていて、真面目に勉強していたことが伺える。
これだけ書き込まれていると、古本屋に売るのも難しいからかな。
「メリーチェに戻したほうがいいだろうか」
「いえ、断られました」
さすがエルドール。
既に確認済みか。
でもこれ、そうすると邪魔になる……あっ。
「これは、アリアンヌに渡したつもりなのではないか?」
「メリーチェとアリアンヌは、あまり親しいとは言い辛い間柄ですが」
「だからだ。直接使うようには渡しづらかったのではないか? 丁度これらは一年生から二年生の教科書だろう」
教科書類を購入する代金も公爵家から支払われる。
けれどその分のお金を他の細々とした必要経費に回せれば、アリアンヌの学園生活がまた少し楽になるはず。
入学試験に受かればだけどね。
使い込まれた教科書は見た目こそあまり良くないけれど、要所要所がまとめられていて、勉強が苦手なアリアンヌには丁度良さそうだ。
「うーん、まだアリアンヌが受かるかどうか分からないけれど、とりあえず本棚に入れておこう。私の本棚にはまだ余裕があるしね」
「かしこまりました」
メリーチェになにかお礼をしたほうがいいだろうか。
もちろん、俺からでなく、フォルトゥーナ経由でだけど。
俺は毛嫌いされているからね。
エルドールに本を片付けてもらってから、俺は、フォルトゥーナの部屋を訪れた。
「フォルトゥーナ、いま良いかい?」
「まぁお兄様、どうしましたの?」
フォルトゥーナは今日は刺繍をしていた。
絹でなく、木綿の布地にだから、アリアンヌにかな?
席に促され、俺はフォルトゥーナと向かい合う。
年配の使用人が紅茶を淹れる。
周囲にアリアンヌはいない。
うん、丁度いいタイミングだったな。
「メリーチェのことでね。彼女の好きなものってなんだろう」
「わたくしも、彼女とはあまり交流がありませんの。ですが女の子なら、装飾品は好きなのではないでしょうか」
「メリーチェが着飾っているのを見た覚えがないのだよ」
うちの使用人は、みなあまり装飾品を身につけないけれど、メリーチェは特にさっぱりとした印象だ。
髪が短いからかな?
刈り上げているほどじゃないんだけど、前下がりボブっていうか。
女性は伸ばしている事が多くて、リボンで結わってるよね。
だから、リボンすら身につけていない彼女は、特にそう見えるのかも。
「言われてみますと、そうですわね。そうしましたら、お菓子類はどうでしょうか」
「お菓子か。料理長に頼めば、すぐに作ってもらえそうだね」
「彼女に贈りますの?」
「出来ればフォルトゥーナから渡してもらいたいかな。私は、その、メリーチェとはあまり会話が無くてね」
どんなに美味しいお菓子を渡しても、俺からだと付き返されそうな気がするよ。
正直、なぜあそこまで嫌われているのかわからないんだけれどね。
以前の俺が、たぶん虐めをしたんじゃないかな。
一番覚えていたのはアリアンヌに対しての酷い仕打ちだけれど、それ以外にも俺は常に使用人達に辛く当たっていたから。
『使用人ども』とひとくくりにして、名前すらまともに覚えていなかったし。
その中に、メリーチェもきっと含まれていたんだろうなと思う。
「一つ、よろしいでしょうか」
側に控えていた年配の使用人が、頭を下げる。
実は俺、彼女の名前も覚えていないんだよね。
長年仕えてくれているのに。
今更聞くに聞けなくて、誰かが彼女の名前を呼んでくれる事を期待してたりするんだけど。
「どうした?」
「メリーチェへの贈りものでしたら、生活必需品が喜ばれると思いますわ」
「生活必需品? 例えばどのようなものだろうか」
「そうですね。石鹸や衣類でしょうか」
「そんなもの、いつでも買えるのではないか?」
公爵家に仕える賃金は、決して安くないはず。
身元の不明な人間はまず仕える事が出来ないし。
アリアンヌのように不幸がいろいろ重なったりしなければ、生活が苦しくなることはまずないと思うんだけど。
「……彼女は、母親と二人暮らしですから」
初耳だった。
アリアンヌほどではないにしても、彼女もまた、生活苦だったのか。
「ふむ。それなら、石鹸にしておこうか」
衣類はね。
アリアンヌはなんでも喜んでくれる素直な子だけれど、メリーチェは難しそうだから。
好みがはっきりしていそうというか。
無駄にならない消費アイテムが無難な気がするよ。
「エルドール、公爵家の石鹸を包んでもらってもいいだろうか。籠にラッピングをすれば綺麗だと思うのだが」
「かしこまりました」
エルドールが一礼して部屋を出て行く。
入れ替わりに、アリアンヌがやってきた。
いつもは二つに分けて三つ編みをしているだけなのに、今日は編みこみが入ってる。
練習しているのかな?
「フォルトゥーナさまっ、料理長がいっぱいクッキー下さいましたぁっ」
「そう。でももう少し、落ち着いて部屋に入るようにしましょうね。エルドールがいなかったら、また転んでいましたよ?」
「はいっ!」
元気いっぱいに返事をして、アリアンヌはクッキーをお皿に可愛く並べていく。
やっぱり、クッキーの並べ方って、性格が出るのかな。
エルドールやセバスチャンは絵画のようにピシッと並べるけれど、アリアンヌはお花のように並べる。
すこし話していると、エルドールが戻ってきた。
彼が持った籠を見つめて、アリアンヌが「可愛いのです〜」と目を輝かせる。
うん、ほんと、エルドールは器用だな。
籠に布を載せ、手持ち部分にはレースのリボンがあしらわれている。
あ、この籠の布、絹のハンカチか?
再利用できるね。
さすがエルドール。
「じゃあ、フォルトゥーナ。すまないが、こちらを彼女に渡しておいてもらえるだろうか」
「えぇ、わかりましたわ」
二つ返事で頷くフォルトゥーナ。
彼女なら、上手くメリーチェに渡してくれるに違いない。
俺らが退出する瞬間、アリアンヌが年配の使用人を見上げた。
「あ、ロヴィーサさん、編みこみありがとうございます〜。料理長に可愛いって褒めてもらえましたっ」
「ふふっ、アリアンヌの髪は、柔らかくて編みやすかったわ」
アリアンヌ、でかしたっ。
本来なら、使用人は主人の前で私語は慎まなきゃいけないけれど、もう、やったとしか。
年配の使用人の名はロヴィーサ。
俺はうきうきとフォルトゥーナの部屋を後にした。