33)アリアンヌの眼鏡
学園もなく、家庭教師の授業もないゆったりとした午後。
俺は、ジャックベリー家の図書室で本を読んでいた。
エルドールが以前、俺が寝込んでいたときに買って来てくれた児童書。
闇の魔法に脅かされた世界を、子供達が果敢に立ち向かっていく物語。
あの本の新刊が入荷していたのだ。
エルドールが買ってきてくれていたらしい。
いよいよ物語が佳境に入り、敵と戦う場面になった瞬間、何かの割れる派手な音が図書室まで響いた。
一瞬、物語の中の魔法攻撃の効果音かと思った。
そんなわけがあるはずもなく、俺は、軽く溜息をつく。
派手な音は、図書室の下のほうから響いていたが、正直、下を見るまでもない。
なんとなく、何が起こったか察せられた。
それでも窓辺から下を見下ろせば、やはりというか、なんというか。
アリアンヌが「ごめんなさいっ、ごめんなさいですっ〜!」と謝りながら、必死に落とした食器だの何だのを片付けている。
周りに誰もいないのに、である。
なぜに裏庭に食器を持って行ったのか。
それも含めてすべてが謎である。
俺は静かに本を閉じると、裏庭に向かった。
図書室の真下に行くと、アリアンヌがやっと食器を抱えなおしているところだった。
裏庭なせいか、それともいつもの事過ぎるのか、特に誰も駆けつけていない。
いや、まぁ、ほんとにもう、いつもの事過ぎるんだけれどね。
「アリアンヌ」
「はいっ?!」
ガッシャン!
俺が声をかけた瞬間、再びアリアンヌが食器を落っことした。
脅かしてないぞ。
何で正面から声をかけているのに落とすんだ、この子は。
軽く偏頭痛を起こしそうになりながら、俺はアリアンヌが落とした食器をさくさくと片付ける。
もうこの子には割れる物は持たせないように、それとなくフォルトゥーナに言っておこう。
あぁ、言わなくてもいいか。
この食器、全部銀食器だね。
割れないタイプ。
つまり、アリアンヌにはもう割れ物は持たせないようにしているんだね。
……あれ?
「アリアンヌ、いつから眼鏡を?」
アリアンヌの小さな顔に、やけに不似合いな大きな丸いレンズの眼鏡がくっついている。
どう見ても大人用で、アリアンヌには合っていない。
現に今も、落ちないように片手でフレームを抑えているぐらいだ。
「えぇっと、目が悪くなってしまったのですっ」
うん、それは分かるよ。
悪くなければかけないよね。
「治癒魔法を試してみたか?」
「エルドール様が主治医先生のところに連れて行ってくださいました。でも治らないタイプのようです〜」
ふむ。
怪我や病気なら俺が治してあげれたのにな。
主治医のハープターズ=デルの治癒魔術で治せないのであれば、俺の出番はない。
魔法も万能なようで万能じゃないから。
「急に見えなくなってきたのか?」
「えっと……その……」
「はっきりいいなさい」
「は、はいっ。勉強してたら、悪くなってしまったのですっ」
「勉強? なんのだ?」
「うぅっ……王立学園の、入学試験です……」
「えっ。本気か?」
「はうっ、無理ですよね、分かっているんです、でも頑張りたいのですっ」
あうあうあうっと、顔を真っ赤にして両手を握り締めるアリアンヌ。
王立学園に平民が入学するには、魔力か学力がかなり必要だったはず。
貴族に仕える使用人達は、大抵は学費を雇い主である貴族が払うので、学費の面では心配いらない。
とはいえ、最低限の費用のみの負担なので、平民の場合は様々な面で苦労する。
例えば制服。
雇い主が用意するのは通常毎年一着だ。
夏と冬で各一着ずつ。
汚した時や洗濯時の為にもう一着は欲しい所だけれど、正直、かなり高いと思う。
少し大き目のサイズを用意したとしても、成長期の子供が着るのだから、せいぜい二年しかもたない。
だから普通は、各領地の学校に通うのだ。
ジャックベリー領にも当然、学校がある。
こちらは王立学園ほどのお金はかからない。
ウィンディリア王立学園の特待生ならば、全ての学費免除で制服も支給だ。
ちなみに本日はウィンデイリア王立学園に行っているエルドールは平民枠だが、学力と武力が高いので特待生だ。
けれどアリアンヌの場合は、特待生どころか王立学園に入るのが学力魔力武力どれをとってもそもそも難しい気がする。
……エルドールと同じところに通いたいのかな。
よくよくアリアンヌを見ると、大きなペリドット色の瞳の下に、ほんのり隈が出来ている。
これはいただけない。
最近、やっとほっぺたがふっくらしてきたというのに。
仕事が終わったあと、遅くまで必死に勉強をしているのだろう。
一緒に住んでいるお婆様を起こさないように、小さなランプの明かりの中で、よく分からない本を必死に読んでいるアリアンヌが容易に想像できるよ。
ふぅっと俺は溜息をついて、アリアンヌの頭に手をのせる。
「一人で勉強してても、分からないだろう。図書室に来なさい。フォルトゥーナも呼ぼう。エルドールが帰ってきたら、彼とも一緒だ。みんなで学べばいい」
「でででで、でもっ」
「でもじゃない。これは命令だ。わかったね?」
「はいっ」
アリアンヌの頭に乗せた手を、こめかみに滑らす。
「……癒しの神ラングベハンドに連なり健康を司るヘイトゲサンドよ、彼女の疲れを取り除きたまえ……ファングエルシュト」
アリアンヌのこめかみから目元にかけて、青と、そして黄色の光が淡く包み込み、空に溶けた。
「わっ、なんだか視界が明るくなったような気がしますっ」
「そうだろうそうだろう」
目の疲れと、そこから付随する頭の疲れを取り除いたからね。
視力を回復する事はできなくても、これ以上悪くならないように負担を減らす事は出来るんだよ。
俺は彼女の頭をもう一度撫でた。
◇◇
カリカリカリカリ……。
静かな図書室に、ペンを走らす音が響く。
それと一緒に、アリアンヌの泣きそうな声も響いた。
「ラングリースさまぁ、領地の名前がごちゃごちゃしてきますぅ……」
「そこはほら、最初の言葉で覚えていけばいい。ジャックベリー領なら『ジャ』、ライリーのいるヴァイマール領なら『ヴァ』」
「うぅ……」
「アリアンヌ、一度に全てを覚えようとせず、各領地の好きなことと結び付けていけば簡単に覚えられますよ」
「いやー、この子に勉強は無理じゃね?」
フォルトゥーナとライリーも口々に助言を口にするけれど、アリアンヌは涙目になるばかりで少しも覚えられないようだ。
あぁ、ライリーのは助言じゃなくてもうあきらめだけど。
そしてエルドールは先ほどから一心不乱にペンを走らせている。
手の平サイズの紙の表と裏にそれぞれ書いていっているけれど、もしかして単語帳だろうか。
お手本のように綺麗なペン字は、読みやすく、それでいて丁寧にまとめられている。
さすがとしか言いようがない。
「なー、さっきからずっと勉強しっぱなしだし、休憩にしねー? アリアンヌもいっぱいいっぱいだろ」
「あうぅう……」
「そうですわね」
「仕方がないね」
教科書とノートを片付け、参考書を本棚に戻す。
アリアンヌの学力は、正直想像以上に拙い。
入学試験までに半年はあるけれど、特待生なんて夢のまた夢、入学がまず危うい。
「フォルトゥーナといっしょに、授業に出ていなかったのか?」
「あうぅ、一緒にはいましたぁ……」
一緒にいただけで、見てただけってことなのかな。
読み書きはちゃんと出来てるけれど、ジャックベリー領の学校ですら落ちそうな勢いだよ。
エルドールがテーブルを拭き、人数分の紅茶を淹れる。
アリアンヌが慌ててお茶菓子を取りに向かった。
あー、転ばないといいんだけどなぁ……。
「失礼します」
「え、セバスチャン?」
戻ってきたアリアンヌは、なんとセバスチャンと一緒だった。
珍しい。
エルドールも無表情の中に軽く驚いている。
「転びかけていたので、私が代わりにお持ちしました」
そう言って優雅に流れるような動きでテーブルの上にクッキーが並べられる。
セバスチャンが並べると、ただのクッキーが絵画のように色鮮やかに皿に飾られた。
エルドールがほんのちょっとだけ、悔しそうだ。
お爺様であるセバスチャンにはまだまだ遠く及ばないって思っているのかな。
エルドールの並べ方も俺は好きなんだけどね。
俺が一番好きなクッキーを手前に並べてくれるの。
好きなクッキーが奥だと、手前のクッキーから食べてしまっておなか一杯でも、つい、好きなクッキーを後一枚ってなっちゃうし。
先に好きなクッキーを食べてしまっていたら、残りは我慢できるからね。
仕事を終えると一礼して出て行こうとするセバスチャンを、俺は呼び止めた。
「何でございましょう?」
「腕の良い眼鏡職人に心当たりはあるだろうか」
「眼鏡職人でございますか……」
セバスチャンの灰色の瞳が一瞬、アリアンヌを見た。
アリアンヌはずり落ちそうな眼鏡を抑えて、並べられたクッキーに目を輝かせている。
「残念ながら、心当たりはございません。ご期待に沿えず、申し訳ございません」
失礼しますと再び一礼して下がる彼に、俺は首を傾げる。
セバスチャンなら、眼鏡職人ぐらい知っていそうだと思ったんだけど。
それに、知らない場合でも探してくれそうなのに。
忙しかったのかな?
「アリアンヌも食べていいですよ」
「わぁい、今日のクッキーもおいしいですぅ〜」
「そう、でもゆっくりと食べましょうね。いっぺんに頬張ると、喉に詰まってしまいますわ」
「はい〜」
「なぁ、アリアンヌ。その眼鏡は親から借りてんのか?」
「いいえ、自分のですよ〜?」
「何でそんなでかいの買ったんだよ。明らかに顔の幅とあってないだろ」
「一番安かったのですよ〜」
「ずっと押さえてると、動き辛いだろ。無いとまったく見えないのかよ」
「小さな文字以外はちゃんと見えるのですよ〜」
「なら必要な時以外は外しておけばいいんじゃね?」
「はずすと、どこに置いたかわからなくなるのです〜」
「馬鹿じゃね?」
「あーうー……っ」
「ライリー、あまりアリアンヌを苛めるな」
「苛めてねーし。普通無くさないだろ?」
同意を求めるライリーの言葉に、俺もエルドールも、そしてフォルトゥーナにアリアンヌ本人でさえも目をそらす。
アリアンヌだからね。
何を無くしても正直驚かないよ。
「おいおいおい、マジかー? 学園に入学できても、帰り方忘れんじゃね?」
「酷いですぅ、フォルトゥーナさまといっしょなら、帰ってこれますっ」
「つまり一人じゃ駄目ってことじゃねーか」
「あぅぅ……」
ライリーにからかわれているアリアンヌは、再び眼鏡をぐっと抑える。
確かに、動くたびに眼鏡がずり落ちるんじゃ、仕事にも差し支えるよね。
セバスチャンに眼鏡職人教えてもらえれば、アリアンヌに合う眼鏡を作ってあげれたんだけど。
とりあえず、当分の間無くさずに取り外しが出来るように、メガネチェーンでも作ってあげようかな。
お洒落な見た目なのに、作り方は意外と簡単なんだよね。
いつも買出しをエルドールに頼んでばかりだけれど、今度は一緒に見に行ってみよう。
ライリーにからかわれまくって真っ赤な顔のアリアンヌを見ながら、俺はメガネチェーンのデザインを頭の中で考えていた。
いつもありがとうございます。
おかげさまで150万PVと15000pt突破していました。
本当に嬉しいです。
これからもどうぞよろしくお願いします。





