31)迷子と地下と
俺は、ウィンディリア王立学園の魔法陣に焦り気味に飛び乗る。
今日はライリーが一緒じゃない。
学園には毎日通わなくても良いので、一人で来る事もある。
ある、のだが……。
まずい。
ここ、どこだ?
俺は、学園のどこかで道に迷っていた。
学園地図を開ければよいのだけれど、今日に限って持って来ていない。
昨日、フォルトゥーナとアリアンヌが地図を面白そうに見ていたから、そのまま貸し出してしまっているのだ。
ウィンディリア王立学園の地図は、地図上の名称に触れると、その場所が淡く光り、3D映像のように地図の上に場所が浮かび上がるのだ。
ちょこっとした仕掛けもあって、音楽室に触れると宮廷楽師達が小人姿で楽しげな曲を軽快に演奏したり。
色々な場所に触れて、次々と現れる学園の風景にはしゃぐ二人は、本当に楽しそうだった。
……まさか、迷うとは思わなかったからな。
つい、学園の図書館で本を読み耽っていて、そのまま次の授業開始時刻まで居座ってしまったのだ。
ジャックベリー公爵家とはまた違った品揃えの学園図書館には、魔鉱石についての本がいくつも置いてあったからね。
色の変更方法を知りたくて色々調べているうちに、このざまである。
他の学生についていけば辿りつけるかもしれないと思ったけれど、そもそも他の学生が見当たらないのだ。
魔通話リングに話しかければエルドールが出てくれると思うけれど、今はもう授業が始まっているはず。
助けを求めればすぐに来てしまうだろうから、呼び出すなんて出来るわけがない。
ちなみにこの魔通話リングは学園内でのみ使える。
学園内にスマホの基地局と同じような役割を果たす魔導具があるのだ。
魔通話リングはスマホと違ってお互い登録した相手としか話せないから、大抵の貴族は使用人と登録している。
俺はライリーとも登録しているけれどね。
横に動いていく魔法陣が着いた場所は明らかに見たこともない場所で、俺はさらに焦った。
くっそ、マジでここどこだ?
魔法陣をどこから乗り間違えたのかすらもう判らないレベル。
上下にエレベーターのように動く魔法陣や、左右に動く魔法陣を乗り降りしているうちに図書館にすら戻れないほどに判らなく。
ちなみに俺が向かっているのは紅茶ルーム。
……そこ、首を傾げないでくれ。
俺だって何度も見直したんだから。
普段飲むのは紅茶だから、紅茶の淹れ方やマナーを学ぶのだけれど、なぜか、『紅茶ルーム』と表示されているんだよね。
ティールームじゃないのかとか、家庭科室と兼用でいいんじゃないかとか、色々と突っ込みどころが多い。
……これ、今日の授業はサボりかな。
授業が終わる頃を見計らって、エルドールを頼るしかないと思う。
俺は突き当たりにある魔法陣にとりあえず乗ってみる。
別の魔法陣に乗ってみても、たどり着ける気がしないけれどね。
辿りつけなくとも、とりあえず足掻くべきだ。
せめてエルドールが俺を見つけやすい所まで移動できればいいんだけど。
いまのままだと周囲に見えるものといったら白い壁ぐらいだからね。
魔法陣は俺を乗せて下へ下へと下がってゆく。
ぐんぐん下がる魔法陣は、青い空を抜け、ノーマルクラスを通り抜け、さらに学園の地下へと降りてゆく。
――フィー……ン……。
静かな音と共に魔法陣が静止した。
あまりにも長かったから、軽く眩暈がする。
現代日本のエレベーターよりも負荷は少ないんだけどね。
随分地下に潜ったな。
この魔法陣に乗ったのは失敗だったかもしれない。
くるりと周囲を見渡す。
地下とはいえ、ランプの明かりが道を照らしているからさほど暗くはない。
けれどしんと静まり返った地下にいると、妙に不安になってくる。
俺はいま乗っていた魔法陣に再び乗り込んだ。
……あれ? 何で動かないんだ?
上に行くつもりが、魔法陣が動かない。
壊れたのだろうか?
別の魔法陣を探すか?
いま乗ってきた魔法陣のそばにはこれ以外の魔法陣は見当たらない。
ちょっと、いやかなり気が進まないけれど、この地下道を進んで上に動く魔法陣を探すか。
俺は軽く溜息をついて、道なりに沿って先に進んでみる。
……こうしてちょっと暗い所を歩いていると、坑道みたいだよね。
数ヶ月前に訪れた鉱山の町マーケンがちょっと懐かしい。
魔鉱石店のおばあさん店長や、息子さんとお孫さん。
それにレイチェルにジャス。
みんな元気かな。
たまに手紙が届くけれど、なかなか会いに行かれないんだよね。
お忍びならともかく、公で行くとほら、俺は公爵家だから。
ボディーガードを引き連れてレイチェル達に会うと、彼女達に気を使わせちゃうからね。
もっと気軽に会いに行かれればいいんだけど。
溶ける魔鉱石の採掘についてもその内話したいよね。
エルドール経由で溶ける魔鉱石を送ってもらおうかな。
あ、もちろんタダじゃなくてちゃんと購入するよ?
「えっ、ゴーレム?」
開けた場所に出た。
天井が大きくドーム状に丸くなり、まるでコンサートホールのようだ。
ランプの光がほとんど届かないほどに高く、それでも目を凝らすと可動式の扉が設置されているのが見えた。
そしてホールの中心には、数十体程のゴーレムナイトが跪いている。
学園の入り口に建てられているゴーレムナイトより、幾分か小さい。
それに素材も石そのものに見えるゴーレムナイトとは違い、黒く艶やかに輝いている。
鎧兜を身に纏い、帯剣して跪く姿は正直に言って格好いい。
ゴーレムナイトに触れようと、俺が一歩足を踏み出した瞬間、
「動かないで!」
見知った声が俺を呼び止めた。
「シュレディ嬢?」
離れた場所にシュレディ嬢が佇んでいた。
地下が薄暗いせいだけではなく、明らかに青ざめている。
「ラングリース様、ゆっくり、下がってくださいませ」
「ん?」
言われるままに、俺はそっと後ろに下がる。
彼女の側まで行くと、シュレディは明らかにほっと肩の力を抜いた。
「どうかしましたか? 顔色が悪いようですが……」
「貴方があの場所へ入ろうとするからでしょう!」
アンダリュサイト色の瞳をキッと吊り上げて怒っているけれど、えーと、俺、なにをしたんだ?
「……ラングリース様、貴方はオリエンテーションで何を聞いていらしたの? 学園の地下は立ち入り禁止でしょう」
「すまない、あまりオリエンテーションは覚えていないのですよ」
ハドル王子に気をとられていて、あまりどころかほとんど記憶にない。
だからこそ、こんな場所に迷い込んでしまっているのだしね。
「それでも、王族関係者以外は入れないゴーレムナイトの保管地区に入り込むなんて、危険だと判りませんでしたの?!」
「えっ、ここ、王族関係者以外は入れないのか?」
だからシュレディはこの少し離れた場所からしか俺を呼び止めれなかったのか。
でも俺は入れたよな?
「……その顔は判っていらっしゃらないわね? ラングリース様、貴方は公爵家、ですのよ?」
「あっ」
そうだった。
俺はジャックベリー公爵家の三男坊。
公爵家は王国に大きく貢献した英雄にも与えられる爵位だけれど、王家の親族に多い爵位だ。
ジャックベリー公爵家はもう何代も前の王族の血筋だけれど、間違いなく王家の血を引いている。
それに何度も王妃となる女性を輩出している家系でもある。
思いっきり、忘れていた。
「足元の魔法陣は見えまして? この魔法陣は王族関係者以外は立ち入れない様になっていますわ。わたくしはこれ以上先に進めませんの」
言われて足元をみれば、見たこともない魔法陣が描かれていた。
けれど薄暗いランプの明かりでは見落とすレベルで床の色と同系色だ。
移動魔法陣と同じようにもう少し光るなり何なり主張して欲しい所である。
……まてよ? 来てはいけない地下に、何でシュレディはいるんだ?
「貴方の姿が見えたから、ついて来ましたのよ。紅茶ルームとは真逆の魔法陣に乗っていくのですもの」
「紅茶ルームに向かう途中で、わざわざ私のところに来てくれたのか?」
「声をかけようとしましたのよ? でも次々と魔法陣を乗り換えてゆくものだから、なかなか追いつきませんでしたわ」
まさかこんな所まで来る事になるとは思いませんでしたけれど、とシュレディは苦笑する。
ここに降りてくる魔法陣が上に作動しなかったのは、シュレディが降りてきていたからか。
「すまない、迷惑をかけたね」
「べ、べつにわたくしが勝手についてきただけですわ。さぁ、いつまでもこんな所にいないで、上に戻りましょうっ」
つんと顎をそらし、シュレディは早足気味に来た道を戻ってゆく。
彼女が来てくれなかったら、俺結構やばかったかも?
魔法陣に乗り込みながら、俺は冷や汗をたらした。