3)使用人達
バッドエンドを回避して、妹と家族を守る。
そう決めた俺だけれど、あれから数週間経った今も、俺はベッドの上からあまり動けないでいた。
妹の魔力が強すぎたのか、それとも前世の記憶を取り戻した影響か。
太りすぎが原因……は流石にないか。
でも俺は目覚めて数週間経ったというのに、まだなにも出来ずにいる。
十一歳の誕生日は、意識のないままベッドの中で過ごす羽目になったし、当然の事ながら外出は禁止。
もっとも、禁止されるまでもなく、大して動けない。
流石に最近はベッドから起き上がったり、部屋の中を少し歩く程度なら出来るのだけれど。
体力無さすぎってやつかな。
ぷくぷくの手を見つめて思う。
前世の俺は、子供の頃から走るのが好きだった。
部活も陸上をずっとやっていたせいか、体型はかなり痩せていた。
ガリガリというわけではなく、程よく引き締まったいわゆる細マッチョ。
だからかな。
このラングリースの姿で既に十一年生きているわけだけど、前世の記憶を取り戻したばかりの今は違和感がありまくる。
正直、ちょっと動くだけで息切れを起こすこの身体から、早く脂肪をこそぎ落としたい。
けれどベッドの上で軽くストレッチをするだけで汗だくになるし、頭がくらくらしてくるし。
バッドエンドを回避する事よりも、まずは体調を万全に戻す事が今は目標になっている。
まともに動けないからね。
こんこんと、ドアがノックされた。
誰が来たのかは、聞くまでもない。
毎日のように部屋に来てくれるのは、可愛い妹だけだから。
「お兄様、起きていらっしゃいますか?」
「うん。いま丁度エルドールが席を外していてね。悪いのだけれど、ドアを侍女に開けさせてもらえるだろうか」
いつもなら、エルドールがすぐにドアを開けて部屋の中に通すんだけれどね。
俺が開けてもいいのだけれど、まだまだ本調子には程遠いから、ベッドからドアまでの決して遠くはない距離で力尽きそう。
贅肉も筋肉と同じで肉なんだから、もう少し体力に変わってくれればいいのに。
フォルトゥーナ付きの年配の使用人が、部屋のドアを開ける。
入ってきたフォルトゥーナの手には、今日も花束が抱えられていた。
「お兄様、今日は庭でロゼリアを摘んでまいりましたの」
「フォルトゥーナが摘んでくれたの? その花には棘があるよね。怪我はしなかったかい?」
「えぇ、ゆっくりと摘みましたから」
渡された花束から、心地よい香りがふわりと漂う。
よく見れば棘がすべて取られていて、俺が怪我をしないようにという心遣いが感じられた。
手を伸ばせば届くベッドサイドキャビネットには、花瓶と本が数冊置かれている。
花瓶に飾られた花は、フォルトゥーナがいつも持って来てくれているものだ。
自分の魔力の暴走のせいで、俺が寝込んでしまった事が辛いのだろう。
花も綺麗だけれど、本当に心底俺を心配して部屋に来てくれるフォルトゥーナが愛おしい。
「今日はね、昨日よりも調子が良いんだよ。この調子なら、一人でお風呂に入れそうな気がするよ」
この世界は、たぶん中世風なんだと思う。
王政で、貴族が平民を支配している。
建物や衣類なども豪華で、いまフォルトゥーナが着ている服はレースやフリルがふんだんにあしらわれたドレスだ。
中世というと、衛生面が少し不安だったりするけれど、この世界は魔法があるせいか現代日本とさほど変わらないぐらい清潔だ。
魔宝石と呼ばれる魔鉱石を加工した宝石は、乾電池のように魔力を溜めたり出来る。
その魔宝石を使い、水周りは常に清潔な水が魔宝石により流れるし、お風呂も入りたいときに好きなだけお湯を使える。
魔宝石の魔力が切れたら交換すれば良い。
電化製品の変わりに、魔宝石や使用者の魔力を使った魔導製品が普及しているのだ。
エアコンと同効果の魔導空調機もあるし、魔導洗濯機も当然ある。
程よい温度調整の出来る熱風を吹き出して、髪を乾かすいわゆるドライヤー的な小型熱風魔導乾燥機もあったことには驚いた。
現代日本人の感覚を持っていると、毎日お風呂に入りたいし、お手洗いがよもやまさかのおまるだったりしたら、ショックで倒れるよね。
魔法世界で本当に良かった。
「お兄様、お一人で湯浴みだなんて、恐ろしいことを口になさらないで下さいませ。湯船で意識が途切れてしまったら……」
「あぁ、その点は大丈夫だよ。先日また意識を失ったのは、ちょっと疲れていただけだからね。私がいまベッドから余り出られないのは、主にこの体型のせいだから。
普段からきちんと体型に気を配るべきだったよ」
フォルトゥーナがただでさえ心配しているのに、彼女が見舞いに来てくれているときに意識を失ったんだよね。
ちょっと前日に夜更かししたせいもあったと思う。
あれは本当に失敗だった。
意識を失っていたのは半時にも満たない短い時間だったけれど、目を覚ました時に最初に目に入ったのがフォルトゥーナの涙だったからね。
二度と彼女の前で意識を失わないようにしないとだ。
「お兄様は時折無茶をなさいますから、わたくしはとても心配です」
「心配かけてごめんね? あと、忙しい時は、無理に私の部屋に来ようとしては駄目だよ。今日は確か、魔法の授業と、行儀見習い、それに座学の授業も詰まっているんじゃないかい?」
家庭教師から逃げ回っていた俺と違って、フォルトゥーナは真面目で素直だから。
きちんきちんと授業を受けて、尚且つ貴族のお茶会やら何やら社交にも出ているんだよね。
そんな多忙な時間の合間を縫って、俺に会いに来てくれる。
公爵家の屋敷は城と変わらない大きさだ。
フォルトゥーナの部屋から俺の部屋までは、結構な距離もある。
お見舞いは嬉しいけれど、フォルトゥーナが休む時間が本当になくなってしまうよね。
「わたくしは無理などしていないのです。ラングリースお兄様の側にいつでもいたいと思いますの」
きゅうっと、俺の手を握ってくるフォルトゥーナ。
あぁ、可愛い。
ずっと離したくなくなるね。
でも、そろそろ次の家庭教師が来るはず。
ちらりと年配の使用人を見ると、こくりと頷かれた。
「フォルトゥーナ様、そろそろクレディル先生が部屋にいらっしゃる時間です」
「まぁ、もうそんな時間ですの? ……お兄様」
「うん、行っておいで。先生を待たせるわけにはいかないだろう」
名残惜しいけれど、フォルトゥーナの手をそっと離す。
俺ならともかく、彼女を遅刻させるわけにはいかないからね。
年配の使用人と共に部屋を出て行くフォルトゥーナを見送って、俺は再びベッドに横になる。
エルドールが戻ってきた時にきちんと休んでいないと、エルドールが心配してしまうからね。
体調不良ぐらい魔法でさっと治せればいいのだけど、魔法も万能ではなくて。
意識不明の俺を治癒魔法である程度回復させる事は出来たけれど、一気に治すことは困難だとか。
栄養剤を何本も一気飲みしてもすぐに健康になるわけじゃなく、むしろ害になるのと同じようなものらしい。
病気なら高確率で治せるみたいだけどね。
でも、ベッドに横になっているだけだと、とても暇だ。
俺は、ベッドサイドキャビネットに手を伸ばす。
フォルトゥーナが飾ってくれた花瓶の隣には、魔法学の本が数冊と、頼んだ覚えのない子供向けの物語が数冊置いてある。
エルドールが選んでくれたんだろう。
表紙が新しいから、もしかしたらジャックベリーの街で買ってきてくれたのかもしれない。
エルドールは基本的に子供らしくないというか、真面目で無表情だ。
端正な顔立ちも相まって、冷たく見える。
そのせいか、記憶を取り戻す前の俺はエルドールは仕事だから嫌々仕えているだけだと思い込んでいた。
けれど、それは誤解だ。
そもそも、紅茶をこぼした時だって、エルドールは全力でタオルを冷やしに走っていったのだ。
ただの平民ならともかく、貴族に仕える使用人達にも優雅さと礼儀作法は常に求められる。
部屋を駆け出すなんて、まずありえない。
けれどエルドールはそうしたのだ。
俺が火傷をしたと思って。
この本だって彼の優しさだ。
嫌々だったら、わざわざ言われてもいない本まで持ってきてはくれないだろう。
俺がエルドールの目を盗んで部屋を抜け出した時は、よく図書室にいた。
図書室は静かで、無駄な声が聞こえないから好きだった。
自業自得とはいえ、俺はこの家の使用人達から嫌われているからね。
聞きたくない話だって、耳に届いてた。
だから俺は、図書室で適当な本を手にとって、時間を潰して過ごした。
つまり俺は特に本好きなわけじゃなかったけれど、はたから見れば本好きに見えたに違いない。
俺は、エルドールが選んでくれた本を一冊手に取る。
身体が子供でも中身が学生時代の記憶を取り戻したせいか、それとも子供向けの本のせいか。
無理に覚えようとしなくとも、物語がするすると頭の中に入ってくる。
文字が大きめで、美麗な挿絵が沢山入っているのもいい。
内容は闇の魔法に脅かされた世界を、子供達が力を合わせて果敢に立ち向かっていく物語のようだ。
エルドールの趣味は子供が戦う物語なのか、もう一冊も似たような感じのタイトルだ。
きっと面白いだろう。
案外、無表情なエルドールと趣味が合うのかもしれない。
そう思ってベッドサイドキャビネットに手を伸ばすと、ドアがノックされた。
もう昼食の時間だったらしい。
「今日も野菜中心なんだね」
俺の部屋に運ばれてきた食事に、軽く溜息をつく。
その瞬間、運んできた使用人の口の端がほんの少し上がるのを、俺は見逃さなかった。
ほんと、俺って使用人達に嫌われてるよね。
この家で俺を心配してくれるのはフォルトゥーナとセバスチャン、それとエルドールぐらいか。
自分のせいなんだけれどね。
記憶を取り戻す前は公爵家の子供という権力を最大限に使って、我がまま放題していたから仕方がないといえば仕方がないのだけれど。
「ラングリース様のお身体の為です。どうか、召し上がってください」
言葉こそ丁寧なものの、そこに心配する気配は微塵も篭っていない。
まるで台本の台詞を読んでいるかのような、感情のこもらない言葉だ。
それはそうだろう。
公爵家の三男とはいえ、可愛くもなければ優しくもない。
我がままで高飛車なクソガキなんぞ、心配しろという方が無理だ。
俺だったら顔面張ったおしてる。
その点、やはり公爵家の使用人ともなると我慢強いのだろう。
嫌がらせのやり口がちょっとばかり陰険だけれど。
野菜たっぷり、肉がひとかけらも乗っていない料理を見てそう思う。
記憶を取り戻す前のラングリースは、それはそれは野菜嫌いだったのだ。
野菜に限らず好き嫌いは激しかったけれど、野菜はもう、見るのも嫌いなレベル。
ピーマンの青臭さが嫌い。
茄子の色が気持ち悪い。
マッシュルームの柔らかさが駄目。
オークレタスのシャキシャキ感が許せない。
ベローナの苦味は最悪。
トマトの酸味は腐ってる!
……って、おいおい、ほんとによくもまぁ、ここまで野菜嫌いだな。
そんなとことん野菜嫌いだった病床の十一歳児に、ここぞとばかりに野菜盛り盛りの食事を運んでくるのだ、この家の使用人達は。
その嬉しそうな顔ったらない。
病気なのだから、身体に良いものを食べさせるという建前の嫌がらせである。
ラングリースが癇癪を起こしてご飯を食べなくても構わないのだ。
いまなら『病気を治すため』という大義名分が使えるのだから。
俺は、前世ではヘルシー嗜好だったおかんの影響でかなりの野菜好きだったから、全部食べられるんだけどね。
ピーマンの姿焼きもトマトとオーガレタスの彩りサラダも、パプリカと茄子のゆでマリネもマッシュルームのアヒージョも、余裕余裕。
全部これでもかというほどに野菜の姿を残してあって、マッシュルームなんて丸ごとスープの中にごろごろ何個も入ってるけど。
家庭菜園にも手を出していた前世のおかんの野菜料理も美味しかったけれど、いま目の前に並んでいる野菜料理も最高に絶品。
さすがは公爵家というべきか。
きっと素材も料理人も一流なんだろう。
けれどいくら野菜好きでも、毎日毎日野菜だらけの食事は堪えるものがある。
前世で料理や栄養に関して詳しかったわけじゃないから曖昧な知識だけれど、それでも野菜だけの食事じゃ栄養が明らかに偏ると思う。
治るものも治らないっていうか。
力が出ないというか。
「今日は、とても調子がいいし、もう少し食べたいんだ。肉料理ももらえないかな?」
駄目もとで聞いてみる。
嫌がらせで野菜料理のみを持ってきているのだから、俺が好きな料理が出されるわけがないんだけど。
案の定、「ですがお身体が……」と否定的な言葉を返す使用人。
うん、分かってたよ。
子供っぽい嫌がらせというかなんというか。
あ、子供なのか、マジで。
目の前の使用人も、まだ十二歳前後じゃないだろうか。
肩で切りそろえた明るい茶色の髪で、勝気そうな釣り目の子だけれど、まだまだ顔に幼さが残っている。
名前が思い出せないのは、使用人の事は基本的に『使用人共』とひとくくりにして覚える気が無かったからだ。
肉料理をもってこいと命令すれば簡単なんだろうけど、日本人の記憶を取り戻した俺はめっちゃ庶民。
あんまり、人に命令なんてしたくない。
仕方ない、肉料理は諦めますか。
諦めかけたその時、丁度ドアをノックする音が響いた。
入るように促すと、エルドールだった。
手には小型のワゴン。
彼がワゴンを押しながら部屋に入ってくると、とたんにいい匂いが漂い始めた。
「エルドール、それは……」
「若鶏のスープでございます」
エルドールは俺の側に控えていた使用人に下がるように命じると、俺の前に若鶏のスープを差し出した。
蓋を開けた瞬間、ふわりと湯気が立ち上り、食欲をそそる匂いに自然とほほが緩む。
若鶏のスープは、口に含むと柔らかくて、肉がほろほろと解けてゆく。
これなら肉でも胃への負担も少ないだろう。
でもなんでエルドールが?
「私の顔に、何かついていますか?」
食事の手を止めてまじまじと見つめる俺に、エルドールは無表情に返す。
「この料理、なんで持ってきてくれたのかと思って」
「祖父の手配です。……手違いで、ラングリース様のお食事が予定と違っていたようです」
大変申し訳ございませんとエルドールは頭を下げる。
なるほど、セバスチャンが料理の嫌がらせに気づいてくれたのか。
いや、彼の事だからむしろ以前から知っていたかな?
ただ俺の体調を考えて、しばらくの間は様子を見ていてくれたんじゃないだろうか。
そしてそろそろ、肉を出しても大丈夫だと判断してくれたとしたら、今後は野菜だけの料理にはならないだろう。
ほっとしていると、部屋の外から使用人達の甲高い笑い声が響いた。
――肉料理を希望されたわよ。
――ほんと肉好きよねぇ。
――肉がお好きだなんて、共食いかしら。
――豚が豚を食べているようよねぇ。
聞こえていることに気づいていないのだろうか。
そんなクスクスとした悪意が滲んだ笑い声だ。
うわー、これは子供には応えるな。
中身も本当に子供のままだったら、かなり胸に刺さるぞ、これ。
正直、今の俺はまるっきり気にもとめていないというか、苦笑程度なんだけれどね。
前世は、多分十六歳程度までは確実に生きているから。
小学生ぐらいの子供の悪口程度で、凹むのも怒るのもないよね。
嬉しくはないけどまぁ、放っておけばいいと思うんだ。
けれどエルドールの気配が剣呑なものに変わった。
「待って」
無表情のまま、冷たい気配だけを纏ったエルドールが扉に向かおうとするのを止めた。
「何故止めるのですか」
「特に気にしていないから。それにほら、これ、豚肉じゃなくて鶏肉だし。だから共食いじゃないよ」
「ですが」
「いいって。それよりも久しぶりの肉料理だしね。美味しく食べていたいんだ。エルドールのお陰で本当に美味しいよ。
それに本も。いつもいろいろありがとう」
「……私は運んだだけですから」
エルドールの無表情な顔が、ちょっとだけほころんだ。