26)閑話:貴方のそばに(ハドル=インペリアル=ウィンディリア王子視点)
ラングリースは、なぜ私を避けるのでしょうか。
同じクラスになったご令嬢達に囲まれ、笑顔を向けながら、私の気持ちはうわの空です。
ラングリースもフォルトゥーナ嬢も、お茶会で見かけることが本当に少ないのです。
そしてせっかく会えても、形式的な挨拶の他にかわす言葉もなく、二人は私から離れてしまうのです。
同じクラスになれたのですから、せめてラングリースとは親しくなりたいのですが……。
ご令嬢達は常に私に笑顔を向け、私の側にいようとします。
ですが、フォルトゥーナ嬢は違っていました。
目を惹く美貌とは裏腹に、控えめで、いつも優しい笑みを浮かべています。
誰に対しても、その優しさには裏表がありません。
どのご令嬢も、王子である私に向ける笑顔と、使用人に向ける表情は違っていたというのに。
……あの日、私はご令嬢達の裏の顔と、フォルトゥーナ嬢の真実を知ったのです。
◇◇
一年ほど前のことでした。
「婚約、ですか?」
父上の部屋に呼ばれて、私は俯きたくなりました。
兄上達も姉上も、既に婚約者がいます。
けれど私にはまだでした。
二番目の兄上が婚約したのが、私と同い年の時です。
ですから、私にそういった話が来ても、おかしくはありません。
でも……。
私は父上の話を聞きながら、あまり前向きな気持ちにはなれませんでした。
婚約が嫌だというわけではありません。
お茶会では、どのご令嬢もいつも笑顔を向けてくれます。
彼女達と過ごす時間はとても楽しく、きっとどのご令嬢と婚約する事になっても、私は幸せに過ごせるのでしょう。
ですが婚約者に選ぶのは一人だけです。
結婚後は第二婦人、第三婦人と妻として迎える事も出来ますが、婚約者はただ一人なのです。
優しく楽しいご令嬢達の中から、ただ一人を選ぶことが、私には出来ないのです。
皆と一緒にいたいと思うのは、私がまだ子供だからでしょうか。
正直に自分の気持ちを父上に話すと、父上は「ふむ……」と頷いて、顎鬚を撫でました。
そして父上はとんでもない提案をなされたのです。
私はその提案に驚きながらも、同時に、とてもわくわくとしてきました。
次のお茶会は丁度一週間後です。
私はいつものお茶会がより一層楽しみになりました。
◇◇
「キミ、グラスを運んで!」
「は、はいっ」
「それが終わったら料理を運んでっ」
「はいっ」
厨房の一人が私に早口でまくし立てます。
王子である私に、本来なら不敬です。
ですが今の私はいち使用人なのです。
婚約者を選べないと悩む私に、父上はこう、提案したのです。
「使用人を演じてみないか?」と。
王子である私に皆が笑顔を向けるのは当然の事なのだと。
だから気になるご令嬢がいるなら、立場を変えて見て見よと。
私はその言葉に従いました。
髪形を変えて茶色く染め、度のない眼鏡をかけ、真新しい使用人の服を着る。
たったこれだけの事で、誰も私が王子だと気づきません。
城に入りたての見習い使用人です。
王宮の小広間でお茶会は開催されています。
私は冷たい紅茶の注がれたグラスを、次々とテーブルに配ってゆきます。
使用人達は皆、いつも優雅に配っていましたが、自分でしてみると意外と大変です。
王子に戻ったら、使用人の皆にもっと感謝しなければいけませんね。
広間の壁際で、見知った声が聞こえました。
……ベルモット嬢?
ベルモット=オーディル公爵令嬢がいました。
さらりと流れる銀髪を耳よりも高い位置で二つに分けて結び、宝石をあしらった豪華な髪飾りを着けています。
周囲には彼女と仲の良いご令嬢達が集まり、あまり見かけないご令嬢を取り囲んでいるようです。
ベルモット嬢の声は、離れていても判るほどに尖っています。
いつも笑顔の彼女がどうしたのでしょう?
グラスを置く振りをして、私は彼女達の側に移動しました。
「男爵令嬢風情が王宮のお茶会に参加するなんて、ずいぶんと図々しいのではなくて?」
「あ、あのっ、わたくし……」
「あら、口答えなさるの? わたくしは許可した覚えはないのだけれど」
「口答えなど……」
……何かの間違いですよね?
私は自分の耳に聞こえてくるベルモット嬢の言葉に、息を飲みました。
責められている男爵令嬢は、何か粗相でもしてしまったのでしょうか。
そうでなければ、優しい彼女がこんなにもまなじりを吊り上げて責める筈が無いと思うのですが……。
「ダーミリア男爵令嬢は、随分変わったお召し物を着ていらっしゃるのね。平民の服かしら」
ベルモット嬢が心底可笑しそうに嗤い、周囲のご友人達も一斉に嗤います。
何がおかしいのでしょう。
理解できません。
ダーミリア男爵令嬢は、確かにあまり華やかないでたちではありません。
ですが王宮に来るのに相応しい装いです。
ベルモット嬢のような豪華な髪飾りはありませんが、丁寧に複雑に結われた髪を見ても、笑われるような姿ではないでしょう。
目に涙を溜めたダーミリア男爵令嬢は、嗤うベルモット嬢達から逃げるように小広間を出てゆきました。
一体、何が原因だったのでしょう。
王子である私の前で、ベルモット嬢があのような振る舞いをしたことはありません。
先日、粗相をした使用人にも、彼女は笑顔で対応していました。
ダーミリア男爵令嬢がよほどの事をしたのでしょうか。
いま見てしまった事を否定したくて、私は噂話に華を咲かせるご令嬢達の側を通り過ぎ、男爵令嬢に哀れみの眼を向ける子息達の話から真実を得ました。
……ベルモット嬢は、ヴァイマール家のご子息に好意を持っているのですね。
周囲の子息達の囁きで、ダーミリア男爵令嬢には何も非が無かったことを知りました。
ただ、アンディ=ヴァイマールに声をかけられたのを、ベルモット嬢に見られてしまっただけだと。
どうやらベルモット嬢はアンディに近づく女性を全て嫌悪しているようです。
唯一、彼女と渡り合えるのはシュレディ=パフェリア侯爵令嬢だとか。
身分的にはベルモット嬢が公爵家のご令嬢ということでシュレディ嬢よりも上ですが、シュレディ嬢はパフェリア侯爵の娘です。
パフェリア侯爵家のご令嬢とグレッド公爵家のご子息が婚約済みですし、オーディル公爵の第一婦人はパフェリア侯爵の妹です。
単純に身分だけの話でもないのでしょう。
「きゃっ!」
考え事をしていたせいでしょうか。
私は、グラスを持ったまま、ご令嬢にぶつかってしまいました。
「申し訳ございませ……っ!」
私がお詫びするより早く、左の頬に痛みが走りました。
扇で叩かれたのだと理解するまでに、数秒を要しました。
私を叩いたのは、リュディア=シャロン伯爵令嬢でした。
王宮で開かれるお茶会にはいつもいるご令嬢ですから、良く覚えています。
私の記憶の中の笑顔とは裏腹に、リュディア嬢は怒りに燃えた瞳で睨みつけてきます。
「この、平民! わたくしのドレスをどうしてくれますのっ?!」
見れば、リュディア嬢のドレスに小さな紅茶の染みが広がっています。
「申し訳ございません、すぐに拭きますっ」
布巾で拭おうとした私の手は、けれどリュディア嬢の扇に叩き落とされました。
「そんなもので汚れが落ちるはずがないでしょう?! もうそろそろハドル王子がいらっしゃるのに、これじゃ台無しだわ!」
叩かれた右手が赤く腫れています。
きっと、頬も腫れているのでしょう。
私を悪し様に罵るリュディア嬢からは、普段の笑顔は想像できません。
なおも私を扇で叩こうと手が振り上げられ、私はきつく目を閉じました。
…………?
いつまで経ってもこない痛みに、私はそっと目を開けました。
目の前では、リュディア嬢の腕を掴んでとめているシュレディ嬢がいました。
「シュ、シュレディ様、手を離してくださいませっ」
「離してもいいけれど、そろそろ王子がいらっしゃると貴方がいまご自分で仰ったのよ? それに気づいているかしら。貴方、注目の的よ」
シュレディ嬢の言葉に、リュディア嬢は周囲を見回し、かっと頬を染めました。
「ほら、その程度の染みでしたら、このコサージュで隠せるでしょう」
シュレディ嬢は身につけていたコサージュを外し、リュディア嬢に渡しました。
リュディア嬢がコサージュを服につけているとき、シュレディ嬢と目が合いました。
……ふっと微笑まれた気がします。
まさかと思いますが、王子だとばれてしまったのでしょうか。
私は二人から逃げるように、小広間を抜け出しました。
小広間を抜けて、中庭に出ると、涙がこみ上げてきました。
頬も手も痛みを訴えてきます。
けれどそれよりも何よりも、ご令嬢達の変貌振りが信じられませんでした。
私は、今まで彼女たちの何を見ていたのでしょう?
そろそろ王子に戻り、小広間に戻らねばなりません。
けれど、とてもそんな気分にはなれません。
笑顔で話せる自信もなくなりました。
婚約者選びなど、到底ありえないでしょう。
……部屋に戻ったら、執事に具合が悪いと伝え、休ませてもらいましょう。
涙を拭い、顔を上げると視線を感じました。
「怪我をしていらっしゃるのですか?」
こちらをじっと見つめてくるご令嬢は、よく覚えています。
艶やかな黒髪と、ピンクトルマリン色の瞳。
フォルトゥーナ=ジャックベリー嬢です。
お茶会でもあまり話さない彼女に、私の身体は強張りました。
なぜ公爵家のご令嬢がこんな所にいるのでしょうか。
「驚かせてしまったでしょうか……。ですがもしよかったら、こちらをお使いくださいませ」
彼女は私の頬と手に、治癒布を貼ってくれました。
「癒しの魔法ならすぐに治療できるのですけれど……」
ほんの少し、悲しげに彼女は目を伏せました。
『魔法を使えない公爵令嬢』
その噂は私も知っていました。
だから私は、慌てて頭を振りました。
「い、いえ、大丈夫です。治癒布のおかげで、痛みがどんどん取れていくようです」
これは本当です。
随分と性能の良い治癒布なのではないでしょうか。
「よかった……」
ふわりと。
心底嬉しそうに彼女は微笑みました。
使用人の、私に。
王子でない、ただの私に。
「……っ」
再び涙がこみ上げてきて、私はその場にうずくまりました。
フォルトゥーナ嬢は、そんな私の背中を擦ってくれました。
私が泣きやむまで、ずっと、ずっと……。
◇◇
あのお茶会の日から、私はフォルトゥーナ嬢のことを調べました。
主に、婚約者やそれに準ずるものについてです。
幸いな事に、まだ彼女には婚約者はいませんでした。
ですが……。
ご令嬢に囲まれる私を見て、明らかにほっとしているラングリースが目の端に写りました。
私は、ラングリースに何かしてしまったのでしょうか。
思い当たることがないのです。
フォルトゥーナ嬢は、ラングリースをとても慕っているそうです。
あの日、フォルトゥーナ嬢が中庭にいた理由は、後になって知りました。
魔法が使えないということは、蔑みの対象になるのです。
私の前では微笑んでいるご令嬢達は、ベルモット公爵令嬢のように裏の顔を持っているのでしょう。
公爵令嬢であるフォルトゥーナ嬢を面と向かって責めれる相手は限られていますが、そこかしこで囁かれる噂話は、聞いていて心地よいものではありませんから。
私が、彼女を守れたら……。
あの日、ずっと彼女が側にいてくれたように。
今度は私が彼女の側にいられたなら。
願う気持ちとは裏腹に、フォルトゥーナ嬢とはあの日以来ほとんど話すこともできず、兄のラングリースには避けられています。
私は、どうすればよいのでしょうか?
同じクラスになれたこの一年で、ラングリースと友達になることは出来るのでしょうか。
フォルトゥーナ嬢と、会えるのでしょうか。
私にかまう事無く進んでいくお茶会の日程に、私は曖昧に頷いて、そっと溜息をつきました。





