22)閑話:大好きなお兄さま(フォルトゥーナ視点)
閑話。
フォルトゥーナ視点です。
「ほら、フォルトゥーナ。少しでいいから、魔法を私に使ってみよう?」
ラングリースお兄さまが、自分の周囲に結界を張り巡らせてわたくしを促します。
ですが、今日も出来る気がしません。
お兄さまは熱が下がったばかりです。
今日は雪こそ降っていませんが、周囲にはまだ積もった雪が残っています。
わたくしもお兄様も暖かいコートを着込んでいますが、それでも心配です。
「フォルトゥーナ嬢。ラングリース様が難しいなら、私への攻撃でもかまいませんよ」
普段とはうって変わって口調の丁寧なライリーさまも、わたくしを促します。
わたくしがあまりにも魔法を扱えない為に、わざわざいらしてくれたのです。
とてもありがたいのですが、申し訳なさがこみ上げてきます。
わたくしは、お兄さまはもちろんの事、もう二度と誰もわたくしの魔法で傷つけたくはないのです。
きちんと扱えれば、魔法は怖いものなのではなく、みんなを幸せにするものだという事は知っています。
お兄さまの得意な治癒魔法などは、その代表格ではないでしょうか。
今日もアリアンヌがお皿を割って怪我をしてしまったのですが、丁度お兄さまが通りかかって即座に治してくれました。
わたくしは自分自身へは魔法を使う事ができても、人へは使えません。
アリアンヌはわたくし付きの使用人なのに、わたくしは彼女を癒してあげれないのです。
彼女は少し怪我をしやすいので、本来ならわたくしが癒しを使えさえすれば、すぐに痛みを取り除いてあげれますのに。
主人失格、ですね……。
「フォルトゥーナ、やっぱり、辛いかな?」
気がつくと、お兄さまがすぐ側でわたくしの顔を心配そうに覗き込んでいました。
いつの間にか、意識が散漫になっていたようです。
いけませんね。
お兄さまもライリーさまもわたくしの為に時間を割いてくださっているのに。
お兄さまにふるりと頭を振って、わたくしは意識を集中させます。
身体から、腕に。
腕から、指先へ。
指先に魔力を灯すように。
……あとは、魔力を、押し出せば。
けれどわたくしの指先は震え、魔力を放出できません。
またです。
どうしても、身体が言う事を聞いてくれません。
いえ、違いますね。
身体ではなく、わたくしの心が拒否しているのですね。
魔力を暴走させ、お兄さまをあんな目にあわせたのです。
もう一生、使えないのではないでしょうか……。
誰かをあんな風に傷つけるぐらいなら、それでも良いのかも知れません。
わたくしは、あの日、それだけの事をしてしまったのですから。
お兄さまが一生懸命わたくしを励ましてくれるので、口には出来ませんが。
……あの日。わたくしは、こんなにも優しいお兄さまを、嫌ってしまっていたのです……。
◇◇
わたくしの魔力が暴走した日。
その日は、朝から泣きじゃくるアリアンヌをなだめていました。
「わ、わたくしはっ、使用人でいたいのですぅうう~っ」
わたくしが貸してあげたハンカチを握り締め、アリアンヌは言い募ります。
どうやらまた、ラングリースお兄さまが意地悪をしたようです。
お兄さまは、わたくしにはいつも優しいのです。
優しいお兄さまが、大好きです。
ですが、なぜでしょう。
優しいお兄様は、使用人達には辛く当たるのです。
わたくし達の為に、一生懸命働いてくれている使用人達にです。
先日もアリアンヌはお兄さまに苛められていたようです。
わたくしや、従兄弟のライリー様が止めればその時はやめてくれるのですが、いない時はとても酷いようです。
「大丈夫ですよ、アリアンヌ。あなたはわたくし付きの使用人です。お兄さまの一存でやめさせることは出来ませんよ」
どうやら今日は、クビにするぞと脅かされたようですね。
アリアンヌは確かに使用人としては未熟です。
ですがとても香りの良い紅茶を淹れてくれるのです。
お爺様から教わったという彼女の紅茶は、とても落ち着きます。
「ここに座って。一緒に紅茶を飲みましょう? そうしたら、きっと落ちつくわ」
わたくしが勧めると、彼女もテーブルに着きました。
美味しい紅茶と、甘いお菓子があれば、少しは落ち着けるでしょう。
どうしてお兄さまは、使用人いびりなどをするのでしょう?
ましてや、アリアンヌのようにわたくしと変わらない子にまで。
アリアンヌはわたくしと同い年で、わたくし付きの使用人としてこの屋敷に上がりました。
わたくしは十二の月に生まれ、アリアンヌは四の月生まれなので、少しだけ彼女がお姉さんでしょうか。
ですがまだまだ見習いの子供です。
色々な事が上手くできなくて当たり前なのです。
そんな使用人をいじめるだなんて、わたくしには理解できません。
お兄さまは太っています。
使用人達がその事を悪く言っていても、わたくしは気にしていませんでした。
『見た目も中身もみにくい』
そんな心無い事を言う使用人に、思わずあんまりですと止めた事もあります。
ですがアリアンヌをいじめるお兄さまは、本当にひどいと思えるのです。
使用人達の言葉に、頷きたくなるほどに。
◇◇
「フォルトゥーナ様、本日は裏庭に参りましょう」
魔法教師のクレディル先生に連れられて、わたくしは裏庭に参りました。
普段の実技は中庭でしていたのですが、今日は珍しいです。
中庭と違って、裏庭はすぐ側に森が見えます。
春には花が咲き誇る森なのですが、今は雪が所々白く残っています。
わたくしはお兄さまと違って授業をサボったことはございません。
ですが、毎回同じ場所よりも、こうして場所を変えて取り組みますと、勉強がはかどる気がいたします。
でも、それがきっと、油断だったのでしょう。
――……魔力を……集中して……心の深遠を……――
クレディル先生の言葉を復唱していたはずなのです。
ですが……。
「お兄さまっ!」
何が起こったのか。
気がつくとわたくしはお兄さまに抱きしめられていました。
わたくしの身体から、黒い影が蛇のようにうねって溢れています。
そしてお兄さまの身体の中に黒い影が次々と突き刺さり、次の瞬間、お兄さまの中から別の黒い影が弾かれるように飛び出しました。
「チッ!」
クレディル先生が、舌打ちして何か呪文を唱えました。
小さく、「失敗かっ」と呟かれた気がします。
普段の温和で優しい先生とは思えない、鬼のような形相で。
わたくしの身体の中を、魔力が暴れているのが分かりました。
いつも慣れ親しんだ感覚とはかけ離れた、乱暴な力です。
黒い影の蛇に引きずられるように、交じり合うかのように、わたくしの魔力は外へ溢れてゆきました。
クレディル先生が次々と黒い影を押し留め、消してゆきます。
お兄さまの身体から抜け出た黒い影も。
凄まじい勢いでうねり狂っていた黒い影を全て消し去ると、クレディル先生は振り返りました。
「眠りなさい」
先生の一言で、意識の無いお兄さまに抱きしめられたまま、わたくしの意識も眠りに落ちてゆきました。
◇◇
「フォルトゥーナ嬢。今日は実技はやめて、筆記に切り替えては如何でしょう?」
「疲れちゃったかな? 無理をさせているよね。ごめんね、フォルトゥーナ」
クレディル先生とジョシュア先生もライリーさまの意見に賛成のようですね。
今日の実技は、ここまでです。
お二人の先生は、怒る事もせず、張り巡らしていた結界を解き、わたくし達を屋敷へ促します。
ジョシュア先生は厳しいですが、無理はさせない先生です。
そしてクレディル先生は、いつも通り優しい笑みを浮かべています。
あの日、クレディル先生が恐ろしかったのは、緊急事態でわたくしの魔力の暴走をお一人で全て押し留めたから。
わたくしを眠らせたのは、暴走している魔力を落ち着かせるためでした。
クレディル先生がいらっしゃらなかったら、お兄さまの命は無かったそうです。
……ずっと、思っていることがあるのです。
魔力が暴走したのは。
わたくしが、お兄さまを嫌ったからではないですか……?
あの日、わたくしは確かにお兄さまを嫌ったのです。
いつだってわたくしに優しかったのに。
お兄さまをほんの少し、疎んじる気持ちが、お兄さまへ魔力を暴走させてしまったのではないでしょうか……?
魔力が暴走したのは、お兄さまがわたくしの意識を逸らしたからだと皆はいいます。
だから、わたくしは気にしなくてよいのだと。
でもわたくしは思ってしまうのです。
暴走した魔力は、クレディル先生でもわたくし自身でもなく、お兄さまに向かっていったのですから。
「フォルトゥーナ、大丈夫?」
お兄さまがまた顔を覗き込んでいました。
周囲に雪があるせいか、今日は意識があの日に向かいやすいようです。
「お兄さま」
「ん?」
わたくしはお兄さまに、ぎゅうっと抱きつきました。
ぽんぽんと、背中をさすってくれるお兄さま。
ごめんなさい、大好きです……。