20)魔法の授業
シュレディ=パフェリア侯爵令嬢とベルモット=オーディル公爵令嬢は、やはりこちらの予想通りヴァイマール家に難癖をつけてくることはなかった。
まぁ、ジャックベリー公爵家の令嬢であるフォルトゥーナを詰ってたからね、あの二人。
オーディル公爵家とジャックベリー公爵家は同格だけれど、微妙にジャックベリー家のほうが力を持っていたりする。
ジャックベリー家と、わざわざ事を荒立てたくは無いよね。
アンディと婚約したくなる年齢のご令嬢ということは、ハドル=インペリアル=ウィンディリア王子と丁度釣り合うご年齢という事になる。
伯爵家の三男坊であるアンディの婚約者に家の力を使って捻じ込むより、ハドル王子への婚約を整えたくなるのが親側の気持ちだと思う。
特にパフェリア侯爵は野心家らしい。
軍事を担うグレッド公爵家と懇意で、パフェリア侯爵家の長女とグレッド公爵家の次男が婚約済みだとか。
まぁ、子供の俺が知りえている情報なんて些細な噂話程度だから、情報の真偽は定かじゃないけどね。
そんなわけで、ライリーがご令嬢をひっぱたいてしまった件は何事もなく忘れ去られ、俺は今、フォルトゥーナと共に魔法の授業を受けている。
公爵家の広々とした中庭で、俺とフォルトゥーナ、そしてクレディル先生とジョシュア先生が向かい合っている。
「では、ラングリース様、フォルトゥーナ様、初歩的な魔法を発動してみましょうか。まずは、自分自身の魔力を感じてみるのです」
クレディル先生が、重そうな魔法の教科書を開く。
今日はジョシュア先生は補助的役割で、中庭の周辺に結界を張り巡らせている。
まかり間違って魔力が暴走しても、結界に当たって止まるようにだ。
俺はクレディル先生に言われた通りに魔力を感じてみる。
身体のどこか、気持ち的なものかもしれないけれど、魔力がたっぷりと満ちているのが分かる。
こう、体力と同じで、目に見えるわけではないけれど、感じる事が出来るのだ。
フォルトゥーナもきちんと感じる事が出来るようで、ここまでは問題なし。
「次に、魔法を使ってみましょう。まずは、自分自身へ。そうですな、髪の色を変える変化の術をしてみましょうぞ」
うっ、俺の苦手な変化系。
だがしかし、苦手だなんだといっていられない。
出来ないわけではないのだから。
「髪の色すべてを変える必要はないですぞ。一房で良いです。おぉ、フォルトゥーナ様、見事な色の変化ですな」
フォルトゥーナは漆黒の髪を母上と同じ淡く薄い茶色の髪に色を変えた。
神に祈ることも無く、髪をすべてごく自然に。
俺の場合は、最初に教わったイメージ方法が神様の名前にちなんだ形だったから、神様の名前を口にする事が多い。
本当は、魔法を具体的にイメージ出来るなら、神様の名前でなくとも大丈夫なんだけれどね。
ライリーなんて、瞬時に氷を出現させれるから。
俺も咄嗟の時は詠唱無しで魔法を発動させるけど、やはりきちんと詠唱したほうが効果が高い。
苦手な魔法なら特にだ。
ちなみにライリーが氷を瞬時にイメージできるのは、雪に埋もれた事があったせいだとか。
笑い話にしていたけれど、一歩間違うと大事である。
俺は髪の毛を一房軽く摘まんで、呪文を唱える。
「美の女神リプアの眷族にして変化を司る神アンデランゲよ、我が姿を一時の偽りを持って変化させよ……エントキャンビア」
摘まんでいた一房が、黒髪からピンクがかった茶色に変化した。
フォルトゥーナを見ていたから、彼女の瞳の色のイメージもついてピンク系になってしまったらしい。
本当は、もっとしっかり茶系にするつもりだったんだけれどね。
まぁ、言わなければ、バレないバレない。
「次は、ラングリース様の得意な結界を作ってみましょうか。ご自身の前に、空気と魔力を練り上げて、何をも防ぐ強固な壁をイメージしてみてると良いですぞ」
これは簡単。
俺は片手を前に差し出し、イメージする。
魔鉱山で咄嗟に使ったせいか、厚みのある幾何学模様的結界が出現した。
フォルトゥーナも結界を生み出す。
彼女の結界は魔方陣を空気に織り込んだような美しい絵を刻む。
ずっと見ていたくなるような、繊細で丁寧な結界だ。
変化の術や基本的な防御魔法を一通り試し、そして治癒魔法。
治癒魔法はいきなりここで怪我をするわけもないし、ナイフで傷を自分でつけるのもあんまりなので、魔法の詠唱が出来るかどうかを試す。
「……癒しの神ラングベハンドよ、我にその力の欠片を貸し与えたまえ……レキュメントリー」
どこも怪我をしていないので何も治らないけれど、俺の指先に一瞬青い光が灯って消えた。
次いでフォルトゥーナの指先にも青い光が灯って消え去った。
うん、フォルトゥーナはちゃんと魔法が使えているよ。
「うむ、お二人ともお見事ですな。では次に、魔法を自分以外に使ってみましょう」
フォルトゥーナがこくりと息を飲む。
ここからが本番だね。
「フォルトゥーナ、ゆっくり、私の手に風を当ててみよう?」
結界を張りなおし、フォルトゥーナを促す。
俺への魔力暴走が原因で魔法を他者に対して上手く扱えなくなっているなら、俺に対して扱えるようになれば全部上手くいくんじゃないだろうか。
クレディル先生とジョシュア先生、そして俺が見守る中で、フォルトゥーナは呼吸を整える。
ピンクトルマリン色の瞳が、不安げに揺れる。
俺はもう結界を張っているから、フォルトゥーナが全力で攻撃魔法を繰り出しても抑えれる自信がある。
大丈夫だよと励ますように笑いかけると、フォルトゥーナがこくりと頷いた。
小さく、歌うように魔法を唱える。
フォルトゥーナの繊細な指先に、風の渦が踊る。
そう、後はその風を、俺に向けて送ってくれればいい。
フォルトゥーナの指先の風が、ふわり、ふわりと不安げに揺らぐ。
ピンクトルマリン色の瞳が同じように不安げに揺れた。
「……っ!」
苦しげに顔を歪め、フォルトゥーナの指先から風が霧散した。
慌てて結界を解いて彼女を抱きしめて、背中をさする。
フォルトゥーナの心臓が、鼓動を激しくしているのが伝わってくる。
「ごめんなさい、お兄さま……」
額に汗を滲ませ、泣きそうなフォルトゥーナに俺は首を振る。
フォルトゥーナは何も悪くない。
「ふむ……。フォルトゥーナ様はやはり魔法を扱うこと自体は出来ていらっしゃる。あとは、何かのきっかけさえあれば、以前のように容易に使う事が出来るでしょうな」
クレディル先生の言うように、魔力が暴走する前は、攻撃魔法も使えていたんだ。
詠唱することなく、指先に炎を、水を、風を、光を。
次々と灯してくるくると回し、それを先生に向かって送ることも出来ていた。
図書室の窓から見ていたからね。
俺よりも魔法をはるかに上手に扱えるのだ、本来なら。
ジョシュア先生もクレディル先生の言葉に頷き、周囲の結界を解いた。
「無理に他者に対して魔法を使う必要性はありません。自分自身を守る事が出来るのですから、十分でしょう」
確かにそうだ。
フォルトゥーナは防御系は扱えるし、治癒も、自分自身になら使える筈だ。
ただ、他者に対して何も出来ないだけで。
俺達は基本的に護衛に守られる立場だから、王立騎士団に入団希望でもなければ攻撃魔法は使えなくとも問題は無いのだ。
使えないと、この間のお茶会のような勘違い令嬢に馬鹿にされるだけで。
……ウィンディリア王立学園入学前までには、何とかしないと。
問題は無いけれど、見下されるのは大問題。
主に俺の勝手な気持ちだけど、フォルトゥーナが悲しい思いをするのは絶対に嫌だから。
このまま他者に魔法が使えないままだと、フォルトゥーナは間違いなく辛い学園生活を送ることになるだろう。
フォルトゥーナは綺麗だからね。
家柄も美貌も知性も品位も何もかも備えたフォルトゥーナに、嫉妬に狂った令嬢達が唯一見つけた弱点を狙わないとは思えない。
アンディ狙いの子達もそうだけれど、ハドル王子狙いのご令嬢とかね。
公爵家のフォルトゥーナを追い落とせれば、強敵を一人消せる。
フォルトゥーナの震える指先をぎゅっと握り締める。
「ゆっくり、やっていこう? 私は何度でも練習に付き合うからね」
涙目のフォルトゥーナがこくりと頷いた。