18)母上とお茶会
華やかな王宮の広間の中心に、フォルトゥーナとハドル=インペリアル=ウィンディリア王子が向かい合っている。
王子の隣には金髪の少女が佇んでいた。
ここからでは顔は見えないけれど、『宝石のように煌いて』のヒロインに違いない。
幼い頃から美しさを秘めたフォルトゥーナは、十五歳になった今、より一層その美しさを際立たせていた。
艶やかな黒髪はさらりと流れ、シャンデリアの光を反射して煌き、雪のように白い肌は滑らか。
けれどピンクトルマリン色の瞳は、心の底までも凍りつきそうなほどに冷たい。
黒髪のフォルトゥーナと金髪のヒロインが向かい合うと、まるで光と闇のようだ。
招かれた客達は三人を取り囲むように遠巻きに見つめ、ひそひそと扇子の影でざわめく。
「フォルトゥーナ=ジャックベリー。私は、お前との婚約を破棄する!」
金髪の少女を庇うように、ハドル王子はフォルトゥーナを睨みつける。
けれどフォルトゥーナは動じない。
ぱちりと扇子を閉じ、悠然と微笑む。
その微笑みにハドル王子も、周囲の人間も息を飲んだ。
『フォルトゥーナ!』
俺は精一杯叫ぶ。
けれど声が出ない。
ここから、動く事もできない。
目の前で妹の断罪イベントが起こっているのに、俺は何も出来ない。
ただ、見ていることしか出来なかった。
フォルトゥーナが何かをいっているのに、聞こえない。
ハドル王子の声も。
けれどこれが最悪のルートだということだけは何故か分かった。
「この私の最愛の者を手にかけようとしただけでなく、ウィンディリア国王までをも亡き者としようとし、王国を混沌に導こうとしたお前を、私は決して許しはしない。
フォルトゥーナ=ジャックベリー……お前を、宝石の刑に処す!」
破滅を突きつけられても、フォルトゥーナは動じなかった。
『逃げて!』
無駄だと知りつつも、俺は叫んだ。
逃げれるはずが無い。
わかってる。
けれど妹を失いたくなかった。
フォルトゥーナの身体が、瞳と同じ宝石に変わってゆく。
嫣然と微笑む姿のまま、フォルトゥーナは宝石に変えられ、砕け散る。
そしていつからそこにいたのか、父上と母上までもが宝石に変わってゆく。
父上の断末魔の叫びが広間に響き渡る。
兄上達までも宝石に変えられた。
砕け散った宝石がきらきらと広間に降り注ぐ。
ダイヤモンドダストのように美しいその光景は、けれど俺には絶望しかもたらさない。
「ラングリース様……っ」
エルドール!
俺を呼ぶエルドールが目の前にいる。
すらりと背が伸び、美少年から美青年に成長した彼。
昔のままに、俺に仕え続けてくれた彼には、今この場にいたとしても何の罪も無いはずだ。
けれど俺は動けない。
声が出ない。
ハドル王子がエルドールを指差す。
まさかエルドールまで?
なぜ?
やめてくれ!!
俺の叫びは決して届かず、宝石に変えられたエルドールが目の前で粉々に砕け散った。
「ラングリース様っ!」
誰かにぐっと手を握られていた。
何が起こったのか一瞬、わからなかった。
良く見知った天蓋が見える。
「ここは…………」
「随分と、うなされておいででした」
身体を起こした俺の背を、エルドールがさする。
俺の部屋だ。
夢だ。
今のは、ただの夢だ。
でも動悸が止まらない。
背中が嫌な汗で濡れていた。
呼吸がある程度整うと、エルドールが急ぎ冷たい水と着替えを持ってきてくれた。
大丈夫。
俺はまだ子供だ。
破滅が訪れるゲーム開始年齢はヒロインが十五歳の時、つまり俺が十六歳の時だ。
まだ時間はあるはずだ。
でも……。
「まだ、お苦しいですか?」
「いや、大丈夫だ」
エルドールまでをも巻き込まれる破滅の未来が待っていたら?
今出来ることを一個一個やっているつもりだったし、フォルトゥーナが悪役令嬢にさえならなければ大丈夫だと思っていた。
そしてフォルトゥーナはいまの所、性格の悪い悪役令嬢とは真逆の、本当に優しい女の子だから、どこか安心もしていた。
まかり間違って高飛車な雰囲気が出たら、すぐに俺が気づけると思ったし。
いつもフォルトゥーナが俺の側に来てくれるし、俺も彼女の側にいるしね。
フォルトゥーナの破滅に一番影響のあるハドル王子には近づかないよう、それとなく言った事もある。
公爵家の令嬢なのだから、歳の近いハドル王子との婚約話だって、その内起きてしまうかもしれない。
けれど妹がはっきりと断れば、妹を溺愛している両親が無理に婚約させることは無いだろうから。
ジャックベリー公爵家は魔鉱山持ちだからね。
権力にもお金にも困っていない。
だから妹がハドル王子に心惹かれたりしなければ、婚約は避けれるはずなのだ。
それと、これはあまり喜んではいけないことだけれど、フォルトゥーナは魔法が苦手だ。
ゲーム内の悪役令嬢たるフォルトゥーナは魔術に長け、それもあって『漆黒の魔女』『常闇の悪魔』などというあだ名がつけられもしていた。
魔法が苦手な今のフォルトゥーナなら、そんなあだ名は決してつけられないと思う。
王子の婚約者としても、魔法を操れることはほぼ必須だ。
ウィンディリア王国は、隣国のモンエダイン王国と犬猿の仲だから。
魔獣を操り、闇の魔法すらも手にする彼らと今後も同等に渡り合うためにも、王家には強い魔力が求められていると聞く。
ジャックベリー公爵家以外の公爵家にも王子と釣り合いの取れる年齢のご令嬢はいるし、侯爵家、伯爵家にもいるだろう。
婚約さえしなければ妹の自殺ルートと、宝石刑のルートは避けれるだろうと思っている。
俺がハドル王子の事を尋ねたとき、フォルトゥーナは困った顔をしていた。
どちらかというとなぜか王家に苦手意識を持っているようだったから、いまの所はフォルトゥーナがハドル王子に惹かれてしまうことは無いと思う。
けれどもっときっちり、破滅の未来を潰すべく、色々調べたりしないといけないのかもしれない。
……夢の中とはいえ、砕け散るみんなの姿は、二度と見たくはないから。
◇◇
「ラングリース様、リーベアズネイ様がいらっしゃいました」
「母上が?」
「はい」
珍しい。
母上はいつも自室に篭って編み物をしているのに。
使用人と共に現れた母上は、今日もお美しい。
細かなレースの刺繍が施されたドレスは華やかながらも派手すぎず、柔らかな印象を引き立てる。
「突然来てしまって、ごめんなさいね」
おっとりと微笑む母上は、フォルトゥーナに良く似ていると思う。
淡い色合いの癖っ毛はライリーを髣髴とさせるけれど、ピンクトルマリン色の瞳や仕草、顔立ちはフォルトゥーナだ。
エルドールがエラリ産の紅茶を淹れる。
独特の渋みとほんのりとした甘さが母上の好みで、何も言わずともその紅茶を選んだエルドールに、母上は嬉しそうに目を細めた。
「実は、貴方に相談したい事があるの」
「私にですか」
「ええ。兄妹の中でフォルトゥーナと一番仲が良いのは、ラングリース、貴方でしょう?」
「それは、そうですね」
長男のオリバート兄上は隣国と接した小領地を治めていて、年に数度、この屋敷に顔を出す程度だ。
次男のルパート兄上は、ウィンディリア王立学園の寮に住んでいて、やはり屋敷へ戻るのは年に数回。
この状態だと、兄妹で一番仲が良いのは俺以外にありえない。
オリバート兄上も、ルパート兄上も、屋敷に来た時は俺の事もフォルトゥーナの事もとても可愛がってくれるから、一緒に住んでいたら常に四人で過ごしていそうなんだけれどね。
……なのになぜか、以前の俺は兄上達にも両親にも嫌われていると思い込んでいたんだけれどね。
目の前の優しい母上に対しても、拒絶反応を示していた気がする。
反抗期だったのだろうか。
「フォルトゥーナが魔法を上手く扱えないことは、知っているかしら……?」
「実技が苦手だと聞いています」
「えぇ、そうなの。あの子は、筆記は出来ているの。教えられた呪文は全て暗記していると思うわ」
「聡明ですからね」
フォルトゥーナはあの歳の子供にしては、賢すぎるぐらいだと思う。
公爵家という家柄的に家庭教師が何人もついている状態ではあるけれど、どんなに教師がついていても、本人にやる気がなければ身につかないはず。
フォルトゥーナが賢いのは、彼女の努力の賜物だ。
「フォルトゥーナが魔法を上手く扱えない理由は、聞いていて?」
「扱えない理由? いえ、存じません」
フォルトゥーナが魔力を暴走させてから、彼女の魔法の授業は、常に二人の魔法教師がついて指導するようになった。
基本的にはもともとフォルトゥーナの魔法教師だったクレディル先生と、俺の魔法教師であるジョシュア先生だ。
そしてお二人のうちどちらかが授業に出られないときは、決して実技の授業はしないことになっている。
授業の進みが著しく遅れている場合は、予め魔導師ギルドに連絡を入れて、代わりの魔法教師が派遣される。
先日、アリアンヌの家に行く代わりにフォルトゥーナは実技の授業を多めにさせられたはずだけれど、ジョシュア先生とクレディル先生の二人で教えていたはずだ。
けれど授業内容が俺とフォルトゥーナでは違うので、一緒に授業を受けているわけではないから、彼女の実技の進み具合はいまいち俺には把握できていない。
「魔法をまったく使えないわけではないの。自分自身への魔法なら、きちんと使えているの。ただ……」
「ただ?」
「魔法を人へ使う事ができないようなの」
母上がそっと、目を伏せる。
……もしかして、それは俺のせいか?
フォルトゥーナの魔力暴走で、俺が生死の境を彷徨ったから。
けれどもう一年近く前のことだ。
俺はこの通り、前世も思い出して元気いっぱいだし、そもそも俺がフォルトゥーナの魔法詠唱中に意識を逸らせてしまったのが原因だ。
フォルトゥーナが気にする事なんて何一つ無い。
でもフォルトゥーナは優しいから、気に病んでしまったんだろうな……。
「ラングリースさえ良ければ、あの子と一緒に魔法の授業を受けてもらえないかしら。貴方は、実技も出来ているでしょう?」
「治癒系なら出来ますね」
治癒と防御、結界系などは得意だけれど、変化系や攻撃系はからっきしだ。
出来ないわけではなくなったけれど、発動までに恐ろしく時間がかかるし、効果もしょぼい。
息をするように容易に使える様になった治癒魔法とは雲泥の差だ。
「えぇ、治癒系でいいと思うの。あの子の前で、魔法を見せてあげてはもらえないかしら。このまま魔法が扱えないと、学園への入学も不安でしょう?」
たぶん、俺が魔法を扱える事を見せる事で、フォルトゥーナのトラウマを何とかしたいんだよね?
でも、俺としては、フォルトゥーナには魔法をあまり扱えるようになって欲しくない。
我が侭だとは思う。
俺のせいでフォルトゥーナが悩んでいるのなら、何とかしてあげたいとも思う。
けれど、フォルトゥーナが魔法を上手く使えないというのは、破滅の未来を回避する手段として、かなり有利になる。
辛い思いは少しだってさせたくないけれど、宝石刑になるよりはずっといい。
「母上、少し考えさせてください」
「まぁ……」
母上は意外だというように瞳を少し見開く。
破滅の未来さえ知らなければ、俺は一も二も無く了解しただろうからね。
「フォルトゥーナの為に授業を一緒に受けることは問題ありません。ですが、余計彼女を追い詰める事になりはしませんか?」
「追い詰める……?」
「家族の中で自分だけが上手く魔法を扱えないと、焦らせてしまうのではないでしょうか。
ウィンディリア王立学園への入学は魔法の良し悪しだけで決まるものではありません。
学力も大きくかかわっています。
フォルトゥーナが苦手なのは実技のみで、他の教科に至ってはまったく問題が無いどころか非常に優秀だと聞いています。
自分自身へ魔法を使えているのなら、入学できない事はまずありませんし、もう少し、様子を見てみるのはどうでしょうか」
「そう……」
母上の瞳が翳る。
ごめん、母上。ご期待に添えなくて。
でも最終的に、フォルトゥーナの為なんです。
彼女を救う為なら、俺は冷たい兄にもなるよ。
そして空気をぶった切る事も辞さないよ。
「母上。母上は父上を愛しておられますか?」
「ま、まぁ、ラングリース、いきなり、何を言いますの?」
あまりに唐突な質問に、母上は扇子を落としかけた。
「最近、ご一緒にいるのをあまりお見かけしていなかったものですから」
破滅の未来のとあるルートで、母上が浮気して公爵家を出ていく事があるのだ。
最愛の母上に捨てられた父上は、もともとあったコンプレックスをさらに拗らせて捻くれて、王家に対して不正に走る。
でも公爵家を裏切って飛び出して、母上の実家の伯爵家も、浮気相手(?)のどこかの誰かも、本来なら無事で済むとは思えないんだけれどね。
その辺はきっとゲーム補正だったり、父上が母上を愛しすぎていて報復しなかったとかなんだろう。
「エンガルド様とは、そうね、最近余り一緒にいられないわね。どうしてもお仕事が忙しいみたいで……」
「フォルトゥーナの事は私に任せてください。母上は、父上のいる王都のお屋敷へ行ってみては如何でしょうか」
高速魔導馬車で行けば王都まではすぐとはいえ、最近、父上は屋敷に戻れない日々が続いている。
王都にも別邸がきちんとあるので、そちらで過ごしているのだけれど、最愛の母上に会えれば疲れも吹き飛ぶだろう。
母上と父上が出来るだけ一緒にいれば、浮気ルートの破滅系も潰せそうな気がするしね。
だって目の前の母上は戸惑いつつも、頬を赤らめて嬉しそうだし。
ゲームの設定では伯爵家の母上を公爵家の力を使って強引に妻に迎えたとされていた。
けれどそれだと、子供が四人もいる事に違和感があるし、それになにより母上が父上を見る目はとても愛おしそうなのだ。
華やかな場が苦手で、最低限の社交にとどめて部屋でゆったりと過ごしている母上が、浮気をするとも到底思えない。
何か事が起こるとしたら、父上が何かの事情で側にいない時じゃないのかと思う。
だから、母上には父上と出来るだけ一緒にいて欲しい。
父上といる事を強く勧める俺に「そ、そうね、考えて見ますわ」と母上は頬を赤らめて部屋を出て行った。
うん、これで破滅ルート一個、消せたかな?