17)アリアンヌのおばあ様
ジョシュア先生の魔法講座にぐったりとしつつ。
エルドールとライリー、そしてトリアンも連れてジャックベリー家に戻ると、フォルトゥーナが優雅に、けれど明らかに急いで出迎えてくれた。
高速魔導馬車から降りる俺達を待ちきれない様子のフォルトゥーナは、とても焦っているようだ。
普段は母上に似て、どちらかというとおっとりとしているのに。
「フォルトゥーナ、随分慌てているね?」
俺達のお忍びの事は、フォルトゥーナは知らないはずだ。
彼女の中で、俺はライリーの家に泊まりに行った事になっているはずだし、エルドールはその後ライリーの家に来た設定だ。
ライリーの弟のアンディ=ヴァイマールにはエルドールが既に連絡を入れていて、今日には帰宅する事を告げてある。
ジョシュア先生を呼ぶ時も内密に手配していたようだし、フォルトゥーナが心配するような事は何も無いはずなんだけれど。
「お兄さま、アリアンヌは一緒ではありませんか?」
「アリアンヌ? いや、一緒ではないよ。彼女を連れては行けないだろう」
アリアンヌはフォルトゥーナ付きの使用人だ。
俺が連れ歩くはずが無い。
「まさか行方不明なのか?」
「えっ」
馬車から降りてきたライリーの言葉にハッとする。
そうだ。
側にいつもいるはずのアリアンヌがいないから、フォルトゥーナは焦ってるんだ。
「今日はずっと見かけませんの。連絡もなく休んだ事など一度もありませんのに……」
「家に連絡は?」
「わたくし、アリアンヌの家を存じませんの。ジャックベリー家の近くだと聞いたことはあるのですけれども。探しに行こうとしたら、止められてしまいましたわ」
「そりゃそうだろ。場所がどこかも分からないのに探しに行くなんて誰だって止めるさ。無謀すぎ」
「ライリー、フォルトゥーナは本当に心配しているんだ。そんなはっきり言わないであげて」
ライリーに言い切られて、フォルトゥーナがしょんぼりしているので慌てて止める。
俺もフォルトゥーナがしようとしたことは無謀だと思うけれど、気持ちは分かるしね。
エルドールが何の連絡もなく急にいなくなったら俺だって探しに飛び出すよ。
「アリアンヌの家なら、私が存じております。様子を見てまいりましょうか」
エルドールがスッと進み出て、俺に確認を取る。
さすがエルドール。
使用人の住所は全て把握済みか。
「あぁ、私も行こう。アリアンヌが心配だしね」
「ということはこのまま馬車で行ってしまえば早いんじゃね?」
「お兄さま、ライリー様、馬車で行かれるのでしたら、わたくしも連れて行ってくださいませ」
「フォルトゥーナ嬢が一緒に行くのは難しいだろ?」
「どうだろう……。ジョシュア先生、同行していただけますか?」
ジャックベリー家のお膝もとのジャックベリーの街で、私達に手出しをしてくる輩は少ないだろうけれど、護衛の数が少ないのは危険だ。
俺達は誘拐されかけたばかりだし、フォルトゥーナは身を守る術を持たないし。
フォルトゥーナが涙目でジョシュア先生を見上げる。
ピンクトルマリン色の瞳に見つめられたジョシュア先生は、ふっと微笑んだ。
「魔法授業三時間割り増しで手を打ちましょう。フォルトゥーナ様は勉学はお出来になるのに、実技は苦手なご様子ですから」
「はい、わたくし、精一杯努力いたします。ですから、アリアンヌのところへ、わたくしも連れて行ってくださいませ」
ライリーがすぐに馬車に乗り込み、フォルトゥーナに手を差し出す。
エルドールはフォルトゥーナ付きの使用人に何か指示を出した後、一緒に馬車に乗り込んだ。
アリアンヌの家は、聞いていた通りジャックベリー家から近く、南に少し馬車を走らせればすぐに着いた。
大通りに馬車を止め、脇道に入る。
「こちらです」
エルドールに案内されたアリアンヌの家は、意外な事に一軒家だった。
お婆様と二人暮らしだと聞いていたから、なんとなく、集合住宅を思い浮かべていたのだ。
エルドールがドアベルを鳴らす。
「誰もいないのでしょうか」
二度ほど鳴らしても誰も出てこない。
留守だろうか。
けれど中から何かを割る音が聞こえた。
「人はいるみたいだけれど、忙しいのかな」
「割れたのはお皿でしょうか」
「うーん、ちょっと覗いてみるか」
「おい、ライリー」
止める間もなく、ライリーは庭に入って窓を覗き込む。
軽い悲鳴が聞こえて、窓が思いっきり内側から開かれてライリーがしたたか鼻を打った。
「痛ってぇっ、いきなり開けんなよ!」
「ももも、もうしわけありません~~~~~~~~っ」
窓から身を乗り出して、アリアンヌが蹲るライリーに必死に謝る。
いや、アリアンヌは悪くない。
いきなり窓の外に人がいたら普通叫ぶし驚くし、思わず勢い良く窓開けちゃう事だってあるあるだ。
……いや、無いか?
ま、まぁ。
とりあえずアリアンヌは無事で良かった。
「ららら、ラングリース様、それにフォルトゥーナ様まで、どうしてーーーーーー?!」
あ、俺達にいま気づいたのね。
そんな絶叫しなくても。
道行く人が怪訝な顔で見ているよ?
むしろライリーだけが訪れたらその方が怖くないか?
俺達がいるほうが自然だと思うんだけど。
そう思っていたら、不意にエルドールに腕を引かれてドアの前から横にずらされた。
直後に勢い良く内側から開くドア。
「ららら、ラングリース様、みなさま、どうなさったのですか……はわわわわわわっ?!」
ペリドット色の瞳がぐるぐる回りそうな勢いのアリアンヌは、勢いつきすぎてそのままドアから外にぶっ飛んできた。
すかさずジョシュア先生が抱き止める。
あのままドアの前にいたら、俺は間違いなくドアに顔をぶつけていたし、今頃アリアンヌの下敷きだったね、うん。
さすがエルドール、みんなの行動をよく分かってる。
「すみませんすみません、すみません~っ」
わったわったと慌てながら、アリアンヌはジョシュア先生から離れて頭を下げる。
あぁ、こんなにあわてんぼうで不幸属性なのに、なぜ公爵家に勤められたんだろう?
しかもフォルトゥーナ付き。
年齢が一緒だからかもしれないけれど、その内ジャックベリー家七不思議にでもなりそうだ。
「とりあえず、中に入れて頂いてもよろしいですか? ここでは目立ち過ぎています」
ジョシュア先生がほんの少し瞳に困惑を浮かべて、アリアンヌを促す。
目立つのは何もアリアンヌが騒いでいるせいだけじゃない。
フォルトゥーナだ。
愁いを帯びていてもその容貌が翳ることはなく、美しさと愛らしさを併せ持つ彼女は人の目を惹きつけてやまない。
毎日見慣れている俺でも時折はっと見惚れてしまうのだから、彼女を初めて見た人々が立ち止まって固まってしまうのも無理はない。
けれどフォルトゥーナはそんな目線には気づかずに、アリアンヌを見つめてほっとしているのが分かる。
アリアンヌが中に入れてくれたので、「無事で良かったね」とフォルトゥーナの耳元で呟くと、ピンクトルマリン色の瞳を嬉しそうに細めてこくりと頷いた。
「椅子が足りてよかったのです~」
アリアンヌが俺達に椅子を勧めて、紅茶を用意する。
もちろん、俺は立ってるけどね?
丁寧に作られた木の椅子は、平民が使うにはお洒落な彫刻が刻まれているけれど、耐久力はそれほど無さそうだからね。
あぁ、ライリー。
ここでも笑うのか。
懸命に噴出すのをこらえているけれど分かるぞ。
「ラングリース様は、こちらに座っていただきたいのです~」
んしょ、んしょと、アリアンヌが隣の部屋から何やら大きなものを運んでこようとする。
ソファーか?
「いや、待てアリアンヌ。それは、ベッドじゃないか?」
「はい~。これなら、ラングリース様も座れるとおもうのです」
ぶっと堪えきれなくなったライリーが吹いた。
トリアンもジョシュア先生も絶句しているし。
「そうですわね。それでしたら、お兄さまも座れますわ」
いや、フォルトゥーナ何言ってるの。
おっとり微笑んでいるけれど、おかしいよね?
ベッドに座れってありえないよね?
「手伝います」
いやいやいや、エルドールまで何やっちゃってるの。
手伝うじゃないよね?
止めようよ。
「ラングリース様はこちらへ」
「……はい」
俺の心の叫びはスルーされ、エルドールとアリアンヌが用意してくれたベッドに腰掛ける。
子供用のベッドだから、アリアンヌのかな?
立ちっぱなしもあれだから、座れるのはありがたいけれど、でもベッド。
……深く考えたら負けかもしれない。
色々と諦めて、紅茶を飲む。
あ、美味い。
エルドールが淹れてくれる紅茶も美味しいけれど、アリアンヌの淹れてくれたお茶は風味が強い気がする。
「フォルトゥーナ様、無断でお休みしてしまいまして、申し訳ございませんでしたっ」
「いいのよ、あなたが無事なのですもの。でもアリアンヌ、あなたは今まで一度も無断でお休みしたことはなかったでしょう? なにがありましたの?」
フォルトゥーナに優しく微笑まれて、アリアンヌは少し、目を伏せる。
「……おばあさまが、倒れたんです」
「まぁ。それでおばあ様は今どちらに?」
「二階の寝室です……」
「お見舞いさせていただけるかしら」
「いまはやっと落ち着いたばかりで、眠っているのです」
「そう……」
フォルトゥーナが心配げに瞳を伏せる。
ジョシュア先生が立ち上がった。
「先生?」
「病院へは連れて行ったのだろうか?」
「はいっ」
「なんと言っていた?」
「……咳の病、です」
「ふむ」
「あっ、ジョシュア先生?」
「診させて貰いましょう」
止める間もなく、スタスタと階段を登って行くジョシュア先生。
俺達も慌てて後を追う。
「寝室はこちらですか?」
「は、はいっ」
「失礼する」
ジョシュア先生が躊躇いなくドアを開けると、窓際にお婆様が寝ているのが見えた。
今は眠っているからかな?
アリアンヌの言うように、症状が落ち着いているように見える。
咳の病は風邪を酷くしたようなもので、喘息に近いかもしれない。
咳が止まらずに呼吸困難に陥り、そのまま命を落とす事もある病だ。
ベッドの側のサイドテーブルに、薬が何種類か置かれていた。
「……癒しの神、ラングベハンドに我は望む、病を払う力と希望を……エディメーラ」
ジョシュア先生のかざす手の平から、魔法陣が現れる。
手の平サイズの魔法陣はくるくると回りながら眠るお婆様の上に浮かぶ。
先生の呪文に合わせて魔法陣は文字を増やし模様を替え、最後にきらきらと輝いて雪のようにお婆様に降り注いだ。
お婆様の瞳が開く。
アリアンヌと同じペリドット色の瞳が、アリアンヌを愛おしく見つめた。
「おばあさま、きがつかれましたかっ」
「アリアンヌ……」
お婆様の伸ばした腕に抱きつくアリアンヌ。
身体半分お婆様にのしかかってしまっているけれど、大丈夫なのかな?
アリアンヌは軽いから、大丈夫かな。
「ジョシュア先生、咳の病は完治出来たのでしょうか」
「そうですね。咳の病程度でしたら問題ありませんね」
ジョシュア先生、流石。
街の医者には完治出来ずとも、公爵家の魔導師にとってはなんとも無いことなのか。
「ラングリースさま、ありがとうございますぅうううっ」
「いや、アリアンヌ。治療したのはジョシュア先生だからね?」
「先生もありがとうございますっ」
アリアンヌ、相変わらず混乱しているね。
俺は何もしていないんだけどな。
あ、そうだ。
俺はマーケンの町からずっと持ち歩いていたアリアンヌのネックレスを懐から取り出す。
「お母さまの形見のっ」
「うん。修理に時間がかかってしまってすまなかったね。でも、きちんと直せたと思う」
窓から差し込む陽の光に反射して、赤い魔宝石が小さく煌く。
お婆様が懐かしそうに目を細めた。
「それは、セブランが作ってくださったのよ。懐かしいわね……」
「おじいさまがですか?」
「えぇ。わたしは、マーケンの街で生まれ育ったの。セブランはジャックベリー公爵様に仕える身で、鉱山の視察にいらしていたのよ。わたしたちはそこで出会ったの……」
昔を思い出し、アリアンヌのネックレスを見つめるお婆様。
小さいとはいえ、魔宝石のネックレスをもっている理由がこれでわかった。
鉱山の町なら小さめの魔鉱石が安価で手に入るからね。
「まぁ……。中の輝きまで取り戻せているのねぇ」
お婆様が魔宝石の中を覗き込み、驚く。
「娘に譲った時に、既に魔宝石の魔力が翳っていましたの……。でも今はこんなに強く輝いているなんて。セブランから受け取った日を思い出してしまうわ」
「魔宝石のネックレスは、魔力が自然に消えてしまうものなのですか?」
「えぇ。鉱石の種類にもよるのでしょうけれど、時間と共に光がくすんでいってしまいますの……」
そうなると、アリアンヌのネックレスが曇っていたのは、俺が踏んだせいじゃなかったのかな?
でもアリアンヌもお婆様も本当に嬉しそうだから、完璧に光を取り戻せてよかったと思う。
「あっ、フォルトゥーナさま、今から急いで出勤しますね!」
「いいのですよ、アリアンヌ。今日はもうゆっくり、お婆様についていてあげて」
「でも……」
「まぁ、フォルトゥーナ様ということは、ジャックベリー公爵家の?!」
お婆様が驚いたように口元に手を当てる。
今まで俺達が何者か、気づいていなかったらしい。
そうだよね、倒れて目を覚ましたら貴族がぞろぞろ部屋にいるなんて、普通思わない。
「このような姿で、申し訳ございません……」
「いいえ、突然訪れたわたくしたちがいけないのです。どうか、ゆっくりとお身体をやすめてくださいませ」
フォルトゥーナは微笑んでいるけれど、お婆様はもう、起き上がって土下座しそうな勢いだ。
うん、病は完全に退けれたけれど、俺達が長居するのはよくないね。
俺達は一緒についてきてしまいそうなアリアンヌを宥めてお婆様の元に残し、ジャックベリー家に戻る事にした。