13.地属性で重力は操れるか
「下に向かって落ちるのは、当たり前じゃないですか」
首を傾げる【地の勇者】ドリスの反応は、【大陸一の賢者】にとって想定内ではあった。特に残念に思うということもない。
「それじゃ、重力操作は既存の魔法にはないんだな」
重力と言う概念がないのに、重力を操ろうと思う者もそういるまい。重さを変えるよりは風で持ち上げる方が、岩を重石にする方がずっとシンプルだ。
ただ、空を飛ぶ鳥に岩を絡みつかせるなんてのは現実的じゃないし、風の四天王相手ではもっと難しいだろう。
重力魔法が実現できるのであれば、用途自体はあるはずだ。
「重力を倍にするなら、この大地と同じ質量の土を出さなきゃならない。距離の話は地表からだと意味ないしなぁ」
自分の世界に入り込んだ賢者を他所に、ドリスは賢者の焼いたお茶請けのクッキーを摘まんだ。美味しい。
「流石は賢者様ですねぇ。これ作って街で売るだけでも、普通に食べていけそう」
「そもそも魔法なんだから物理法則に従う必要はないけど、重力って概念がない以上は、一旦物理法則で実現しないと魔法で再現もできないし」
クッキーと共に食卓に並ぶ紅茶も賢者が淹れたものだが、お茶に甘みがあるなんて、ドリスはこの地下秘密基地で初めて知った。
「お茶も美味しいです」
「いや、アプローチを変えよう。重さの、力……力を増幅、強化するのか。人の魔力や精霊の力を加える程度じゃ足しにもならないし、重力には……重力を、あ、重ねる? 束ねる?」
次第に賢者の独り言が、踊るような声色になってきたのに気付き、ドリスは最後のクッキーを口に放り込むと、指についた粉を衣服で拭う。
「よし、それじゃあ、重力について説明するよ」
「はい、お願いします!」
声を掛けられた時には、既に立ち上がって隣に立っていた。
賢者が特別楽しそうにしているということは、特別楽しい魔法が開発されるということで、それはドリスにとっても、大変楽しいことなのだから。
説明をすると言われて、まず逆立ちをさせられる。
逆立ちした状態で目の前に石を落とされ、
「ほら、今、石は上から下に落ちたんじゃなく、地面に引っ張られてくっついたでしょ。その引っ張ったのが、重力」
と一言。それだけでドリスは、
「なるほど、わかった気がします!」
と納得した。
賢者の考えでは、ドリスが重力の原理を理解する必要はない。ただそこに、何かの「力」があることを納得させられれば、それで良い。
「そこまでわかれば十分、早速実験してみよう」
二人して地上への階段を上がり、空を見上げる。雲一つない晴天だ。鳥の一羽もいないが、まあ構うまい。
賢者は足先で、大きめのクッション程の円を二つ描いた。
「精霊の力を誰か移すような感覚で、こっちの円の中の重力を、もう一つの円の中に移すことはできそう?」
「あー、えぇと、一つの力を根こそぎ奪って、自分を通さずに、別の物に与えるだけですよね。たぶん行けます」
意志もないから抵抗もしないですし、地面なら丈夫だから破裂したりもしませんし、等と小さく続けるのには些か不安にもなるが、できるというならやって貰おう。とはいえ、賢者としても、重力を束ねるようなことが簡単に出来るとは考えていない。「力を与えて増幅させる」という感覚が、そもそも賢者には今一つ理解し切れていないのだ。レールガンのように一方向重ねるというわけでもなく、ただ「力」として与える。エンジンを増設するような感覚で、というよりは、カヌーの漕ぎ手を追加するようなものだろうか。
そんなことを考えている間にもドリスは着々と準備を進め、両手をそれぞれの円に翳し、
「奪い、融け合え。【二指を一指に】」
魔術の行使と共に、ドリスの三編みが、続いて体全体が傾ぎ、
「えっ、とっ、とぉっ!?」
賢者の体が二倍の重力に引き倒された。
身構えていれば耐えられない程の力ではないが、不意を突かれればドリスでさえ対応できず、
「ぐぇっ」
倒れた賢者の上に倒れ込む。
「痛い痛い痛い重い重い止めて止めて」
周囲の石や砂が引き寄せられて積もってゆく。
本当にできると逆に腹が立つ。
魔法で起こる現象の傾向から可能だろうとは思ったし、できるかと問われたドリスが即答したことから見ても、この世界の魔法の機構から見て現実的なことではあるらしい。
つまり「力」という概念の「強さ」という数値、それを移動した。厳密にいえば、元の数値を消費して、別の数値を強化した。現象だけ見れば凝縮したようなものだ。
それなら「土葬」という概念を凝縮して与えれば相手を即身仏にすることも可能か、といえば、そうではないだろう。「力」という概念だけが数値化されている。かといって、「記憶力」や「女子力」のような力学的でも魔法的でもないものは含まれない。物理と魔法、その二つだけが分離しているのは不自然だから、例外は実質一つ、根底まで辿れば物理力(この言葉自体、厳密な定義どころか、統一された呼称すら持たないのだ)と魔力は同源に行き着くのではないだろうか。賢者自身が大抵の魔法攻撃を物理ダメージと認識し、物理無効装備で防げるのもそれに基づく可能性がある。
となると属性とはそもそも一体何なのか、要素や用途を限定することで生まれるロス、例えば地属性の魔法を使うことで発生した水火風や他の属性となるはずの残り滓が世界を構築すると仮定して、この残り滓の対価として魔法効果を高めるシステムがあるのなら、その対価を支払う何かが存在するのか。それはいささか思考放棄的な世界ID論で、賢者の趣味ではない。それとも地属性と他属性との属性数値間で生じる高低差が剪断ないし引き裂くような形で効果を高めるのか。
などと益体もないことを考えながら、賢者は砂塗れで窒息しかけていた。
慌てて魔法を解除したドリスに手を引かれ、立ち上がった賢者は、胸を抑えてしばし、呼吸を整える。
「この前言ったっけ。俺が死なない方法にしようって」
「四天王を捉えるレベルの重力強化だと、賢者様ぺしゃんこですねぇ」
「この魔法は安全な用法が確立されるまで、一旦封印しよう」
「そうですねぇ。地味な割に危ないですし」
「そう、いかんせん地味なんだよなぁ」
「では、とりあえずこれは禁呪ってことで!」
かくして、この世に新たな禁呪が生まれたのだ。
後世にも、主にその名のみが伝えられる地属性の七禁呪。その内、【地の勇者】ドリスと【大陸一の賢者】がこの時期に作った物は、四つ含まれている。
【石化の魔眼】、【流星乗り】、【生命の再定義】――そして、【二指を一指に】。
その中でも、生み出した勇者と賢者が自ら禁呪と定めたものは、この【二指を一指に】のみであったとされている。




