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エピローグ

   エピローグ


 結論から言えば父さんはぼくの誕生日を覚えていた。

 ぼくが起きるとすでに空は明るくなり、カーテンの隙間から日の光が差し込んでいた。太陽を見るのはひさしぶりだ。ぼくはその光に目を細める。どこかで小鳥の鳴く声がした。朝が来たのだ、とぼくは思う。なんだか長い夢を見ていた気分だった。

 居間に行くと、食卓の上にはトーストと一緒に四角い紙袋が置いてあった。茶封筒のような紙がぼこぼこと膨らんでいる。父さんはもう出かけたらしく、家には誰もいなかった。父さんは朝食をあまり家で食べない。たいていは、仕事に行く前にいつもの喫茶店で食べるのだ。

ぼくは椅子に座ると紙袋をわきによけ、トーストを食べながら牛乳を飲んだ。まるで何年も旅を続けたみたいに空腹だった。食事を終えるとぼくは紙袋の方に取り掛かることにした。袋の口は麻紐のようなものでしっかりとしばってあり、簡単には開かないようになっていた。ぼくは口元をぬぐうとその紐をていねいにほどいた。

「はは」

 袋の中から出てきたものを見て、ぼくは思わず笑ってしまった。朝の光を全身で浴びていたそれは新しい絵の具だった。太さの違う絵筆が三本、それに立派なパレットもついている。絵の具たちはすべての準備を終えていて、ぼくに使われるのを今か今かと待っていた。包み紙の裏には小さな文字で、父さんからのメッセージが添えられていた。

 ハッピーバースデー。


 ナップサックに絵の具とスケッチブックを詰め、シャツに着替えて外へ出る。久しぶりに見た町は朝のにおいで満ちていた。どこまでも澄んだ空気のにおい。干された洗濯物。昇ったばかりの太陽は初々しく空を染めていた。パタパタという足音に振り返ると、ミホさんが犬の散歩から帰ってくるところだった。

「あら、おはようタクトくん」

「おはようございます」

 ミホさんの後ろではクタクタが疲れたように耳を垂らしていた。情けない顔でぼくを見上げる。もう散歩はごめんだと言っているみたいだった。

「ウチの子、ほんとに怠けものなのよね」ミホさんはそう言って笑った。「困っちゃう」

「犬はそれくらいがいいですよ」

 ぼくは心からそう言った。もう野犬にはこりごりだ。ぼくはそれでいいとばかりにクタクタの頭を優しくなでてやった。

「タクトくん、なにかいいことあったの?」

「どうしてですか?」

「何だか、ちょっと明るいもん」

「朝ですから」

 ぼくは笑った。手を振ってミホさんとクタクタに別れを告げる。行くべきところはたくさんあった。人通りの少なかった道も、ぼくが白いアパートに着く頃には目を覚ました人たちでにぎわい始めていた。これが朝というものだ。

 ぼくはちょっと古びたアパートの前で足を止めた。彼女のアパートだ。郵便受けを見ると彼女の部屋はすぐに見つかった。呼び鈴を押す。カランコロンという金属音が響いたけれど返事はない。部屋は留守のようだった。

 アパートを出て隣の家に行く。家の前で小柄な女性がゴミを捨てているところだった。エプロンをつけた女性で長い髪を後ろで束ねている。目元のあたりがコノハにそっくりだった。

「あの、コノハの叔母さんですか」

「ええ、そうよ」彼女はエプロンの紐をほどきながら言った。「ひょっとして、コノハのお友達?」

「はい」

「あらあら」

 心なしか彼女の顔は嬉しそうだった。口元から笑みがこぼれ、日の光できらきらと輝いている。

「コノハなら隣のアパートよ」

「ええ。実はさっき行ってみました」

「返事がなかったの?」

「はい」

「あらあら」彼女は困ったような顔をした。「まだ眠っているのかしらね?」

「どうでしょう」ぼくは笑った。「たぶん、起きているんだと思います」

 そうだとも。彼女は今も起きている。

 夜の続く、あの世界で。


 丘をのぼる階段にはまだ誰もいなかった。腕にはめた時計がまだ朝はこれからだと言っている。ぼくは息を切らしながらその階段を一気に駆け上がった。ナップサックのなかで絵の具たちがガチャガチャと愉快な音を立てる。

 その丘のてっぺんは町のなかで一番高い場所だった。天気のいい日はそこから町のすべてが見下ろせる。そこには巨大な川はなく、森もまだ遠くにある。これが父さんの町なのだ、とぼくは思った。父さんたちが選んだ町。夢のなかで永遠に続く町。

 丘から見る町はとても穏やかで不安なことなんて何一つないように見えた。この町はこれからも永遠に穏やかなままなのだろう。あの灯台が続く限り人々は夢を見続け、ぼくたちはこの平和な日々を繰り返し行き続けるのだろう。さあ、それでおまえはどうする? ぼくは自分に訊いてみた。もちろん答えは決まっている。ぼくはいつかこの町を出て行くけれど、だけどそれは今じゃない。

 ベンチに座ってスケッチブックをひろげる。しばらくの間はここにいようとぼくは思った。父さんは仕事に行くときいつもこの丘を通っていく。ここで待っていれば、きっともうすぐ会えるだろう。鉛筆を握り、森の向こうを見据える。かつて大きな白い灯台があったその場所をぼくは見る。町の人たちは誰も知らないけれどぼくはちゃんと覚えている。

 


 ぼくたちは真っ白な紙のうえに生きている。

 それは何も書かれていない地図であり、これから書かれるべき絵本のページであり、そしてどこまでも広がるぼくたちの未来でもある。

 その真っ白な紙を前にしてぼくは絵筆を握る。絵筆を握るのはぼくの手で、手を動かすのはぼくの意思だ。ぼくはその紙いっぱいに絵を描いていく。白くて大きな灯台の絵。

 もしも世界が夢だというのなら、ぼくは誰よりも深い夢を見てやる。そこでは灯台の火は消え、町はあるべき姿に戻る。ぼくは父さんとコノハと灯台守と列車の男と一緒に暮らして、そしてとてもとても幸せなのだ。みんなの笑い声が聞こえる。それは夢のなかの出来事だけどその夢はぼくの夢だ。絵筆を握りながら、ぼくは灯台守の言葉を思い出す。大事なのは、何が夢で何が現実かってことじゃない。ぼくが何を現実にしたいのかってことなのだ。誰にも文句は言わせない。

 いつまでも夢を見ている世界のなかで、ぼくはぼくだけの夢を見よう。大切なものを守るために。自分らしくあるために。眠り続ける世界のなかで何度でも目を覚ますために。

 そよ風が足音を運び、そしてぼくは白い灯台の夢を見る。


本作は二年ほど前に書き上げた小説に少し手を加えたものです。いわゆるロードムービーの雰囲気を児童書というジャンルで表現したいというのが、当初の目標でした。それなりに全体の構造を意識しながら書いたのですが、今読み返してみると粗が目立ちますね。ちなみに「眠った町」というアイデアは二年前に真冬の夕張へ一人旅をした時に思いついたものです。それだけではイメージとして薄かったので、大学図書館で写真集などを漁って肉付けをしました。

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