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コノハ

   第二章 コノハ


 赤葡萄色の背もたれにしなだれかかり、彼女はそこに一人座っていた。座ったら、と彼女が言い、それがぼくに向けられた言葉であることに気づくのは少しだけ時間がかかった。ずいぶん長い時間ひとと話していないせいで話し方を忘れてしまったみたいだった。ぼくは手に持ったランプを用心深く床に置くと、彼女の斜め前の席に腰掛けて宙を睨んだ。

「ここはとても暗いね」懸命に言葉を探しながらぼくはやっとのことでそう言った。

「外はもっと暗いわ」

「たしかに」ぼくは認めた。「外の方が暗いし、それにとても寒い」

「ここも外と同じくらい寒いけど」

「暖かくならないかな」

「さあ」

「どのくらい前からここに?」

「覚えてない」彼女はそう言って微笑んだ。「一晩くらいかな」

「ぼくはさっきまで町を歩いていた」

「一晩くらい?」

「そう、一晩くらい」

「待っていて」彼女はそう言って立ち上がった。「二階にも席があるから見てくる」

「どうして」

「別に。何かあるかも」

 会ったばかりだというのに、彼女は答え滑るように立ち去った。再び宙を睨むと木張りの天井はカンテラの炎で小刻みに震え世界の終わりを祝福していた。木々のぬくもり、波の音、雲の影。すべては失われて二度と戻らず、訪れた世界の終わりには黒いコルクの雨が降る。


 結論から言えば二階には何もなかった。もちろん、何もなかったという言い方は正しくないし父さんだったらフェアじゃないって言ったと思うけど、あいにくここに父さんはいない。何もなかったというのはつまり目新しいものは何もなかったという意味だ。同じような丸テーブルと同じような四脚椅子があり床には何かのビンが数本転がっていた。壁際の棚には木製の樽が五つ並んでいてそのうちの一つにはアルミ製の蛇口がついていたがひねっても何も出てこなかった。

「たぶん、あっちが喫煙席だったのね」しばらくしてぼくのところに戻ってきた彼女は言った。「灰皿があったもの」


 彼女の名前はコノハだった。いい名前だ。

「あなたの名前は?」

 あまり気が進まなかったけど、ぼくは自分の名前を教えた。

「ふうん。あたしより小さく見えるけど、何歳?」

「たぶん、永遠の十四歳」

「永遠の?」彼女は聞き返した。「どういう意味?」

「明日が誕生日なんだ」ぼくは説明する。「朝が来れば十五になるんだけどちっとも朝が来ない。だから永遠の十四歳」


「お腹が空いたわ」とコノハが言った。

「まったくだね」ぼくは答える。「今なら町を丸ごと食べられそうだ」

「笑えないわ、それ」

「何が?」

「本当に食べちゃったんじゃないの?」じっとりとした目でぼくを見る。鳶色の瞳が暖炉の炎をちろちろと反射した。

「まさか」

「そうとしか思えないもの。いったい」彼女はそこで効果的に言葉を切った。「何が起こったっていうのかしら」

「夜が明けない。朝がこない。ぼくらの他は誰も目を覚まさない」ぼくは答える。質問には簡潔に答えろというのが先生の口癖だった。

「夢を見ているのかも」

「ぼくもそう思っていたよ。君に会うまでは」

「あたしのせい?」

「わからない」

 わからない、という言葉に嘘はなかった。その時のぼくには何もかもがわからなくて確かなことなんて何ひとつないように思えたし、だからこそどんなに途方もない嘘でも簡単に信じてしまいそうな気分だった。

「何でもいいからわかっていることを教えて」コノハは言った。「あたしも話すから」

「そうだな、今は夜で、町のみんなは眠っていて、ぼくらは起きていて、ここは寒くて、それにお腹もすいてきた。こんなところかな」

「馬鹿にしてるのね」

「してないよ」

「してるわよ」

 そう言うなり、彼女はプイと顔を逸らしてどこかへまた立ち去ってしまった。あとを追いかけたほうがいいのかなと思ったけれどやめておく。こういう時は先に追いかけた方が負けなのだ。それに馬鹿にしたつもりがないのは本当だった。まだ彼女に出会ってから三十分も経っていないのだし、そんな相手を馬鹿にしたって仕方がない。

 一人残されたぼくは弱ってきた暖炉の火を見つめながら薪の代わりになりそうなものを探した。ぼくがいるのは古びた喫茶店の中でも一番古ぼけた埃っぽい部屋で、煉瓦で出来た暖炉の炎と足元においたランプだけが唯一の灯りだった。ぼくが来る前にいろいろ試してみたのだけれど結局電気はつかなかったのだとコノハは言っていた。部屋の一番奥には長いカウンターがあり、天井からたくさんのソーセージがぶら下がってカーテンのようになっていた。その後ろにはガラス戸のついた食器棚があり銀色をした大きな冷蔵庫のようなものもあった。カウンターの一番端にはこれまた銀色をした大きなバケツ――ちょうど学校で掃除の時間に使うようなやつだ――があって、そのなかにはぬるくなった水と三本のワインボトルが入っている。何もかもが誰かを待っているような光景だった。それはちょうど雨のなかバスを待っている女の子のようなもので、いくら待ってもバスはやって来ないのだ。

 マスターの趣味なのか部屋の椅子はどれも深紅色だった。それとも暖炉のせいでそう見えただけかもしれない。テーブルはきちんと磨き上げられたオークウッドで埃っぽい部屋のなかでは明らかに少し浮いていた。四方には複雑な模様の彫りこみがされていたけれど何の模様なのかまではわからない。奥の部屋と違ってこちらのテーブルには灰皿がなかった。もちろんぼくは煙草を吸わないけれど、コノハはどうだろうなと考えた。だけど彼女もきっとまだ子供だからたぶん吸わないのだろう。彼女の年齢は知らなかったが、ぼくと同じくらいだろうし、むしろ一つか二つ年下にも見えた。壁際には本棚がしつらえられていて、その真ん中あたりにミニチュアの鉄道模型が飾ってあった。黒い蒸気機関車で車輪の塗装が少し禿げている他はとてもよく出来ている。ガラスケースの下に押しボタンが二つあったけれど押すのはやめておいた。もしもこれを壊したりしたら店のマスターはきっと悲しむだろうと思ったのだ。


 電気がついたのは突然だった。といってもそれほど劇的だったわけじゃない。もともとの照明が暗いせいで電気がついたところで大した違いはなかったのだ。もちろん弱まってしまった暖炉の炎よりはずっと頼りになる明かりだったから、ぼくとしてはとても嬉しかったのだけれど。ゆらゆらと揺れる橙色のくらげみたいな灯りをぼんやりと眺めているとコノハが少し得意げな顔をして戻ってきた。

「発電機を見つけたの」とにかく機嫌は直ったらしい。

「ぼくも食べ物を見つけたよ」

「本当?」

 彼女の顔が嬉しそうに輝いたけれどこれは嘘だった。見つけた食べ物といえばカーテンみたいなソーセージだけだ。ぼくはカウンターの裏に回ると足元の小瓶に気をつけながら冷蔵庫の中を漁り、桃の缶詰を三つとハムを二切れそれに隣のバスケットの中からクラッカーを五袋と白パンを七つ見つけた。ぼくは見つけたものをすべてバスケットのなかに詰め込むとジャムを持っていないかどうかを彼女に訊いた。

「どうして?」

 ぼくは黙ってクラッカーを見せ、彼女はシンプルに首を振った。ぼくはジャムを塗ったクラッカーが好きなのだけれどないのなら仕方がない。たぶんシロップ漬の桃と一緒に食べてもおいしいさとぼくは自分を慰めた。食べ物があってだけでも幸運だ。

 ぼくはテーブルに戻って彼女の隣へ膝をそろえて座り、クラッカーの包みをひとつ彼女に渡した。自分用にもひとつ手にとって包みを開ける。その小麦の匂いをかいだ途端、つい数時間前に似たようなクラッカーを食べたばかりだということにぼくは気づいた。たしかに家の冷蔵庫からこっそりくすねて食べたのだ。だけどそれは遠い昔の出来事のように思えた。まるでむかしむかしで始まるおとぎ話みたいにぼんやりとしていて、ぼくは自分がどうしようもなく遠くへ来てしまったような気がした。


 おとぎ話というものはいつもむかしむかしで始まるので、それがいったいどれくらい昔の話なのかということがいつも不思議だったけれど、それについて誰かが教えてくれた記憶はない。国語の先生でさえわからなかった。きっとカレンダーなんてないくらいずっと昔のことなのよ、と先生はぼくに言ったのだった。時計もないの?とぼくが聞くと、そうよ時計もないのよと彼女は答えた。ぼくは教室から時計がなくなった様子を想像してみたけれどそれはとても素晴らしいことのように思えた。もちろん壁にカレンダーはかかっていないし、黒板に今日の日付が書いてあることもない。日付が書いていないのだから曜日もわからないし、それならきっと時間割だってないだろう。そんなわけでぼくは時計もカレンダーもない「むかしむかし」の世界に憧れたのだが、結局それがどれくらい昔のことなのかはわからず終いだった。たぶん、とぼくは考えることにした。ぼくたちが生きている世界の前には「むかしむかし」という別の世界があったのだ。そこには時計もカレンダーもなくて、毎日がドキドキするような冒険に満ちていたのに人間たちはその世界を捨てて引っ越してしまったのだ。

図書館で見つけたSF小説がその考えに根拠を与えてくれるように思えた。それは環境汚染のためにかつて生活していた古い地球を捨てた人類の話で、彼らは新しい地球を求めて宇宙船で生活を続けているのだった。その話を読みながらぼくはいつの間にか泣いていた。誰もいない夕暮れの図書館でぼくは一人でしくしくと泣いていたのだった。


 コノハは決してしくしく泣いたりしないタイプの女の子だった。彼女は十二のときこの町の学校へ通うために家族のもとを離れ、それ以来ずっとここで一人暮らしを続けているのだとぼくに話した。一人で暮らしていて寂しくないのかと訊ねると、少し迷ったようなそぶりを見せたあとで彼女は答えた。

「そういうことも、たまにはあるわ。どうしようもなく寂しくなって、自分が世界で一人ぼっちになってしまったような気分になるときが。だけど、それは誰にだってあることでしょ?」

 もちろん彼女が正しい。たとえ家族と暮らしていようが寂しいときは寂しいのだし、どれだけたくさんの人に囲まれていても一人ぼっちになることはあるのだ。

「そういう気分のときは、どうするの?」

「隣がおばさんの家だから、よく遊びに行ってた。こっちに来たばかりの頃は夜遅くまでいた気がする。夜が怖かったんだと思うの、きっと」

「だけど、今朝はおばさんも起きてこなかったんだね」

「そうよ」彼女はじっと前を見つめながら言った。「起きてこなかったの」

 ぼくらはクラッカーをもう一袋だけ空けると中身を二人で分けて食べた。クラッカーはとても粉っぽくて随分と長い間バスケットのなかにしまわれていたような味がした。パサついたそれをつばと一緒に飲み下しながら何か飲むものが欲しいとぼくは思ったけれど、近くにはワインのボトルがあるだけだった。二十歳になるまでお酒には手を出さないというのは父さんとの約束、それもいまだにちゃんと守っている数少ない約束のひとつだ。ぼくは足元のナップサックから水筒を取り出すと一口含んで彼女に渡した。コノハはそれを受け取るとゆっくりと傾けこくりこくりと二度だけ喉をならした。そして指先で濡れた口元をぬぐうとカウンターの裏手にあるキッチンで水を汲んでぼくに返した。

「ありがとう」

「一口飲んだら二口返せって言われたの」彼女は何でもないことのように言った。ぼくは彼女のその言葉を教えた誰かに感謝すると、水のたっぷり入った水筒をふたたびナップサックのなかにしまった。

「ところで」ぼくは彼女に言った。「君の話をまだ聞いていないんだけどな」

「何の話?」

「何でもいいから知っていること。ぼくが話したら君も教えてくれるって」

「ああ。大したことじゃないの」

「ぼくもそうだった」

「あのね、灯台があるの」

「灯台?」ぼくはクラッカーの粉でむせ込んだ。「どこに?」

「町のはずれ。森の向こう」

「だけど、この町に灯台はないよ」

「そうね」

 コノハは頷いた。あまりにも真剣な顔で頷いたのでそれはまるでこれから神様の言葉を告げようとしている日曜日の牧師さんに見えた。

「だけどあるの」


 ぼくらが住んでいるのは自転車を使えば半日で一周できてしまうような小さな町で、四方を森に囲まれているけれど海の姿はどこにもない。カモメの声を聞いたり塩辛い水を舐めたりするためには父さんの車で二時間くらい走らなければだめだった。たくさんの水を眺めたいやつはたいてい森のなかにある湖のところへ行ったが、必ず何人かは二度と町に戻って来られなくなるのだった。森はあまりにも木が密集して生えているせいでほとんど日の光が届かず、おまけにクヌギやコナラがたっぷり含んでいる水分のせいでいつも霧がかかっている。町には森にまつわる噂がたくさんあった。子供をさらう魔女の話、学校のホースみたいな巨大ミミズの話、とっくの昔に絶滅したはずの狼の話……。だけど灯台の話が出たことは一度もない。

 ぼくが灯台を見たのはそれまでの人生でただ一度だけ、七歳のときの出来事だった。潮風で錆びついたとてつもなくボロボロの白い塔で、そのてっぺんでは巨大なサーチライトが一晩中ぐるぐると回っていた。ぼくはそのてっぺんを食い入るように見つめて、足元から湧き上がってくる不思議な震えに身を任せていた。灯台を見たのはそれが最後だ。翌年もその場所へは出かけたのだがすでに灯台は取り壊されてしまったあとでサーチライトの光もどこにもなかった。最近の船は性能がいいから灯台なんていらないのだと近くにいた漁師が教えてくれた。船も灯台から親離れしたってことさと彼はぼくに向かってそう言った。あんたはいつ親離れするつもりなのかと訊かれたので、ぼくはわからないと正直に答えた。それが灯台に関する最後の記憶だ。


 灯台に行こうと主張したのはコノハだった。いつまでもここにいるわけにはいかないし、灯台へ行けば何か手がかりがあるかもしれないと彼女は言った。

 正直なところぼくはあまり乗り気ではなかった。灯台がある森までは歩いて半日以上はかかる。夜が明けず、何が起きているかもわからないのに外を出歩くのは危険だ。

「じゃあ、どうするっていうの?」

 イライラしたように彼女は言った。

「一晩中ここで座っているつもり? いつ夜が明けるかもわからないのに?」

「だけど、やっぱり不安だよ。それに灯台に行ったって事態がよくなるとは限らないし。ここでじっとして、誰か他の人たちが起き出すのを待った方が……」

「あなたって何でも他人任せなの?」

心底呆れたという声でコノハが言う。

「いいわ。ならあなたはずっとここにいれば。あたしは一人で灯台に行くから」

「わかった。わかったってば」

 灯台に行くのは気が進まなかったが、ここに一人きりで残るのはもっと嫌だった。まだ誰かと一緒にいた方がマシだ。たとえそれが出会ったばかりの、ちょっと気の強すぎる女の子だったとしても。

 ぼくはクラッカーの残りと桃の缶詰を自分のナップサックにつめ、白パンをコノハに渡した。コノハはしばらく考えた末にポシェットの口を開けてパンを二つそのなかにしまった。食べ物に関してはこれで問題なかったけれど他にもいくつかのものが必要だった。ぼくとコノハは店の外に出ると裏手にまわって倉庫へ足を運び、旅に必要なものをそろえることにした。頑丈なロープ、手袋が二つ、毛布を二枚(これは少し黴臭かった)、それにマッチを一箱(これはレジの隣に置いてあった)。本当は予備のランプをもう一つ持っていきたかったのだけれど荷物がいっぱいになってしまったのでこれは諦めることにした。壊さないように気をつけて歩くしかない。

「ねえ、あたしお金を持ってないわ」荷物を全部ポシェットに詰め終えたところでコノハがふと気づいたように言った。

「ぼくも持ってないよ」

「どうしよう。勝手に持ち出すわけにはいかないわよね。クラッカーとか、缶詰とか……」

「でも、お金があったって誰に払えばいいんだい?」ぼくは誰もいないカウンターを指差しながら言った。「店の人だってきっと寝てるよ」

「それとこれとは別よ。泥棒みたいなことはできないわ」

 話し合った結果、手紙を置いていこうということになった。灰皿の下に挟んでおけばきっと店の人が見つけてくれるだろう(もちろん夜が明けたらの話だけど)。灯台に行かなければならないので食べ物と油を借りていきますとぼくが書き、その下にコノハが必ず戻りますので心配しないでくださいと付け加えた。ぼくとコノハは荷物を背負うと書いた手紙を隣の部屋にあった灰皿の下に挟み、暖炉の中に水をかけて火を消した。店の外では厚く垂れ込めた夜が続き、ぼくらの旅立ちを待っている。


 コノハの話は本当だった。ぼくたちは坂道を登った先にある丘のてっぺんで地図を眺めていた。その丘は町のなかで一番高い場所で、森の向こうまでよく見渡せたし、そして森の向こうにはコノハの言葉通り灯台があった。灯台のてっぺんでは大きなサーチライトがぐるぐると回っていて規則正しい寝息みたいなリズムで森を明るく照らしていた。ぼくはナップサックから双眼鏡を取り出すとそれを額に押し当てて灯台をのぞいた。双眼鏡のふちはすっかり冷えていてつららを触っているようだった。

「なにか見える?」コノハが訊いた。

「灯台が見えるよ」とぼく。「見た目より古そうだ。石造りだし、ペンキもところどころ剥がれてる。窓がひとつ見えるけど、扉が閉まってて中は見えないな」

「誰かいるのかしら」

「きっといるよ。灯りが点いてるんだもの」

「ちょっと貸して」

 ぼくは双眼鏡をコノハに渡した。大きなそれはコノハの手には少し重そうだったけど、彼女はそれを長い指でしっかりと包み込むと灯台のほうを向いてレンズを覗いた。

「本当。すごく古そうに見える。いつ頃からあそこにあったのかしら」

「昨日まではなかったよ。君も覚えてるだろ?」

「そうね」彼女は認めた。「だけど、昨日なんてものが本当にあったのかもわからないわ。そうでしょ?」

 ぼくは昨日がどんな日だったのかを思い出そうとしたがうまくいかなかった。それよりは森の向こうにある灯台の姿を思い描く方がずっと簡単だったからだ。まるで灯台が昨日までの町をすべて飲み込んでしまったみたいだとぼくは思った。

「ありがとう」そう言ってコノハはぼくに双眼鏡を返した。「いい双眼鏡ね」

「父さんがくれたんだ」

「いいお父さんなのね。そうでしょ?」

「うん」ぼくは頷き、双眼鏡をナップサックにしまった。「いい父さんだった」

 コノハは何かを言いたそうにぼくの目を見つめたが結局なにも言わないことに決めたらしい。ぼくとしてもその方が嬉しかった。夜は静かにするものだ。ぼくはナップサックを背負うと彼女に地図を渡して歩き出した。「行こう」。

 灯台の光が遠くに見える。とてもとても遠い星のような光を見つめながら、今夜中にはあそこに着けるかなとぼくは思った。


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