弟が家出した日
僕は、ヘンリー・ハワード。ハワード伯爵家の嫡子である。
僕は、小さいときからそこそこ色んな事を器用にこなせるタイプの子供だった。勉強も剣技も言われたとおりにすぐに出来る方だった。と言ってもそれらに関しては自分なりに努力もしたし、全部が全部すぐ出来たわけじゃないけど、同じ年齢の子供たちと比べて少し出来が良い程度だったんだろうなと今になるとわかった。世の中には自分よりももっと色んな事が出来る人がいる。そう思ったのは10歳の時参加した若葉のお茶会で第1王子のアレクサンダー・クリスエバート様のお遊び相手に選ばれた時だった。
一緒に選ばれたのは、侯爵家のベンジャミン・コールマンと子爵家のオリヴァー・バーチだった。
ベンジャミンはとても優秀で、僕は自信のある勉学でもいつもテストで負けていたし、オリヴァーは剣技がすご過ぎて一回も勝てたことがなかった。そして第1王子であるアレクサンダー様は二人には劣ると言ってもどちらもわずかに下という感じだった。あんなに優秀だと周りに言われて育ってきた僕はすっかり自信をなくしてしまった。お遊び相手として王城に通い、マナーを学びながらのお茶会、王家専属の家庭教師に勉学を教わり、王宮騎士団で剣の稽古をする。
そんな日々を過ごしていた。王城では4人の中で中途半端な成績で、飛び抜けてどちらかが良かったらもっと自信が持てたのかな?とか、どうして僕がお遊び相手に選ばれたのかなとか考えると王城に行く日は気持ちが沈んだ。それでも両親は相変わらず
「ヘンリーは優秀ね」
「王子のお遊び相手に選ばれるなんて大したもんだ。ハワード家として鼻がたかいよ」
と褒め、まんざらでもなかった。あんなに嬉しそうにしている両親に
「でも僕が一番中途半端だよ」
などと口が裂けても言えなかった。王城で褒められない分、家で過剰に褒められそれで満足していた。
そのせいで、弟のノアが両親からないがしろにされているのに気づいたときはもう子供の僕が
「ノアも一緒に」と言っても両親と弟の間に出来た溝は深くなるばかりで埋まりそうになかった。
王城での勉学はそれまで家庭教師に学んでいたと言ってもついて行くのがやっとだった。ドワーズ先生の時は丁寧に基礎から教えてもらえたし、わからないところが有ればわかるまで説明してもらえた。先生の持病の悪化がなければずっと家庭教師をしてもらい、王城での分からない点とか予習とかもして欲しかった。でも次にきたザイール先生は、今までのおさらいをメインに先に進むこともなく毎回褒めてはくれるけど僕としては不満の残る自宅学習だった。
相変わらず両親は僕を優秀だと褒め称え、弟のノアと比べては
「あの子はなんでヘンリーのように出来ないのかしら。」
と嘆いていたが、王城での立場を思うと弟に対してちょっとした優越感があった。
ちょっと出来の悪い、僕の後ろをちょこちょこついてくる大人しい弟。頭をなでてあげるとはみかみながらうつむいてニコッと笑う弟。この子は僕だけが頼りなんだろうなと思わせる存在だった。
王城の事も弟が両親から怒られていると気も晴れた。
それでも王城でのテストの点数を見て落ち込んでいると、ベンジャミンが
「僕たちは、同い年の誰よりも先に勉学を進めているし、ヘンリーは勉学も剣技もどちらも出来ているようだよ。ぼくなんて剣技の方はさっぱりだからね。そんなに落ち込むことはないよ。アレクサンダー様が一番信頼しているのはヘンリーだよ。」
と言われ、自信をなくしていたけど、少し前向きになれた。そして4人の関係も以前よりずいぶん絆が深まったように感じていたある日家に帰ると弟が勝手に家庭教師をクビにしたと母上が騒いでいた。
「え?ノアが?本当に解雇したの?」
信じられなかった。自分の意見を言うこともなかった弟が、そんな大それた事をするとは。
そして、その後父上にまで刃向かったと聞いたときは何かの間違えじゃないのかと、または何かに取り憑かれているのではと真剣に考えたほどだ。
母上とお茶を飲んでいると、図書館に行っていたノアが帰宅したと連絡が入ったのでお茶に誘ってみるとはっきりと断られた。しかも母上に嫌味まで言って去って行った。弟に何が起きているのか、本当にこの少年は弟なのか?考えもまとまらないまま数日過ぎたある日弟の部屋の前を歩いていると中からノアの客だという男の声と楽しそうなノアの声がドア越しに聞こえた。そしてゲラゲラ笑っている声まで聞こえ、一度だって弟のそんな笑い声を聞いたことも楽しそうな様子も見たこともなかった僕はひどく客の男に嫉妬した。そして、その男がノアが希望している家庭教師だと父上に聞いたときは
「男爵の男が家庭教師?考えられません。僕ならごめんです。伯爵家にふさわしくないな」
と、思ってもいないことを父上に言ってしまった。
父上に呼び出されたノアは、刃向かったと言うことで両親から部屋から出るなと罰を与えられてしまった。そして食事の席にノアが着くことないまま夕食を食べ、朝食の時間になると家令が
「ノア様の部屋の前に昨夜夕食をお持ちしたのですが、召し上がっておられなく、朝食に差し替えて参りましたが大丈夫でしょうか?」
と聞いてきたので、父上は
「放っておけ!食べないならもう持って行ってやらんでもかまわない。腹が減ったら部屋から出てくるだろう」
と言ったが、部屋から出るなと言っといて本当にノアが部屋から出てきたらそれについて怒るんだろうなぁとうんざりして
「後で僕が部屋の外から声をかけてみるよ」
と家令に告げると母上は
「ヘンリーはやさしいわね。それに比べてノアは迷惑ばかりかけて嫌になっちゃうわ」
とため息をついていた。昼食になっても部屋から出てくる様子がないので
「ノア?大丈夫?おなか減ってるんじゃない?入るよ」
と言って部屋に入ると、そこには誰も居らず、きちんと整理された殺風景な弟の部屋だった。
「居ないんだけど!どういうこと?いつから?」
大騒ぎで家令やメイドとノアを見なかったか探したけれど家のどこにもノアは居ない。
そして部屋のクローゼットには沢山の僕の着ていたお古の服がかかっていいる。メイドの話だと外出する時の服は全部あるらしい。それに比べて机の引き出しの中は何も入っていなかった。僕がプレゼントした万年筆もお祖父様とお祖母様のプレゼントのジュエリーも。そして子供が生まれたときに親から初めてプレゼントされるバースデーストーンも。
ノアは引き出しの中の自分のものだけを持ってどこかに行ってしまった。
部屋の灯りも点かないこの暗い部屋でノアが居ないことが現実として受け止められなかった。




