聖女候補
第二治癒室の昼下がり。
今日は厨房の配膳担当・ララさんが、調理師達によって治癒室まで運ばれてきた。傍ではその旦那様である調理師のトニーさんが、眉を下げたまま不安そうに付き添っている。
「ありがとう、ペルラ。楽になったわ……」
「どういたしましてララさん。けど、一時的に吐き気を抑えているだけなので、念のため今日は無理せず安静にしてくださいね」
「ええ。そうさせてもらうわ」
ララさんとトニーさんは、昨年結婚したばかりの新婚さんだ。最近、ララさんのお腹には小さな命が宿っていることが分かり、祝福ムードに沸いたばかりだった。
幸いにも体調は安定しているようで、ララさんは生活費のためにもあと少しだけ働きたいと仕事を続けている。けれど今日は急な吐き気に襲われ、立っていられなくなったとのことだった。
運び込まれた時には、ララさんだけでなくポールさんまで血色が悪く、二人まとめて倒れてしまうのではないかとハラハラしたほど。
ポールさんは身重のララさんが心配でしょうがないらしい。彼は真剣な表情を浮かべ、ララさんに説得を始めた。
「ララ、やっぱりもうこれ以上働くのは止めよう。もし君とお腹の子供に何かあったら、俺は一生後悔することになる」
「でも、赤ちゃんが産まれたら私は働けなくなってしまうのよ。今のうちに働いておかないと、生活費が……」
「なら、俺がもっと働くよ。なによりも君の方が大切だ。だから」
「ポール……」
込み入った話が始まり、これは邪魔できなくなってしまった。二人には、落ち着くまでしばらく話し合ってもらうことにして――私はなるべく気配を消し、部屋の隅へと避難する。
ここに来る色々な患者さんを見ていると、結婚してからも大変なのだなあとしみじみ思う。
結婚後に価値観の違いが分かったり、金銭面の心配が増えたり、義家族とのお付き合いなんかも……既婚者の皆からは、そういった苦労をよく相談される。
私はそのスタートラインにも立てていないため、何の役にも立たないのだけれど。
(ルイス様とマルグリット様も、このままいけばいつかご結婚されるのかしら……)
ご婚約もまだだけれど、ルイス様は二十五歳でマルグリット様も二十歳。この国では、結婚が現実味をおびる御年齢だ。
そのため、お二人が恋人同士になった途端、城で働く者達の間で「ご婚約は」「ご結婚は」と話題になったりして……有名人は大変だなと思ったのを覚えている。
(あ……マルグリット様だわ)
窓際でそんなことを考えていたら、ちょうど外にマルグリット様の姿が見えた。治癒服にローブを纏った彼女は、いつになく神妙な面持ちで騎士団本部へと入っていく。
(どうされたのかしら……)
「今の、マルグリット・フェメニー様よね?」
ポールさんとの話し合いが終わったのか、いつの間にかララさんが隣へ立っていた。ララさんも私の視線を追い、マルグリット様の姿を見たようだ。
「あ、ララさん。ポールさんとのお話はもうよろしいのですか?」
「うーん……ここですぐ決められることじゃないから、彼とはまた帰って話すことにするわ。それより聞いた? マルグリット様の話」
「いえ、なんのことでしょう」
「マルグリット様、聖女候補になったのですって」
「え……聖女候補?」
私は、思わず首を傾げた。
レフィナード王国では稀に、治癒能力のある者が聖女として選ばれる。一代に一人ほどの稀有な存在である聖女は、後世まで名を残せる名誉職なのだけれど。
これまで選ばれてきた聖女様達は皆、王族の危機を救ったり、土地の瘴気を浄化したりと、並外れた功績をあげてきた方達ばかりだった。
その点を考えると、なぜマルグリット様が選ばれるのかが私には分からなかった。
第一治癒室での働きぶりについては知るところではないけれど、マルグリット様が聖女様となるくらいの功績をあげていたのなら、私の耳にも届くはずだ。
けれどそのような話は聞いた覚えはない。なら、一体どんな理由があって聖女候補となったというのだろうと、純粋に疑問を感じた。
「なぜ、マルグリット様なのでしょうか? 確かに、マルグリット様のような美しい方が聖女様なら素敵だなあとは思いますけど……」
「ペルラが驚くのも分かるわよ。だってマルグリット様って、見た目に反して治癒能力はイマイチっていうじゃない?」
「そ、そんなことはないと思いますけど!」
「でもこないだ隊長様の命を助けた件で、『慎ましくも賞賛に値する』と王様からいたく評価されたみたいでね。御実家であるフェメニー伯爵家の後押しもあって、聖女候補にまで上がっているみたいなの」
「ルイス様の……!?」
まさか嵐の日の出来事が、そんな大それたことになっているなんて。
ルイス様を助けた謎の治癒師は人々の関心を呼び、それがあのマルグリット様であったことは、実際に大きな話題となった。けれど真実は、すべて私が勝手にしてしまったことなのだ。
ただ好きな人を救いたい一心で治癒魔法をかけ、素性がバレたら困るから急いでその場を去っただけで。それはレフィナード王に評価されるようなものではない。
「今、マルグリット様が騎士団に向かっていったでしょ? さらなる実績を積ませるために、王命で騎士団の治癒に専念させることにしたんですって」
「実績?! 第一治癒室にいるだけじゃ駄目なのですか?」
「聖女となった時に、『ルイス様だけではなく騎士団を癒し続け、国防に尽力した』って後付けがあれば箔がつくでしょう? 今代の聖女は、騎士団のために活躍することが功績のようなものだから」
「騎士団のために……」
どんどん、マルグリット様の嘘が塗り固められていく。これでは、ますます後に引けなくなるのでは……
「ララさん……よくご存知なのですね」
「私は配膳担当よ。食堂にいればいろんな話が聞こえてくるもの。みーんな口が軽いんだから、まったく」
「マルグリット様が聖女候補となったことは、もう食堂で噂されるほどなのですか?」
「ええ。まだ知る人ぞ知る話だと思うけど、そのうち国中に広まるんじゃないかしら。今代はまだ聖女が出ていないし、話題性も抜群だから……王様もフェメニー伯爵家も躍起になっているようよ」
(そ、そんな……)
全身から血の気が引いていくのがわかる。
真実を知っているのは私とアルビレオ様だけで、アルビレオ様には口止めをお願いしている。アルビレオ様のことは信用しているし、バレることはないと思うけれど……このように話が大きくなってしまった今、もう絶対に口をすべらせてはならない。
(マルグリット様……大丈夫かしら)
想像以上の影響に、責任を感じずにはいられない。
けれど、マルグリット様のお心が分からない今、私には口を噤むことしか出来なかった。