嫌な予感
無事に口止めは成功したのだけれど。
『また、近いうちに参ります』
そう言い残し、去っていった義理堅い騎士アルビレオ様は、本当にすぐ現れた。
それも、なんと次の日に。
「ペルラちゃん、おかげさまでだいぶ良くなったよ。いつもありがとうねえ」
「いいえ。今度は腰が辛くなる前に来てくださいね、ヨランダさん」
次の日、私はいつも通り、患者さんの手当てに勤しんでいた。
今みているのは掃除婦のヨランダさん。御年八十歳の大ベテランにしてまだまだ現役という、使用人界隈の伝説になり得る人物である。
シャキシャキと元気なヨランダさんではあるが、こうして時々腰を痛めては、誰かに担がれながら治癒室に運ばれてくる。
なまじ元気なものだから何度注意しても変わらず、腰が限界を迎えるまで働いてしまうようだった。
私はヨランダさんの腰に手を当て、身体の負担を抑えながら少しずつ治癒魔法をかけていく。
本来ならマナーに則り、患者さんには触れず治癒魔法を施すべきなのだけれど、ヨランダさんの場合は特別だった。本人いわく、手の温もりで腰の痛みが和らぐらしい。
本当に手を当てているおかげなのか、それとも治癒魔法の効果で錯覚されているのかは分からないが、ヨランダさんから「さすっておくれ」と言われたら出来るだけのことはしてあげたくなる。
「この歳でも働き続けられるのは、ペルラちゃんのおかげだよ。腕は良いし気だても良い。孫の嫁さんに欲しいくらいだ」
「いえいえそんな……お孫さんに私なんかでは勿体ないですよ」
「いいや。ペルラちゃんなら大歓迎だよ。どうだい、うちに来るかい」
(ああ……また始まってしまったわ)
私は苦笑いをするしかなかった。
ヨランダさんからは毎回のように、こうしてお孫さんを紹介されてしまう。お孫さんは城下町で商売をされているらしく、商売は軌道に乗り順風満帆であるらしい。
しかし祖母であるヨランダさんは、お孫さんがまだ独り身であることに気をもんでいるようだった。
でも……こう度々話を頂いては、私も反応に困ってしまう。いつものように受け流すけれど、ヨランダさんはなかなか手強かった。
「ペルラちゃん、次の休みはいつだい? 一度、孫と会ってみないかい?」
「いえ……私はまだまだ結婚なんて考えていませんし、お会いするわけにはいきませんよ」
「そんなに構えなくても、会うだけでいいんだよ。きっと孫もペルラちゃんを気に入るだろうし」
この話が始まると、ヨランダさんはなかなか諦めてくれない。
会うだけでいいとヨランダさんは言うけれど、会うだけで終わるはずがないと私は内心思っている。もし会ってしまえば、なし崩しに話が進んでしまいそうで、それを断る自信もなかった。
婚約者くらいいたら簡単に断ることもできるのだが、庶民同然の貧乏男爵令嬢である私にそんな存在いた試しがない。
今回はどう断ろう……ヨランダさんの腰を擦りつつ頭を悩ませていると、今日は隣から助け舟がはいった。
「もうおやめください、ヨランダさん。ペルラが困っているではないですか」
ヨランダさんの話を止めてくれたのは、アルビレオ様だった。
「おや騎士様、まだ居たんだね。今日はここまで運んできてくれてありがとうねえ、助かったよ」
「あ……ありがとうございます、アルビレオ様」
「いえ」
実は今日、ヨランダさんをここまで連れてきてくれたのはアルビレオ様だった。
すぐそこの裏庭でうずくまっていたヨランダさんを背中におぶり、第二治癒室まで運んでくれたのだ。
ヨランダさんは城のあちこちを掃除しているため、顔も広い。どうやら騎士団の建物にも出入りしているようで、アルビレオ様とも当たり前のように顔見知りだった。
「ペルラじゃなくても、ヨランダさんのお孫さんならご自分でお相手を見つけてきますよ。きっとご立派な方でしょうから」
「そうかね……だって、ペルラちゃんいい子だろ。孫の嫁にぴったりだと思ったんだがね。騎士様もそう思うだろ?」
「え?」
「騎士様だって、嫁をもらうならペルラちゃんみたいな子がいいだろ?」
(や、やめて!!)
ヨランダさんは世間話でもする気軽さで、アルビレオ様相手にとんでもない事を言い出した。
こんな気を遣わせてしまうようなこと、申し訳なさすぎるので本当にやめて欲しい。私を前にして「いいだろ?」なんて言われたら、アルビレオ様は「そうですね」と返事するしかないじゃないか。
「ヨ、ヨランダさん! アルビレオ様が困りますから、そういうことは――」
「そうですね。ペルラみたいな人と結婚できたら、どんなに幸せでしょうね」
「あ……」
(ほらー! やっぱり……!)
案の定、アルビレオ様は気を遣って、ヨランダさんに話を合わせてくれた。
顔から火が出そうだ。思わず、心の中で平謝りする。
(アルビレオ様……私のせいでごめんなさいごめんなさいごめんなさい……)
「そうだろ? 騎士様も見る目があるじゃないか」
「ありがとうございますヨランダさん」
「ということでペルラちゃん、また気が向いたら孫と会っておくれ。私は諦めないよ」
腰も治り、勢いを取り戻したヨランダさんは、元気よく治癒室を去っていった。
後には私とアルビレオ様が二人取り残される。
「あの……アルビレオ様、ヨランダさんをありがとうございました。あのように気を遣わせてしまって申し訳ありません」
「いえ、大丈夫です。本当のことですし」
「ヨランダさん、いつもあのような感じなのです。会う度にお孫さんの話になってしまって……うまく話を合わせて下さって助かりました」
気を遣わせてしまったものの、ヨランダさんの話をあんなに早く終わらせることが出来たのはアルビレオ様が間に入ってくださったおかげだ。
私はアルビレオ様に向かって頭を下げた。
「なるほど……毎回この話をされてしまうとなると、少々困りますね」
「ええ。ヨランダさんに悪気は無いし、私のことを良く思ってくださっているのは分かるのですが。お孫さんにも好みはあると思いますし、私もまだ結婚は考えていないので、返事に困るのですよね」
「そうですよね……分かりました」
「え?」
「俺からもなんとかしてみましょう」
アルビレオ様は淡々とした調子でそう言うと、「ではまた」と治癒室から出ていってしまった。
この様子では、また来るつもりらしい。
(え……どういうこと?)
去り際に見えたアルビレオ様の平然とした表情からは、なにも読み取ることができなかった。
何とか……とは、ヨランダさんを? アルビレオ様が?
ヨランダさんの押しの強さを考えると、なんとなく期待もできない。私は首を傾げつつも、その日は特に深く考えることなく、治癒室の業務に戻ったのだった。
「ペルラちゃん、こんにちは」
再びヨランダさんが現れたのは、アルビレオ様とのそんなやり取りを忘れかけた頃だった。
「こんにちは、ヨランダさん。今日はどうされたのですか?」
「今日はねえ。ペルラちゃんに話さなきゃいけないことがあって来たんだよ」
「お話……ですか」
あの日から一週間ほど経ち、ヨランダさんの腰には特に不調もなく、相変わらず元気でピンピンしている。健康そのものであるにも関わらず第二治癒室まで来たのは、私に話があるからとの事だった。
ヨランダさんからの話――ということで、私は思わず身構える。
またお孫さんとの結婚話であったなら、今度はどう断ろうか。断る理由をぐるぐると考えていたら、ヨランダさんは突然、目の前でパンッと手を合わせながら頭を下げた。
「ごめん! ごめんねえ、ペルラちゃん。孫との結婚話、あれ無くなっちゃったんだよ」
「……え?」
(急にどうしたのかしら……)
『俺からもなんとかしてみましょう』
不意に、アルビレオ様の意味深な言葉を思い出した。
一週間前は「諦めない」とまで言っていたのに、急に態度を変えたヨランダさん――もしかして、アルビレオ様がなにか手をうってくださったのだろうか。
まさかとは思うけれど、そうとしか考えられない。
「うちの孫、結婚はしてないけど恋人がいるみたいなのよねえ。私だけ知らなかったんだよ。早く言ってくれればよかったのに」
(え……恋人?)
なんと、ヨランダさんのお孫さんにはちゃんと恋人がいたという。それをヨランダさんだけが知らなくて、ひとりで息巻いていたということだった。
「あの騎士様に説得されたんだよ。『そういうことはお孫さんの話を聞いてからにしたほうがいい』ってね。それもそうだと思って孫と話をしてみたらさあ、恋人がいるのに余計なことしないでくれって孫に怒られてしまったよ」
「まあ……」
やっぱり、アルビレオ様がうまく言ってくれたようだった。「なんとかする」と言って、本当になんとかなってしまったのがすごい。感謝しかない。
「ペルラちゃんには申し訳ないんだけど、この話は無かったことにしてくれるかい?」
(えっと、私が断られた感じになってるのはなぜかしら……)
この顛末に、拍子抜けしてしまった。
しかし、もうこれでヨランダさんからお孫さんの話がくることは無くなり、正直とてもホっとした。断るたびに心苦しかったのだ。
「大丈夫ですよ、ヨランダさん。お孫さんがお幸せそうで何よりです」
「これで早く結婚でもしてくれたらいいんだけどねえ……ペルラちゃんも、だれかいい人いないのかい」
「え、私ですか!」
「年頃だもの。好きな男の一人や二人いるだろう?」
(好きな男……)
いきなり私に話を振られ、言葉に詰まる。
好きな人、と言っても、私には婚約者も恋人もいない。片思いもしていたけれど、ついこの間失恋したばかりだし――そんなことを考えていたら、つい窓の外に目をやってしまった。
騎士団本部の入口からは、ちょうど騎士様達が出入りしている。その中にはたまたまルイス様もいて……すぐ隣にアルビレオ様の姿も見えた。
(本当にアルビレオ様もいらっしゃるわ。今まで全然気が付かなかった……)
いつもルイス様の姿ばかり探していた私は、アルビレオ様の存在にやっと気付いた。
偶然、アルビレオ様もこちらの視線に気付いてくれたようで、軽く会釈ををして下さる。本当に律儀な方だ。私も頭を下げてお返しをする。
「ほお、あの騎士様かい?」
「あっ……」
ヨランダさんを前にしてうっかりしていた。
私は急いで笑顔を作ってごまかした。今は恋愛なんてこりごりなのだ。
「いえ! 残念ながら、そういう人はいないのです。でも、まだ結婚とか恋愛はいいかなあと……」
「そうかい、いないのかい……若いのに寂しいねえ。分かったよ、私に任せな!」
「え」
「ペルラちゃんにお似合いの相手を私が探してきてあげようね!」
「えっ! ま、待って下さい、ヨランダさん……!」
いまいち話の通じないヨランダさんは私の制止を聞くこともなく、いつも以上に張り切った様子で治癒室を出ていってしまった。
なんて元気な八十歳なのだろう。
(……嫌な予感がするわ)
なんとなく知っている。嫌な予感ほどなぜか当たる。
私はそんな胸騒ぎを覚えながら、ヨランダさんの背中を見送った。
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