素顔
チーズ専門店を出た私達は、露店が並ぶ大通りをゆっくりと歩いた。ちょうどピークの時間も過ぎ、通りには休憩している人も多い。
「ペルラ、あの店が美味しそうですよ」
「そ、そうですね!」
「あちらのお菓子も――」
こうして歩きながら、アルビレオ様は焼き菓子やスイーツのお店を勧めて下さる。辺りには甘い香りが漂い、確かにとっても魅力的だ。
ただ――私はというと、すでにお腹が限界を迎えていた。
お祭り限定のメニューを食べ終えて、露店で食べ歩きをして、カフェでデザートを食べて……というプランを言い出したのは私で、アルビレオ様はそれを叶えてくれようとしている。けれど実際のところ、私はかなり満腹になってしまっていた。
チーズチキンの終盤あたりから少し嫌な予感はしていたのだ。案の定、これ以上は食べられる気がしない。
(アルビレオ様は……まだ食べる気でいるわよね、男性だし)
自分の胃袋が心底情けない。こんなことアルビレオ様には言えない。歩きながら口数の少なくなっていく私に、アルビレオ様も何か感じ取ったようで、
「ペルラ、なにか飲み物でも飲みませんか?」
そう言って、温かいお茶を買ってきてくれた。
つくづく、よく気がついて下さる方だ。香ばしいお茶の香りとアルビレオ様の優しさが、重い胃袋に沁みわたる。
「アルビレオ様、お気遣いありがとうございます……本当に申し訳ありません、お気付きですよね。私がお腹いっぱいなこと」
「はは……言えなかったのですよね。別に構わないのに」
アルビレオ様は、別になにも気にしていない様子だ。
私も、アルビレオ様がこんなことで機嫌を損ねるとは思っていない。けれど「沢山食べたい」と言っておいて、いざ食べてみると「もう食べられない……」なんて、まるで子供のようにわがままを言っているようで申し訳なかったし恥ずかしかった。
「俺は何も食べなくても、こうして店を眺めながら歩いているだけで楽しいですよ」
「そうですか? でも、せっかく来たのに」
「いいのです。ペルラといることに意味があるので」
アルビレオ様は私に合わせて、本当に何も食べることなく隣を歩いて下さる。
こんなことで本当に楽しいのかと心配になりながらも、アルビレオ様は相変わらず笑顔だ。つられて私も顔がゆるんで――私達はゆっくりと露店を眺めてはぶらぶらと歩いた。
「アルビレオ様、お疲れではないですか? 休憩しましょうか」
「そうですね、ずいぶん歩いたので」
大通りの端まで歩いてきた私達は、休憩するためのカフェを探している。しかしこの辺りにあるカフェはどこも満席で、なかなか空席が見つからない。
「皆、考えることは同じですね。ここも満席です」
「あとは少し離れたところにもう一件、カフェがあったような気もしましたけど……あら?」
カフェを探してぐるりと見渡した先に、ぽつんと花屋の露店があった。店先には色とりどりの鉢植えが並べられ、その前に、目を奪われるほど美しい人が立っている。
薔薇のように赤い髪に、瑞々しい顔立ち。
あのほっそりとした華奢な手足は、美しくありたい令嬢達の憧れ。
(花屋の前にいらっしゃるのは、もしかして……)
「あれはマルグリット……ですか?」
私の視線を追ったアルビレオ様も、道の向こうに佇むマルグリット様の姿を見つけたようだった。
けれど今日のマルグリット様は、レフィナード城で見かけるお姿とまったく違う。
いつもの華やかさは影を潜め、落ち着いたブルーグレーのワンピースを着て、まるで街に溶け込むかのような装いだった。はたしてあの方が本当にマルグリット様であるのか、アルビレオ様が疑う気持ちもよく分かる。
マルグリット様のお隣には、侍女のドラさんが控えていた。城でも、二人はいつも共にいる。どうやら今日は露店の前で花を選んでいらっしゃるようだった。
マルグリット様が好みの鉢植えを指さすと、ドラさんが肯定するようにニコニコと頷く。頷かれたマルグリット様は嬉しそうに笑まれて、その鉢植えを手に取った。
淡いピンクの花が揺れる、優しげな鉢植えだ。
なんとなく、マルグリット様のイメージとは真逆のような印象を受けた。
「なんだか……城でお見かけするマルグリット様と、ずいぶん印象が違いますね」
「そうですね。騎士団では、部屋に真紅の薔薇を飾っているようなのですが。本来はあのような花を好むのでしょうか」
「本来は……?」
「もしかすると、今日のような姿が本当のマルグリットなのかもしれませんよね」
華やかで、美しく気高い――レフィナード城の薔薇と謳われるマルグリット様。多くを語らないその振る舞いから、みんな彼女の事を好き勝手に噂する。
高飛車だとか傲慢だとか、その噂には耳を覆いたくなるものも多い。かくいう私も、アルビレオ様や治癒室の患者さんなどから伝え聞く姿しか知らなかった。
けれど今、露店で花を愛でるマルグリット様はどうだろう。
侍女のドラさんにやわらかな笑顔を向け、控えめな鉢植えを手に取り、嬉しさを隠すことなく笑っている。そんな彼女が、噂に聞くような傍若無人な振る舞いをする人なのだろうか。
「……マルグリット様って、本当に噂で聞くような方なのでしょうか」
「分かりませんが……騎士団では、控え室に籠って治癒もせず、好き放題しています。騎士達の苦情は受け付けませんし、ルイス隊長が何を言って聞き入れません。何より、ペルラがしたことを横取りして聖女候補の座に居座る、大嘘つきではないですか」
「それは……そうかもしれませんが」
「本来の姿がどうであろうと、マルグリットのことは許せません。俺にとって、ペルラの行いを踏みにじった人間ですから」
アルビレオ様は、目の前のマルグリット様に動揺すること無く、これまで見てきた事実のみを信じているらしい。彼女のことを許さないという決意は固く、揺るがないようだ。
確かに、マルグリット様はルイス様に嘘をついた。
嘘をついてルイス様を騙して、そして恋人になった。
その馴れ初めが人々の話題になり、聖女候補にまで上り詰めた。
なのに聖女候補になった途端、ころりと態度を変えてしまっている。
(マルグリット様は、一体どうしたいのかしら……)
「ペルラ、行きましょう」
「は、はい」
やわらかなマルグリット様の横顔が、目に焼き付いて離れない。
後ろ髪引かれつつその場を離れたその時、不意に振り向いた侍女のドラさんと目が合ったような気がした。