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身代わり少女の生存記  作者: K.A.
前日譚:初等部3年
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心残りのないように

 思えば、あの日から随分と長い時間が過ぎた。

 始まりはもう三年以上前、スピカが六歳になる時。ガクルックス家に売られて、「アジメク」になった。精一杯アジメクに見えるように教育されて、お嬢様になるよう整えてもらって、まるで背中にナイフを突きつけられたような必死さで、私は「アジメク・ガクルックス」になった。

 そうやって、騙し騙しで三年間。あっという間だった気もするのに、冷静に考えると三年間というのはかなり長かった。六歳の時に入学して、今は十歳だ。他の生徒に比べると二年ほど年を誤魔化しているので大きな声では言いづらいが、私もお姉さんになった。

 だから、本日の放課後、スバル先生の言った言葉を穏やかな気持ちで聞けるのだろう。

 彼は、教室中を見渡して静かに言った。

「もう、卒業式は来週だ。心残りはないようにしておきなさい」

 彼は、珍しく優しい顔をしていた。スバル先生は基本的に初等部の担当なので、担任の先生をしてくれるのもきっとこれで最後だろう。ある人は泣きそうに、ある人はどこか怒った顔つきで俯いた。

 どうせ中等部に上がるだけだ。さほど大きな変化はない。そりゃあスバル先生が担任でないのは寂しいけど、彼は中等部の魔法学も教えてくれているので、実は私は他のクラスメイトよりも少しだけ余裕だった。

 ただ、ただ一つだけ気にかかる、心に残るものはあるけど。

 私は目を閉じた。クラスメイトは自分の気持ちに手一杯で、誰も私のことなんて気にしていなかった。それはありがたいことだ。

 私は目を閉じた。苦しげに、眉を顰めて。あれは私の心の中でいつでも思い出せる言葉だった。苦しい苦しい呪いみたいな言葉だ。

 そしてきっと私も、卒業の日、同じ言葉を吐くことになるだろう。きっと、吐いた相手を呪ってしまうに違いない。それでも、その呪いが少しでも愛らしいものであればいいと思う。

 どうか、どうか……。


ーーーーー


「ねえ、ちょっとツラ貸してくれないかしら?そうね、校舎の裏手あたりまで」

 ……すごく上品に校舎裏まで誘われそうになっている。確実にシメられる案件である。

 そしてそれを言っているのがよりにもよって不良から程遠い女の子なのだから、なんとも言えない気持ちになる。具体的にいうと世紀末みたいな。

「そ、それは表出ろってこと?」

 私は恐る恐る聞いた。彼女は首を横にフルフルして、「いや、表じゃなくて裏に来て欲しいのだけど」と答えた。そういうことじゃないのよ。

「もしかしてこれから用事があるのかしら?」

「いや、そんなことないよ。暇だし、行くよ。……ただ、行く前、行く前に一つだけ聞いてもいい?」

「なぁに?」

 彼女は可愛らしく首を傾げた。私はその可愛らしい仕草と正反対とも思える彼女の右手の先を見た。

 そこには、明らかにぐったりとしたギナンがいた。彼女の両手には手錠がかかっている。クラス中の誰もがチラチラと視線を向けながらもそれに突っ込まなかったのは、その手錠の真ん中の鎖を握り締める彼女、ミラの笑顔が怖かったからだ。

 ギナンは立っているのもやっとという有様で、しかし意識は失ってなければ外傷もないように見える。それが余計怖いのだが。

 というわけで、私は恐る恐る聞いた。

「私も、そ、そうなるの……?」

 ギナンを指差す私の右手は震えていて、ミラはそんな私の右手をサッととって「人を指さしちゃダメよ」と言った。人を手錠で拘束するのはいいんですか⁇

 そして彼女はそのまま私の右手を捕まえて、にっこりと笑った。

「ちょっと、埋めるのを手伝って欲しいだけなの。すぐに終わるわ」

「……人を?」

「面白いこと言うわね、そんなわけないじゃない」

「じゃ、じゃあ何を?」

 恐る恐る聞く私に、彼女はそこでふふふと可愛らしく笑った。ミラの右手には、ギナンに繋がる手錠。左手は私の右手首をがっしりと掴んで、彼女は意外と乙女チックなことを囁いた。

「恋心を」


 ザク、ザク……。

 ザク、ザク、ザク……。

「はぁ、はぁ、はぁ……」

 意外と私って、腕力ない方なのかも。もしくは貴族になったこの三年間で衰退したか。流石にこの季節に汗をかくようなことはないが、息が荒れ、今にも地面に手をついて休みたいくらいである。

「よし、このぐらいでいいわ。ありがとう」

 概ね三十センチくらいを掘ったところだろう。硬い地面相手、しかも小さなスコップではかなり労力を割いた。しかしその穴は、人間を埋めるには全く足りない容積である。なのでミラのその言葉に私は密かに胸を撫で下ろした。よかった、本当にギナンを埋める気はないんだな。

 なんとも物騒な安堵ではあったが、私がそう感じるのも無理はないだろう。しかし穴を掘っている最中、視界の端に木の根っこにぐったり座り込んだギナンがチラついていたのだ。

 それもご丁寧に、ギナンが逃げられないように手錠と木の根っこを繋いでいる。こっちは戦々恐々しながら手を動かしながら、嫌な想像ばかりしていた。

 まあそんな想像も杞憂に終わる。私は私の横でフウフウ言っている彼女に向き直った。

「それで、何を埋める、のーー」

 私はそこで思わず言葉を止めてしまった。まるで喉につかえができたみたいに、否応なく。それは別に、普段よりもずっとアクティブなミラに喉元を攻撃されたとかではない。まあ、確かに同じだけの衝撃はあったけど。

 だって、目の前を金が舞ったのだ。

 金色の、アジメクとは違って、ピンクがかったブロンドが重力に逆らって空を舞った。それはただの少女の髪ならともかく、「貴族令嬢の」髪であるからこそ大きな意味を持った。

 ジョキン、という音が私の耳に届いて、彼女の持つ大ぶりなハサミが目に入って、やっと私はその意味を理解した。きっとこうなることを知らされていたのだろう、ぐったりしていたはずのギナンが必死に呻いて、手錠を外そうと暴れていた。

 彼女はそれをさっさと土に埋め、上から元々あった分の土を被せた。穴を埋める作業は一度掘り返した土だからか少し柔らかくなっていて、彼女一人でも十分に行えていた。


 髪の毛。女の髪というだけでも十分に意味を持つものであるが、特に貴族令嬢のそれは市井に生きる女のそれとは一風変わった意味を持つ。

 一般的には、髪を切るという行為はよく行われるものである。普通に気分転換に、ファッションのため、それこそ失恋をしたから髪を切るなんていうのも。多分ミラの今の行為は、最後の意味だったのだろう。髪に心が宿るとは私は思っていないのだけど、心を作り出す臓器は未だ解明されていないのだし、髪の毛に恋心くらいは宿らせてもいいかもしれない。

 しかし、それは貴族社会ではもう一つ違う意味を持つ。というか長髪の令嬢がいきなり髪を切った場合はまずこの意味に捉えられる。いや、少し回りくどいな。私も混乱している。ここははっきり言おう。はっきり言って、それは大概出家の意味で捉えられるのだ。

「……本気?」

 私は自分の声が震えるのを自覚していた。顔もきっと紙みたいに白いだろう。対してミラはどこかスッキリした顔で私を見た。

「もちろん」

「出家するわけじゃないよね?」

 私は恐る恐る聞いた。彼女の答えは場違いに明朗だった。

「まさか」

「……でも、髪……」

「今更古いよ、そんな概念。というか国教もほとんどないみたいだし、出家する先がないでしょ。私が髪を切ったのは、向き合うため」

「向き合う?」

「恋心を殺して、向き合う。私はいつまでもあのお兄さんに囚われてちゃいけないの」

 彼女は楽しそうに言った。確かに彼女は音楽家の家柄で、そういう貴族の習わしに疎いのかもしれない。しかしきっと私よりも先に貴族社会に足を踏み入れていた。だから私の懸念も、きっと彼女の言葉通りには周りは考えないだろうことも重々承知しているだろう。

 それでも彼女は髪を切った。それだけの覚悟で。それならばきっと私が彼女にいうべきことは何もない。むしろ何か声をかけるべきではないのかもしれない。

 それでも、私は考えてしまう。あの誘拐事件のお兄さん。だって私は現場にいたのだ。もっと何か、できることがあったかもしれないのに。

 あの哀れな恋心を、土に埋める以外の結末があったかもしれないのに。

 彼女の恋心は初等部校舎において行かれる。きっとこのまま、分解されて、土になって、まるで何も無かったかのようになるだろう。それでも私は、きっとこれを覚えておくべきなのだ。

 私はしゃがみ込んで、掘り返された土をするりと撫でた。少し湿って、硬い大地はどこか冷たく私を拒絶した。

 ミラは、ゆっくりとギナンに近づいて、手錠を外してあげた。意外に手首に跡なんかは残っていなくて、それでも違和感があるみたいで、ギナンは自分の手首をしきりにさすった。

 ギナンは立ち上がって、ゆっくりとこちらに歩いてきた。そしてそのまま、土に隠れた金髪をじっと見つめる。

 そして彼女はポツリと言った。

「ミラは、幸せになれるんだよね?」

「うん」

 ミラはとても嬉しそうに笑った。ギナンはため息を吐くと、そのまま踵を返して校舎に向かう。

 ミラも私にイタズラっぽく笑うと、その背中を追っていった。

 彼女の不揃いに切られた髪の毛は、太陽に照らされてとてもとても、輝いていた。



ーーーーー


 これはずっと先、私が中等部に入ってから知ることになるんだけど。

 この時、ミラは親の仕事の関係でとある貴族の坊ちゃんに言い寄られていたそう。そんな中ミラは髪を切った。そして親に言ったのだ「過去の恋を忘れるために切りました」と。そばでその様子を見ていた私とギナンも同じように証言した。

 両親は元は庶民の出である。驚きながらも彼女の言葉を受け止め、きっとその貴族の坊ちゃんとの婚姻に向き合うためと思った。彼女の行動は多少世間知らずではあったけど、褒められることではあったのだろう。

 ただ、世間一般にはそうは映らない。むしろ言い寄られていた相手の令嬢が出家するかのように髪をバッサリと切ったのだ。令息からすれば赤っ恥もいいところだろう。特に令息はミラの親ほどの年齢で(この時点で私は眉を顰めたけど)その親もそれなりに歳がいっていた。そうなると彼らが思い浮かべるのは「結婚が嫌で、出家まがいのことまでされた」という図だろう。

 こうして、結局ミラの婚姻の話は無かったことになった。私にも立場があるから、それに対して両手をあげて賛成をしたりとか、声をあげて笑ったりはしない。しないけど、一つ私が思うのは。

(恋心を埋める、だなんてどの口が言ってんだ……!)

 アジメク・ガクルックス。またの名をただのスピカ。卒業を間近にした「心残りを取り除く日々」。

 個性の強い友人たちに振り回される日々が今、始まる。

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