出会い
スピカは走っていた。脇目もふらず、貴族令嬢としてあるまじきスカートを翻して。
全くもって正しくないものの、「逃げる」という言葉が似合いすぎるほど似合った足取りである。王城での状況を表すのにこれほど不釣り合いというか物騒な言葉はないが、幸いなことにスピカは誰かにならず者に追われているわけでも市民の反逆の場に居合わせているわけでもない。良かった、今日もこの国は平和である。
ただし、彼女は追われていた。正しく「時間」という身近で親愛なる今日の敵に。
王妃とほんわか(もちろん偽りの含んだ表現)したお茶会を経て、多少は和んだり今後の行き先だの結婚相手だの考える機会に恵まれた。いや、どちらも私ではなく本物の「アジメク」の行き先と結婚事情だけど。
たださ、何というか、重要だよねそれも。貴族令嬢として人生を左右するような大事件だ。むしろ令嬢だけではなく家族丸ごとの大騒動だ。うん、そうなんだけどさ。
「でもそれより先に……宿題終わってない……!」
そう、まずは目先の危機である。多くの学生が目前にする危機である。というわけで走っていた。提出は忘れがちだが明日である。あと王妃につれて行かれた時にアル達と別れたきりなので、彼らとも合流したい。彼らを放置し優雅にお茶会していたとバレたら怒られそう。
そういうわけで、とりあえず図書室の方向を目指して走っていた。少々方向が合っているかは自信ないが、まあとりあえず真っ直ぐ走ればどこかに着くだろうという魂胆である。周囲に人気がなくなってきて不安にはなっているが。
(え、本当に心配になってきた。大丈夫だよね?変なところに入ったりとかしてないよね?)
何度も言うようだが、ここはアルの家であると同時に王城である。何かやらかしたらお縄もありえる。確かに「アジメク」にはあり得ない話だがこちとらただのスピカである。割と切り捨てられるタイプの身代わり少女である。
(いや、さすがに十七になるまでは捨て駒にはされないとは思うけど!保険として大事に大事にしてくれるとは思うけど!)
まあこれも何か保証がある話ではない。そもそも十七歳で「アジメク」の代わりに処刑されると言うのも人伝に聞いた話なので。
やだな、色々と考えると不安になってくる。私は思わず頭を抱える。とりあえずベストはこれから道の分かる親切な人と出会って道を聞くこと。最悪なのはなんか権力者に行き合って、しかもここが入っちゃいけないところである、と言うことである。
ゴッ、ドタっ。
そうしてもう少しと走って数秒、横から結構大きめの衝撃。思い切りぶつけた肩と吹っ飛ばされ床に叩きつけた体が痛い。思わず衝撃の方向を見ると、同じく目をまん丸にした少女。あ、なんかこの子見たことあるな。
「だ、大丈夫ですかミモザ様!」
あ、そう。ミモザ。例の「聖女」だ。そして一目散に隣にいた少女が彼女に駆け寄る。あれ、その少女も見覚えがあって、確か一年生の一時期アルと噂になった子、プロキシマ・ケンタウリである。
(……ん?)
確か、アルに彼女について聞いた時はまるで彼女のことなど知らないというふうな反応をしたけど。いつの間に家に呼ぶほどの仲になったのだろうか。
(いや、もしかして隠された?それならなんで?)
ちなみに、今現在そんな場合ではない。しかし意識がトリップしてしまうのはご愛嬌、何しろ恋する乙女である。まあ、でもそれはそれとして彼女は自分の命の危険すらある貴族令嬢(偽)であるため、ミモザが次の瞬間叫んだ言葉に、一気に顔を青ざめることとなる。
彼女、普通の家の出身ながらその小さな身一つで奇跡を起こし、多くの人間の命を救った、正しく「聖女」。その存在は神の子アケルナイとも負けずとも劣らない勢いで崇め立てられ、その身は丸ごと王家にて保護された、まるで物語の主人公。
その未来で第一王子の妻となる彼女、ミモザはその柔らかそうな栗色の髪を揺らして叫んだ。
「だ、誰⁉︎無礼者!ここは王族の生活圏よ!そこら辺の人が入っていい場所じゃないの!」
あ、やばい……。
ーーーーー
時は一度遡り、ついでに視点も変え、話を進める。
時はスピカがアル達を集めて宿題が終わっていないのだと泣きつくよりも少し前。学園の始業よりも早い午前六時のこと。そして視点も、プロキシマ嬢に変える。
そう、プロキシマ・ケンタウリ。前世の記憶を持ちこの世界がとある小説の世界観であると言う事実を知る数少ない人間の一人である。
そして元の小説を知っているばかりか、そこに転生しただの俺TUEEEEだのといった文化にも精通した、ただのオタクである。
『好きだった小説の中の世界に生まれ変わり⁉︎でも原作には登場もしないモブ中のモブだし原作知識もほとんどない件!えー、どうなっちゃうのー!』
朝、目が醒めて窓から見える校舎に、上記のような言葉が浮かぶ。彼女の毎朝のルーティーンである。
彼女にしてみれば毎日が聖地巡礼だし、気分は転生系のラノベの主人公。実際はそんなことは起きないだろうと言う理性が働きつつも、浮かれるものは浮かれる。毎日浮かれている。楽しい人生だ。無理にでもテンションを上げねば前世に置いてきた漫画や小説、アニメやゲームを思い出してしまうので。
「ついでに可愛い系イケメンと忘れられない恋がしたい……」
ちなみに彼女の好みは可愛い系でギャップのある人だ。そして最近の趣味は、休日学園近くの街を練り歩きつつ美男美女ウォッチングをすること。
さすが物語の世界。モブ店員も顔のいい人しかいないんだよな……。かく言う彼女もモブとして地味ながらも可憐な顔立ちをしているし、これに前世で築いた化粧を必死こいて施すとかなりの顔立ちになるのだ。割と彼女はそれが楽しくて学園に行くだけと言いつつも毎日綺麗に化粧をしている面もある。そんな今日は休日。いつもよりもより華やかに化粧を施し、街に行く準備を整える。
そんな折、不意に来客を知らせるベルが鳴った。チリンチリンと軽やかな音に、家格の関係で寮に連れた使用人がいない彼女は「はーい!」と応答する。来客の予定はなかったはずだけど。そして突発的に尋ねてくるような気軽な友人がいない彼女は少し不審に思いながらも扉を開けた。まあ開けるだろう。そりゃあ、セキュリティバッチリの国立学園の女子寮だし。多分実家よりもそこら辺しっかりしているはずだ。
そう言うわけで、彼女は開けた。とても気軽に。警戒の「け」の字もなく。
そしてそれは、彼女の波乱の人生の幕開けとも言える。
ガン!
音が鳴った。それはまるで自室の扉を拳で力強く叩かれたような音だった。いや、「ような」というかそれ以上でもそれ以下でもない。そしてその犯人は目の前にいた。目の前で、笑っていた。
「プロキシマ・ケンタウリさん、よね」
彼女は同年代の女性にしては背の高い。そして高いような低いような、どこか印象的な声をしていた。一度聞いたら忘れられないような、大勢の中でも一人だけピンポイントで聞き分けられそうな声。
前世の日本人の多くが持っていた、綺麗な黒い瞳を妖しく煌めかせて彼女は言った。
「モブを卒業させてあげるわ、ーーーーちゃん」
私は彼女の言葉に、呼吸を忘れたようになった。いや、実際に息が止まってしまったのかもしれない。だって彼女は、確実に言ったのだ。
私の、前世の名前を。
「前世の姿を知れる特別魔法を持ってるの」
彼女はサラリとネタバラシをした。私はこっそり前世での知り合いかと思って少し期待したのだけど、全くそんなことはなかったらしい。少しがっかりだ。
彼女はギナンと名乗った。見た目は地味だが声優のついてそうな声をしているのでメインキャラクターに違いない。何しろ原作が三話分しか出ていなかったので判断がつかないが。そして、お茶を出して少し落ち着いた後、彼女は改めて言った。
「ねえ、小説に一欠片も出てこないプロキシマさん。あなた、悪役令嬢になりたいの?それとも当て馬かしら」
彼女は至極楽しそうに両眼を細めた。分かりやすく面白がられていて、私は少し眉を顰めた。
図星だった。せっかくの異世界転生。しかし物語が始まるのは主人公達が高等部二年生の時で、私はその時高等部に入学してもいない。だからこそただのモブにはなりたくないと思った。だからこそ分不相応であることは承知で、物語の主人公のヒーローに当たる第二王子によく声をかけた。あとついでにできるだけ周囲に愛想よくもした。なんかみんな美少年美少女すぎて、ストーリーに関与する後輩キャラがもしかしたらいるかもしれないと思ったからだ。
「……何か悪いですか?」
なので結局私の口から出てきたのは、少し拗ねたような言葉だった。ギナンさんは少し笑った。
「いいえ、でも効率が悪いとは思ったの。ねえ、これは一つ提案なのだけど」
「は、はい……」
彼女は怖い笑顔で笑った。
「あなた、ミモザ様の話し相手になりなさい」
「…………は?」
あ、これもう王家の方に話を通してあるから、あなたに拒否権はありません。そう彼女はサラリと言って、私はもう一度「は?」と言葉を発するしかなかった。ちなみにこれは「はい」の略ではない。
ギナン・イマイ。のちに私のご主人様になる女性は私の手どころか顔を片手で掴んで言った。
「ミモザ様を全ての困難から守って。口利きはしてあげる。登場人物になりたいんでしょ?」
そんな経緯もあり、私は目の前の人物にかなりの警戒を抱いていた。
「アジメク・ガクルックスさん?」
「え、えぇ。ガクルックスです」
ぎこちなくアジメクさんが首を縦に振る。私がこっそりと「筆頭公爵家ガクルックスの一人娘です」と囁くと、ミモザ様は不審感を一応表情に出すのをやめて、パンパンと身だしなみを整えた。
彼女、アジメクは悪役令嬢。ヒロイン・ミモザをしつこくいじめる少女である。わずか三話分しか原作小説は投稿されていなかったけど、その時点でかなりの存在感を示すほど。
「つまり、第二王子から招かれたと言うことでしょうか」
「えぇ!そう、そうなの!」
「でも、ここら辺まで案内されたんですか?一応許可なく立ち入ることは禁止されていますけど」
「そ、それは……迷って……」
「……はぁ」
一番下っ端の私が話を回していいのか不安になるが、敬語すら怪しいミモザ様、なぜか気まずそうに黙り込むアジメク様に任せきれず、アジメクの話を纏める。
高等部入学時、つまり原作開始時アジメクと第二王子アルは婚約関係にあった。つまり彼女が王城に招かれるような仲であったとしても不思議ではない。
だがその一方、彼女がミモザ様に危害を加えないと言う保証はどこにもない。暇を持て余すミモザ様のために「話し相手」として雇われて数時間、しかし、彼女がろくな許可もなく王族の私室の近いこのエリアを彷徨いていることは把握している。
聖女であると言うことでお目溢しをされているが、本来ならアジメク様を責められる立場にはない。しかしその一方、彼女の「迷った」という言葉をそのまま真正面に信じると言うのも間抜けな話だろう。彼女の目指したという図書室とここがどれだけ離れていると思っているのだ。
「へぇ……それで、あなたはアルクトゥルフ様の部屋に押しかけようとしたの?」
「み、ミモザ様⁉︎」
嘲るような言い方に、思わず声を上げる。ミモザ様はどこか勝ち誇ったような顔をして腕を組んだ。彼女は確かに「聖女」として王家の後ろ盾を得ている立場であるが、現在はただの‘名字なし」平民である。ガクルックスの令嬢の機嫌を損ねたとなってはどちらが優先されるのかと言ったら明らか。正直王家もミモザ様が生きてさえいればいいのだから、平民として幽閉もあり得なくもないのだ。
「でもおあいにく様。ここはあなたが来ていいところじゃないの。衛兵を呼ぶわよ」
「こ、これは、アジメク様……ミモザ様はその……」
正直アジメク・ガクルックスにはいい印象は抱いていない。入学式の日から話しかけられるのも嫌で仕方なかった。だって彼女は未来であんな悍ましくて陰湿ないじめを行うのだ。
しかし、現在の彼女はただの権力者。彼女が指を動かせば私なぞプチンである。
「そもそもそんな非常識な方、アルクトゥルフ様が相手をしなくて当然だわ」
「ミモザ様!これは、これは違くてですね……」
どうにかここは収めなければ。私が言葉を選んでいると、その次の瞬間、王子様が現れた。
彼は白馬には乗ってなかった。でも権力はあった。そして美少年。
「アジメク!」
ま、彼は私には見向きもしなかったけど。正しくこの国の王子様、アルクトゥルフは一目散に駆けてきて、パシッとアジメクの手を取った。
「あ、アルクトゥルーー」
「ここにいたのか!また迷ったのか?仕方ないな」
そう言った彼の顔は、とても呆れた顔をしていて、それで少し楽しそうで。とっても優しい顔をしていた。
まるで彼の愛情の行き先がとても分かりやすかった。彼に話しかけようとしたミモザ様など視界に入っていないようだった。
「じゃあ、すまない。またな!」
彼はまるでこの場に少しでも居たくないと言うふうに、アジメク様の腕だけを掴んで走り出した。セカセカと小さくなっていく二つの背中に、私たちはまるで二人をいじめていたかのような気持ちになった。
「……ねえ、プロキシマと言ったかしら」
「は、はい!」
隣で同じく取り残されたミモザ様は、とても可愛らしい笑顔で言った。
「ちょっと、お茶に付き合ってくれない?」
そのお茶会が愚痴と悪口のオンパレードになったのは言うまでもない。
後日、私はミモザ様の「話し相手」として続投されることが決まった。
誠に申し訳ありません




