圧迫面談
「苦手なものはないかしら」
彼女は柔らかい声音で私に話す。私はそれに恐縮よりも恐怖してしまって、結局小さな声で「特に、ないです」と言うしかなかった。彼女はそれに頷くと、私の目の前にレモンパイをサーブした。ちなみに私は酸っぱいものはとてもとても苦手である。
彼女が優雅に席に着くのを見てから、私は薔薇の香りのする紅茶を口に含んだ。うん、全く味がしないな。白湯か何かかと思ったくらいだ。
「美味しい?」
「はい。ありがとうございます」
私の返答に彼女はとても綺麗に微笑んだ。
場所は、国で一番美しいと噂されるバラ庭園、そしてその中のこぢんまりとした四阿だ。もちろんそこから見える景色はそのまま切り取って絵画にしてしまいたいほど美しく、用意されたティーセットも一級品だ。
私の対面に座るのはこの国の女性の中で最も尊いお方である。ちなみに当主様に王城に招かれたと連絡した際、『王妃には会うな、会ったら目を逸らさず後退し逃げろ』と指示を貰っているのでこんな呑気にお茶会に誘われている時点で命令違反である。とてもまずい。
「こっちのクッキーも食べて。うちは男の子ばっかりだから、女の子とこうしてお茶するのは楽しいわね」
「え?」
「うん?どうしたのかしら」
彼女は優雅に首を傾げる。確か例のサダルスウド領の奇跡を起こした聖女様は王城預かりだったはずだ。あまり王城内で親交はないのだろうか。
「えっと、ミモザ様は……」
「え?誰かしら、そんな小娘知らないわ」
「あ、いや、なんでもないです……」
仲悪いみたいだ。まあ彼女のように聡明な女性ならば国民の支持を集める聖女と距離デメリットが分からないわけではないだろう。なのでこれはきっと聖女側が王妃のお眼鏡に敵わなかったということになる。
(…………この情報は、使えそうだ)
少なくとも当主様への報告対象にはなるだろう。その代わりこうして王妃とお茶をしたことはバレるが。まあそれは今話さなくてもいつかはバレることなので。
「……ねえ、アジメクさん」
「は、はい!」
そんなふうに呑気に考え事をしていると、不意に一際真剣な声色で話しかけられる。驚いて彼女の方に目を向けると、彼女はこれまでのは何だったのかというほど真剣な顔で私を見ていた。そしてその瞳はむしろ気圧されるほどだ。
彼女は至極真剣な顔で、こちらを確信的に威圧して言った。
「それで、アルクトゥルスとは結婚するのよね?」
私は当主様の言うことを聞いてあの時逃げ出していなかったことをかなり後悔していた。
ーーーーー
彼女は言った。
「良い家格の令嬢は同程度の家格の子息と結婚する。これが女にとって一番の幸せよ」
「えっと……」
「まあ、若いうちは色々と思うところもあるでしょうね。でも結婚する前の人生よりも結婚した後の人生の方がよっぽど長いんだから。年長者の意見は聞いておきなさい」
彼女はまるで諭すように言った。その顔は冷たくて、しかしどこか必死だ。
現・王妃。プリケリマ・イリオス。旧姓はアクルックスで、実はアジメクの生物学上の母親は彼女の姉にあたるイザール・アクルックスであるのだから、実は彼女は「アジメク」の叔母にあたる。
ガクルックスの家の中では不自然なくらいに母親の話は出ないので、親交は全くというほどないのだけど。社交に出ていない本物の「アジメク」は、もしかしたら自分の生物学上の母親を誰かも知らないかもしれない。
一番上の娘を筆頭公爵家に、二番目の娘を王家に嫁がせたアクルックスは、言わずもがなかなりの名家だ。現在は三人目の子供である長男が家を盛り立てているが、当たり前のように一流の家として名を連ねている。既に長男の家にも二人ほどの子供がいるそうで、何事もなければ将来安泰と言えよう。
そんなふうに何百年も上の立場にある家で生まれた、二番目の子供。一流の教育と一流の生活が生まれる前から約束された子供がそのまま大人に守られながら大人になった。そして今現在も一国の王の元に嫁いで、そのまま豪奢な暮らしを送っている。
もちろんその立場にいる人間特有の悩みや苦しみはあるのだろうけど、彼女は私には縁遠い世界の人である。だからなのか何なのか、彼女の言葉が厳しく聞こえるし、反発したくなる。
「……今は、割と自由恋愛とか言われていると思うんですけど。お父様もある程度好きにさせてくれるみたいですし」
私がそう言うと、彼女は微妙な顔をした。まるで苦いものと酸っぱいものと甘いものをいっぺんに口に入れたみたいな顔だ。
「…………あの人も変わったのね。親になったって言うべきかしら」
「え?」
「いいえ、何でもないわ」
よく聞こえなかった。戸惑いと共に聞き返すと、彼女は何でもないと首を振る。彼女がそう言うならばそうでなければいけないのだけど、何だか、微妙な気持ちになる。
それに、そもそも彼女の言葉に従うと余計に私はアルの結婚相手に相応しくないだろう。もちろん王妃は知っているわけがないが、どれだけ着飾っても私はただの孤児で、アルの相手にはなり得ない。もちろん本物の「アジメク」ならばそれに相応しいが、あちらの結婚相手を決めるのは私ではなく当主様だ。
あ、いやでも「アジメク」もとい「ルル様」にアルは求婚中なのだっけ。婚約自体は保留中だけど。……何だか事情が複雑になってるな。
そう言うわけだから、ここで私が安易に「じゃあアルと結婚します」だなんて言えない。とっくに彼からフラれていると言う事情もあるし。そう思い、ついには黙り込んだ私に、彼女は一つため息をつく。それはかなり重たいもので、確実に私を責める響きを含んでいる。咄嗟に私は肩を跳ねさせると顔を上げていられなくて俯いた。
彼女の思惑も、分からなくはない。今現在ガクルックスの家とアクルックスの家の仲は良くない。むしろ悪いと言っていいだろう。原因は言わずもがな当主様がアクルックスの令嬢にアジメクを産んで早々逃げられたことだ。まあつまりは男女の諍いというか勝手にやってくれという案件ではあるが、一方で力のある二つの家が対立をすると、その原因がいくら個人的なものであろうと他の家が勝手に派閥を作ったりしがちである。それによるトラブルなんて起きない方がおかしいだろう。
つまり国内貴族全体で対立が起きかねない状況なのだ。そこら辺は当主様やアクルックスの当主が上手にやってはいるが、全体をまとめる王家としてもいつまでも争われては困るのだろう。
そこで手っ取り早いのが結婚だ。その中でもアクルックスを後ろ盾にもつアルとアジメクの結婚が一番効率が良い。特にアクルックス当主の子供達は一番上もまだ五歳やそこらなので同年代の私たちがというのが一番自然だ。
だから彼女の思惑も分かる。言いたいことも。しかしこちらも無理なものは無理なのだ。
そのまま、なんの音もどちらも発さなくなって数秒。私は身じろぎ一つ取れなくなる。そして結局、沈黙を破ったのは王妃の方だった。
彼女はもはや呆れたように言った。
「恋だの愛だの、追いかける方が馬鹿らしいわ。……そしてそれに気づく時には大体手遅れ。だからどうか、あなたは幸せになりなさい。若いうちの苦労は買ってでもとは言うけど、それに押し潰されてからでは遅いのだから」
そう言う彼女の顔はそっぽを向いていて分かりにくいけど、どこか優しさを含んでいた。しかしどこか、少女みたいに悲しそうで寂しそうな顔。私はつい彼女に「押し潰された人が、いるんですか……?」と聞いた。
すると彼女は私を見て目を細めた。まるで私の影に誰かを見ているように。そして言った。
「世間知らずの一人の令嬢が。……その子は結局、男に捨てられ病にかかり、子供二人残して呆気なく死んだわよ」
そして彼女は弄ぶみたいに私の頬に指を滑らせた。何となくくすぐったくて目を細めると、彼女はそれで満足したみたいに笑った。
「考えておきなさい。そして、どうか幸せになって」
その声は祈るようで、一片も利己的な色は感じなかった。だから私は、当主様への連絡だとか自分の身分だとか考えずに、ただただ目の前の小さな女の子を安心させるために頷いた。
「じゃあ、行っていいわ」
彼女はあっさりとそう言った。私もそれに従って、礼儀もそこそこに立ち上がる。
少しでも早く、この場を離れたいと思った。それが一番だと思った。
いや、それは言い訳だ。強くて偉い王妃様が、そんなわけないのに泣いているように見えて、どうにも座りが悪かったのだ。
そうしてスピカがその場を去った庭園で、残されるのは王妃ただ一人。
その静かな庭に、こつりとティーカップを置く音が嫌に響く。
それからたっぷり十秒置いた後、今代の王妃、現在はたった一人の王妃は小さく笑った。あまりの懐かしさに。
「……さすが、あの子の姪っ子。そっくりだわ」
当代王妃の、プルケリマ・イリオスの友人は、家を勘当された後社交界からその存在を抹消された。あの時代は今よりももっと貴族の結婚というのに様々な制約があったのだ。いっそ契約や儀式のようだった。家を出た後のあの子の行方を知っているのは、プルケリマとあの子の弟だけだろう。
目を瞑れば、いつでもあの子の顔を思い出せる。初めて出会った時のまるでお人形のような鉄面皮。それから仲良くなるにつれて、まるで感情を一つ一つ覚えていくようだった。そして、彼女は恋というのを自分の心に見つけた。
あの子の背中を押したのは私だ。あの時は若かった、というのは言い訳にもならない。ただのエゴだった。「望まぬ相手の隣でウェディングドレスを着るあの子を、口先だけでも祝いたくない」。そんな子供じみた気持ちだった。
家を出る時の寂しそうな、しかし好いた相手と一緒になれることへの嬉しそうな。そしてその後はどんどんやつれる一方だった。……そして、痩せて冷たくなった彼女。
彼女の忘れ形見を必死に探して、結局見つかったのは処刑台の上。もう一人の兄はあの子の弟が引き取ったと聞いた。
幸せになって欲しかった。ずっと。彼女の笑顔が見たかった。彼女が笑顔で、ずっと生きて、ずっと楽しい毎日を送ってほしい。それだけだった。
どうかあの子も、そうなってほしい。もしもの時は彼女の父親がその権力を持ってどうにかしそうだけど。できるだけ苦労はしないでほしい。
庭園に佇むあの日の少女が、こちらを見て寂しそうに笑った気がした。




