悪夢の終わり
「それじゃ!音楽祭成功を祝して!かんぱーい!」
「かんぱーい」
「はい乾杯乾杯」
「ミラ、こっちのポテト美味しいよ」
「わ、ありがとう!」
「……グダグダだな」
「そりゃ五回目の乾杯だしね」
祭りは終わり、その興奮も覚め少しずつ日常に戻る日々。
三年Aクラスは音楽祭が終わった次の週末、お疲れ様会を開いていた。会場は学園近くの一流レストラン、当然のように貸切で、こういうところクロダンの集まりとの違いを感じる。(Aクラスということはイコールどいつもこいつもお坊ちゃんなので。)
というわけで、目につく料理は全て一級品。美味しそうというより、一周回って可食部を探すのが難しい皿もなくもないが。
まあしかし結局交わされる会話は年齢相応のものでしかない。周りに迷惑をかけないほどの礼節はあり、食事マナーは完璧であるが結局は十一・十二歳の子供達であるのだ。
…………いや、ここで一番礼節を弁えられていない二人組はなんだかんだ周りの少年少女よりも一回り二回り年齢が上のはずと予想されるのだけど。
「……なんでいるんですか?『ダブル・ダブル・スター』」
「なんでって、随分なご挨拶じゃねえか!」
「なんでって、なんでだろうなぁ?なァ!」
「あーもーいいですいいです。ねぇこの二人入れたの誰⁈」
「オレー」
「オレラ」
「つまりは勝手に入ったってことだけど、まあオレらがこの世で入れないのは、かわちいカフェだけだから」
「文句ある?アルの坊主が入れてオレらが入れないことある?そんな法律ある?ないよな?ないって言えヨ」
彼らと面識があるアルが(駄洒落ではない)話しかけるが、結局変に絡まれている。彼はどうやら、そんな簡単な予想もできないらしい。だから他のメンツは関わらないようにしていたのに。多分彼は無人島で生き残れないタイプだろう。
まああまりあれを放っておくとアルがなんの理由のない暴力に晒される可能性が高いので、カノープスに視線を送る。ほら、お前のお友達が困ってるよ。
「…………」
「…………」
この時カノープスはカペラちゃんの頼んでいたものと同じものを端から頼んで、「同じものを食べてる」という事実に浸っていたが(めちゃくちゃ気持ち悪い)私の視線に気づくと現状に気づいたようで同じ感情を含んだ視線をよこしてきた。
つまりは「お前がなんとかしろよ」という趣旨のものだが。
「…………」
「…………」
「…………」
「……」
カノープスの視線が「魔法学の筆記試験見てやるから行ってこい」に変わったのを確認して重い腰を上げる。
ちなみにカノープスは魔法学をとっていないので授業を聞いていないはずだが、彼にかかれば高等部の魔獣愛好学発展の定期試験もパスできる実力があるので、今更何もいうことはないだろう。(加えて言えば、魔獣愛好学発展は高等部の選択授業の一つだが、選択する生徒が一人もいないので定期試験など数十年単位で実施されていない。)
そういうわけで、私はアルを助けるために席を立つ。一連を見ていたベガが「仲良いね」と言ったが、あんなストーカーと親交があるなんて御免被りたい。発言を撤回するかピーマンを口一杯に詰めるか選べ。
まあ、そんなふうに戯れているうちにアルはちょっとやつれている気もしたが、まあ気のせいだろう。軽く挨拶をしてさりげなくのアルの肩に回る腕を解除してやる。
「お、アジメクちゃん」
「お。かわい子ちゃン」
「はい、アジメクです。音楽祭ぶりですね。先日はありがとうございました」
「いーよ、楽しかったし」
「意外と良かったからネ」
「ありがとうございます」
私が軽く頭を下げると彼らはにっこり笑って私の頭をぐりぐりした。
ちなみに彼らは私たち学生をまるで猫のようにぐりぐりすることが多い。まあ、あまりに小さい子だとあんまりやると首がグキってなると学んだのか、身長の小さい人間には割と弱い力でグリグリしているが。
逆に言うとアルはグリッグリされている。今も。
「それにしても、優勝おめでとーだね、Aクラスさん」
「おめでとーおめでと〜。グズの素人評価でもネー!」
「ありがとうございます。まあ、お二人からしてみれば二位でしたけど」
そう。結局、私たちは教師の定める例の出来レース万歳の順位では一位、ダブル・ダブル・スターの採点では惜しくも二位となった。一位は言うまでもなくDクラスだ。
「まあ、あれは仕方がない。凡才は集まっても一つには負ける」
「働きアリがいくら頑張っても、カマキリに勝てないのと一緒」
凡才だのアリだの随分な言いようだが、これは彼らなりの励ましなのだろう。しかしそれぐらい一位のDクラスはすごかった。生まれながらの歌姫メイサは、特別魔法を二年前よりも遥かに器用に自分の支配下に収め、そして周りもその才能を潰さないように、むしろ追随するかのような演奏をしていた。正直、学園初等部のホール一つに留めて置くには勿体無いくらいだったと思う。
それにミラは「さすが私のライバル」とむしろ嬉しそうな顔をしていた。中等部からは音楽祭がないのが残念だ。
「……と、言うわけで例の件なんですけど」
そこでアルが口を挟んだ。音楽家二人にグリグリとされギュウギュウとされて息も絶え絶えだったが、回復したようだ。
むしろ強い目つきで二人を見る。彼の言う「例の件」というのを私も勘づいて、私も自然と頬が強張った。
「例の件」とは、まあ伏せるまでもない。来年度からも同じように音楽祭に招待されてほしい、ということだ。正直彼らは学園の卒業生でもなんでもなく、本当に縁もゆかりもないはずなので本来ならばすぐに断っても不自然でない、言ってしまえば無茶なお願いだ。
しかし私たちは見てしまった。今年の音楽祭の盛り上がりようを。誰も彼も、とまでは言えないもの、ほとんどの生徒が自主的に、自分のクラスでの演技のクオリティを上げようと必死になっていた。もちろんうちも、モチベーションは二年前の比ではない。
「来年からもってやつっしょ」
「うーん、どぉしよかなー?」
二人は割と楽しそうに目を細めた。彼らはまるで一生懸命な目をした私たちが心底面白いと言ったふうだった。つまりなんだか馬鹿にされている気もしたが、おあいにく様、こっちは必死なのだ。
「泣いていたんです」
私は静かに言った。三対の瞳がこちらを見ていた。私はゆっくりと言った。
「二年Cクラスの発表覚えてますか?」
「あ、あぁ。あの『木漏れ日降る庭にて』を歌ったクラス」
「あぁ。伴奏のピアノがミスって途中一気に崩れたクラス」
「はい。そこのピアノ伴奏者が、泣いていて」
瞼の裏には音楽祭の日のことが鮮明に思い出せる。合唱が終わって、硬い表情で舞台から降りる、名前も知らない少女。側から見ても落ち込んでいることが丸わかりだった。
そして、偶然通った空き教室でそのこが堪えきれずというように号泣しているのを見た。
「……まあ、音楽の世界ってそういうこと」
「…………もしかして同情しちゃったノ?」
「あ、いえ。そうではなくって。私、こう言ってはなんですが、とても嬉しくなってしまったんです」
「は?」
「エ?」
双子はお揃いの猫目を瞬かせる。彼らを驚かせられるなんて、結構すごいことなのではと思うけど、まあそれはいい。
私はアルを見た。アルはなんとなく、私の言いたいことが伝わっているみたいだった。
「つまり後輩ちゃんの涙を見て心がウキウキしちゃったの?」
「いい性格してるねー。もしくはそういう性癖開拓したノ?」
「あ、そういうことではなく」
そしてとんでもない勘違いをされている。
「二年前まで、こんなことなかったんですよ。どうせ順位もハリボテだから、なんとなく発表会みたいなノリになってて。だからミスってもそんなにダメージはなくて。舞台上でやらかした、なんてのを恥じたりとか、プライドの高い子だと逃げ出す、なんてのもこれまであったみたいなんですけど、最後までやり遂げて、ミスっても頑張って、頑張り抜いて、その後一人で涙をこぼす。これって本気で挑んで、本気で勝利したいと願っていないとこうはならないですよね?」
「…………」
「……うン」
私の言葉に、二人はとても優しい顔で頷いた。まるで羽ばたく直前の小鳥を見ているような、コロコロ走り出す子猫を見守るような顔で。私はどこか照れ臭くなった。
「これを、今年だけにしたくないんです。後輩たちに、今年のような音楽祭を残してあげたいんです。お二人は忙しいでしょうし、多分来年以降もお二人に払えるギャラは雀の涙です。音楽祭実行委員で引き継いではくれますが、来年以降教師の横槍が入るかも分かりません。でも、どうか来年も、私たちを見に来てくれませんか?私たちの青春を、見届けてくれませんか?」
私は頭を下げた。隣でアルも。気がつくと会場は静かになっていて、他のクラスメイトがこちらの様子を伺っていることが分かる。アルが始めた話だが、明らかにこのような食事の席でする話ではない気もする。
そのままゆっくり、顔を上げる。なぜなら彼ら二人は、目と目を合わせて会話することが好きだから。予想通り、二人は私の顔を見て、にっこり笑った。
そして、どこまでも彼ららしく、場をまぜっ返すように言うのだ。
「ま、気が向いたらな」
「まぁ、憶えてたらネ」
彼らはそう言って背を向けた。きっとその先にあるビーフステーキが食べたいのだろう。幸せそうに食べているアルレシャくんを一人が小突いた。
私はアルと顔を見合わせ、どこか気の抜けた笑みを一つ。
私たちは、ここ数日の噛み合わなさが嘘のように笑い合った。
「なんで最近避けられてたのか、聞いてもいい?」
アルは、なんてことないことのように聞いた。私は少し迷って答えた。
「うちの親戚に、婚約を申し込んだでしょ?なんか今は保留らしいけど」
私がそう言うと、彼は驚いたような不思議そうな顔で「あ、うん」と答えた。
そうだ。発端はそこだ。彼がアジメクに婚約を申し込んだこと。
それ自体は私に何か言える権利はない。全くない。彼は彼が婚約を申し込んだ少女ルルが「アジメク」であることを知らないし、私が本当は「スピカ」で「アジメク」とは顔が似てるだけのただの孤児であることを知らない。
名前さえ奪われるような、身代わりの少女であることを知らない。
「だから、異性である私が安易に近づくのはダメかなって思ったの。嫉妬させちゃうじゃん?」
だから私は、至極軽く、雲よりも軽く聞こえるような口調で言った。本当は、本当のことは死んでも言いたくない。その気持ちを込めて。
それが成功したのか否か、アルは心底おかしいと言うように笑った。
「今更考えすぎじゃない?だって僕たち、まだ初等部に通ってるような子供だ」
「だよねぇ」
私も軽い調子で笑った。
でも、でもね、アル。私、生理がきたよ。アルも声変わりをした。身長がぐんぐん伸びてる。
女子会でも「誰々が婚約した」って話題が多くなった。夜会に出れば一回り二回り上の男性に嫌な目で見られることもあるらしい。
法律的にも倫理的にも、結婚できる年齢になったよ。
まだ、まだ大人に守ってもらえる年齢ではあるけど、子供でいられる時間はそう長くない。
「……そういえば、一年の子とはどうなの?」
私は軽い空気に任せて、ここ最近気になっていたことを聞いた。例の、プロキシマ嬢のことだ。
私の少しだけ勇気のいる質問に、彼はあっけらかんと答えた。
「え?なんのこと?」
「え?」
「え?あ、例のアプロディテ教の?アケルナイくん?」
他で会話した一年生のこと?あんまり二学年と関わる機会ないからな……。と、本当に心当たりがなさそうな顔をするアルに、私は思わず笑ってしまった。
「なんでもない!」
『パパへ
なんだか最近は忙しくてそっけない内容ばかりだった気がするので、今日はゆっくり机に向かってます。
今日は音楽祭のお疲れ様会をしました。まあ、パパには会費を払ってもらったのでそれは知ってるだろうけど。とても楽しかったです。美味しいものもたくさん食べました。
来週には魔法学クラスの試験があります。カノープス・アルビレオに勉強を見てもらう約束をしたので、点数は期待しておいてください。
それではおやすみなさい』
私はぎゅっと魔力を込めた。キラキラと光を残して手紙が消える。どこか清々しく、どこかワウワクした気持ちでそれを見送った。
今日は、本当に楽しかった。美味しいものと笑顔は私を元気にする。
ずっと、ずっとこんな日々が続けばいいな。
十分もしないうちに、視界の端にキラキラと光ものがあった。慣れたふうに捕まえると、それは当主様からの返信だった。
『愛しの娘へ
楽しめたようで良かった。今度からもそう言う食事会は増えるだろうけど、遠慮せずに言いなさい。
音楽祭は私も行きました。とても頑張っていましたね。私たちの時代ではあんなに盛り上がっていなかったので少し羨ましいくらいです。
魔法学の試験ですか。ガクルックスの家は確かに魔法に秀でた家系なので期待されることもあるだろうけど、どうかプレッシャーに感じず好きにやりなさい。
そういえば、魔法学試験の実技課題はどうですか?』
キラキラに包まれた手紙には私への気遣いを含んだもので、これが例え本物の「アジメク」宛を想定していたとしても嬉しいものがある。どこか勘違いしそうだ。
そして、最後の一文。私はそれを一回読んで、二回読んで、三回読んだ。
そして窓辺においてある鉢植えを見て。そう、鉢植え。もっと言うなら鉢の中に入っている草と土。……花ではない。つぼみすらない。
「…………やっべ、忘れてた」
試験は来週の水曜日。鉢植え提出は前日火曜日、たったの三日後であった。




