最後の音楽祭
「それでは、本日から音楽祭の練習を開始しますわ!各自パート練習に移ってください」
ミラの明るい声が教室中に響いて、その声に背中を押されるようにクラスメイトたちが練習場所へと向かう。音頭をとるミラの表情には一片の曇りもない。少し前までは去年の誘拐事件で音楽祭を中止に追い込んだことから音楽祭の実行委員をやめると言い出していたのだが、今はその気持ちはなさそうだ。
彼女がそれを言い出した時は、クラスメイト一同焦りに焦ったものだ……。スピカは数日前のことを思い出して嫌な汗をかく。彼女が去年の誘拐事件において後ろめたい気持ちを抱くのも分からなくもないが、それはそれとして彼女の代わりを務められる人間は誰もいない。
彼女ほど、音楽に対して熱心で知識も実力もある人間はこのクラスにいない。彼女と一緒に実行委員をしているアルレシャも、趣味の楽器演奏やオーケストラ鑑賞を活かして楽器演奏の総括をしている。しかし、彼は肝心な時には動くというか肝心な時しか働かない人間なので、責任のある立場に立てるには些か不安である。
そう言った事情から、あとそもそも去年の騒動を彼女の責任だとは思う人間が誰もいなかったことから、彼女は結局多くの人に引き止められ、説得され、そして私とアルが去年から準備していた「とある計画」を囁くと、彼女は覚悟を決めたようにその役職を受け入れた。むしろ、他の生徒にその役目を渡したくないといったふうに力強く。
しかし、頷いてくれて本当に良かった。音楽祭は初等部にしかない。つまり今回で最後。それをミラ以外の人間の主導でなんてできるわけがない。
とある計画ーーーあの、ダブル・ダブル・スターを魅了する音楽を作れるのは、このクラスでミラしかいないのだから。
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「スターの誘致?」
私が思わずと言ったふうに聞き返すと、アルは大きく頷いた。
話は数ヶ月前、私たちがまだ二年生だった頃まで遡る。二年生の、まだ寒い冬のこと。アルは私を呼び寄せ提案したのだ。彼のささやかで大きな作戦を。
それが、音楽界で権威のある人の誘致。しかもただ音楽界という限られた世界で名の知れたというだけではなく、普通に私たちが知っているような、高尚すぎず知名度はべらぼうに高い、スターの誘致だ。
「来年の音楽祭は、こう言っちゃなんだが、ここ数年にないほどのチャンスだ」
「チャンス?なんのこと?」
彼は目を輝かせてそう言った。思わず聞き返した私に、彼は大きく頷く。
「こういうことは言いにくいけど、この前の音楽祭は、中止になった。つまり今年の一年生、来年の二年生は音楽祭を経験していないことになる」
「う、うん……」
音楽祭中止の原因の一端である私は気まずく相槌を打った。私は別にいいが、ミラはこの件に関してすごく気にしているので、この不躾なところのある王子様を彼女にはあまり近づけない方がいいかなと脳みそに書き留めておく。
「つまり一、二年生のお手本は、僕たちだけだ。僕たちがやる気のある姿で臨めば、それに習うし、逆にやる気のない姿を見せればそんなものなのかと来年以降も今までのようなだらけた音楽祭が続くことになる。良くも悪くもこの学園に先輩後輩という制度がある限り、後輩は先輩の姿に習うものだ」
「なるほど……」
確かに、音楽祭は順位が権力の強い家の順番になるという出来レースであるという事実がある。これに対してのアプローチは二年前散々したが、結果も散々だった。正直そこを変えるのは難しいだろう。
そしてその出来レースであるという事実は代々後輩に伝わっており、私自身一年生の時クロダンの先輩から教えてもらった。
でも、その一方で、もしも生徒を動かす他のモチベーションができて、三年生がそれに向けて音楽祭に熱心だったら。音楽祭を経験したことのない後輩たちは、その姿を、その盛り上がりを毎年のことと考えるのではないか。そう上手く誤解するのではないか。
まるで授業参観の時だけ張り切る教師のような作戦だ。むしろ詐欺っぽいが、音楽祭を巡る暗い現状を変える突破口にはなりそうだ。そしてその方法として、音楽スターの誘致。
「それで、やりたいのが、第三者の介入。教師以外からの採点。第三者が独自に点数をつけるということだ」
「……なるほど」
それならば教師がつける公式の点数とは別に、第三者がつけた順位を作ることができる。公平な舞台で競うことができる。
そしてそこでわざわざ「スターを」なんて言うのも理にかなっている。ただの音楽家じゃだめだ。少し音楽界で名の知れたくらいじゃだめだ。
求められるのは圧倒的な発言力と、ただの素人を黙らせられるくらいの、ただの素人でも知っている音楽界での知名度だ。
そうして、二人で協議と検討を重ね一人の、いや、一つのアーティストを選出した。
その名も、「ダブル・ダブル・スター」。双子で活躍する音楽家。まだ若いながらも二人で取れる賞は全て取るような、今最も勢いのあるアーティスト。その分忙しいと言うことで最初は断られたが、あの手この手で説得を続け、親の名前を出すことなくどうにか交渉成立したのはアルの手腕だろう。もしくはこの国の第二王子の顔を知らなかった「ダブル・ダブル・スター」の世間知らずさを取り上げるべきか。いや、こんな細かい話は置いておいて。
そうして私とアルは無事スターの誘致に成功した。そして教師の力が及ばぬうちにと強引にことを進めるために隠していたが、改めて音楽祭実行委員に許可をとりに行って実行委員長をひっくり返らせた。その後、音楽祭準備期間に入る前日、この話を学園中に駆け巡らせた。
ーーーーー
「それにしても、最近どうしたの?二人とも」
そう、クラスメイトのラーンに声をかけられたのは、放課後の音楽祭練習が終わり、そのままなんとなくクラスメイトの女子たちで雑談をしている時のことだった。
「えっと……」
私が思わず顔を伏せると、彼女は慌てて「いや、言いたくないなら別に……。でもいつも仲良かったから!」と言葉を足す。
お茶会、というにはお行儀は悪いが、美味しそうなお菓子と数人の少女がいればなんとなく始まるこの集まりは、夏休みが明けてから初めてのこと。つまり私がアルと気まずくなってから初めてのことで、ラーンも女子しかいないタイミングを伺って聞いてくれたのだと思う。
私は静かに立ち上がって防音魔法をかけた。これだけ人がいるので完全に秘密にはならないだろうが、こうした方が気持ちが楽だ。
そうしているうちに他のクラスメイトもこちらに注目し、それでも数人は「聞いて大丈夫かな……?」という不安げな表情をしていた。私はどこまでも優しい彼女たちを前に言葉に迷う。
多分、嘘でも「喧嘩しちゃった」なんて言えば彼女たちは騙されてくれるし、放っておいてもくれるだろう。しかしそれはどうしても誠実ではないと思った。
でも、本当の理由はここで一言で言うには複雑だ。「遠回しにフラれた」「アルが他の女性に婚約を申し込んだ」とは軽率には漏らせない情報だ。それに、本物の「アジメク」は求婚されているのだから今後二人が結婚した時にややこしい。
そもそもアルが求婚したのは「ガクルックス家遠縁の少女」であって「アジメク」ではない。アルからすればその求婚を私が知っているとすら思っていない可能性もあり、多分夏前までとの態度の違いに一番驚いているのは彼だろう。
私は、うまく言葉にできないながらも周りの視線に促されるように口を開いた。
「…………なんか、接し方とか、分かんなくなっちゃって。その、私たちもう結婚とか考えるような年齢だし……」
「あー…………」
私の、ギリギリ嘘にならないような曖昧な言葉に、ベガは同意を示すように声を上げた。誤解させるような言い方をしたそれに、心当たりのある人は多いみたいだった。
私たち貴族令嬢は、その多くが中等部のうちに婚約を結ぶ。結婚自体は十八以上になることは多いけど、中等部のうちに結婚して高等部には行かない生徒も一定数いるのだ。
だからこそ他の少女も、大なり小なり親から結婚についてせっつかれ始めている年齢だろう。親としては子供が売れ残って望まぬ相手と結婚するのは避けたい一心だろうが、思春期に片足突っ込んだ私たちは当然、学園生活での異性関係をあれこれ探られていい気分にはならない。
まあ、もちろん身代わりの私がそんなこと言われるわけがないのだけど。しかしそれは置いておいて、少女たちの納得を十分に得られる言葉だったみたいだった。
「……それでも、二人は結婚するんだと思ってた。だって二人とも、お姫様と王子様みたいだったもん」
ふと、ころりと飴玉を転がすように言葉を静寂に零したのはカペラだった。夢みがちな言葉と、それを相応に恥じるような顔。私はその顔から目を逸らした。
「そんなに、可愛いものではないよ」
自分でも卑屈になっているのが丸わかりな、硬い声が出た。何よりも私ははっきりと言われているのだ。「僕はアジメクとは絶対に結婚しないから」って。彼は確かに王子様かもしれないけど、私はお姫様ではなかったと言うことだ。
どこの貴族の家よりも権力があって、その家の唯一の実子だと、アルは認識しているのに。どこの誰よりも王家の人間と婚姻を結ぶのに適しているはずなのに。実際彼は知らなかったとは言え、ガクルックスの遠縁の人間に求婚した。
つまりは正真正銘、「スピカ」がダメだったということだろう。私だから彼は結婚しないと言い切ったのだ。
「でも、本当にそれでいいの?」
なんとなく暗くなるその場の雰囲気を破るように、ラーンが難しい顔をして言った。
「それでって……どうしようもないし」
私がそっけなく返すと、彼女は感情的に言った。
「でも、そんなふうにしてるから、今、あの男フリーだと思われてるよ!」
あの男……文脈的にアルのことだろうけど、今も何も昔から彼はフリーだ。微妙な反応を示す私にラーンは怒ったような顔をする。
「今まではアジメクがいたから他が諦めてたけど、今になって私でもワンチャン、みたいな人が増えてるの!特に一年のあの子!もしかして正妻の余裕かましてるのかと思ったけど、本当に知らなかったの⁈」
「え、え、一年の子……?」
「そう!あの男も結局はただの男のなのか、押されてるだけなのか知らないけど。散々男子に媚び売って女子には嫌われてるあの……」
コツコツコツ……。
「あっ、ごめん、この話は後で!」
不意に近づく足音にラーンは慌てて話を切り上げる。他の少女たちも話を聞かれていないかと不安になったが、一応防音魔法をかけていたので大丈夫だろう。
大丈夫じゃないと困る。私たちくらいになるとただの恋バナが政治にも関わるので。
「どうも、お久しぶりですね、Aクラスの皆さん」
陰気で陽気な雰囲気で、私たちの集っていた教室に足を踏み入れたのは、ゼータ・キャス。その後ろから数人見覚えのある顔、そして最後尾にはメイサ。
これは、言わずもがな宣戦布告。彼らは音楽祭においてのライバル、Dクラスだった。
「練習、お疲れ様です」
ゼータは朗らかに言った。彼は二年前と比べてもちろん大人になって、多少は社交的になった。社交的と言うか、今現在ではその社交性は私たちを煽ることにしか使われていないけど。多分今の言葉の「お疲れ様」は無駄な努力を、みたいな嫌な雰囲気を纏っていた。
「そちらこそ、お疲れ様」
ミラも穏やかに返す。こう言う時うちのクラスの女は喧嘩っ早いから少し心配だ。今もミラの穏やかな仮面の下でぐつぐつとマグマが煮込まれ始めているのは疑うまでもないだろう。
ゼータはミラの可憐な顔に騙されたのかそれとも分かった上でなのか、不躾に室内を見渡すと一人の生徒が持っていた楽譜に目を止める。
「へぇ、『悪夢とのワルツ』ですか。確かに、現代曲の方が分かりやすくていいですね。何よりも技術が足りなくてもそこそこ盛り上がりますし」
彼の言うのは私たちが今回の音楽祭で発表する曲だ。「悪夢とのワルツ」。去年流行ったオペラの挿入歌で、確かに知らない貴族はいないだろう。つまりその分盛り上がりやすいのは確かだ。
「確かに、曲の力というのもありますからね。逆にその分古典曲は盛り上げるのが大変ですから難しいですよね。あぁ、でもその分古典曲はできなくてもしょうがない、若者が古典に触れることだけでいい、みたいな風潮ありますから、実力不足でもそういうので補えるんじゃないですか?」
それに対してミラはゼータの持つ楽譜を見ていないふりで答える。まんま古典曲の代表みたいな曲を行う予定のゼータは呆気に取られた顔をしてから、数秒後悔しそうに歯噛みした。
そしてそのまま言い返そうと口を開いて、しかし言葉がその口から出ることはなかった。なぜなら彼のクラスのお姫様がお出ましだったからだ。彼女に汚い言葉を聞かせるわけにはいかない。
メイサはゆらゆらと、キラキラと前に進んだ。彼女にぶつからないようにと周りが彼女に道を開け、メイサのための道を作った。
そして彼女は、拍子抜けするくらい呑気に笑って言った。
「おたがい、がんばろう、ね」
その邪気のない笑顔と言葉は、剣呑な雰囲気を浄化するようで、実際彼女の一言で、その特別魔法で、足元に綺麗な花が咲き誇った。




