ホンモノ様との旅②
太陽に存分に焼かれた砂浜はとても熱い。それこそ、孤児の時や前世の時に素足でそこらを歩いた記憶はあるが、砂浜の熱さというのはまた別格だった。
しかもそれが靴に入り込む。思わず悲鳴を上げる私に、アジメクは笑う。「脱げばいいのよ」なんていって、あっという間に繊細なレースのついた靴下まで脱いでしまった。素足の方が熱いのではと思ったが、彼女はあっという間に海水に濡れたところまで行ってしまった。同じ砂浜でもそちらの方
アジメクお嬢様は、私と一緒で海を見たことのない、そして私以上の箱入りであると聞いていたけど、その情報はどこをどう捉えても誤りであったとしか思えない。
彼女は想像していたよりもずっと勇敢で、なんか知らないが海に慣れていた。私がそれを指摘すると、下手くそな言い訳をゴニョゴニョと話していたから、もしかしたら家族にも秘密の体験があったのかもしれない。
まあ、それをわざわざ当主様に報告する気はないけど。聞かれていないし。何より少女には秘密が必要だ。
「ねえ、早くこっち!」
彼女が笑う。私は思わず目を眇めて、彼女の言う通りに靴を脱いだ。私の足に合った硬くない靴と、伸縮性のあるシンプルな靴下。流石に汚したら怒られるかなと思いながら、アジメクの靴の近くに並べる。
そして一歩、足を進めると、覚悟していたよりもずっと砂が熱い。というか痛い!普段お綺麗な地面しか歩かないから、自分の足裏の皮膚が柔らかくなっているのかもしれない。「痛い!」と思わず悲鳴を上げると、くすくすと笑い声と共に「早くこっち!」と手招きされた。
「あ、冷たい……」
数歩歩いて、砂浜の色の変わったところに足をつける。そうすると、これまでの痛みはなんだったのかというほど、足が冷やされる。
「ここまで、波が来るんですかね」
私が言った。今、波は私の立っているところよりも数歩分先にある。ここまで来るくらい大きな波が来るのだろうか。
「いや、今は朝だから潮が引いてるの。午後になればそこまで満ちてくるよ」
「へぇ……」
彼女はまるで見てきたかのように言った。
「それよりも早く!」
彼女の声は弾んでいた。私も思わず笑って、波に足を浸した。
「冷たい!」
その後すぐ、別荘の準備が終わったとかで人が呼びにきた。アジメクは渋ったが、それを合図に海水浴は終了になった。
なんでも、私たちガクルックス家の親戚(という設定)がこちらに来ているということで、領主とその息子が挨拶に来るとのこと。さすが「ガクルックス」。親戚であろうとわざわざ挨拶に来るとは、「ミンタカ」との家格の違いが察せられる。
これを聞いて流石のアジメクも黙って従う。彼女にとっては旦那さん候補との邂逅だ。少しそわそわとした様子だった。
まあ、私にしてみればいつも学園で会っているシルマくんと彼からよく聞く「クソ親父」に会うだけなので、そう気負う気持ちはないのだけど。
それにしても、彼女はシルマくんのことを気にいるのだろうか。シルマくんの気持ちはともかく、アジメクが見初めさえすれば彼女の優しいパパが結婚させようと画策してくれるだろう。
しかしそれがシルマくんにとって得になるのかと言われれば微妙である。何せガクルックスは大きな家であるけど、養子の兄がいるからその家を継げる可能性はゼロに近い。
加えて、アジメク自体私という身代わりを立てたことで現在社交界に出入りすることもできず、高等部から私と入れ違いで学園に通ったとしても、それまで学園で培う貴族社会での歩き方を知らないまま育つことになる。そういう意味で、色んな方面に無知な彼女の社交界での価値はそう高くない。むしろフォローが必要な分、彼女の夫となる人は大変だろう。
あと彼女の価値としては、彼女の特別魔法である「予知」くらいか。でもそれも社交界どころかガクルックス家の外に出せないくらいのトップシークレットで、当主様もそれをウリに婚姻を結ぼうとはしないだろう。何よりも、彼女の予知は割と限定的なものらしく、予知している期間も、今のところ彼女が高等部を卒業するまでだとか。
正直シルマくんのお姉さんとしては、もっと条件のいいお嬢さんと一緒になって欲しい限りだ。とは言っても、家柄だの社交界での価値だのというよりも、彼が気に入り、添い遂げたいと思うような気立ての良いお嬢さんであればなんでもいいのだけど。
実際顔合わせを行ってみても、そこらへんアジメクはシルマくんのお眼鏡にはかなわなかったみたいだ。
「あ、こんにちは」
「はい……」
「……」
「…………」
あとは若い人で、とでも言うようにシルマくんのお父さんが先に帰って、残されるのはシルマくん、私、アジメク。
多分シルマくんの父親は私たちがガクルックスの親戚ではなく普通に当主の娘であると気づいている。まあタイミングがタイミングであるから仕方ないけど。
それにしても話が盛り上がらない。シルマくんも割と内弁慶なところがあるけど、多分アジメクも社交的なタイプではないのだろう。それか普通にシルマくんの興味がないか。表情から後者な気もするが、気づかなかったことにしたいところだ。
しかも時間的に昼食を一緒に摂ることになり、気まずすぎる時間は続く。チラホラと食事のことで話の種があるからいいのだけど、正直お互いにお互いが興味がなさすぎることが丸分かりの言葉選びと質問である。使用人の立場から食事をすることもできず隣に立っている私にしても気まずすぎる空間であった。
海に行きませんか、そう言ったのはアジメクで、海が初めてで遊び方が分からなくてと、先ほどの様子から嘘であることが丸分かりの言葉を続けた。
多分話題提供の一つだったのだろうけど、私の脳裏に浜辺でキャッキャと遊ぶ男女が思い浮かぶ。多分シルマくんも同じことを思い浮かべたのだろう。顔が一瞬渋くなった。
しかしすぐに隠して頷く。一緒に行きましょうと。その次の瞬間アジメクも自分の発言に遅れて同じ想像をしたのか、渋い顔をした。貴女の提案なんですが。
でも結局、その提案はこの場では正解だったのだろう。シルマくんは自分の庭である海岸でこれまでの口下手がなんだったかというように私たちに海を案内してくれ、そして日の落ちる頃その海岸で、彼の友人とも合流した。
彼の友人はシルマくんの学園の友人だとかで、夏休み開始からずっとミンタカ領に遊びに来ているらしい。
名前はクーとか言う。本名に掠りすぎている随分雑な偽名だった。
変装は一応していて、アジメクは気づいていなかった。いや、彼女の場合は一国の王子である彼の顔も憶えているのか怪しいところだが。
つまりアジメクは知らなかった。彼の地位とか経済力とか、そういうの全部、彼が一等品を持っているということを。
全部知らずに、純粋に彼女は恋に落ちた。
目の前には、まるで糸で引き合うかのように見つめ合う男女。一人はアジメクと、もう一人は……アル。
背景は夕陽に照らされた海で、二人の頬を赤く照らしていた。ちなみに私は背景の一部。
私はその日、誰かが恋に落ちる瞬間を見た。
私はそれを見て咄嗟に、敵わないと思った。
私は、この恋の行方ほど見たくないものはないと思った。
次の日、ガクルックス本家に通達が届いた。送り主は王家。ガクルックスとしてある程度意見することはできるが、ほとんど断れない勅命に近いものだった。
内容は、ガクルックス家の親類に当たる令嬢・ルルへの婚姻の申込みだった。




