先輩
「おい、アジメクいるか⁈」
人間関係というのは兎角難しく。こっちが整えが今度はあっち、あっちが整えば今度はこっちと、次々に問題が起こるものである。しかしそれはある意味自然なことでもあるし、感情生物である人間ならではである。とまあ、前回も似たようなことを思った記憶があるが、結局それらを柔らかい心で受け止めることが、できた人間像なのだろう。
まあつまりはできた人間でもなんでもない私にとっては、重なるトラブルに心が擦り減るばかりだ。
しかし、今回ばかりはそうはのんびりしていられない。なぜなら今回問題を起こしたのは、私のブラザーであったのだから。
「……どうしてこんなことしたの?」
私は優しく問いかける。するとハチサくんはビクッとして、しかし何も言わずに俯いた。
「おい!黙ってちゃ分かんないぞ!」
「こら、シルマくん。怒鳴らないの」
正直気持ちは分かるが、どう見ても萎縮させるだけである。彼は数十分前の凶暴性が嘘のように身を縮こませ、自分の心を守るように俯いていた。
「クロダンの男子生徒がスペードの女子生徒に暴力を振るった」
そんな一報がクロダンに届いたのは、体育祭本番を三日後に控えたある日のこと。直前まで学年別演技の練習をしていて、一年生の様子が先輩の視界から離れたタイミングだった。
そんなタイミングでクロダン三年の練習場所に駆け込んだのは、スペードのリーダーのアル。駆け込んだ、というよりも困った顔で相談しにきたという感じであったが、一応被害者の団の代表としての訪問だ。
そして話の内容は以下の通り。ただしアルが言うには、女子生徒というのもスペード団内でも持て余されている問題児で、多分女子生徒が殴られるようなことを言ったのだということ。ただし一応暴力沙汰になってしまっているので経緯を知りたいものだが、女子生徒は何も言っていないと主張し、男子生徒はダンマリだということ。
そして件の男子生徒とは、私のブラザー、ハチサくんであるということ。
「ハチサ!黙ってないで。何か言えよ!どうせなんか事情があんだろ?!」
しかしいくら被害者側のはずのスペードすら同情的だとしても、暴力は暴力。確かに暴力で解決できる事柄も世の中少なくないが、その解決方法を取ることでのリスクが大きすぎる。というか一般的に男女では体格差というのが出てくる。ハチサくんは細身だが身長はある。そこらの女子生徒と比べれば、その差は明らかだったと思う。
そこまで考えて、私たちはハチサくんの事情を彼に聞いた。そして結果はダンマリ。
「……別にね、私たちは正直ハチサくんを怒りたくないんだよ」
シルマくんの言葉に萎縮しきっているハチサくんの手を、私はおもむろに握った。彼の肩がびくりと跳ねる。
「私たちは何があっても、どんな事情があってもハチサくんの味方だよ。でも、だからこそ事情を聞かせてほしい。なんでハチサくんが暴力を振るったのか、どんな嫌なことを言われたのか。私たちに話して、嫌な気持ちを分けっこしよう?」
シルマくんも私の言葉に同意するようにハチサくんの手を握った。ハチサくんは、少しの時間考えてから、結局俯いたまま首を横に振った。
「……私たちには言えない?」
そう問いかけるとハチサくんは首を縦に振る。
「他の先輩なら話せる?」
それにも首を横に振る。
「同級生は?」
首を横。
(…………)
「そっか。じゃあ、話したくなったらでいいから。待ってるね」
私はとりあえずそう言うしかなく。ハチサくんの手をなんとなく揉んでみたりして、そばにいることしかできなかった。
「ただ、この時期クロダンに言われる嫌なことって、予想できなくもないんだよね」
ハチサくんの様子を報告した女子更衣室で、ベガは苦いものを口に押し込めたような顔をして言った。
「まあね……」
正直、私もそう思った。多分シルマくんも薄っすら予想はしていただろう。何せ自分たちも言われてきたから。
「万年最下位クロダン、不真面目クロダン、緩い練習で劣等生」
歌うようにザニアが呟く。ヘゼが付け足すように「ルール破り、練習を真面目にしない」とボソボソと話す。そう、これは全て私たちが一年生の時に他の団の一年から散々言われていた評価だ。
「……悔しかったよね、特に先輩を馬鹿にされた時なんかさ」
その時のことを思い出したのか、ベガが自分の手をキツく握りしめる。そう、特に一年生はまだ団を跨いで親睦も深まっておらず、対抗意識も強いのか面と向かって悪口を言われる機会が多かった。特に団の悪口、先輩の悪口。
こう考えると、これまでの一年生たちが他の団とトラブルを起こしてこなかったことは、かなりすごいことなんじゃないかと思う。だって実際、今の私たちが後輩の悪口でも言われようものなら相手を血祭りにする自信すらある。
「まあ、相手からは特にお咎めなし。教師にも話をあげないようにしてくれたんだし、大丈夫じゃない?」
「本当、相手の女子生徒の悪い意味での信頼があって助かったよ……」
被害にあった女子を思い出す。特に直接話したりはしなかったけど、アルの話しぶりからも、団全体で彼女を持て余しているようで、彼女の暴言による事件だと疑いもしなかった。部外者のこちらとしては正直彼女が不憫に思えるほどだ。
「……なんか今年、トラブル多いね」
ボソリと、疲れたようにベガが呟いた。私たちは顔を見合わせる。多いと言ってもこの前のアケルナイくんとカンバリアちゃんの件を含めて二件だけだ。
……いや、二件でも多いのか。これまではゼロ件だったから。
「去年までは、自分のことだけでよかったのにね」
「それが先輩になるってことかな」
ザニアとヘゼが同意する。私もそれに「去年までの先輩は、私たちに気づかれないように処理してたのかな」と呟いた。
「まだまだ、だね」
私が自らも鼓舞するように言う。まだまだだ。先輩たちの背中はまだまだ遠い。
「先輩たちの背中が大きくて、遠くにあることに安心してたけど、全然ダメだねそれじゃあ」
ザニアが言った。体育祭まであと三日。正直これに気づくのは遅すぎたと言わざる負えない。
それでもどうにかしなくてはいけない。私たちは先輩で、最終学年なのだから。
そして、何も解決しないまま、波乱の体育祭が幕を開ける。
ーーーーー
「ごめんね、忙しい中呼び出しちゃって」
「いえ、先輩こそ体育祭練習で忙しいじゃないですか?」
「……まあ、そうね。でもありがとう、こっちまでわざわざ来てくれて」
時は体育祭前日、場所は中等部のカフェ。そして私をここに呼んだのは、ナオス・トゥレイス。二つ上の、私たちが一年生の時の団長だった人だ。
特に私はかなりお世話になって、特に慕っている先輩の一人でもある。彼女は団長というイメージがかなり強いため、私たちの今の団長はカイであるはずなのに、彼女のことを出会い頭に「団長」と呼んで訂正されてしまったほどだ。
「練習は、順調?」
「はい。特に今年は組体操の練習に熱が入っています」
「そうなんだ。珍しいわね」
団長改めナオス先輩は、紅茶を優雅に口に含んでそう言った。テーブルには紅茶と軽食。そう長居する想定ではない量である。お互い忙しい身であるので文句はないが、だからこそこんな日に呼び出した理由を知りたかった。
「……それで、すみません。どうして私は呼ばれたんですか?」
だからこそ、話の脈絡もなく口を挟む。正直気を悪くさせてしまうかもとは思ったが、ナオス先輩は「ごめんなさい、忙しいわよね」と穏やかに言った。そして、あるものを差し出す。
「これ、渡したくて呼んだの」
「……これは?」
「開けてみて」
これ、と言われて差し出されたのは封筒。促されるままに封を切る。
「……あ、これ……」
「うん。こっちの体育祭の招待状」
「……こういうの、渡さないものなんだと思っていました」
中から出て来たのは、ナオス先輩が出場する中等部の体育祭の招待状。学園の体育祭は防犯上、この招待状を持った人しか入ることができない。しかし生徒一人に対しての人数制限などないので、保護者に渡す以外にも初等部や高等部の後輩や先輩に渡す生徒がいるのは知っていた。しかしこれまでクロダンの団員は先輩に招かれたことというのがなく、てっきりクロダンは自分の体育祭に集中できるように、みたいな方針で呼ばないものなのかと思っていたが。
戸惑う私に、先輩は微笑んだ。
「うん、渡さないようにしようって、同級生のみんなと決めてた。だから私が招待したこと誰にも言わないでね」
「…………えっと、それならなんで招待したんですか?」
「見て欲しいの」
彼女はまるで流れ星みたいに笑った。私はその顔が今にも崩れてしまいそうで少し怖かった。
「見る?」
「うん。本当は見られたくなくて、だから招待しなかった。多分一つ下の世代も同じこと思ってると思う。歴代の先輩方も。……でもね、見て欲しいと思ったの。というか、アジメクちゃんには見てもらうべきだと思った」
「…………何を?」
「全部。私たちの情けなくてつまんないところ。それで、一回失望して欲しいの」
嫌な先輩でごめんね、彼女はそう言った。
でも多分、私や私たち後輩のためなんだろうなとぼんやり思った。




