共同墓地
さて、初等部三年生編始まり始まりー。でも一応分類としては前回から三年生編は始めてます。
こつ、こつ、と音が鳴る。
その聞き慣れない音に、なんだろうと視線を向けると、彼の足音だった。地面に敷き詰められたレンガと、彼の固そうな靴がぶつかって弾かれる音だった。
でもそれは初めて聞く音だった。彼の足音は、自身ありげで、かっこよくて、堂々としていたから。こんなに人に遠慮した足音は初めて聞いた。しばらくして、彼、シリウスは私に声をかけた。
「…………寒くないか?」
「いいえ、大丈夫ですよ、先生」
「はぐれないようにな。また誘拐されたら……」
「大丈夫ですよ、父に防犯グッズを売るほどプレゼントされたので」
私は今年も「平和の日」に送られてきたプレゼントを見せる。使いやすそうなものからどうやって使うんだと頭を傾げるようなものまで様々。とりあえず持ち運べそうなものだけ腰につけていたので先生に見せると、とりあえず安心したかのように彼は目を細めた。
正直、彼が他人を気遣う姿なんて、初めて見たので驚く。
(なのにどうしてだろう?)
なんだか、ひどく懐かしい。
夏休みと比べてかなり短い春休み。そんなある日、私はシリウス先生とある場所に来ていた。
そのある場所というのがここ、共同墓地。母と、兄が、眠る場所だ。この場所は、シリウス先生が教えてくれたものだ。
彼は、どうも私を殺したことで私の前世の兄と懇意になり(最悪な馴れ初めだ)、私が死んだ後の私の唯一の家族のその後を、私に丁寧に教えてくれた。彼が死んだこと、どんな最期だったか、お墓の場所。
「連れてきてくれて、ありがとうございます」
「いや、連れてくるのが遅くなったな」
「いやいや。いくら似ていたと言っても、私が『私』だったなんて普通思わないでしょうし」
「……まあ、そうだな」
彼は少し気まずそうにそう言う。あ、これは私がスピカだったと気づいていたみたいだ。まあ、彼に至ってはなんでもありの神様みたいな人なので、何が知られていてもおかしくない。チラリと顔を見上げれば、不器用にそっぽをむく彼の首筋が見えた。彼と私は圧倒的にコンパスに差があるので、彼が少し足を早めれば私からその表情を隠すなんて簡単なのに。おかしい人だ。
「もしかして、知ってました?」
私はイタズラっぽく聞く。彼は顔を顰めて「視えた」と答えた。なるほど、彼の特別な右目か。それなら仕方ない。
「どうして黙ってたんですか?」
私が聞くと彼は答えた。
「……記憶があるか分からなかった。魂が同じでも、記憶と体が違うなら同一視していいのかが分からなかった」
「哲学みたいになってきそうですね。先生も色々考えてるんですね」
「……おい、どういう意味だ?」
彼は少し怒ったような声を出した。……やっと、いつもの彼みたいな声を出した。
そんな軽口を叩き合ってしばらく。ついにそこに着いた。
「……昔より、綺麗になった気がします」
「誰かが綺麗にしてるんだろうな」
シリウス先生は私の呟きを律儀に拾ってそう返した。そこには、葬儀の金が一銭も払えないような人のための共同墓地。その中でも特に雑な部類に入りそうな墓地だが、私の住んでいたところにはそんな家庭はそこらじゅうにいて、そこには多くの知り合いやご近所さんも一緒くたに眠っていた。
そこは、私の記憶よりもずっと綺麗に整えられていて、偶然だろうが、私の母が好きだった百合の香りが強くした。そして百合だけでなく、本当に多くの花が植えられていた。
でも、そうだな。だからこそ、いい匂いばかりするこの墓がひどくそっけなかった。この共同墓地に入る人の何人が、生前こんな上等な花々に囲まれたことがあるのだろうか。
私とシリウス先生は、しばらく黙って元々綺麗なお墓をさらにピカピカに綺麗にした。水で洗い流して草をむしって。お互いに満足してから、シリウス先生は私とシリウス先生の洋服や手を魔法で綺麗にした。お墓も魔法を使えばもっとすぐに綺麗になったのにと言ったら、シリウス先生は苦笑いして、「それじゃ意味ないだろ」と私をたしなめた。
改めて、私はお墓の前にしゃがみ込んで手を合わせた。その場には気まずいほどの沈黙。私は兄のこと、母のことを思い出していたけど、結局、彼らに言う言葉を何も思い浮かばなかった。
「行きましょうか」
私は軽い調子でシリウス先生に言った。振り返ると彼は墓に祈ることもなかったのか祈り終わったのか、ぼうっと突っ立っていた。
「もういいのか?」
彼はそのぼんやりとした顔つきのまま言った。私はそれに頷いた。
「……ここには、兄の名前が刻まれているわけでもないので。彼の声が聞こえるわけでも、匂いがするわけでも、通り過ぎる風に兄の気配を感じることもない。そもそも死んでしまったことすら実感が湧かないのに。……私には少し、お墓参りは早かったみたいです」
「…………ごめんな」
私も、ぼんやりとそう言った。シリウス先生は絞り出すようにそう言って、私の頭を撫でた。
ーーーーー
「なんであの人、死んでんの?」
閉じた瞼の向こう側で、印象的な声が響いた。高いような低いような、不思議と響く声に、すぐに神様を名乗る少女のものだと分かる。そしてその内容が、多分、いや絶対俺のことを言っているけど、どうにも体を動かす気になれなくてスルーする。少しして「まあ、いいけど」といかにもどうでも良さそうな声がしたので、声を使わずにコミュニケーションをとるタイプの青年がどうにかしたのだろう。
「そんなことよりも、ここの問題教えて」
そんなこと呼ばわりか。……まあいいけど。
「……しょうがないじゃん。歴史は苦手なの!私が神様なのは勉強と関係ないじゃん!」
どうやら彼女は馬鹿にされるのを覚悟でレグルスに教えを乞いにきたらしい。彼らもずいぶん仲良くなったものだ。
「なんでこの人、百年くらいずっとこの国統治してんの?え?あー、なるほど。生命の神秘だねー」
いや、これちゃんと教えてるか?
「え、じゃあここも……復活したってこと?」
嘘教えてるな。確かに俺は七百歳だけど普通の人は百年生きないし一度死んだ人は蘇らない。よみがえら……。
「うぅぅ……」
「え、なんかこの死体、苦しみ出した」
《なんか嫌なことあったんだろ》
見慣れた火の文字が目の前に浮かび上がって、その先に見えるレグルス。言うまでもなく、スピカを連れてったお墓に入っているはずの男である。
「う、うぅぅぅ……」
「また唸った」
《ダメな自分に頭抱えてるだけだろ。ほら、そんなことより次の問題。教えてやる》
目の前で交わされる仲のいい会話に、俺は和むよりも唸るしかなかった。
ごめん、ごめんなスピカ!お前の前世のお兄ちゃん、めっちゃ元気に年下の女の子に嘘教え込んで遊んでるよ!
場所は高等部魔法学準備室。つまり俺の国であるが、春休みも終わりに近づく現在、そこには新たに二人の不法滞在者が存在するようになった。
一人目はギナン・イマイ。彼女は魔法学をとっているわけでもなければ高等部でもないがここに居候している。なぜかと言うと普通に空調が効いてふかふかのソファがあってお菓子もあるからだそうだ。残念、全て俺のための環境だ、集うな。
二人目はレグルス。彼はまあ高等部の魔法学クラスにいるのでまあ一人目に比べては納得できる。ちなみに彼は居候する理由を《シリウスがロリコン疑惑をかけられないように》らしい。思わず反発すると《ほとんど関わりのない少女を自室に連れ込む教師だと見られたいの?》と言われたので俺は何も言えなかった。いや、ギナンがうちに入り浸らなければ万事解決だろ。
そんな二人は、春休みの期間内に通いまくった。なんでもギナンは里帰りをしなかったし、レグルスは領地から毎朝魔法で飛んできているらしい。なんでも二人とも実家が嫌だと。いやー、今の子は事情が多くてやだね。俺が子供の時は親が同種族ってだけで珍しかったのに。
「それにしても、今から勉強するなんて偉いな、ギナン」
俺は話題を変えるついでにそう言うと、ギナンは照れくさそうに言った。
「今年は、もう三年生だから。中等部に向けてのクラス分け学力テストがあるんだよね」
「あー」
《そういえばあったな、そんなの》
成績・家系と最上級のところにいるレグルスはのんびりとしているが、確かにギナンが焦って勉強するのも分かる。ほとんど家柄で決められる初等部のクラス分けだが、中等部では学習の難易度が上がるために学力に合わせたクラス分けが再編成される。別に、クラス分けはその名の通りクラスを分けるだけなのだが、貴族社会が絡んでくると途端に面倒になるのが社会の縮図・学園。端的に言うとクラスが落ちると舐められる。だからこそ初等部・中等部の三年生は勉強のためにピリピリするのだ。
(いや、まあ例外もいるけど……)
例えば先日会ったスピカは余裕だろう。普段の授業も余裕でこなしているし。地頭がいいのか、ガクルックスの教育がいいのか。もしかしたら記憶はないなりに前世で教えた勉強の成果が出ているのかもしれない。
「と言うわけだから、ここ教えて!」
気を取り直したように、彼女が教科書の一部分を指し示す。まあ、生徒に頼られたら断る理由もなく、俺もレグルスに加わって一緒に教え込んだ。えー、これはこの、三年前の諍いが関係していて……。
神様というのはそう万能ではないらしい。彼女を見ていると思う。神様も悩むし苦手教科だってある。それなら俺たちが救われなくても仕方ない。
……いや、仕方なくないな。
「……お前、神様なら歴史とか大得意なんじゃないの?自分で作ったんだろ?」
「あんた、自分が書いた論文一言一句覚えてんの?」
「覚えてないな」
「……というかそもそも、そんな細かいところまで作り込んでないよ。自分で学んでて闇深な歴史に驚いてるもん」
「そんなもんか……」
「そんなもんそんなもん。私が作ったのは、せいぜい七年前くらいからだよ」
「……それ、わざと言ってるか?」
俺は彼女の作ったこちらを試すような表情を見て苦笑いする。どうやら勉強に飽きてきたらしいことが分かった。鼻を軽くつまむ。彼女が可愛らしく唸る。今更子供っぽく可愛らしさを出してもお前の傷口を抉るような失言は帳消しにはならないぞ。
《……不愉快だ》
気持ちいつもよりも小さい火の文字が浮かんで消える。俺は肩をすくめてその文字を手でかき消した。
「それで、次は何が聞きたいんだ?」
俺は再び水を向けると、ギナンは能天気に「うーんとねー……」と勉強を再開した。レグルスはそっぽを向いて、コーヒーを淹れに行ったけど、この部屋を出て行こうとしない。
俺は割とこのギリッギリ地雷の間と間を走ってるような関係は好きだけど、二人は疲れないのだろうか。
まあ、それでも進むしかない。レグルスは儀式を止めるわけにはいかないし、俺はレグルスとスピカを再開させるわけにはいかない。多分、きっと、ギナンも神様なりに、なんらかの目的があるのだろう。
謀略と建前で武装し合った三人同士、どうか長く仲良くやれればいい。できれば、俺が死ぬまでずっと。




