ひとつめ
「ちょっと、首根っこ掴まないで」
《じゃあさっさと歩けよ》
「じゃあ下ろしてよ」
ガキは仲良くなるのが早いな。なんて後ろの二人が聞いたら激昂しそうなことを考えながら道を歩く。
三月、一年の終わり。スピカの誕生日。レグルス、ギナン、そして俺シリウスの三人はとある儀式のために集まっていた。近くまでは転移魔法で移動したが、儀式の近辺で第三者の魔力がどう作用するのか分からなかったのでその場所までは徒歩での移動だ。
その間、シリウス・約七百歳は存分に疎外感を味わっていた。
レグルスとギナンの距離が近いのだ。これが十代の勢いか……。おじさんその距離感には混ざれない。
そしてあのシスコンレグルスに春が、と言う気持ちとギナンとの年齢差的に犯罪臭が強いという気持ちでぐちゃぐちゃでもある。
そんな彼の心中を置き去りに、少年少女はキャッキャと?ギャンギャンと言い合いながら並んで進む。もうおじさん子猫のじゃれあいにしか見えないのよ。
しかしその浮ついた雰囲気も、目的地付近に着くとガラッと変わる。当然だ、ここからは「聖域」なのだから。
「趣味、わる……」
ギナンが小さく呟いた。彼女らしい毒の吐き方だけど、それでも声を抑えているのはその場所の異様な雰囲気を感じたからだろう。
具体的に言うと空気の色が変わる。匂いが変わる。音が変わる。そこはなんの変哲のない森の、他よりも少し自然界の魔力が停滞しがちな洞窟。そしてレグルスが行きやすいようにガクルックス家からも程近いその場所。更には去年山火事が起きたことで近づく人間がほとんどいないという好立地。
そう、レグルスが儀式の場所にと選んだのは、奇しくもスピカとカフが知り合ったあの洞窟だった。しかしそんなことをシリウスたちは知る由もないが。
しかしその洞窟も、今は誰も入れないように結界を張っている。その中を一歩入ると、何も知らない人間が見ても一目で異様だと分かる光景が広がっているからだ。
まず結界内に足を踏み入れて目に入るのは、洞窟中央に鎮座する赤黒い物体だろう。見るからに生々しいそれは、見る人が見れば生物の臓器であると分かるし、詳しい人が見れば人間の心臓であることに気づくだろう。それが不可思議のことに心臓単体のまま鼓動していることにも。
そして次に目につくのはその心臓を中心として東西南北と等間隔に引かれた白線だ。そしてそれを繋ぐような円。随分簡易な魔法陣だが、その分捧げるものが大きくて祈る相手も強大なのでむしろその情報量の少なさが正解なのだ。
「それじゃあ、始めよう」
俺が促すとレグルスは頷く。彼はちょうど北に引かれた白線の上にガラスの器を置いた。
そこでレグルスが取り出したのはお魚さんの形をした醤油入れ。よくお弁当に入っているやつである。
(……なんか、すごく魔法っぽくない道具が出てきたな)
今ってみんなそうなのだろうか。なんか物々しくレグルスが魚の醤油入れから血を取り出すが、突然現れた便利道具にいまいち集中できない。
《増やします》
目の前に浮き出た文字に「おう、さっさとやれ」ととりあえず返す。こういったジェネレーションギャップにと惑っているところを子供に見られるのは気まずいのでひた隠すが内心大荒れである。
さて、それは置いておいて、レグルスが器に手を伸ばす。その底には数滴広がった血。しかしレグルスが手をかざした瞬間みるみるうちに液体が増えていく。
これがレグルスの特別魔法。こいつがまだ俺の弟子だった時に一緒に開発したものだ。モノの量を司る魔法。ものを増やしたり減らしたりする魔法。
先の誘拐事件の時に、魔力無力化装置を壊したのもこれが理由だ。レグルスには魔力切れという概念がない。
多分天下のガクルックス家に拾われたのもこの魔法を持っているからだろう。まあ本人曰く他人の魔力や空気中の魔力の変換能力を増やすなんて高度なことはできたことがないらしいけど。
そうしているうちに、器の八分目まで血液が溜まった。終了後レグルスが器にラップをしているのは見なかったことにする。確かに、そうすればこぼれないだろうけど。魔法の儀式っぽさが半減なんだが……。
「それ、誰の血?レグルスの?」
厳かな儀式(道具のせいで雰囲気半減)が終わったのを感じたのか、ギナンが印象的な声で問いかけた。レグルスが答える。
《ミラ、だっけか。そいつに渡したリボンに細工して収集した》
「……なんであの子のなの?変な儀式に巻き込まないでよ」
その言葉は最もだ。特に二人は仲がいいみたいだし。ギナンは不快そうに言った。
それに対して俺は彼女に一冊の本を見せる。それは禁書であり、この儀式の概要の載った本だ。
「ここ読んでみろ」
「一つ目……乙女の血……?」
「あぁ。だから俺もレグルスも対象外」
まあ、別に貴族のお嬢様として貞淑性は信頼できるので、正直レグルスのクラスメイトの誰かでも良かったのだが、挿絵が股から血を流す少女の絵だったので、俺がわざわざ初等部の女子から採取するよう進言した。
《まあ、どうせ巻き込むならお前でも良かったんだけどな》
レグルスは不機嫌そうに言う。そう、今日彼女を連れてきたのは俺の独断だ。まあこれには理由があるのだが、レグルスは随分渋ったものだ。
「え?」
「は?」
《なんだ?》
しかしこれに予想外の反応をしたのは自称神・ギナン。彼女は不思議そうに言った。
「え?私もう乙女じゃないよ」
「…………」
《…………は?》
……それは大分予想外。
「そ、それはどう言う……」
震える声で問いかける俺にギナンはあっけらかんと言った。
「え、もう生理来てるし。大体の子は十歳くらいには来てるもんだよ」
そう言って指差すは、先ほどの挿絵。股から血を流す少女。
「…………」
《…………》
「え、なに?」
「……えっと」
《なんでもねえ》
そっか、そうだな。こいつまだ十歳とか十一歳とかそこらだもんな。図体ばかりデカい男性二人がこう言う儀式での「乙女」の一般的な解釈について説明できるわけがなかった。
ーーーーーー
「この儀式?失敗するよ」
彼女らしい、直裁的な物言い。先ほど見た彼女の子供らしい一面を差し引いても、その無遠慮な言い方にはなんとも言えない気持ちになる。でも仕方がない。これを聞くためにわざわざ彼女を儀式に同席させたのだから。
レグルスと別れた後。俺はギナンを初等部まで送ると言う名目で彼女と二人になると、早速この儀式について問いかけた。それに対する答えは上記の通り。
「でも、なんで私に聞くの?」
「お前なら知ってるだろうと思ってたからな」
「は……?」
そう答える彼女は本当に心当たりがなさそうである。答えは知っていたがそれは俺の思う理由ではないようで、とりあえず説明のために、先ほど使った儀式の概要の載ってある本を渡した。
「死者蘇生のための儀式は、この世に三つある。まあ、俺の知る限りだがな」
そうは言っても俺も長く生きている。この神様の少女ほどではないが知っていることは多いので、大体その三つしかないと思っていいだろう。
俺は一つ、指を立てた。
「一つ目は蘇生の儀。これは儀式というよりも魔法の発展という面が強い。祈る相手は光の精霊。この前のサダルスウド領での奇跡に近いな。ただしあれは新鮮な死体だからできた奇跡で、スピカみたいに死んでかなり経ってからだともっと高度な魔法になる。具体的に言うと禁術だな」
「ふーん。あんたたちなら出来るの?」
「多分、やろうと思えば。ただし方法が世の中に出回ることがほとんどない。というかこの魔法自体レグルスは知らないと思う。やり方というか『蘇生の儀』という名前すら王宮図書館の奥の奥の棚にある一冊の図書にしか書いてないからな」
「……まあ、死者を呼び寄せるなんて魔法使われたらたまったもんじゃないもんね」
「そうだな」
そうは言っても俺たちは今それよりもやばい儀式を行なっているわけだが。俺は二本目の指を立てた。
「そんで、二つ目は降霊の儀。それは名前のまま誰かの肉体に魂を埋め込む儀式。これは一番簡単だし、入れる魂と入れられる体ができるだけ似ていないと魂が馴染みにくいが、それでも犠牲は入れられる体だけだ。まあ、祈る相手は悪魔だから術者はロクな死に方しないけど」
「……ふーん」
彼女は少し興味深そうにそう呟いた。その反応が気にはなるが、俺はそのまま三本目の指を立てた。
「それで、今やったのが創造の儀。人体創造だな。まあその本を見ればバカみたいな犠牲を払うことはすぐに分かると思うが、中止もできない。なにせ儀式の最初に捧げるのは術者自身の心臓だからな」
「あ、やっぱりあれ、レグルスのなんだ」
彼女は納得したように頷く。そうだ、あの儀式の間の中央に置かれたのはまごうことなき彼自身の心臓だ。
「……あれは担保だからな。儀式が失敗しようが戻ってはくるが、中止しようものならそのまま消え失せる。そうしたらあいつは即座に死ぬ。しかもただ死ぬんじゃない、そのまま魂ごと消滅してしまう」
「……ふーん、だからこの儀式を続けようと必死なんだ」
本をパラパラと捲っていた彼女が、儀式について書かれている箇所の最終ページに辿り着く。そしてそこに書かれている、最後の捧げ物を見て、彼女は呟いた。その表情は俺を憐んでいるようにも、純粋に悲しんでいるようにも、考え込んでいるようにも見えた。
「バカみたいだよな」
俺は言った。
「まあ、守りたい誰かのためにバカになりたくなる気持ちもわかるよ」
彼女が言った。
「それで、なんで俺がお前をこの儀式に連れてきたのかというと、この儀式の祈る相手が神だからだ」
俺は彼女に持たせた本のページを捲る。そこには「神」という言葉と共に、黒髪少女の挿絵が入っていた。
「……え、なにそれ知らないんだけど」
「まあ、その反応を見るにそうだろうな」
元から期待はしてなかった。俺がそう言うと彼女はブンブンと頭を上下に振った。
「え、知らない知らない。言っとくけど、私は神様だけど特別な能力とかチートとかもないよ。いや確かに初等部の勉強は楽勝だけど、魔力もほとんどないし。特別魔法もあるにはあるけど人の前世を見れるっていう、使い所いつだよみたいなのしかないし」
へえ、特別魔法あったのか。そうは思うが確かに使い道のほとんどないなそれ。
「じゃあなんでこの儀式が失敗するって言い切れるんだ?しかも前の誘拐事件の時だってまるで未来を見たような発言が多かった」
「あー……。まあ、それは普通に知ってるのよ。大体六年後くらいの未来をね。まあ穴抜けが多いけど」
「……いや、それ結構チートじゃないのか?」
思わず突っ込む。しかし彼女は苦々しい顔をして言った。
「でも本当にそれだけ。知ってることは確かに多いけど、なんでもできるわけじゃない」
……彼女も色々苦悩しているのだろう。その年齢に見合わない顔はそれを物語っていた。
「そうか……。それで儀式が失敗してるって言うのはスピカがいないから?」
「……あー、それもある」
彼女は気まずそうに答えた。そうか……。俺はそれを聞いてなんとも言えない気持ちになった。と言うのもそもそもこの儀式の成功例は一個もない。理屈上できる、と言うのが証明されているだけだ。まだ学生のレグルスが熟せるものではないのも頷ける。
「……その、六年後、レグルスは生きてるか?」
俺は非常に緊張しながら問いかけた。彼女はこれに「うん、ピンピンしてる」と答えた。俺はそれに身体中の空気が出るんじゃないかと言うくらい息を吐き出して安堵した。
そうか、あいつは生きているのか。まあ俺が死なせないとは思ってるけどな。しかし六年後か。あいつも二十三歳、仕事を始めて、もしかしたら家庭も持っているかもしれない。
「そうか。あいつは幸せにやってるか?」
俺は何気なくそう聞いた。あの優しい少年が誰かに害され不幸せの絶頂にいるなんて考えたくもないが。そう聞いた俺に対し、しかし彼女は難しそうな顔をして言った。
「……あいつ、六年後にアメジクのこと殺してるよ」
「は……」
しかしその想定外の内容に呆気にとられる。アジメク、あいつの義妹。俺の生徒で、多分スピカの生まれ変わりのあいつを?
「この儀式は失敗する。それであいつが諦めると思う?六年後またチャレンジだよ、今度は別の儀式で」
俺はしばらく考え、そしてあまりにも似通った彼女たちの容姿に思い至る。
「…………降霊の儀か」
絞り出すように問いかけると、ギナンは言葉少なに「そう」と答えた。
「ちなみにそっちは成功する。アメジク・ガクルックスは十七歳の三月に身代わりで殺されるんだ」
「…………」
信じられない、と言う思いと、多分俺というストッパーがいなくなった六年後のレグルスならそれぐらいやるだろうなという思いが混じり合う。
「だから私たちはアメジク・ガクルックスをこう呼んでいた。『身代わり少女』
ってね」
彼女の言葉は次第に遠くなっていくようだった。俺は能天気にレグルスの幸せを祈るしかできない自分を恨んだ。




