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身代わり少女の生存記  作者: K.A.
前日譚:初等部2年
47/88

てんしさま

「どうしたの?突っ立って」

 スピカはその声に振り返る。そこにはこの場には不釣り合いな、穏やかな顔をした女性がいた。

「もう、寝ぼけてるの?早くご飯食べちゃいなさい」

 彼女の優しげの声に、私は戸惑いながら頷いた。


 私はさりげなく周囲を見渡した。まあ、平民の中でも、普通と裕福の中間ぐらいの家だろう。清潔そうなダイニングと、奥はきっとキッチンだ。

 そう、あの地下室から飛ばされたとは思えないくらい普通の家。ダイニングには暖かい料理があって、女性がキッチンに帰って何か作業をする音がする。泣きそうなくらいの暖かさ。温かさ。

 女性が奥から帰ってくる。その手にあるスープはホッとする匂いがした。

 私は彼女に促されるままに彼女の正面の椅子に腰掛けた。随分古いけど子供用の椅子なので一人でも容易に腰掛けられた。

 女性は、五十代は超えたくらいに見えて私の親の年齢ではもちろんない。少し痩せ気味で、部屋着特有のゆったりとした格好をしていた。そして私を見る目がとても優しそうだった。

「それ、好きでしょう?」

 彼女が示したのは丸くて柔らかそうなパンだった。中にスライストマトや卵焼き、ハムとレタスが挟まっていて美味しそうだった。私は彼女の言葉に答えるようにパンにかぶりつく。美味しい。パンも卵焼きもあったかく、野菜がシャキシャキだ。

 夢中になって半分ほど食べてからスープもあったことを思い出す。そちらにもスプーンを伸ばす。隣の女性は微笑ましそうに彼女自身の食事をとっていた。

 お皿を持ち上げスプーンを浸す。野菜と鶏肉のスープで、じゃがいもがホロホロで美味しそうだ。見るからに胃にも優しそうなスープで食欲が湧く。綺麗に磨かれたスプーンを浸して、口に運ぶ。

「おい」

 その瞬間遮られる視界。視界、というか顔ごと大きな手で押さえられている感覚。

「なに、敵の拠点の真ん中で敵に出されたもの食べてんだ」

 そのまま顎から上を向かされるとそこにはシリウス先生。

「警戒心死んでのか」

 ……返す言葉もございません。



「誰よ⁈あなた」

 女性がヒステリック気味に問いかけた。

「いや、名乗るほどのもんでもない。あえて言うならこいつの先生だ」

「不法侵入?部外者は出てってよ」

「そうだな。こいつともども出てくよ。部外者は」

「ちょっと!さっきからうちの子に触れないで!」

 うちの子。割と久しぶりに聴いた単語だった。私は不謹慎ながら心が浮き立つのを自覚した。いや、誘拐犯相手に情が湧くなんてどうかしている。

 そう、どうかしている。さっきから。自身の感情に戸惑っていると顔の前に大きな拳が現れる。


 パチン


 いわゆる指パッチンだ。しかしそのおかげで脳みそがはっきりした。だからこそ私の思考が正常でなかったと分かった。

「スッキリしたか」

「あ、はい。ありがとうございます。……え?」

 そうやって口を開いて、口を開けたことに驚く。そしてその次にこれまで喋れないようにされていたことに気づいて驚く。

「そうおかしい話じゃない。拉致する時はまず喋れないように口塞ぐだろ」

「……はい」

 そこで私はゆっくりと辺りを見回して、暖かなダイニングと対照的に部屋の隅に溜まる埃やボロボロのカーペット、そして何より窓がカーテンごと閉ざされ室内が薄暗いことに気づいた。

「……どの子もそうだったけど、やっぱり喋らすの似てないのね」

 女性は私たちのやり取りに不快そうに眉を顰めた。似てない、と言うのはこの椅子の持ち主にだろうなとなんとなく思った。

「こいつに似てる奴なんていやしないだろ」

 シリウス先生が自慢げに、もしくは不満げに鼻を鳴らした。どう言う意味ですかそれ。

「……その子は私の子じゃないのね」

「そう言うことだ。だから、こいつは連れて帰るな」

 シリウス先生はそう言って私の腕を掴んだ。そのまま引きずるようにドアに向かう。私は彼に連れられながら、後ろを振り返った。

 暖かい食事。綺麗なテーブルと綺麗じゃない部屋。明るいテーブルと暗い部屋。まるでおままごとみたいだ。

 その中心で座る彼女は私を見ていた。しかし目は合っていない。

 彼女は自分の娘を見つめていた。

 私はすごく嫌な予感がして、氷のバリアを展開する。できるだけ厚く、出来るだけ強固に。

 しかしその先から声が聞こえた。

「…………じゃあ、私の子はどこにいるの?」

 鋭い害意が氷を破り砕く音。それが戦闘の合図になった。



「下がってろ!」

「はい!」

 戦闘時のシリウス先生ほど頼りになるものはない。普段は私たちより常識ないのに。

 シリウス先生は砕けた氷が私にかからないように一瞬で燃やし、そのまま火を女性に襲わせる。もちろん火力は抜群。これで決着がつくかと思われたが、予想に反して彼女は片手でその炎を払う。そしてそのまま風魔法の刃を飛ばす。シリウスはそれを難なく避けるが、思わぬ実力に驚いたようで左目を覆う。サーチ・アイ。

 そして彼は一言。

「やばいな……」

 私は魔王候補と名高い彼の言葉に戦慄した。やばいって……やばいじゃん!


「お前はマジで下がってろ!相手の攻撃が当たらなくて俺の視界の範囲にいろ!」

「結構むずいこと簡単に言うじゃん」

 その間も交わされる魔法の応酬。両者一歩も引かず、息をつく間もないほどの撃ち合いである。こう言うのは私みたいな命の危険も特等席ではなくコロシアムの客席から見たいものだ。つまり異次元すぎてもはや訳わからず傍観するしかない。スピカ先生の張ってくれた防御壁にかけるしかない。

 飛び交う閃光。ガラスが割れ、割れた食器が飛んでくる。スバル先生の魔法で作ったバリアが正常に作動したのか目の前で防がれるが、心臓に悪い。

 いや、そういえばこれシリウス先生なら破れるって言ってなかったか?さっきも私の顔掴んでたし。

(…………)

 いや、考えるのはよそう。流れ弾でこの勢いの攻撃魔法を喰らう予想とかそう言うのしたくない。


「思ったより大したことないのね、シリウス」

「俺のこと知ってんのか。光栄だね」

 ここまでで、全くの互角。お互い牽制するように距離を取ると、女性はそう嘲笑うように言った。それに対してもシリウス先生は余裕だった。彼はおかしそうに笑って言った。

「確かに、ドーピングしてる割には少しは骨があんな。使わなくても割といい魔法士だったろ?」

「…………」

「ど、ドーピングって?」

 思わず私がそう問い返すとシリウス先生は余裕そうに彼女を顎で示した。

「こいつ、魔力増強剤飲んでやがる。しかもえげつない量」

「…………」

 魔力増強剤。懐かしい響きだ。魔法クラスに入る試験でこれを飲んで挑んだ生徒がいた。魔力を何倍にも増強させる違法薬物。確か副作用は思い込みや妄想、情緒が不安定になるなど。

「だから俺様レベルの魔力を扱えると。まあそれでも薬ってこたぁ、波があれば薬効が切れる瞬間もある」

「……その前に倒せるわ。それともあなた、時間を稼ぎでも狙ってるの?そんなことしてる間にうちの息子が下の子たち殺しちゃうわよ?」

(下の子……⁈)

 つまり私たちの救出のために他にも人員がいると言うことだ。彼女の言い方だと彼女の息子さんと言うのも非常に強そうである。

 しかしシリウス先生はそれを聞いても余裕そうな表情で悠々と構える。

「そっちは問題ない。それよりもあんたを時間かけても確実に仕留める方が先だ」

「ふん、人類最強とか呼ばれといて、ずいぶん悠長ね」

「……まあ、確かに俺は強いけどな。最強って言葉はやっぱり子供のためにとっときなよ、ばあさん」

「自信ないの?」

「そう言われればそうかもなぁ。でも知ってるか?魔法はイメージのしやすさで決まる。つまり大人の固い頭なんてお呼びじゃないわけだ」

 そこで彼は振り返って、この場で一番弱く、怯えてうずくまるだけの私を見た。

 そしてすごく眩しそうに言った。


「つまりお前は強くなれる。お前がそれを知ってればな」


「は?意味が分からないことを言ってないで、さっさとくたばりなさいよ!」

「お前には言ってねえよ老害!」



「…………」

 そして再び交わされる閃光。私はその眩しさに気圧されながら、彼の言葉を自分の中で咀嚼していた。

 目の前には言わずもがな世界一の魔法使いであるシリウス。そして薬を使っているとは言えそれと確実に実力が近い女性。

 私は?私は、ただの学生である。

 ただの初等部二年、アジメク・ガクルックス。いや、ただのスピカ。親の顔すらもう覚えていない、孤児のスピカ。まだ七歳のスピカ。

 少し魔法が使えて、勉強もまあまあ。とんでもなく機転が効くわけでもなければすごい一芸を持っているわけではない。顔は自分でも可愛いと思ってるけど。

 あと、自分でもすごいと思ってるのは時間停止魔法。これでなんとかなる?いや、それで二人の間に割って入ったとしてその後どうする。防御を張ってもすぐ砕ける。止めた間に攻撃や拘束することも出来なくはないが私のへっぽこ魔法では時間を動かした瞬間取り払われる可能性が高い。

 くそ、もし私じゃなかったら。もしこんな便利な特別魔法がシリウス先生のものだったらこんな危機楽勝だったのに!今からでもシリウス先生に譲渡できればいいのに!

(………………いや、違う)

 私はおもむろに手を前にかざすと、「止まれ!」と叫んだ。時が止まる。ここまでは慣れてる。練習してきたから。

 そしてそのまま、火の魔法を集める。私の魔法でなんて、と思ったけど首を振ってその考えを退ける。だって、だって。

 シリウス先生は、私は強くなれるって言った。それを知っていればって。


「私は強い」

 火の玉が少し大きくなった。私はそれをおにぎりのようにぎゅっと固める。

「私は強い」

 もっと火力が欲しい。イメージは水風船。火だけど。そんなのをギリギリでパツパツになるほど火を入れたい。一瞬で相手を吹き飛ばすくらいの威力が欲しい。あ、殺さないレベルで!

 そんな調節できるかな……。いやいや私強いから多分大丈夫!きっと!

「私は強い、強いからできる!」

 手の平が熱い気がしてきた。でももうちょっといける。もっともっと張り裂けそうなくらいのギリギリの威力が欲しい。

 もっと、もっと、もっと。火の玉を大きくして、それを圧縮して、大きくして。その繰り返し。なんかぐつぐつしそうで熱いような見た目で、まるで地獄みたいに綺麗にする。

 もっと、もっと、もっと。…………今!


 私はその火の玉を空中に放り、それにも時間停止魔法をかけると、シリウス先生の腕を引っ掴む。

 バサリと取り出したのは羽根。正直火の玉爆弾の威力が自分でも分からないので、心許ないバリアを張るよりも逃げる一択。めちゃくちゃ重いけど羽根のマジカルパワーも使って窓から飛び出る。

 もしこの時、シリウス先生やスバル先生だったらこんなことしなくてもこの魔法を有効に使えただろう。同じ生徒のアルでももっと賢く使えただろうし、我らがクロダンの参謀アンカーだったら私には思いつかない素晴らしい発想でこの事態を乗り越えていたはずだ。

 でも、私だから。

 この場にいたのも、この二つの特別魔法を使えるのも、私だから。


 だから私が一番強くなる。最強になる。

 見ててね、シリウス先生。


「解除!」

 少し距離をとったところでそう叫ぶと、直後に轟音が鳴り響いた。




「よくやった」

 吹き飛ぶ屋根。割れた窓から飛び出る炎。

 思ったより大きな威力、と言うよりも自分が人様の家を爆破したという事実に今更ながら怯える。シリウス先生が私の頭をガサツに撫でた。そして瓦礫だの火などを一瞬で消し去った。そのまま室内にいる女性を闇魔法で拘束。

 屋根がなくなったことで女性も空中にいる私たちにすぐに気づいたようで、ぼんやりと「天使みたい」と呟いた。私は自分の白い羽をふわりと動かすと、彼女に近づくシリウス先生に習って彼女の元に降り立つ。

 とっくに戦意喪失して、ぼんやりと空を見つめる彼女のそばに、ひらりと紙が落ちる。よく見るとそれは家族写真のようで、若かりし頃の女性と同年代の男性、幼い男女の子供が写っている。

 私はその女の子の方が見事な金髪であることに気づいて目を伏せた。なんとなくミラにも似ている気もした。

 夜の帷はとっくに下りて、都会特有の、星一つない夜空が頭上を覆っていた。

「ねえ、天使さま」

 彼女は虚ろな瞳で私に話しかけた。

「……はい」

 天使と言われて返事するのは抵抗があったが、確かに天使のように翼を広げているので私も静かに応えた。

「私の娘は、死の先の国で幸せに暮らしているかしら」

「…………」

「こんなバカな母親のことなど知らずに、笑って、走って、友達を作って。やって、いけているかしら」

 私は、彼女の言葉をゆっくり咀嚼した。目を閉じて、開いて、俯いて。顔をあげて、静かに答えた。

「えぇ。彼女は幸せに暮らしていますよ」

 その言葉を聞いた彼女は、ゆっくりと体の力を抜いた。

 彼女はまだ生きている。まだ、生きていく。多くの少女を誘拐したと言っても動機からして情状酌量の余地があり、少女たちの扱いもこれまで丁寧だった。実刑は免れなくても、親子ともども、今後外の世界で生きていく機会が必ず訪れる。

 彼女は今後も、痛くて苦い現実を生きていく。きっと、その中に一つ、一つだけでも救いを胸に彼女が生きていければいいと、心から願った。

 天使のように身勝手で頼りないながらも、願った。





 ゴトリ。

 バッテリー切れ。そんな言葉が脳裏をよぎった。私は糸が切れたように倒れ込む。後頭部から仰向けに。少し頭を打った。

 そんな私をシリウス先生が覗き込む。

「お疲れ」

「本当、疲れましたー……」

「羽しまっちゃえよ。天使の演出としてはもう十分だ」

 そう言われてするすると羽を背中にしまう。あ、また肩甲骨のところに穴を開けてしまった。これで制服ダメにするの……何回目だ?

 天使。それにしても自分がそう表現されるなんて考えたこともなかった。天使といえば絵本の中の存在であり、何よりも前世の私の命を刈り取った存在なのだから。物理的に。

 あれは犯罪だった。殺人罪。まあ事故だけどさ。

 でも、今考えても、あの雪の日の記憶はそんなに悪いものじゃない。むしろどこか嬉しいような幸せなような感情が含んでいる。そんな変な感覚のする、ダイイングメッセージならぬダイイングメモリーだ。

 あの日は雪が降っていた。寒くて、不安で、怖くて。真っ暗闇。

 私は空に手を伸ばした。そう、こんなふうに怖いくらいの夜の出来事。そんな不安な私に、まるでご褒美のように綺麗なてんしさまが現れた。傲慢で、ふざけた性格で、月の光を浴びてキラキラと輝く髪はブロンド。月そのものみたいに光っていた。

 顔も整ってて。

「おい、もうここ出るぞ。お前が屋根吹き飛ばしたのとは別で下でも爆発があった。家ごと崩れそうだ」

「…………ん?」

 そう言って顔を覗き込んでくるシリウス先生に、少し既視感。

「どうした?どっか怪我したか?たく、まだまだだな」

「……先生、質問なんですけど」

「なんだ?」

「髪、染めたりしました?というか金髪だった時期とかありません?」

「ん?まあ、髪色がずっと同じだと飽きるから定期的に変えてるけ、ど……」

「…………」

「…………」

「…………」

「……あー、その、スピ……」



「てんしさま⁈」

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