針金のような男
第一印象はそう、まるで針金のようだと思った。
笑っちゃうくらいに細っこくて、とんでもなく背が高い。そして灰色のスーツを身に纏い、発する声はとんでもなく冷たい。
しかし、その内容はまるで私の心情を全くその通りに表していた。その内容を聞いて次に「分かるやつ」と印象を変えた。短時間で好感度がプラスに振り切った。
これは誰にも言ったことがないが、私ーーミラ・シュリアクは元々貴族ではない。ほんの数年前まで平民だったし、数年前までは平民のまま一生を終えるのだと信じていた。
ピアニストの父とバイオリニストの母。世界でも有名な二人はどこにも縛られず、気まぐれでコンサートを行なっては最低限の生活費だけを稼いで次の国へ。
そんな気まぐれで、それでいて一瞬でその国の人を魅了する二人が大好きだった。
その生活が壊れたのは私が七歳の頃。私はその国の感染症にかかって、しかも抗体がないものだからかなり重症化した。
あの時はとにかくお金が必要で、病で苦しむ私を見て両親は迷うことなく、お抱えの音楽家になることを決めた。その中でも一番好条件のこの国の音楽家に。
幼心にも、苦しかっただろうなと思う。別に彼らからの疑いようのない愛情は感じていたから、自分自身の自由な音楽活動と娘の生命を同じ天秤にかけようとはしなかったけど、それでも大好きな両親の生き方を変えてしまったことは申し訳なくて仕方がない。
こんなことを言ったら怒られてしまうけど、もしも私がいなかったら二人には違う未来があったんだろうなと、思う。
だから私は両親を国に縛るために送られた貴族位をあまり好きになれない。でもみんなと仲良くなった今は、正直明日から貴族を辞めると言われたらとても困ってしまう。
そんな中途半端な私にとって、音楽祭はとても大事な行事だった。だって、音楽というものほど分かりやすいものはない。
分かりやすく、音楽家の親を喜ばせられるものはない。
そうやって意気込んで挑んだ去年の音楽祭は、才能に正当な評価を下されなかった。私にはそれが、王宮でこれまでのような活動ができなくて苦しむ両親に重なった。
だから頑張った。余計なお世話かもしれない、Aクラスである自分から平等に採点してくれなんて嫌味でしかないだろう。でも、頑張ったのだ。
まあ、結果はあの通り。優勝の盾を受け取りに行った私が見たのは、悔しそうに、泣き出しそうな憤るような恨むような、諦めたようなDクラスの顔。
そして親としてではなく、音楽家として正しく眉を顰めた両親の顔。そして目が合うと何事もなかったように無理に笑って拍手をした二人。
私はその時、喜ぶことも悲しむこともできなくなった。
「Aクラスの子、だよね。さっきの発表すごかったなって思って。伝えに来たんだ」
Aクラスでの打ち上げの後、そう声をかけられて、最初はまた大袈裟に褒められるのだと思った。善意からなのだろうけど、とても憂鬱になった。
しかし彼は言った。
「でも正直、Dクラスの方がすごかったよね」
多分、冷静に考えてみるとこれはただの意地悪だったんだと思う。でも私は嬉しかった。純粋な、戦友であるメイサが褒められたからというわけではない。私は間違ってないと肯定してもらったことが嬉しかった。分かってんじゃん、この大人と思った。
だから、そんな素性もしれない男に詰め寄って会話を続けた。彼は大人だからか会話が上手で、タイミングよく相槌を打って、結局お互いの名前すら知らないとは思えないくらい大好きな音楽について語った。それには飽き足らず連絡先まで交換した。
その後の彼も、周りにいないタイプの大人として新鮮だった。優しくて意地悪で、良い文通相手だった。でも貴族令嬢として平民である彼と頻繁にやり取りするのはよくないなと分かっていたから、文を出す瞬間、時間を決めて待ち合わせてする瞬間とてドキドキした。まさしく、秘密の相手だった。
……だから、まんまと。
まんまと、恋をしてしまった。
「騙して、いたのですね」
「最初から、信用ならない男だったでしょ、オレ」
「…………」
彼は冷たい声音のまま軽薄に言った。全くその通りだった。貴族令嬢ともなれば懐柔しての連れ去りは王道の手口だ。それで連れ去られるなんてよっぽどのバカ。私みたいな。
「それでも警戒はしてたか。君の先生がだけど。もしもその魔法の詳細まで教えてくれる子がいなかったら絶対に連れ去れなかった」
「ッ……!」
私は拳を握りしめて俯いた。どう足掻いても、信用していたとしてもまんまと情報を取られた私が悪い。
歯を食いしばって、手のひらに爪を立てて、涙を堪えて。そんな私を見下ろして男は言った。
「……ほんと、バカだなぁ。君は」
そして用無しとでも言うように私に背を向けて、私では到底届かない天井のドアによじ登るのを、私は黙って見ているしかなかった。
ーーーーー
いきなり、首を掴まれる。首にかかる圧が大きくなって、足が浮く。恐怖、苦痛、死ぬ……!咄嗟にその手を両手で握りしめるが、学生とはいえ一端の成人男性ほどの体格のレグルスに、まだ少女のギナンの力が叶うわけがない。
《お前、なんで俺の名前知ってるんだ》
顔が苦痛で歪むが、この相手に限っては目が見えないと会話ができない。宙に浮かぶ火の文字を確認しこの首締めの理由が分かった。
まずい、まずい。ギナンの顔が苦痛以外の理由でも歪む。
《なんで教師よりも早く誘拐だって断定した?アジメクは『連れ去られた』でミラの方は『死んじゃう』なのはなんでだ?どうしてアジメクの命の心配は必要ないみたいな言い方だったんだ?お前は、何を知ってる……?》
まずい、それは。
この世界の中の理では説明できない……!
「…………!」
より一層手に力を入れられて呼吸がさらに苦しくなる。さすがに殺す気はないのか単に喋れないと返答ができないと思う理性があるのか時節緩められるが、酸欠の頭で、こちらの余裕が失われていくのは変わりはない。
つまり、ここで変に誤魔化す方法が思いつかない。しかもこの場にはシリウスという高性能嘘発見器がいる。あからさまな嘘じゃすぐにバレる。
「…………」
仕方がない。ここで正直に話したことが今後の物語にどう影響が出るのか計り知れないが。……何より、ここでモタモタしていることにより救出が間に合わないことの方が後悔する。
だってこのままだとミラは、私のせいで死んでしまうのだから。
私は、ゆっくり顔を上げ、苦しさなんてしまい込んでレグルスを見据えた。彼が怯んだように手を緩める。つま先だけど、地に足が着く。
私はそのままその手から逃れて、彼と後ろで木偶の坊のように突っ立っているシリうすに笑いかけた。私のできる限り、余裕ぶって。
「……私は、神だから。なんでも知ってるの」
ーーーーーー
《俺は、信用したわけじゃないからな》
「それ、何度目?何度も言うけど、あんたの師匠様の眼は私が正しいと出したでしょ?」
《そんなのありえないだろ、神だのなんだの》
前を向いてそう言う彼はこちらを見向きもしない。これは多分私の言葉を信じていないと言うよりは神という存在に価値を見出していないのだろう。これは彼の半生を思い返せば当然か。むしろ恨んでいるかもしれない。
そう、私は彼らの全てを知っている。好きなものからその過去、誰にも言ったことのない秘密まで。なぜなら単純、神であるから。
なので私が神であるという証明は簡単だった。隅から隅まで二人のプロフィールを言い当てて、それにシリウスに私の言い分が真実であると「視て」もらった。
そしてさすがにこの世界の理の中の話でないから、ステータスとしては現れなかったけど、あの大魔法シリウスのお墨付きを得たわけだ。チートキャラはいいね。話が早く進んで助かった。
「…………私からすれば魔法も貴族社会も『ありえない』ものだった」
《なんか言ったか?》
「ううん、何も。…………いや、魔法使い様、気づいた?」
《とっくにな》
そしてその時は唐突に訪れる。前方に一つ、まるで針金のように長く伸びた影。
普通の青年のようで、異様な雰囲気。そして笑うそいつ。
「ようこそ」
その声は冷たく、しかし熱が沸るほどの暑い劇場を声に乗せて彼は言った。
目元もよく見えない、あの誘拐犯の人相の絵と一緒。
つまり、彼が犯人だった。
「行ける?言っておくけど、私魔力ほぼゼロよ」
《誰に言ってんだ》
私が静かに体をこわばらせた横で、レグルスが構える。確かにこの男はシリウスの二番弟子であったと同時に、シリウスに並ばずとも劣らない魔法使いのスピカの弟弟子。
フィジカルは発展途上だが、その得意な魔法を使ってこの男一人くらい容易に倒せるはずだ。
そう、油断した私の目に飛び込んできたのは、一瞬でやられる姿だった。
「ふっ、鍛え方が足りねえ」
《ん????魔法が……?》
レグルスが。魔法を唱えようと身構え、そしてその直後犯人の男の長い足に吹っ飛ばされて、その直後に脇の壁にぶち当てられる。魔法を出すのが間に合わなかった?……いや、これはもしかして。
私は蹴られた脇腹と頭痛でもあるのか頭を押さえてうずくまった。
《魔法が……使えない…………》
「絶対絶命じゃん……!」
どうすんだこの頭でっかちで、作中でも貧弱で弱フィジカルのこいつを……!
(…………)
私は密かに後退りそうになる。なにしろ男の警戒対象は当たり前だがレグルスに向いている。正直今なら逃げ出せる。
(……)
どうしよう、なんらかの原因で魔法が使えない。そうならば少しでも体格の良いシリウスの方をこちらによこすべきじゃないか?
それならば尚更彼に電話した方がいいだろう。くっそ、連絡先を交換しておけばよかった。足を使って直接頼みにいくしかない。
(頼みに…………)
その間に、ミラが取り返しのつかないことになっていたら?
(……そもそもこの家自体招かれたわけじゃなければ、何人犯人が潜伏しているのか分からない。この魔法の使えない環境下で、無事に生きているのかすらよく分からない。つまり他からの助けは期待できない。
(だから、この人はここで戦闘不能にする……!)
腹は決まった。いや、結構ぐらついてるけど。
(それでも、ここにいる人たちをキャラクターだと思っていたのを改められたのはミラのおかげだ。いや、それがなくとも、私たちは抗いようのないくらい、友達だ)
私は足を軽く広げ、堂々と腕を組む。気分は、というか本物だけど、貴族令嬢の気分で。
(…………)
男を睨め付ける。彼が少したじろぐのを眺めて、少しいい気分で私は言った。
「悪いけど、逃げられない理由がある」
大事な理由が。その言葉に、床に転がったレグルスがふらふらと立ち上がり、前を睨み直す。
「そんなの、俺にもある。溢れんばかりに」




