音楽祭再始動
ミラ視点
「今年も頑張ろうね!ミラ!」
「私たちも頑張るからね!」
夏休みが終わり、音楽祭が近づく日々。クラスメイトからそう声をかけられることが多くなった。
「あんた、背負い込みすぎじゃない?」
印象的な声で言われて、ぎくりとする。
声の主は分かりやすい、ギナン・イマイ。印象的で独特な少女。
私のように異国の血が流れているのか、この国では珍しい、烏羽色の髪と黒曜石のような瞳。覗き込まれれば同性でもどきりとしてしまうような、吸い込まれそうな色だった。
最初に会った時、ブラックホールみたいな少女だと思った。
私は動揺を隠すように、笑顔を作って言った。
「そう?結構仕事とか分担してるのよ?私は合唱班しか練習見てないし」
「そうじゃなくて。ココの」
トントン、人差し指で叩かれたのは胸元。
「…………」
「私は無理よ。音楽祭のクラス代表で、去年のことがあったからモチベーションもあまり。それで個人的にもトラブルを抱えてる」
「……いいのよ、私は優秀だから」
「そうだね、そう見せるが上手い」
「……何がおっしゃりたいの?」
即答したギナンに私は眉を顰めた。
「数日あんたを見てきたけど、本当はあんたそこまで有能じゃないでしょ?」
「……」
「あんたが大丈夫だって言えば、みんな信じる。でも私は信じない。一生疑ってあげる」
あんまりな言い方。この子は優しさという言葉の一般的な意味をしかと調べたほうがいいと思う。この子の気遣いというものを、この言葉を聞いた十人中十人理解できないだろう。
十一人目の私は言った。
「……チャイム、鳴るわよ」
力ない言葉の後を追うようにチャイムが響いて、ギナンはふと視線を逸らして自席に戻った。私は少しホッとした。
次の授業は歴史。担当は国内史担当のセクンダ・ヒアドゥム先生。同じく初等部に兄のプリマ・ヒアドゥム先生(外国史担当)が在籍しているため、ファーストネームで呼ばれている。
非常に優秀で厳格な先生だが、ネクタイがいつも可愛らしいウサギやら熊やらがプリントされているので説教を受ける生徒はどういう顔をすればいいのか分からなくなるのが玉に瑕だ。
先生の授業は結構サクサクと進んでいく。もちろんついていけないほどではなく、加えてAクラスぐらいの貴族では国内史は入学前から家で教えられていたので、少し退屈そうな生徒も多い。
(…………)
かくいう私も暇を持て余している生徒の一人だ。この授業は家で習ったことと教科書に書いてあることが相違はないかという確認の時間でしかない。
自然心は教科書ではなく、違う考え事をしてしまう。音楽祭のこととか、誘拐事件のこととか、……ギナンのこととか。
ギナン・イマイ。外交を担う家系で、外国人の母を持つ少女。大人びた性格で、入学当初は特にクラスメイトに馴染めなそうだった。そのためかは分からないがギナン自身も授業が終わるとすぐに学外に出かけるようになったので、なんというかプライベートが謎な少女であるなと思っていた。
そんな彼女だが、ここ数日に限って言えば、彼女と一番仲がいいのは私だろう。というか一方的に付き纏われているというのが正しいけど。
どこかに行くにしてもついて来られている。ついてくると言うか、気づいたらそばにいるというか。登下校を一緒にしたり、放課後の時間、他の友人といるところで突撃されたり。トイレをドアの前で待たれていた時は悲鳴をあげてしまったものだ。
そんなふうに付き纏われている今日この頃だけど、それでもなんとなく拒否はできないでいる。それは善意でやっているからと言うのもあるけど、一番はなんか可愛らしいから。
カルガモのよう、とは少し違う。気づいたらそばにいるというか、するりと猫のように身を寄せている。本人的にはナイトのつもりなのかもしれないけど。
気づいたら隣にいて、私の安全が保証されればいつの間にかいなくなっている。
本音を言うなら、不安だ。彼女の言う通り、怖くて仕方がない。許されるのなら実家にさっさと帰ってしまいたい。でも授業もあるし音楽祭もある。ここで投げ出していい立場ではない。それにアジメクさんは何もないような顔をして登校しているのだ。
そう、言い聞かせてかろうじて立っている。
そんな私に、彼女は、ギナンさんはまるで杖のように私の倒れそうになる先にいてくれる。それのどんなに嬉しいことか。
しかし理性の部分が言っている。このままでは彼女を巻き込んでしまう。このままでは彼女を危険に晒してしまう。関係のない彼女を。
不安だからそばにいてと、ないて縋りつきそうな小さな私と、貴女に何かあったら必ず後悔すると、突き放すべきだと囁く私。体がバラバラになりそうだ。そしてそんなカケラをギナンさんはさりげなく抱きしめて整えてくれる。なんて事のないような顔をして。
本当に、最悪だ。あの少女は、とんでもなく。
私は多分ギナンさんの想定通りに今にも壊れそうで、結局呆気なく壊れてしまった。
「そんなんじゃない!そんなんじゃダメよ!」
貴族令嬢が金切り声で他を威圧する。つまりは非常に下品な行いをする高位令嬢というのは珍しく、それは大きく二つの場面に分けられる。
声を張るほどのことが起きたか、令嬢が声を張るような人間だったかだ。
今回は後者だ。喉が痛くなるような声を上げた直後、ミラは自分でそれを冷静に分析していた。
何に対して声をあげたのかと言うと、それは自身の担当している合唱部門のクラスメイトの出来がよくなかったからだ。しかしそれでもこのように怒鳴ってしまったのは私に余裕がないからだ。
彼らたちはよくやっていた。最初よりもずっとよくなった。去年とは比べ物にならない。
しかしどうしても去年のDクラスの合唱と比べてしまう自分がいて、どうにかしなくてはと急く気持ちがあって、それでも誘拐事件が頭をチラついて集中できない。
こんなの、どうにもできませんわ。
力任せに怒鳴って、傷つけるかもなんて考えず感情に任せた言葉を選んだ。
「……っ!」
だから当たり前だけど、顔を上げた先にある皆んなの顔には反発と私を厭う表情しか浮かべていなかった。
逃げるように視線を逸らしても、みんな私を見ていた。それでも違う色を持つ顔を探して視線を背けると、アジメクさんと目が合った。
彼女は私を嫌っていなかった。
ただ、心配と気遣いを混ぜた表情をしていた。
「!!」
私は一転頭が沸騰したようになった。裏切られたと感じた。同じような境遇にいるのに。なんで私ばかり余裕がない。どうして貴女はそんな顔をしていられる……!
私のターゲットは完全にアジメクさんになって、頭が壊れそうなほど、これまで言ったことのないほどの様々な罵詈雑言が頭に浮かんで、それをそのまま口に出したくなった。後先なんて考えず。
むしろそのまま口に出しそうになったけど、その一瞬前、その出口をそのまま塞いだ人がいた。
「ダメだよ、ミラ」
それはやはり印象的な声をしていた。
「……どこまで連れて行ってくださるのかしら」
私の言葉は少し皮肉の色も含んでいた。なぜならかれこれ歩いて二十分は経つからだ。しかもどこに行くのかを決めていないのか同じところをぐるぐると。
「……子供のいないところ」
しかし彼女の言葉は淡白だった。そして不思議な言い回しだ。
「人のいないところじゃなくて?」
「誰もいなくても、私がいる。大人がいっぱいいないと、ミラは子供になれないでしょ?」
「…………」
彼女の言いたいことが分かるような分からないような。でも確かに、一人っ子の私は子供よりも大人に囲まれることが多かったのは確かだ。
「……教員室は?」
「先生たちは各々の準備室に篭っちゃってるからあそこは知らないおじさんしかいないよ」
確かに、教員室は朝の会議か用がある時くらいしか行かないというのは生徒の間でも常識だった。
それなら、と私は足を止めた。
「あっちに行きましょう」
私が指を指したのは窓。
正確には、学外だった。
「悪いことしてる気がする」
「実際悪いことですけどね」
でも悪いことをしながら食べるお菓子は美味しい。
「悪いことって例えば?」
「言うまでもなく授業時間内に学園敷地内から出たこと、人目を避けるために立ち寄った衣服の量産店の店主を口止めしたこと、あとは買い食いと立ち食い」
私は手の中のドーナツを揺らす。テーブルも椅子もなくて心許ないが、ギナンがこれが正当な食べ方だと言うので仕方がない。
彼女は呆れたように言った。
「音楽祭準備の時間とは言え授業時間だして、サボりは否定しないよ。でも他のはそう悪いことでもないでしょ」
口止めした店長さんも別に脅したわけじゃなくて事情話してわかってもらったし。と彼女は言う。でもその話した事情もかなり話を盛っていましたよね?
「それにしてもよくお金を持っていたわね」
「まあね。便利だよ、ミラも持っときなよ」
彼女がチラッと靴と靴下の隙間を見せる。そう、そこになぜか金貨が入っていたのだ。そのおかげで私たちは平民の男の子みたいな格好に身を包み、熱々のドーナツを頬張っている。
それでも貴族の私は言った。
「お行儀が悪いわ」
「それを言われたらそうだけど」
美味しいでしょ?彼女が言う。
美味しいわ。私が言った。
学外ということで渋られたが、スバル先生に防衛の魔法をかけてもらっていると説明して了承してくれた。まあ説明した後も渋られたのを私が引っ張って連れてきたのだけど。
軽率なのは分かってる。でも、この時間がどうしても私には必要だと思った。
「怒られるかしら」
「まあ、謝ればいいのよ」
「…………」
今はその眉を顰めるようなお気楽さが楽だった。
「……私、やっぱりダメだった」
ポツリと、涙が落ちるみたいに零すと、ギナンはぶっきらぼうに言った。
「……いや、あれは無理でしょ」
「そう?」
「そう」
彼女は断言した。私は少し大きく息を吐いた。
「でもね、本当に私のせいなのよ」
思ったよりも細い声だった。我ながら迷子になった子供みたい。私の頭にぽすと小さい手が乗る。
「それでもミラは悪くない」
全てを包む混むような声音に、私は一瞬言葉を失った。彼女の手は存外冷たかった。
「……でも私、貴族の令嬢なのに」
「でも私たちはまだ十歳の子供だよ」
「…………それでも、貴族だよ」
「それでも、脳みその大きさに親の権力は関係ないじゃん」
「でも…………」
強い瞳に魅入られてなんの言葉も返せなくなる。
「大丈夫だよ」
それでも彼女はその強い瞳で、印象的な声色で言った。私の欲しい言葉を言った。
「大丈夫、誰もミラのこと嫌いにならない。……私が必ず守るから」
「必ず守る」
スバル先生のその言葉に、私たちはひどく安心していた。むしろあの時そう言い切ってくれなければ私たちは音楽祭の練習の日々をうまくこなせなかっただろう。
安心した。安心し切って、油断した結果がこれだ。
今日は音楽祭本番。部外者が大量に来校する日であると言うのに。
「これ……転移魔法がかかってる……!」
「まさか……!」
廊下に落ちていたハンカチ。私とアジメクさんの二人で歩いている時に見つけ、手に取った途端に変わる視界。
薄暗い、どこか部屋か倉庫のような場所。見渡す限りは人はいないが、出口はおろか窓さえも高い位置に小さなものがあるのみで出られそうにない。
「スバル先生の防御魔法は⁈」
「違う、スバル先生の防御壁のギリギリ外側の空間ごと転移させられてる」
冷静なアジメクさんの分析。恐怖から頭が回らない私と大違いだ。
「…………」
「………………」
「……ねえこれって」
「えぇ。スバル先生の魔法範囲を正確に把握してるわね」
「うん、それどころか」
私、スバル先生の魔法がかけられていること自体、誰にも言っていないのだけど。
双方、黙り込む。アジメクさんの言葉は、正確に私に問いかけていた。誰かに言った?って。優しい彼女らしく、責めるような言い方ではなかったけど。
私は頭痛を堪えるように目を瞑った。
「………………言ったわ。私からバレた。ごめんなさい。謝っても仕方がないけど」
私は頭を抱え込んで、自分だけでなくアジメクをも危険に晒してしまったことに泣きそうな気持ちになった。
そして、このことを知っている人を、私たちを攫ったもしくはそれに協力した人を理解して、泣いて喚いて全てを投げ出したくなるような気持ちになった。




