「双つの悪魔」
Aクラスはトップバッター。準備をしてステージ上に上がる。誰もが緊張で顔がこわばっている。指揮者のアルレシャは、悪そうに笑った。
「デビルども!開幕だ!」
オペラ「神々の憂鬱」に提供された曲、「双つの悪魔」。パーティーで踊る音楽として多用されるため有名な曲であるが、この曲は主人公の神々を誘惑しようとする二人の悪魔の美しさ、生涯を示し、称賛する曲である。
最初は二つのバイオリンの掛け合いから始まる。
つかみは上々。聞き覚えのあるメロディラインに、保護者や他の生徒と言った観客から聞き惚れたような声が聞こえる。それを待って、アルレシャは大きく指揮棒を振った。
一気に増える楽器に私たちの合唱。時代の荒波と、それでも人間で遊ぶ双つの仲のいい悪魔。悪魔の楽しげな様子と地上の混沌。混じり合う序盤。そこで踊り子が姿を現す。
ほとんどが黒子。中心で踊るのは悪魔を模した二人。白と黒。ベガとリゲル。二人は仲良く地上を踏み荒らす。消える影、街。最初はこういう背景は全て魔法で作ろうとしていたけれど、技術班の凝り性が出た。全て影絵などの魔法を使わない技法である。魔力担当の私としては拍子抜けだが、そのおかげで歌の方に集中できる。
間奏を開け、ピアノと合唱のみのパートになる。仲の良い双つ。しかし黒の悪魔はその平穏に飽きる。そしてある日白の悪魔の羽をもいでしまう。痛みに泣き叫ぶ白い悪魔。そして悪魔らしく黒の悪魔に願う。気が紛れるほどの破壊を。
再び総戦力でダイナミックな演奏。ただの八つ当たり、もはや美しいほどの蹂躙。黒は白を庇うように踊り、やがて白い悪魔はその目から光を失っていく。
元の鏡写しのようだった自分たちを失い、そしてある朝白い悪魔は、飽きた。
守られている自分に、大人しくしなければいけない自分に。そして、いつ捨てられるかと怯える黒の悪魔に。悪魔らしく盛大に飽きて、白い悪魔は去っていく。そして遠くから発狂したように街を壊す黒の悪魔を楽しげに見下ろす。
そして次第にそれにも飽きて、白の悪魔は主人公である神に声をかける。黒の悪魔にもがれた羽を見せびらかして。最後にソロになったバイオリンで静かに幕を閉じる。白の悪魔のベガは、いっそ無邪気に微笑むと、妖艶に羽を動かし、奈落に飛び降りた。もちろん受け止める人はいるが、彼女の演技も見事である。
そして一人、楽器隊も合唱隊も自然に舞台からはけ、最後に残った黒の悪魔は、観客に背を向けたまま、奈落を見つめ続ける。
つまり最後まで、その心は白の悪魔のものだった。
幕が下りた瞬間。
耳をつんざくほど騒がしい拍手。
もう一度幕をあげ、一斉にお辞儀をする。改めて頭上に降ってくる拍手に、私たちは繋ぎあった手をぎゅっと結んで、そしてステージの下を見下ろした。
あ、先輩がこっちに手を振っている、楽しそうに拍手をしてくれている。あ、あの人カペラちゃんのお父さんじゃない?結構まめに子供の行事来てるよな。そして、Dクラス。
Dクラスは、拍手している人はほとんどいなかった。特にメイサは、私たちを見ていた。
拍手もしないで、まるで挑むように。ミラはそれを黙って見返す。どうだと言わんばかりに。そしてお前たちはどうなんだと言わんばかりに。
もう一度、幕が下がって、二人の視界に赤い布が遮るまでその二人は見つめあっていた。
その後順調にBクラス、Cクラスが発表を行う。まあ私たちの次ということもありそこまで力を入れていなかったのが浮き彫りになる結果となった。
そして間も無く、Dクラスの発表が始まる。
始まる前、彼女は、歌姫メイサは言っていた。「怖い」と。
「私の、私の歌の評価が、全部魔法によるもので、もしもこれをつけて歌ったら誰も見てもらえないかもしれない。そう思ったらすごく怖いの。歌だけで歌姫だと評価されたい。でも歌姫でいられるのは歌が上手いからじゃないかもしれない。怖い、足場がなくなるみたいな気持ちになる」
それでも、彼女のクラスメイトは魔法を使わずに歌うことを了承してくれたらしい。もちろん反対する人もいたけど、それでも何日もかけて説得して。そんな彼女の勇気が、今日この日に発揮される。
Dクラス合唱、「海の魔女」ソプラノ、アルトと声変わり前の子供に合わせたパート分けで、曲の全てに渡ってそのどちらにも属さないソロが一人いるのが特徴。つまり歌姫のいるクラス用の曲である。
ゆったりとしたピアノの前奏。丁寧に生徒が弾き、そして「魔女」、メイサが息を吸い込んだ。その瞬間、奇妙に静寂が訪れ、他のクラスメイトが自慢するように微笑んだ。
一音。
一音目で分かる。これは格が違う。これは、本物だ。
強風で吹かれたように彼女の声が響く。ソロがこんなに気持ちがよく、深いものだとは知らなかった。
そして彼女の音を邪魔しないばかりか、それを追いかけるようにレベルの高いソプラノ、アルト。音の始まりから余韻まで、全てを吸収してしまいたいような音。私は息をするのも忘れて歌に耳を必死に傾けた。
ドキドキする。幸せだ。どうか終わらないでほしい。
そして無情にも曲は終わり、ピアノのその最後の音が終わるまで、私たちは夢見心地だった。
彼らが舞台の袖に捌ける。それを見届けてから、ミラが弾かれたように出口へと走った。
「え⁈ミラちゃん⁈」
反射的に追いかける。彼女はすぐに見つかった。そこではDクラスの面々が舞台を捌けたまま集まっていた。
「メイサ」
(みらちゃん……)
二人は向かい合った。そしてどちらともなく抱きしめあった。
「さいっこう!」
(そっちこそ!)
そう言って二人は互いを労う。いつの間にか、Aクラスの他のみんなも気になったのか集まっていた。ここにいる二クラスは事情を知っているので黙って見ていた。
そして、ミラが言った。
「完敗よ。メイサ」
後ろで息を呑む音が聞こえる。Dクラスの面々も驚いたように目を見張った。それを気にせず、ミラは続けた。
「確かに私たちは人を楽しませることができたけど、単純に音楽性はあなたたちの方が数倍も上。とても、とても綺麗だった。ありがとう、メイサ。そして悔しいわ。どうか、来年私たちとまた競ってね」
そう言うミラの頬に、確かに涙が伝っていた。それを気にせずセレンもぎゅっと抱きしめる。悔しそうに、本当に悔しそうに言うミラ。
そうだ。素人の私にもわかった。私たちはダンスを取り入れ少しわかりにくいところもある曲のイメージを補填したが、Dクラスはそんなものは必要ないとばかりの音楽の力。能力。ミラの掲げていた「圧倒的な勝利」と言うのは、Dクラスにこそ相応しいだろう。
そしてミラは、その場では笑ってDクラスと別れた。
その後も自席に帰ってからも、その涙が止まらなかったけど。
「ミラちゃん」
私はそっとミラに近づくと、その背中を軽く撫でた。顔を上げた彼女は悔しそうであったけど、何よりも楽しそうだ。
「……私、悔しいです。来年も、どうか来年も頑張りましょうね」
「もちろん」
私は大きく頷いてみせた。彼女は安心したように目を閉じた。
そして発表。
「優勝は!」
勿体ぶるようなドラムロール。そして一瞬の沈黙。私たちはその後の答えを持っていた。もちろんDクラスであると疑わなかった。
しかし、
「Aクラスです!!」
その結果が発表された時、ミラはクシャクチャの顔を構わず壇上を見上げていた。
そんな一生徒の様子に構わず二位からの順位も発表されていく。Bクラス、Cクラス、そしてDクラスと順番通りに。
ミラは、ただ単純に驚いていて、そしてその一瞬先には、年齢に見合わない諦念とありったけの憎悪。
「次いで表彰式を行います。まず一年。Aクラス代表、ミラ・シェリアク」
先生に促されるまま壇上に上がった彼女は屈辱に体を震わせながらしっかりとした足取りでステージまで登った。そして流れるように初等部長から盾を受け取り、それを投げ出してしまわないかとのクラスからの心配をよそにステージからこちらを見下ろした。
ミラは一度Aクラスの面々を見て、そして多分Dクラスを見てまるで迷子のように途方に暮れた顔をした。
ステージから帰ってきた彼女は、自席に戻る直前ゆらりと体が傾がって、近くの席のアルレシャが慌てて受け止めた。
「ミラ⁈」
「大丈夫?」
クラスの面々が彼女を中心に集まる。これはきっと周りの何も知らない大人から見たら、優勝クラスが結果発表後集まっている感動的な光景に見えただろう。
「分かっていたんですの」
ミラは言った。その声は冷たくて、乾いていた。
そう。先ほどまで溢れんばかりに水分を転がしていたその瞳が、まるで潤いを知らぬというように乾いていたのである。
「こんな結末。分かっていたんですの。分かっていたんですけど……!」
そんなふうに俯くと、ついにミラは大事に抱えていた優勝を示す盾が滑り落ちた。アルレシャはそれを拾おうともしないで発表前から乾いた涙の跡をなぞった。
「泣けよ。このクラスで一番、ミラはその権利がある」
ミラはその手をそっと外して言った。
「今泣くのは私ではありません」
盾を再び大事に拾ったミラは、しっかり一人で立ち上がった。そして周りのクラスメイトに目もくれず、Dクラスの方向を見た。
Aクラスの位置からは離れていてそのクラスの様子は伺えない。だから私たちは彼ら彼女らの顔を一片も伺うことができなかった。
ステージ上から真正面に顔を合わせたミラ以外は。




