少女の冒険・後編
「ーー!ーーー!」
森に聞こえる声。もちろん私は聞き覚えのないものだったが、カフは違うようだった。立ち上がって「オグマおじさん……」と呟いた。
「知り合い?」
「ああ。俺のこと、探してる。遅くなったからな。心配してるのかも」
「じゃあ、行かなきゃ」
「いや、いいよ」
私がそう言って立ちあがろうとするのを彼は制す。
そして彼は何か光るものを空に向けて撃った。
「ん?なにそれ」
「発光銃。狩りは危険が伴うものだからな。この町にいる人はみんな持ってる。危ない目に遭った時とか、こうやって」
彼は魔物を指さす。
「一人で運べないものを運んでもらう時とかな」
緊急時はこっち、今打った緊急じゃないけど来て欲しい時はこっちと二本の筒のようなものを見せてくれる。なるほど、街全体で狩りをするとなるとこういう助け合いの文化ができてくるのか。
「それでこっちのレバーを引くと……」
「こっの!クソガキが!!!!」
ガツン!
「イッテーな!」
突然現れおおよそ人体と人体で発せられたのか疑わしい音を拳で作り出した中年の男は、私に見向きもせず少年に怒鳴った。
「うるせえ!何時だと思ってんだ!」
「まだそんなに遅くなってねえじゃねえか!」
「今日は魔物が早くに森に来たっていうんで五時から外出禁止だ」
「は……?聞いて、ねえよ。聞いてねえよな?」
「まあ連絡した時お前家にいなかったけどな」
「聞いてねえじゃんかよ!」
多分私に会わなければこんなに遅くにならなかったに違いない。思わず口を挟もうとするが理不尽!と年相応に吠える少年を見つめる瞳はひたすらに安堵に染まっていることに気づく。
「はあ、お前なあ。みんながどれだけオメェのこと探してっか……。とりあえず早く帰るぞ。洞窟からも離れてっから大丈夫だとは思うが」
「あ、オグマおじさん。その、魔物のことなんだけどさ」
「は?ああ……って、お前らガキにはまだ魔物のこと話してなかったよな?!もしかして……見かけちまったのか……?」
「その……えっと」
「は?もしかして遭遇したか?襲われてねえだろうな?」
カフは気まずげに森の奥を指を刺した。
「その……倒しちまった」
「きゃーーー!!!」
その絹を裂いたような悲鳴は暗い森の中で非常によく響き渡り、その後他の捜索隊が到着するまで五分と掛からなかった。
「ふーん、で。結局どっちが倒したんだ?」
さすが狩猟民族、すぐに正気を取り戻したオグマさんは大きな魔物と私たちを見比べて言った。
「それはーー」
「お兄さんです」
私が被せるように言う。ここで目立つわけにはいかない。お兄さんは驚いたようにこちらを見るが「だよね」と強く重ねることで黙らせた。
「ほーお。すげえじゃねえかカフ。母ちゃんも喜ぶぞ」
「…………でも、俺……」
「本当に、助かりました。私じゃなにもできなくて」
「そっかそっか。とにかく怪我しなくてよかった。じゃ、とりあえずこのデカブツ運ぶか。あと……何人呼べばいいかな親父」
「とりあえずいるだけ呼んでこい」
「あいよ」
オグマさんの叫び声に集まった人間も含めてもそこに集まったのは五、六人ほど。とんでもない巨体を運ぶには足りぬとオグマさんが町へと駆け出した。それと入れ替わりに「親父」と呼ばれた貫禄のある老人が座り込んだ私たちに目線を合わせるように膝を付いた。
「怖かったな」
そして私と少年、二つの頭を両手でかき混ぜる。
(こ、わかった……怖かった)
にわかに目の奥がツンとして、堪える間もなく瞼の隙間から溢れ出す。
「泣くな、泣くなよ嬢ちゃん。可愛いお嬢さんに泣かれたら男はどうしたらいいか分かんなくなっちまう。そんでカフ、お前も」
その言葉に、なんだかんだ気丈に振る舞っていた少年も心底怖かったことがわかった。……でも多分私に察せられたくないだろう。黙って顔を伏せた。
「特にお前は今年の狩猟賞を取る男になる。シャンとしなさい」
その言葉にハッとする。狩猟賞。申し訳ないがすっかり忘れていた。多分大の大人が数人がかりで運ぶ獲物、しかも魔物だ。きっとダントツで狩猟賞受賞の基準になるだろう。秋の終わりが締めのはずが夏のこの日に彼がいうということはきっと間違いない。
これをラッキーと取るか身に余る、正当でないと主張するかは人によるだろう。というか少年の性格をこの短い期間で知っている身としては「人による」だなんて曖昧な表現はするべきではないのかもしれないけど。
当然のことながら、少年は泣きそうな声を飲み込んでから言った。
「親父、そのことなんだけど……」
「ああ、分かってる」
「だったら……」
「でも、嬢ちゃんの事情も考えてやれ」
「……」
私は思わず深く俯く。
もしも、ここで話題になったら。当主様は何ておっしゃるだろうか。別に本当の娘でもないのだから誇りに思うことは別にないだろう。もしかしたら口先だけでも褒めてくださるかも。
でもそれよりも私の魔法の技術がすこぶる高いことを知って怒るかもしれない。学園に通っていてよく思う。私の魔力はとんでもなく強大だ。多分本物の「シャーロット」を軽く超える。私が今日行った魔法、時間停止、上級魔法陣の大量作成、最後の大量の水魔法。どれをとっても詳しく説明できないものばかりだ。
でもこんな事情を一から十まで彼らに説明するわけにもいかない。より深く俯く私に、上から優しい声がかかった。
「嬢ちゃん、嬢ちゃんは貴族さんだろう」
「?!!」
思わず顔を上げる。今の自分の洋服は確かに上等だけど、町に溶け込めるようなレベルのものだ。
「いや、いいよ答えなくて。貴族さんかその血縁か。魔力がすごいあるね」
「えっと……はい」
発電できるくらいある。でもなんの話だろう。なにが関係があるのだろうか。
「あの洞窟、君が見た通りあの魔物の棲家なんだ。あの大きな体に見合った魔力が渦巻いていてね。あの魔物はホールと言って大きな身体からわかるように燃費が悪いから昼間は日光を魔力に変換させて、夜は洞窟の魔力て生きている」
「日光の魔力?」
なるほど、だから夜になるまであの洞窟に現れないのか。理屈はわかるが、日光から魔力を得る方法なんて聞いたことがない。
「ああ、地上に届く時にはほとんどないよ。あるのはずーっと上、地上からだいぶ離れた空の上だ」
そんな魔物もいるのか。確かにあの魔物は巨体に見合わず現れた時も洞窟を出て追いかけられた時も足音はしなかった。それこそ「跳んで」来たのかもしれない。
「だからこそ太陽が出ているうちの洞窟は安全なんだ。日光の魔力は洞窟の魔力に比べ物にならないほど大きいからね。でも今日は日が暮れきれる前に現れた。というか日が暮れるにつれ魔力は弱くなるけどそれでも早い登場だ。見張り役も初めて見るって驚いていたよ」
多分、太陽の魔力より洞窟内の魔力の方が強かったんだろうね。優しい言葉に私は悟る。なるほど、そういうことか。
「……私が、呼び込んだんですね」
「……そうだね」
彼は重々しくうなづいた。少年は焦ったように「そんなこと……」と呟いていたがどう考えてもそんなことあるのだろう。そうとしか思えない。
「別に、責める気は全くない。なんでこんな話をしたのかというとこういう危険があるんだと言っておかないとと思ったからだよ。君は、少し危うい」
「はい……」
私は反論できずに下を向いた。男の手が再び私の髪をかき混ぜた。
「大丈夫、君のせいじゃない。ここに君をつれてきたのはそこの鼻垂れ坊主だろう?でもこんな現象長い間生きて来て初めてだ。きっとこれまで出会った誰よりも魔力が強いのかな」
「すごい多いって学校の先生には言われました」
「学校。学校に通ってるんだね。じゃあきっとこれから強くなってこんなことはなくなるかな」
「そうだといいですけど」
「うん。頑張りなさい」
私が深く頷くのを確認してから彼は私の頭の上からその手をどかした。ちょうどその時遠くから、体格のいい男性数人の声が聞こえた。やっと家に帰れる。
少しホッとして身体中の力を抜く私を、少年は何か言いたそうに見ていた。
『親愛なる当主様
学園の話ではないので要らないかと存じますが、隣人のお婆さんが言っておけと言うので一応報告します。今日は森で魔物に出会いました。そこに居合わせた私ともう一人で討伐、私は一部魔法を使用しましたがもう一人の少年や大人に私の正体も悟られていないため問題ないかと』
グッと送ると光って消えた。そしてその粒子が消えるや否や返信が来た。ずいぶん早いな。『分かった』とか『報告不要』とかだろうか。だから話す必要はないと言ったのに。
メッセージを開いて驚く。
『怪我は』
これは送り途中か?それとも『?』を付ける手間すら惜しんで訪ねているのだろうか。……心配、してくれているのだろうか。
俄かに速度を増す心拍。震える手で返信を送る。
『無傷です』
もしかしたら、『良かった』なんてくるかもしれない。『心配した』とか、『無傷で討伐なんてすごいな』とかかも。もうこの際なんでもいいけど。
そうして返信を待った。先ほどとは違い光の粒子が霧散してしばらく経っても返信はなかった。
(…………)
五分待っても、十分経っても、三十分経っても、……一時間待っても、返信は来なかった。
深く、深呼吸をして活動を再開する。もう今日はご飯もお風呂も気にせず寝てしまいたい。ただ泥だらけの体を布団になすりつけるのは嫌なのでサッとシャワーだけ浴びる。
(………………)
鏡に私が映る。私というか、今は魔法で違う人の顔だけど。
(…………あ)
もし、私の体に消せない傷でも残ったとしたら、入れ替わりの時には本物のアジメクにその傷をそっくりそのままつけなければならない。学園では容姿を誤魔化すような魔法は使えないからだ。
「…………なるほど」
私の声はすっかり冷めきっていた。どんなに熱いお湯を被っても体に熱が灯ることはない気がして、髪の毛も適当に拭いてろくに乾かないまま寝てしまった。
か弱いお嬢様ではない私は、そんなことをしても風邪一つひかなかった。
数日後、私がその町を去る日。
「来てくれたの?」
「まあな」
迎えの馬車に乗る時、私のいた屋敷の前に来たカフは気まずそうに頭を掻いた。
あの後何度か森で遊んだ。彼や彼の狩り仲間と。
その中で私の住んでいる家に送ってもらったこともあったので今更屋敷の大きさに感想を言うことはない。ただ本邸に帰る用のちゃんとしたワンピースに「やっぱお嬢様なんだな」と小さな声で言った。
そうだよ、お嬢様なんだよ。これまでも、これからも。
私は誤魔化すように微笑んだ。カフと一緒に来ていた親父さんは「めんこいねえ」と目を細めた。
「なあ、次狩猟祭の時に来いよ」
言われると思った。なんとなく、彼がこのまま私の知らないところで賞を取って町中に褒められるなんてオチにはさせない気がした。
「うん。豊穣の週は学園も休みだからこっちに来るね」
私は用意していた答えをすんなり口にした。
そして、強い瞳に射抜かれる。
「絶対、」
「この前獲った獲物と比べ物にならないくらいでかい獲物で、狩猟賞を取るから」
私は少し驚いて。なるほどと納得して。そして笑い出したくなった。
「その頃には、私はもっと強くなってるかも」
「じゃあ、次に会ったときに成果を見せ合おう」
「いいね」
「だろ?」
私たちは笑い合って、それで再会を固く約束した。
「お嬢さん」
お嬢さん。ここ数日で聴き慣れた私の名前だ。いや、私が自分の名前を教えないからだけど。
親父は言った。
「穫れると思いますか、貴女は」
私は確信を持って答えた。
「大丈夫ですよ」
即答されると思わなかったのか、親父は少し目を見開いてこちらを見た。
でも私は即答する。即答、できる。
「大丈夫です。あの魔物の頭を落としたのは彼なんですよ」
「まあ、でもあの時魔物の気を引いていたのはあなただと言っていましたが」
「それでも」
私は思い出す。いや、思い出さずとも瞼を閉じれば容易に思い描ける。
薄暗い森、煌めく影、まるで。
「あの時の彼は一流の剣士のようでした。私の見た中で、一番見事な太刀筋でした」
狩人にする例えとしては不適切であるかもしれないが。




