少女の帰省(?)・後編
(体が痛い)
長いこと柔らかなベッドで寝れていたからか、久しぶりの感覚が身体中に沁みる。
先ほどの野晒しのところからは運んでもらったのか、目を開けるとどこか洞窟のような場所にいた。
「大丈夫?」
だるい体を起こして声の方に向くと、予想通り先ほどの少年がこちらを見ていた。
「病気とかじゃないよね?」
黙って頷く。彼はほっとしたように口元を緩めた。
助けてくれた彼は見たところ中等部くらいの年齢の少し痩せ気味な少年だった。カフと名乗った。平民なので姓はない。
日頃学園の制服に身を包んでいるため指摘はされないが同級生の中で一番小柄な私は制服を脱ぎ捨てた姿では多分未就学児に見えるだろう。そして実年齢では正解だ。「お母さんとかはいる?」とずいぶん優しく声をかけられたので首を振って否定をしておく。少年は納得出来なさそうに「そっか」と呟くだけだった。
「それにしても、なんで倒れてたの?」
彼の水筒を口元に当てられて素直に口をつける。口腔内が湿って幾分か喋りやすくなった。
「つかれてたの」
「え、あー、そっか」
辿々しく答えると彼の視線が若干微笑ましいものに変わる。遊び疲れて寝ちゃったみたいな感じになってしまった。そしてあまり否定ができないのが辛い。
「……この魔法、疲れちゃうの」
「そっか、大変だね」
せめてもと思って言い訳するが視線の暖かさは変わらない。私はたまらず目を逸らした。
「で、でももう大丈夫だから」
グー。
「…………」
「……」
心配かけまいと強がって起きあがろうとしたところを遮るようにお腹が一鳴き。カフの微笑ましそうな顔はより深まった。
「食べる?」
そう言って渡されたのは赤い果実。見ると洞窟の少し奥まったところにその果実が山ほど実った木が植っていた。少し手で拭って外の光にかざすと、見覚えのある果実。
「マールス……?」
「あ、これそういう名前なんだ」
甘くて美味しいやつって覚えてた。朗らかに言う彼に頷く。でも私も昔はそんな認識だったから仕方がない。山間部にしか取れなくて、採集した端から劣化していくものだから露天には並ばない。山を駆け回る子供しか知らないご馳走だ。
「…………」
皮は手で剥ける。それだけ柔らかい。赤くて、あの頃よりも少し成長した私の手にはちょうどいい。一口含むと口いっぱいに広がる甘さ、瑞々しさ。病床の兄を元気にしてしまった魔法の果実。
実はこうして目にするのは生まれ変わってから初めてのことだった。
「まずい?」
思わず黙り込む私に、彼は声をかけた。私は胸がいっぱいで、何も言えずに首を力一杯振るだけ。
私は大人になった。この果実について色々なことを個人的に調べたし、その中で色々なことを理解した。
マールスという果実は今のような夏に実る果実なのであの冬の日に探すことなんて到底できなかったこと、そもそもこの果実には魔法どころか滋養効果すらなくて、多分持ち帰っても固形物がほぼ食べられないほど病状の悪化していた兄には食べられなかったこと。申し訳なさそうな兄の顔を見るだけで結局ほとんど私の食事になっただろうと言うこと、私の無謀さ、兄の優しさ、その全て。
もし私があんな無茶をしなければ、きっと兄を一人で……。
ふと、私の頭に柔らかな熱と重みが加わった。顔を上げると心配そうな彼と目が合った。出会ったばかりなのに心配ばかりかけている気がする。
「眠い?」
「…………」
確かに、お腹にものを入れたことで少し眠い気がする。でもさっきまで力一杯寝ていたし、抗えないほどじゃない。
「ううん、眠くない」
「そっか。……じゃあ、その、聞くよ?」
カフが緊張したように言った。改めて、と言ったふうで、私も少しドキドキしてしまった。
「なに?」
「えっと、そのさっきのって、禁忌魔法?」
禁忌魔法……今ではそう使われない言葉。一瞬ピンと来なかったが、特別魔法のことだ。数年前、今の王に変わる時に呼び方が一新されたと聞いたけど山間部ではそうでもないのかもしれない。高齢者も多い町だし。
「えっと、特別魔法のこと?それならそうだけど」
案の定私の言葉に今度は彼が首を傾げてから、数秒後勢いよく「そうなんだ!」と声を張り上げた。
「羽、が出るんだね。飛べるの?」
「うん。まあ、まだうまくはないけど」
私は一応謙遜した。本当は結構自由自在に扱えていたけど、なんとなくそのまま言ったら「乗せて」とか言われそうだったので。
「じゃあまだ練習中なのか」
「うん」
彼は拳二つ分くらいの距離を空けて隣に座った。少し距離は近くなったが、不快感はなかった。
「その、森はちょっと危ないぞ。猪とかいるし。あと狩りのための罠が張ってあったりするから」
「……うーん」
そう言われても。多分空中にいることの多い私には関係ない気がするが。ただ今ちょうど「うまく飛べない」と言ってしまったし、無防備に寝こけているところを拾われた身なので言いにくい。
「それに君ここら辺の子じゃないよな。お母さんかお父さんは?」
こんな心配の仕方初めてだ。何も言えなくて黙って首を振る。
「そっか。そしたらなお、危ない。家の中で練習はできないの?」
「羽が、いっぱい落ちちゃうの」
そう言って羽を出して振ってみせる。パラパラと落ちていく羽に彼は切れ長の目を気持ち丸める。
「あー……そっか。うーん」
彼は困ったように頭を掻いた。
「あー、なんというか、この町はかなり田舎じゃん?だから町の楽しみって言うと狩りなんだよね。より大きい獲物を取れた男はみんなからすごいって言われるし。それで、つい昨日誰かが森で大きな羽を見つけたんだって騒いでてさ、大きな羽ってことは大きな胴体をした鳥ってことだ。だからその、みんな探してやろうって気になっちゃってて……」
「…………」
ほう、大きな鳥。どのくらいの大きさなのかは分からないが、その大きな鳥を私も捕まえたら何日分くらい焼き鳥が食べれるのだろうか。ぼんやり考えている私の視界に先ほど出した翼から落ちた羽が飛び込んできた。
私の翼は鳥のようだが鳥以上に大きく、そして羽も大きい。つまりは……。
いやそれ私じゃん。
「みんなって言うか、まあ俺もその一人なんだけど」
狩られる。焼き鳥になる私が鮮明に想像できた。
「お、お兄さんも……狩りを……」
「おう。それで、その……お前がその羽の持ち主なんじゃないかと思うんだけど……」
狩られる!!!危機感を覚えた私はそっと彼から距離をとった。
も、もしや彼はこうやって私を懐柔して狩ろうとしている??私はすばやくあたりを見渡した。洞窟の出口はそこそこ先、奥はマールスの木があるばかりで隠れるようなところはない。そして私自身の体力はまあまあ回復はしているけど十分ではない。
「…………」
手に持つマールスの食べ終えた残りのヘタの部分を投げつけて牽制、一直線に洞窟を出て飛んで逃げるが正解か。私がこそこそそんなことを思っている間に近づいていた彼にガッと肩を掴まれた。
(!??!!!?)
「だから、あんま森での練習はおすすめしない」
(???)
「俺みたいにしっかり正体を見たやつなら間違えないけど、遠目だと普通に鳥に見えるし、そんで遠くからでも打ち抜ける弓の名手とか何人かいるんだよ。だからあぶねえからこの森での練習はやめとけ」
(…………)
「ごめんなさい」
「?は?」
私は思わず顔を覆った。
「まあ、広いところで力一杯飛びたいって気持ちもわからなくはないが。俺の方から町のみんなに説明してもいいけど、俺が今年の狩猟賞を狙ってんのはみんな知ってるからな。信じてもらえるかどうか……」
少し言葉が砕けていく。別に女児相手に柔らかく話していただけで少し子生意気そうな口調が素なのだと分かる。
「狩猟賞?」
「ああ、毎年豊穣の週の、最終日にある収穫祭の時に、その年最もいい獲物を獲った若者に贈られる賞だ。それに選ばれると金一封」
豊穣の週とは一年の収穫を感謝する国の祝日だ。秋の終わりにあり、その最終日には孤児院でも少し豪華なご飯が出る。狩りも農業もろくに関わっていない小娘にも特別な日だったから、狩人の多いこの町はなお特別な意味を持つのだろう。きっとその狩猟賞というものも。
「へえ……」
彼の擦り切れた洋服とたくさん武器を握ったのだとわかる年若いのに見合わない節くれだった指。必死に追った獲物の正体が私でがっかりさせてしまっただろうか。
「ま、そう言うわけで俺に限らずおっさんからちびっ子までみんな必死なのよ。だから諦めて大人しくしてな」
「うん……」
仕方がない、彼の言う通りだ。私も撃ち落とされては敵わない。
練習場所については当主様に相談してみよう。あっちも娘とされている私が成績優秀なのは喜ばしいことだろうし。協力してくれるかもしれない。ただ、本物の「シャーロット」との明らかな相違であるこの魔法を伸ばそうとするのを良しとされない可能性もあるので賭けにはなるが。
「ごめんな、広いところで飛びたいよなー」
しかし少年に眉を下げて謝られると駄々をこねる気にはなれない。ううんと首を振った。
「掃除が大変になるだけで、飛べる場所自体はあるし……」
体育館とか。そういうと彼は少し考えてそれならと思いついたように私に翼を出すように促した。
「これでどうだ?」
そして手持ちの袋にすっぽり入れてしまった。試しにバタつかせてみるとサイズがギリギリなので多少窮屈だが袋を被せた方の翼からは羽が落ちてこなかった。多少ずれてきたり隙間が空いたりしたら羽が漏れてそうだが、例えば袋の口のところに紐を通してそれで口を狭めたり。改善案を考えていると彼はそっと私の持っていた袋を取り上げてしまった。
「て、悪い。貧乏くさい、よな……」
「え、そんなことない!」
しょげるような声音に慌てて声をあげる。再び袋に手をかけようとすると、自分の整えられた白い手と薄汚れた袋のギャップが暗い洞窟内でもよく見えた。多分反対側から見ている彼にも見えているだろう。
「……」
(何言っても、信じてもらいない気がする)
それでも私は、そっと袋に触れた。
「私は今、お金持ちの親に引き取られて」
カフが「え」と小さく呟いた。構わず続ける。
「恵まれてて、食事に困らなくて、いじめられない。そんな毎日だけど、学校の友達の買い物の仕方とか、魔法に対する価値観とか、親が高価な魔石を実験だとか言って本当にものになるかもわからないものに浪費したりとか。そういうのを見るとちょっとうわってなるよ」
「……うん」
「そんで、そう思う自分が間違ってるってすぐに気がついてもっと嫌になる」
「…………」
「だからありがとう。この魔法のこと、『便利そう』って言ってくれて。羽の美しさしか褒められたことなかったから、もう人前で動かすのやめようかなとか思ってたの」
「……もったいないな。使いなよ便利なんだから」
「うん、ありがとう。袋で覆って使ってみる」
私が照れくさそうに笑うと、彼も弾けるように笑った。
「ただこれはお貴族様が使うにはボロすぎるからな。ちゃんといい生地で作ってもらえ」
「あ……うん」
学校という言葉を出したので貴族なのがバレた。うっかりうっかり。まあどこの貴族とまでは言っていないから大丈夫だろうか。
今度こそ円満に彼の元に渡った袋に手を入れると、裏返して羽をバサバサと取り除く。まあ短時間なので数枚だが。
「それにしてもふわふわだな。栄養状態がいいのか?」
「え、わかんないよ」
「いい羽毛布団とか作れそう」
「素材人の体だけど」
確かにまた生えるが倫理的にどうなんだ。自分の体で暖を取られているのは複雑だ。微妙な顔をして考えだした私を笑うカフ。流石に冗談だったのか。ムカつくな、冬になる前に送ってやろう。
「じゃあ、帰ろうか」
外を覗くと長話をしていたせいか空が茜色を帯びていた。大分寝ていたこともあるがマールス一粒しか食べていないはずなのに体力がほとんど回復しつつある。ただ帰るまでにお腹が空くといけないからもう一個拝借しておこうか。
「帰る前にもうマールスの実、一個食べていい?」
「あ?いくらでもどうぞ。自生してるやつで誰かが植えたものじゃないしな。ただここは日が暮れるとオバケが出るって話だからさっさと出るぞ」
「おばけ?」
大人っぽい(お兄さんぽい)彼の言動に似合わず随分可愛らしいものを怖がっているんだな。でも声音は少し茶化すような色は含まれど真剣なものだから素直に従う。
できれば先ほど採ったところと離れたところから採集した方がいいのだろうか。別に詳しくはないがなんとなくそう言った思考から採れた後などを探す。まあ木には隙間がないほどびっしりと生えているので見つけられなかったのだが。諦めて適当に十分色づいたものを取る。熟れ切っていたようで手で簡単に取れた。
「……!!」
驚いた。隙間がないはずだ。私が採った瞬間小さな実がつき、みるみるうちに膨らんで行ったのだから。
……これはマールスやそれに類する果物に出る特徴。常識の範囲外の急成長。背中を嫌な汗が伝う。
「まあな、子供っぽいとは俺も思ってるけどさ……町の大人に子供は森に出るようになると必ず言われるんだ。それに森に出かけようとするたびにお袋が真剣な顔して言い含めるもんだからさー……」
なぜ、なぜ気が付かなかった。こんな洞窟の奥深く、多分一日中日光の入らない奥深くにこんなに立派な実が採れる違和感。そしてまだ一つしかマールスを食べていないにも関わらず身体中にみなぎるこの魔力。
日光を栄養源としないマールスは、その代わりに魔力を栄養源とする。それもこの成長の速度からしてかなりの魔力が渦巻いていることが簡単に予想できた。
「ね、ねえ早く、早く出よう」
声が震える。日が暮れるとこの洞窟に近づいてはいけない、おばけが出るから。私はこの時、彼のお母さんやこの町の大人の考えを簡単に理解できた。
魔力とは力の源。果物を急成長させたり、生物の魔力の回復に役立つ。
黄昏時、赤い光で照らされた洞窟内に、入り口を塞ぐ巨体の影が更に大きく映し出される。
「あ……」
巨大な魔力の渦巻くスポットは、しばしば力の強い魔物の棲家になっている。
一区切り。解決編(全2話)へと続きます




