アジメク・ガクルックス①
愛を込めて
欲しかったのは、ただ一つの果実。
名前は知らない。赤くて、私の小さい手のひらでは収まり切らないほどの大きさで、熟れると柔らかくて包丁なしでも剥けて、甘い。
ただ、前にお兄ちゃんにプレゼントした時に「おいしいね、おかげで元気になったよ」って言ってくれた。医者も投げ出した病気すらも治してしまう魔法の果物。
おくすりはもうない。頼れる大人もいない。お兄ちゃんは一昨日から苦しそうで。冬の森に出るのは危険だと止められていたけど、お兄ちゃんが気を失うように眠るのを見計らって山に走った。
大きな月が出ていようと夜の森は怖い。走りやすさ重視の簡易的な靴は雪が染み込んで凍りそうなほど冷たかった。
「あ!」
そんなふうに他に気を取られていたから、雪に隠れた木の根に足を取られた。
そのまま地面に転がる。雪に守られているが強かに打ちつけた膝や肘が痛い。
「うぅ……」
ジンジンとしてすぐには動けない。思わず泣きそうになってうずくまる。でもその先の雪も冷たくて、頑張って顔を上げる。
「……あ!」
その瞬間お腹に強い衝撃が走ると同時に視界が急にくるりと回る。軽い体は簡単にコロコロと回って、そのまま少しの浮遊感の後に頭にガツンと衝撃が走ると共に止まった。
転がった先で薄目を開けると、私がうずくまったいただろう場所には足を中途半端にあげた男の人がいた。多分その人に蹴られたのだ。こちらを見る目が驚いているところを見るにわざとではないのだろうけど。
私はその人をぼんやりと見つめたまま、頭に生ぬるい液体が流れていくのを感じていた。頭をぶつけた衝撃でぼんやりとしていた。そして痛い。
「……これ、俺が殺したのか?」
男は独り言のように呟いた。私はそう元気もなくて、近づいてくる相手を目で追うくらいしかできなかった。
「おい、死ぬのか?」
これは私に対する問いだろう。死ぬ、私死ぬのか。お母さんみたいに。
そう聞かれてもよく分からなくて困った。でもなんかしら答えた方がいいのだろう。でも適当に答えるのも億劫だ。
なんか、もうすぐ話すのも大変になる気がする。
「は?ガキってそんな簡単に死ぬのかよめんどくせえ。そんな弱いならそっちも気をつけろよ」
なんか、怒ってる気がする。声がだんだん遠くなって聞こえにくい。私は何も答えられなくて、でもあっちはまだまだなんか言いながらこちらにどんどん近づいてきた。
「て、んし……さま……?」
近づいたことでわかったその人の髪は綺麗なブロンドで、月の光を浴びてキラキラと輝いた。その髪と整った顔とで相まって教会の壁画で見た天使様を思い起こさせた。
その呟きを拾ったその人は虚をつかれたように一瞬黙り込み、そして弾かれたように笑った。
「天使?天使かよおもしれーな。この俺様を?やっぱガキの考えることはいいね、いつも突拍子もねえ」
その人は私の頭を乱暴に撫でた。傷口近くを触れているので身構えたが、痛くなるどころか響くような頭痛がすっと引いていく感覚にこの人は本当に天使様なんだと嬉しくなった。
そして男は十分に笑ってから私の頭を鷲掴んで目線を合わせた。
「なあ、ガキ。俺が天使だったらどうする?」
「え?」
先ほどはあんなにもしんどかったのに、今度はすっと言葉が出てきた。これも天使様の魔法だろうか。
「お前は今死にかけてる。そしてお前の目の前にいるのは魔法の使える天使様だ。今ならなんかしらの願いを叶えてやってもいいぜ」
「あ……え……」
そう天使様はニヤッと笑った。私はそれを相変わらずぼんやりと眺めていた。
「ほら、言ってみろ」
急かすように言う男に、未だ回りにくい頭で考えた。願いごと、なんだろう。そうやって考えているうちに再び頭が痛くなってきた。体が冷たい。
一秒が、長い。まるで見ているみたいにこれまでのことが脈絡なく浮かんでくる。
痩せほそった腕を持ち上げて私達兄妹を抱きしめるお母さん、夜中に逃げるように出ていくお父さんの後ろ姿、どんどんやつれていくお兄ちゃん、顔を背ける近所の大人、血を吐くお兄ちゃん、こっそり見てくれたおじいちゃん医師の困った顔。
家で苦しそうに息を吐きながら眠っているであろう、大好きなお兄ちゃん。
そして全てがこの雪の山に収束していって、真っ白な銀世界に溶かされていく。視界は白く、目の霞みと相まってほとんど見えない。
それでも私は腕を伸ばした。天使様にむかって。
ーーーーー
「今日からあなたの名前はアジメク・ガクルックスです。復唱しなさい」
「はい、私の名前はアジメク・ガクルックスです。ご機嫌よう」
「はい、まあいいでしょう。あなたを買った当初のひどい下町訛りはマシになりましたね。マナーも本物のアジメク様には遠く及びませんがまあいいでしょう。ドブネズミのようだったあなたを三ヶ月で学園に入れるようになるまで躾けてほしいだなんて、言われた時は気が遠くなりましたが。無事に終わってよかった」
「はい、ご指導ありがとうございます」
そう言ってカーテシーで応えると目の前の婦人はフンっと鼻を鳴らした。そのまま踵を返して部屋を出ていくのを見送った途端、私は部屋のソファに崩れるように座り込む。
長かった。あー長かった。お金をもらえると言うので頑張ったがそうでなければ頑張れなかった。
私は三ヶ月前、親だと思っていた人たちに売られた。いやそもそも私はその親に引き取られた時から『商品』だったけど。
別に恨んでない。その夫婦はとても嫌いだけど、その先で出会った弟の食費になるのならこんなに嬉しいことはない。
たとえ一生会えなくても、だ。
コンコンコン
「は、はい!」
別邸にあるこの部屋には滅多にない来客に軽く声を上擦らせながら応えると、直後入ってきた執事長に厳しい顔で咳払いをされる。思わず首をすくめるとさらに厳しい顔になる。これはきっと彼女に似ても似つかない態度を取ったからだろう。
「まあ、いいでしょう。旦那様がお呼びです」
「……えぇ」
気取って答えると今度は何も言われなかった。慣れないが仕方がない。
入学前の確認だろう。この家の主人は用心深い。こんな小娘に大役を任せること自体不安なのだろう。
まあ、計画事態が泥舟だから。大船に乗ったつもりでなんかは言わないが安心してほしい。金の分は働く。
主人に呼ばれた数回以外は視界にも入れる機会のない本邸を歩く。執事長に着いていくのみで広い邸宅の道を覚える気は実はさらさらない。どうせ誰かに連れてきてもらわないと入れない身分だし。
「旦那様、お連れしました」
「入れ」
促されて室内に入ると、平常と変わらず彼は書類から顔すら上げずにいる。これが本物の娘相手は随分甘々なパパになると聞いた時は信じられなかった。
厳しい人だ。ガクルックス公爵家現当主、プロキオン・ガクルックス。彼の父、前当主が王弟。現在最も王家に近い公爵家。つまり権力も多ければ敵も多い、そして前当主の影響で味方は少ない。
つまりなるべくしてなった厳しさではあるが、その冷酷さは反転して身内に引き入れたものへの甘さを浮き彫りにする。
彼の愛妻家は有名だし、息子や娘へのかわいがりようは下町にも届くほど。後ろに立つ執事長も、右腕と引き入れた侍従もその恩恵を受けている一人だった。
しかもその甘々によって窮地に陥っていると言うのだから、愉快愉快。
「入学は明日だが、準備はできているんだろうな」
全身全霊をここからに賭ける。私は女優、女は女優。
私はにっこりと笑った。
「はい。ばっちりですわ、お父様」
身内に対する絶対的な甘えを全面に出して返答すると、後ろで息を呑むような音が聞こえる。当然だ、これは教育係をはじめとした面々のお墨付きの彼女の演技なのだから。
目標はその顔を上げさせること。娘扱いなんて期待していないけど、せめて有力な駒としてでも記憶してもらわないといけない。
ただの駒で終わってたまるか。
「それで、夫人からの報告は?」
「こちらです」
執事長からの書類に目を通していく。私は混ぜっ返すように「あら、信じていただけませんの?」と声をあげるが黙殺される。
執事長の反応を見るに間違っていないはずだが。いまいち効果のない反応に内心焦る。
「まあ、この分ならいいだろう。ただ、ここ」
「あら?どこかしら」
指で示したところを見ると魔法の欄だった。本物が全魔法そこそこできると言っていたから合わせて出力したのだが。
「あいつは火と風と闇しか使えん。水、光関連はてんでだめだ。こちらの情報が間違っていたようだな」
まじか。魔法を使える貴族自体少なくなった時代に全魔法使える才女って聞いてたのに。執事長の「なんでこんな庶民がお嬢様よりも使えるんだ」みたいな視線は無視して「調整しますわ」と微笑むと主人は軽く頷いた。
「対外的にはその情報で間違いないが半年前に王子に会わせた時はまだ使えなかったからな。全く使えないままだとうちの名誉に関わるが少しずつ使えるようになったと言うことにしろ」
「分かりました」
まあ、まどろっこしいが出来るふりするよりも出来ないふりする方が簡単だ。他の用事はないようなので書類を指を鳴らして燃やすと「以上だ」と退出を促される。
「はーい、じゃあまた。お父様」
軽く声をかけるが主人からの返答はない。やっぱりダメか。諦めて背を向けた私に、後ろから声がかかった。
「……だ」
思わず勢いよく振り返る。しかし主人は視線は机に向けている。なんだ、追加事項でもあったのか?
「ど、どうされました?お父さーー」
「パパだ」
「……は?」
「パパだ。三ヶ月くらい前からそう呼ばれてる。パパだ」
いや知らんがな。よく見ると視線は依然下を向いているがその手元はほとんど動いていない。むしろ重要であるはずの書類のいくつかを握りしめてシワが寄っている。
(え?)
慌てて取り繕う。
「あ、そ、そうでしたわね。じゃあ、またねパパ」
そう言って再び微笑むと、その精悍な面立ちと正面から目が合う。
(……目が…………)
「呼ばなくていい。私は君の父親ではない。君も真の意味で『アジメク』ではない」
「…………」
(じゃあなんで言ったんだよ)
呆れて閉口する私に彼は私を見つめていた。
まるで、いやそのまま同情する視線を向けていた。
「君の」
声、が。声がまっすぐ聞こえて、私の鼓膜を揺らす。
「君の名前はアジメクだ。戸籍も消した。元々の家族も予定通り魔法で君の存在を忘れさせる予定だ。元々の君を知るものはこの屋敷の幾人かのみになるだろう。私も君の名前を呼ぶことは今後一生ない」
「…………」
「どうか私たちのために犠牲になってくれ」
「………………」
どうして今更。
表情が上手く作れている自覚がない。熱いほどの視線を執事長から感じる。
「そして、本当に申し訳ないことをした」
彼は立ち上がった。そして何をするかと思えば、その上体を軽く曲げようとした。
私はそれで、ゆっくり笑った。
「なんのこと?パパ」
コロコロと。朗らかに。少し大人びて。笑う演技は得意だ。頭を下げようとするのを押し留めると、彼は苦しそうな顔を隠しもしないでこちらを見ていた。
プロキオン・ガクルックス。冷酷で家族思い。身内に甘くて人情家、そして何よりこの大きな家を切り盛りする人間。厳しい人間ではあるが人間として善人であるのだと思う。でも、
(許してなんてやるものか)
こうやって謝られながら、申し訳ないと家のためなのだと言って、私は将来、この人に殺される。
これは外には一切出ていない情報だが、三ヶ月前、ここのお嬢様であるアジメク・ガクルックスは予知能力を発現したらしい。
それ自体は別にいい。魔法を使えること自体は珍しいが王宮付きの魔法師を代々輩出するガクルックス家では新しい種類の魔法を使えるようになったことは歓迎されることだ。特に今は先代王の頃と違い五大魔法(光・闇・火・水・風)以外の魔法を使用したからと言って異教徒として火炙りにされるなんてことはない。魔法自体は別にいい。むしろ喜ばしいくらいだ。
しかし問題はその予知内容。その内容はガクルックス家の没落とアジメクの処刑という悲惨なものだった。
それを聞いた当主を初めとした上層の人間は大慌て。貴族の頂点に立っていると言っても過言でないガクルックス家の没落など夢にも思わなかったからだ。
そのため読み違いではないかと思われたが、隣国にいるという幻の第一王子、その魔力でもって全力で隠居していた大魔法使いの居場所を予知し当てるなど、短期間であったがその信憑性は増していった。きっと彼女の予想した隣領土の大災害が来年に起こった場合、その能力は正式に認定されるだろう。
そして彼女は言ったらしい。「私、このまま学校に言ったら悪役れい……い、いえ、悪者になって同級生をいじめて、十七になった時に処刑されてしまいます!というか十七でなくてもどっちにしろ死亡というか……。とにかく!私学校行きたくないです!」
所々意味の分からない単語があったらしいがそれは予知能力を得た三ヶ月前かららしいので置いておいて、この発言にも大人たちは大いに慌てた。
なぜなら王立学園への入学は、全貴族の義務であったからだ。
そんな時、ここの執事長はある少女を見つけた。私だ。
孤児である私は偶然か必然か、アジメクにそっくりの容姿で産まれた。学園には犯罪防止のため魔法察知の器具が至る所で使用されるため、顔面変化の魔法を使用する必要のないこの顔は、その本体に教育を施す価値のあるものだったのだ。髪色だけはアジメクのブロンドに対してごく普通の茶髪だが、それは魔法を使わずとも染料で容易に染められる。
(しかし無茶を言う)
たった三ヶ月でまともに会ったことのない相手のふりをしろだなんて。しかもまだ七歳なのに本来は九歳の人間のふりをしろなんて。たとえ私が二回目の人生を歩んでいるとしても。体力その他に限界がある。
(まあ二回目と言っても一回目の人生も四歳くらいまでしか生きられなかったけど)
全てあの雪山に収束する。白んだ視界と天使様。
そう、私は生まれ変わった。この体に、そして今はアジメク・ガクルックスという少女に。
私の今後の『扱い』については両親(私を売った夫婦をそう呼ぶなら)に執事長が話しているのをこっそり聞いた。
十七歳。アジメクが処刑される予定の年。
ここまでにもし入れ替わりがバレたら王家への背信疑い、いざとなれば実行犯の私は切り捨てられる可能性が高い。
そして予言通り処刑されればもちろん処刑対象は私。
いざ生き残ったとしても、その時は本物と入れ替わるだけ。私はその時用済みである。
でもせっかく生まれ変わったのに、こんな短い時間でまた死んでたまるか。
媚びでもなんでも売って、絶対生き残ってやる!
そう決意を改める私の背後、一人の青年が私を見ていた。
「………………?」
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