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第35話 野外演習 6

本作品はカクヨム様で先行公開中です

 

 ドーンは決して外見だけが優れた、無能なリーダーではない。


 むしろ、侯爵家で厳しく教育されてきた分、頭一つ抜きんでた生徒だと言って良いだろう。責任感と、それに伴う貴族的な公平さ、知能も武芸も、そして勝利のための決意も人一倍であった。


 戦利品となった「水」を公平に配らせるようにと配慮するのはリーダーとして当然のことだった。


「高価な砂糖が大量に入っていて、とても甘いらしい」


 分捕ってきた隊員達の言葉がヒタヒタと伝わっていくと、下位貴族の子弟達は目の色が違った。そんな報告がもたらされ「美味い水」だとわかってからは、一層慎重に気を遣った。

 

 人間というものは、普段の「格差」は受け入れても、こういう時に「不公平さ」を感じると、思った以上に仲間意識を傷つけることになるものだ。いわく「食い物の怨みは恐ろしい」というのは、古今東西、ついて回るものだ。


 もちろん、その程度のことは帝王教育を受けてきたドーンにとってわかりきったことだ。


 全員に平等になるように「明日の分を含めて」水を配った。この時、ドーンは逆に配慮した。オイジュ達を含めて「高位貴族に連なるものは控えるように」と通達したのだ。


 ドーンとして、あるいは「将軍」として、ひとつのノーブレス・オブリージュの表れだったのだろう。


 ミガッテもオイジュも、それを当然のこととして受け入れた。貴族としての傲慢さを持ってはいても、高位貴族家のシツケを受けてきた賜物であっただろう。


「オレ達は、家に戻ればいつだって飲める。みんなに優先する」

 

 そんな言葉を高位貴族が口にすれば、周囲に漏れ伝わり、下々の士気を挙げることになる。


 ドーンはちゃんと計算していた。


 特に、平民枠の生徒達から「美味い水を独占するどころか、配下の者を優先するとは、なんて素晴らしい将軍なんだ。さすが侯爵家」


 そんな声が出てきたことは自然なことだ。


 たとえ、それが計算尽くだとわかっていても、その程度のこともできない「上」など珍しくないからだ。


 オイジュやミガッテのような主立った家、それにヤッバイやモレソのような分家の者は、昨日、本部に用意しておいた普通の水だけを飲むことにした。


 だから気付くのが遅れた。


 地獄の入り口は、ほんの小さな動きだった。


 そこかしこで、枕元に置いた荷物の中から無意識に取りだした水袋。つい「もう一口」と飲んでしまう子が続々と現れたのが最初だ。


 ひとりずつの動きは小さいのだ。


 あまりにも美味い。もっと飲みたくなる。


 一口飲むと、さらに二口飲みたくなる。


 演習とは言え「戦場」だ。しかも固い地面に直接身を横たえる仮眠では眠りも浅い。喉の渇きを覚えるたびに、枕元の水袋を取って一口、また一口。


 明日のことがある。水は取っておかないと。だから、ホンの少しだけ。


 おかしいな? なんで喉がこんなに渇くんだ? あと一口だけ。


 飲めば飲んだだけ、もっと水が欲しくなっていく。


 ついには、止まらなくなる。一口だけだなんて我慢できない。


 グイ、グイ、グイっと飲むウチに、1日分を全て飲んでしまった。


 なくなると、余計に欲しくなるのが人間というもの。


 そっと抜け出して、備蓄してある水の所へ行った。ビックリしたのは、他に何人もいること。 


「水、水はないのか?」

「一杯だけくれ」

「一口で良いんだ。飲ませてくれ」


 そうやって喋っている人間はまだいい。ダルさを訴えて転がっている者。フラフラとあらぬ所に行こうとする者。ハッキリと冷静でいる人間が見当たらない。


 陣内にざわつきが広がって初めてドーンも気付いた。


「毒だ」


 身体が震えている者までいるのを見てドーンは直感した。


 奪ってきた水に毒が入っていたのだ。 


「みんな、水を飲むな。毒だ。今すぐ捨てろ」


 一斉にザワついた。


 言われたとおり、無条件で捨てたものは少数派。大多数は「捨てる前に、あと一口」をやっている。そして、1割ほどの人間が「甘くて美味しい水」を捨てられなかった。


「馬たちが飲まなかったのは、毒に気が付いたからだったのか」


 ミガッテが、唖然として呟く。


「それにしても、マジで毒まで使いやがった」


 オイジュは戦慄した。心のどこかで、本気で毒を使ってくることなどないだろうと思っていたのに。


 甘かった。


 唖然とする二人に比べて、ドーンの切り替えは速い。


「毒にやられてないのは何人だ?」

「ドーン将軍を含めて、10人もいません」


 こういう時、即答ではなくても良いので正確な名前が欲しいところだ。しかし、それを求めようとした時、さらにザワついた。


 あろうことが先生が、人を引き連れて陣内にやってきた。


「ガーレフ先生! え? 公爵閣下まで」


 慌てて立ち上がって礼をするドーン達だ。


「あ、そのままで良い。今回は異例だが、必要だと思ってな。こちらから確認に来たのだ」


 御三家の当主達は、後ろから見守る形だ。介入しないという意味だろうか?


「先生、そのことです。南軍は毒を用いたと思われます。至急手当をしてください」

「そのことなんだがね。君たちが奪った水を、ちょっと持ってきてもらえないか?」

「わかりました。おいっ!」


 持ってこさせた水袋を渡すとガーレフは、いきなりグイッと一口飲んだのだ。


「先生、それには毒が」

「やっぱりだ。ショウ君の言ったことは本当だった」


 ガーレフは、小さな竹筒を出すと、中身を持参してきたカップにあけた。水袋の水も、もう一つのカップにあける。


「飲み比べてみろ」

 

 こともなげに言われた。


 恐る恐る、口に含む。


 強い甘み。柑橘系の匂い。少々の塩気。


「同じ? いや、こっちの方が、少しだけ甘くて塩っぱいかも」

「そうだ。その通り。この二つの中に入っているのは基本的に同じだ。少しばかりの果汁と砂糖と塩。それだけだそうだ」

「え? 塩と砂糖? そんはずは!」

「塩水は、薄ければ問題ないし、むしろ汗をかいた後は塩が必要になる。だが、一定以上濃い塩水を飲むと、飲めば飲むほどノドが乾く、()()()()になってしまうんだ。この水は、それだけの塩と、そして、それをごまかすための砂糖が入ってるのだそうだよ」

「じゃあ、我々が奪った水は、ワナだった……」

「そういうことになるな。これは種明かしをさせる代わりに、頼まれたんだが」

「南軍の将軍にですか?」

「そうだ。約束なので伝えるぞ。警備役の2年生は、これを知らされてなかったらしい。自分たちが飲んでいた分と同じだと思わせていた、と伝えてほしいそうだ」

「じゃあ、ヤツは、味方まで騙していると?」

「そうだな。あ、こんなことも言っていたぞ……



・・・・・・・・・・・


「敵を欺くならまずは味方から、ってわけですよ」


 一つ年下の将軍が平然とうそぶいた。


 生来の正直者であるノーヘルは愕然とした。


「だって、あいつら(ベグ達)は、本気で信じていたぞ?」

「作戦自体は本気でしたから、正確に言えば騙したわけじゃないです。ただ、あそこは発見される可能性が高い位置だったんです」

「つまり、始めから囮ということか」

「いえ。カウンターアタックを仕掛けるには最高の位置ですよ。だからこそベグ先輩達は誰も異を唱えなかったわけで、あれはあれで本気の作戦だったんです。もしも気付かれてなければ、最初の作戦通りです」

「そうなっていたら?」

「まあ、普通に勝っている可能性が高いです」

 

 ノーヘルは、納得できないものを感じつつも、ウソでも良いから信じたい言葉を聞こうとした。さもなければ、仲間に「同じ学年の友達を騙せ」と命じたことになってしまうからだ。


「強行偵察に来たのが45名。それが向こうの攻撃隊となるでしょう。ドーン将軍の性格から言えば、城攻めは本人もしたいでしょうから、攻撃力が高い順に50名は抜けます。ろくに砦化もしてない陣地に残されるのは、水不足で動けない20人。しかも10人程度は非武装となるはず。あのメンバーなら必ず勝てます」


 実際には、そんなに上手く行きっこないと思っているが「起こらなかった未来」についてなら、いくらでも楽観論を主張できる。


「しかし、実際には発見され、水は奪われた。今ごろ北軍の連中は、たっぷりと飲んでるはずだ」

「ご存じのように、アレは美味しい水になってますからね。味見をしちゃったら、まず、みんなが飲むでしょうね」


 楽しそうにショウが言う。


「だが、いったん飲むと、もっとノドが渇くと言っていたが?」

「そうですね。さっきお聞きになっていたかも知れませんけど、人間の身体よりもちょっとだけ塩が濃いめなので、受け入れた塩水を身体の中で薄めるためにもっと水が必要になります。つまり、普通の水が欲しくなるんです。まあ、簡単に言えば、ノドが渇いてどうしようもない時に塩を囓ったのと同じこと」

「そんなことになったら、悲惨、いや、地獄だろう」


 日差しの下の行軍中は、兵に塩と水を与えよというのは仕官の基本。しかし、水がなく塩だけをなめればどうなるのか簡単に想像ができた。


「いやぁ、いち早く、先生方も気付いてくださって良かった。明日の朝になっていたら、けっこう重大なことになっていたかも」


 サラッと笑ったが、その重大なことって、なんだと追求するのは怖すぎた。


「もしも、連中が疑って飲まなかったら?」

「それはないと思います。どう計算しても、明日の昼頃には水がなくて動けなくなる。最初に馬に与える分が不足します。だから、誰かに毒味をさせるかも知れませんね。その手間を省くために、ベグ先輩にはお願いをしておいたのですが」

「確か、万が一、敵に発見された場合は、去り際に、カメの水を一杯だけ欲しがれ、とかいうやつだったな?」

「はい。あ、先輩達は、その前に、ウチの本当の秘伝を飲んでもらっているので、おそらく、これも同じかぐらいにしか思わなかったはずですよ」


 これはウソだ。スポドリよりも遙かに塩が多いのだ。おそらくベグ達は、何かに感づいていたはずだ。しかし「気付かなかったこと」にしておけば、後々の人間関係に響かない。


 もちろん、ノーヘル副官は、それを指摘しないだけの頭を持っていた。


「言うまでもありませんが、元はただの塩と砂糖を入れただけの水です。その後に普通の水さえ飲めるなら全く害はありません。しかも飲んだその時は、まったく異常は見られないため絶対にシカケはわかりません。相手の立場から考えると、絶対的な水不足の状況に置かれてるんです。飲んだ人間が、時間をおいた後でどうなるかなんて、じっくり見定める余裕はないと思います」

「じゃあ、さっき、先生達が来たのは」

「たぶん、盛大に飲んでいて、何か不審を覚えたんでしょうね。さすがガーレフ先生だ」


 ショウの言葉にはウソがある。


 ガーレフ先生の後ろで、知恵者が囁いた結果だろうとショウには見当がついている。しかし、そんな事情を喋るほど露悪趣味はなかった。


 ただ、ニコニコ。


 ふっとノーヘル副官は、それが悪魔の笑顔に見えてきてしまった。


 さっきガーレフ先生が「敵軍に奪わせた水について説明を受けたい」と、異例にも説明を求めてきた理由がやっと飲み込めたのだ。


 ノーヘル副官は、すでに顔が青くなっている。


「もしも、先生が気付かなかったら?」

「今ごろ、少々()()()()()になっているかも」


 ちょっとだけ両肩をあげて、無邪気に笑う「子爵閣下」を、ノーヘルは唖然として見つめるしかなかったのだ。



・・・・・・・・・・・



「とにかく、毒ではないにしても、このままでは命の危険がある。この20人はこのまま『死亡判定』だ。他の者も、朝イチで確かめさせてもらうぞ」

「わかりました」


 そう返事をするしか無い。


 奇襲による成果から戦果を拡大して圧勝するはずが、まさか戦利品の「美味しい水」がワナだったとは。


 中心になって働き、一番汗をかいた人間ほど重症になった。残された人間のウチ、辛うじてまともに動けるのは、戦利品を飲まなかった自分たち8人だけだ。


 ガーレフ先生がいなくなった後、ドーンは、決断した。


「勝つためには、オレ達で特攻をかけるしかない」


 意外にも、ミガッテもオイジュも嬉しそうに「はい」と答えた。正直言えば、こんな事態でもなければ、自分が戦闘に加わらせてもらえなかったはずだと知っているのだ。


『こうなったら、旗よりもヤツを狙った方が早い』


 ミガッテの頭に浮かんだ戦略は、ドーンも考えていたらしい。


「朝一番で特攻をかける。軍旗よりも将軍狙いだ。見つけ次第、誰でも良い、勝負に持ちこめ」


 動ける8人による特攻。


 それ以外は、全て陣内に置いていく。40人以上は残るが、そのうち、どれだけが動けるのかはわからない。最悪、旗を奪われても良い。奪われたら、それを持ち帰ってきたところを迎撃する。


 そんな捨て身の方法だ。


 しかし、この状況では、あながち悪い判断ではない。残り少ない「普通の水」を8人と乗馬にだけ集中する。他の馬については、むしろ先生に頼んで「死亡判定」をしてもらい、連れ出してもらった。


「陣地を守備するだけなら馬はいらない。人ももっと少なくて良い」


 動けない人間を中心にして「死亡判定」を前倒し。


 みんなで分けて飲む水を、少数で分けて飲むことで、動ける人間も出るはずだという読みだ。


 この辺りの果断さは、ドーンの優秀性の表れでもあった。


 結果、8人の水袋を半分満たした以外、陣内に水はなくなった。けれども辛うじて動ける人間が陣内に20人いる。


「南軍の主攻はもういないんだ。1年だけなら、相手が半数で押しかけてきてもしのいで見せるから」


 分家筋と言うことで、戦利品をムリヤリ我慢させられたダニエルは、水分不足でフラフラしながらも、まだマシな状態だ。守将を任せる。


 そして夜が明けようとしていた。


『見てろ、お前はオレがやっつけてやる!』

『タマの怨み! 今度こそ、オレの足下にひれ伏させてやる』

『最後に勝つのは、侯爵家の跡取りたる私だ。倒れる時は、敵の首を掴んで倒れてやる』


 朝の光が差し込み始める本部山に、戦闘再開を告げるのろしが上がった。


「はい!」


 馬に入れる気合いは、愛馬達に伝わっている。


 送り出す陣内は、一斉に歓声を上げた。


 差し込み始めた朝日に照らされる角度を意識しつつ、7人を従えたドーンは、愛馬に跨がって、颯爽と出撃したのである。


 その姿は、映画のヒーローそのもので、絵画的な美しさを持っていた。


 ただし、戦争映画のヒーローはしばしば「悲劇の出撃」で物語が終わると言うことがある。そしてまた、勇壮な悲劇に酔える男もしばしば存在する。


 それがドーンである。


 しかし、悲劇をドタバタ劇スラップスティックコメディに変えようとしている男が手ぐすねして待ち構えているのを知らなかったのである。




 



 



エルメス様の洞察により「事前死亡判定」を行うことになりました。とっても異例なことですが、これをしておかないとマジで人が死ぬとガーレフ先生が言われたからです。実施に当たり、いくら相手が国軍のトップであっても、異例の事態となるため、まずショウ君にカラクリを確かめたのです。その慎重なやり方からすると、ガーレフ先生は意外と脳筋ではないのかもしれませんね。


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