第95話 待機命令
サンタがやってきた。
と言っても、この世界には「クリスマス」の概念はない。
サンタはサンタでも、筆頭将軍を務めるクロース男爵家の当主のサンタである。
貴人に会う時の心得通り、いそぎ旅塵を落とすと、早速、イグナツ家の領館の貴賓室でクルシュナと向き合ったのだ。
「サンタクロースが何を慌てているんだ」
まだ夏だぜ、という言葉をクルシュナは飲み込んだ。どのみち、この世界では通じないとわかっているからだ。
「まずは、無事のご帰還をお喜び申し上げます」
「いや~ 参ったぜ、しばらく、体中イモくさくなっちまった」
イモの箱に隠れて国境を越えた。
面白おかしく脚色された帰還の話については、この領館にいる者は全員が聞かされていた。
もちろん、臣下の間では一種の英雄譚として語られているし、サンタも把握していた。
深々と頭を下げたまま「さすが、大王様でいらっしゃいます。何人たりとも出来ぬ偉業。まことにお見事としか申し上げられません」と硬い口調で言った。
「ははは。相変わらず、かたっくるしーな。楽に行こうぜ、楽に」
クルシュナ王のフランクさには慣れたつもりだが、この後に話すべき内容を考えると、とてもではないが「気楽に」できないサンタである。
「早速でございますが、このたびは、ご出陣をお踏みとどまりいただき、感謝を申し上げます」
「そ! それなんだよ。あいつらをすぐに追いだしてやろうと思ったのに」
極秘便で「監察を送る。出撃の見合わせを」という手紙がとどいたのだ。しかも、筆頭将軍自らが駆けつけるとあった。
いくらクルシュナでも「ただごとではない」くらいは察する。
「実は…… 大王様がお大切になさっていらっしゃる娘が、産気づきました」
「え?」
さすがに、目が点である。
「そんなのが緊急?」
聞き返したが「どうやら、お世継ぎになる可能性がございます」といいつつ、サンタが、そっと紙を差し出した。
なんだ、とクルシュナが声を上げそうになったところを、サンタは自分の唇の前に人差し指を立ててみせる。
「ご無礼を申し上げますが、大王様におかれては初めての事にて。くれぐれも、うかつに口にできませぬゆえ、急遽、私めが参りました」
しかし、サンタの言葉などクルシュナは聞いてない。マジマジとテーブルに出された紙に大書された文字を見ている。
【声をお出しにならぬよう。謀反の恐れあり】
「おま、こ、これは?」
クルシュナ王は目を見開いて口をパクパクさせていた。
「驚かれるのは、ごもっともなこと。まさか町娘だと思っていたのに、伯爵家の娘であったなど、わかりませぬからな」
明るい声を上げるサンタは、二枚目を滑らせるように差し出した。
【聞かれる恐れあり。気分を変えて外で話を聞くと、仰せを】
クルシュナは、慌てて周りを見回し、机の下を覗き込む。
サンタは、慌てて三枚目。クルシュナ王の普段を考慮して、念のため用意しておいた紙だ。
【地方貴族の館には盗聴のための仕掛けがあります】
「そんなモンがあるのかよ!」
思わず口走って、慌てて口を抑えるクルシュナだ。
「いえいえ。さすがの大王様も、御嫡男ということで、驚かれたご様子。急いで参った甲斐がありましたな」
ワッハッハ
サンタは大仰に笑って見せた。
このあたり、こちらの世界の貴族邸に疎いクルシュナにとっては驚きであるが、貴族であれば「貴賓室の盗聴装置」が置かれているのは当然のことだった。
といっても、彫刻や絵画の裏側などに、見えぬように開けられた管があり、下の部屋や隣の隠し部屋で聞く原始的な装置だ。
「わかった。気分を変える。外で続きは聞く。ただ一つ、確認だけさせろ」
「は?」
ここで、何かを確認するなら、意味がないだろ! と思ったが、臣下の身ではどうにもならない。
「その娘って言うのは、例の赤毛ちゃんで合ってるか?」
サンタは、その声に演技とは思えない真剣味を感じてしまったのであった。
そののち、中庭の東屋にて、クルシュナは「ボルタの不思議な動き」について一通りの説明を受けることとなった。
その日の夕方、コフ内にいる全軍へシーランダー国王の名の下に命令が発出されたのであった。
敵撃退のため、大軍を発す。
よって三日間の待機を命じる。
※町娘と伯爵家の娘:この世界の常識で、手を付けた町娘の子どもには相続権がありません。逆に伯爵家以上の貴族の娘が男児を産むと世継ぎとなれます。今まで、クルシュナは町娘にだけ手を出していたため「嫡子候補」はいませんでした。そのため周囲が気を揉んでいたのは事実です。
ここで、いろいろしているうちに、ハコネ山の土運びが行われていました。




